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第三章 余韻が消えるまで
16話 もう、あの夜には戻れない
しおりを挟む風呂あがり、タオルで髪を拭いていたケイは、
リビングのテーブルに置いたスマホの振動に気づいた。
画面には、「水島 玲奈」の名前。
短く、3行のメッセージ。
📱
「なんか、今夜、酔っててさ」
「ふと、あなたの顔、思い出しちゃった」
「……いま、なにしてる?」
読み終えたあと、しばらく無言で画面を見つめたまま、ケイは動かなかった。
──あの夜のこと。
冷たくしたつもりはなかった。
それに、あやとはまだ付き合ってはいない。
裏切りじゃない。だから、堂々としていればいいはずなのに。
けど──胸の奥はざわついていた。
浮かぶのは玲奈の肌じゃない。
受付で迎えてくれたあや。
助手席で笑ったあや。
チョコレートをくれたあや。
そして、もふたんを抱きしめて「ありがとう」と言ったあの顔。
(……それでもあの時……止まれなかった)
堂々とできるはずなのに。
理屈では何度もそう言えるのに。
それでも胸に残るのは、重たいざらつきと、消えない後悔だけだった。
深いため息をついたのち、スマホをそっと持ち直し、指が画面を滑る。
返信を打つまでに、少し時間がかかった。
そして、何度か言葉を削って、打ち直して──ようやく、送信した。
📱
「今、少しだけ考えたいことがあって」
「水島先輩のこと、ちゃんと覚えてます」
「でも……ごめんなさい。今は」
“既読”の表示がつく前に、ケイはスマホを伏せて、ソファに体を沈めた。
──気づかれただろうか。
先輩呼びに戻したことに。
敬語に戻したことにも。
あの夜、名前を呼び捨てにした時とは違う、距離のあるメッセージ。
それが、いまの自分の答えだった。
―――
遥香と別れて帰宅後、
シャワーを浴びたあと、濡れた髪をまとめながらベッドに腰を下ろしたタイミングだった。
テーブルの上で、スマホが小さく光った。
画面に浮かんだ“既読”の文字。
そして、次いで現れた3行の返信。
📱
「今、少しだけ考えたいことがあって」
「水島先輩のこと、ちゃんと覚えてます」
「でも……ごめんなさい。今は」
その瞬間、胸の奥がすっと冷えていく。
──“水島先輩”。
たったそれだけで、あの夜の熱も、吐息も、名前を呼んでくれた声すら、すべて遠ざかっていった気がした。
メッセージを読み返しても、どこにも怒りも責めもない。
むしろ、丁寧すぎるほどのやさしさ。
けれど、そのやさしさが玲奈にはいちばん苦しかった。
「……そっか」
ぽつりと、誰に向けるでもなく呟く。
ベッドの隅にスマホを置いて、ゆっくりと背中を壁に預けた。
──あの夜、名前を呼んだときの声が、まだ耳に残っている。
触れたときの体温も、手に残ってる気がするのに。
目を閉じれば、ケイの指先が、髪に触れた感覚すら蘇ってくる。
でももう、そのすべてに「ごめんなさい」のラベルが貼られてしまった。
知らない間に、目がじんわりと滲んでいた。
けれど、もう拭こうとは思わなかった。
その夜、玲奈はスマホを伏せたまま、天井を見つめて、ずっと目を閉じなかった。
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