今日も今日とて

滝川永茉

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学校に行きたくない私と、来未(くるみ)の九月の話。

九月一日(月)学校に行きたくない。

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 雨音で目が覚めた。スマホの時刻は午前六時二十七分だった。
 まだ早すぎる。もう一度目を閉じた。
 しとしと、しとしと、一定のリズムで流れる雨音が好きだ。耳に優しく語り掛けてくるようで心地いい。
――こんな日に外に出るなんて、車にはねられた泥水を被りに行くようなもんだよ。今日はもう、家にいなよ。ローファーの靴を濡らし、靴下までぐっしょりになって、気持ち悪いったらないよ。だからもう、家にいなよ。君は傘をさすのがへたっぴだから、右肩にかけた鞄を濡らすまいとしていつも左肩をびっしょり濡らすだろう。風邪をひくのは馬鹿らしいよ。こんな日は、大人しく家の中で過ごすのが一番利口さ。だから今日はもう、家にいなよ。――
 頭の中で、雨音を都合の良い言葉に置き換える。
 雨の日が一番好きだ。
 家にいてもいいよと、理由を与えられた気がするから。

 午後四時、突如インターホンが鳴った。
 少し警戒して、縁側から玄関を覗き見ると、てるてる坊主のような大きなレインコートが自転車にまたがった状態で雨に打たれていた。半透明のレインコートから透ける見慣れた制服を纏った彼女は、雨に濡れた顔を掌で拭った。
 私は慌てて玄関に向かった。
 小走りで玄関先へ出迎えた私に、クルミは笑顔を見せた。
「プリント、持ってきた!」
「え、なんで……?」
「まさか、こんなに降るとは思わなくってさー。午後からは止むって予報だったのに」
 私の「なんで?」を「どうして雨なのに自転車なのか」と解釈したようで、クルミはトホホといった表情で笑った。
「びしょ濡れだ……」
 私はクルミに同情した。
「大丈夫! いつものことだから」
 そう言ってクルミは、レインコートの中でごそごそと通学鞄を開け、プリントがまとめて入っているのであろうクリアファイルを取り出した。
「はい、これ! 今日までのプリントね。先生からもう熱下がったって聞いたから持ってきた」
「ありがと……」
 私はクルミが差し出したクリアファイルを受け取った。
「ゆかり」
 顔を上げると、クルミはちょっと心配そうな表情で私を見ていた。
「元気……?」
「……うん、元気」
 私の答えに、クルミはいつものようにニッコリ笑った。
「なら、よかった!」
 そこで私は初めてハッとして、差していた傘を自転車にまたがったままのクルミに差し出そうとした。
「あ、大丈夫、レインコートあるから。雨だし、もう行くね! 早く入って、風邪ぶり返さないようにね!」
 そう言い残すと、クルミの自転車はあっという間に遠ざかって行った。
「クルミも、風邪ひかないでね……!」
 私は彼女の後ろ姿にそう叫ぶので精一杯だった。

 夜、ベッドにダイブし、隣にあるスマホに目をやった。意を決してそれを手に取り、画面を開く。
 いくつかの名前が羅列されたトーク画面の中から『星野来未(ほしのくるみ)』の名前を探した。
「――――」
 スマホを握ったまま、両手両足をバタンと大の字に放り出した。
「それが、なかなか送れないんだよねー」
 私は、ハアーと長く息を吐き、そのまま目を閉じた。
 しばらくそうした後、スマホを握りしめたままムクッと起き上がった。
 机の上には、夏休みに買った日記帳。毎日これを書いて頑張ろうと思ったんだ。
 その時は、確かにそう思ったんだ。
 スマホを机に置くと、日記を手に取りパラパラとページを開く。

【九月一日(月)学校に行きたくない。

 とうとう夏休みが終わった。しかも今日は月曜日。なんて最悪な二学期の始まり。
 しかも天気は晴れ。雨ならよかったのに。
 さんさんと晴れた日にずっと家の中にいると、外に出ていないことに罪悪感を覚える。
 せめて今日が木曜か金曜なら、頑張って行けたのに。でも今日は月曜日。
 週末までまだ五日もある。そう思うと、どうしても、学校に行きたくなかった。
 起きて、制服に着替えて、髪もしばって、頑張ったけど、どうしても、どうしても、玄関を出られなかった。
 お父さん、ごめんね。
 でも、お父さんの方が早く出勤する仕事で、心の底からよかったって思ったんだ。私は悪い娘だ。
 でも三日だけだから。風邪をひいたことにして、水曜までは休ませてください。】

【九月二日(火)今日は風邪(嘘)

 今日は晴れ、のち夕立。ちょっと雷が鳴った。
 夕立はほっとする。やっぱり今日は学校に行かなくて正解だったなって思えるから。
 毎朝、制服に着替える。朝ごはんを食べる。その途中でお父さんは「いってきます」と出勤する。私はいつも通り「いってらっしゃい」と送り出して、ガチャンと玄関の閉まる音が聞こえたら食べるのをやめる。
 この瞬間、なぜか大きな溜息がでる。緊張していた肩から力が抜けるのがわかる。
 うまくできているかな。お父さん、不審に思ってないよね。たぶん、大丈夫。
 明日は、まだ休み。だから、大丈夫。】

【九月三日(水)

 今日も晴れ、のち夕立。家の前を「キャー」と叫びながら知らない高校生たちが走っていった。
 私と同じ高校生。けれどあの子たちはちゃんと学校に行っている。
 そうだよね、普通は行くよね。自分で選んだ高校だもんね。
 じゃあ行けない私は普通じゃないのかな……。
 ううん、やめよう、こういうこと考えるのは。私だって少し休みたかっただけなんだから。
 もう明後日からは絶対にちゃんと行くから。
 それにしてもあっという間に三日間が過ぎた。何もしていなかったのに、本当にあっという間だった。
 何もしていないと疲れないはずなのに、どうしてこんなに心がモヤモヤするんだろう。
 あんまり休んで学校から連絡来ても困るから、だから明日だけ。金曜には必ず行く。約束する。
 だからどうか、お父さんに連絡が行きませんように。】

 パタンと日記帳を閉じた。
「同じようなことばっか書いてるな……」
 三日目にして既に書くのがイヤになっていた。
「立派な三日坊主」
 苦笑するしかない。学校を休んで、何もすることもなく、家でただひたすら息を潜めた三日間。
 外に出る勇気もなかった。
 椅子をひいて机の前に座る。
 だって今日は、書くことがあるから。
 私は、ペンを走らせた。

【九月四日(木)一日中、雨。

 クルミがプリント類を届けに来てくれた。
 びしょ濡れで、自転車に乗って、大きなてるてる坊主みたいな恰好で。
 突然でびっくりした。けっこう、本当にびっくりした。
 今思えば、タオルを貸したり、家に上げたりしたほうがよかったのだろうか……。
 せめて今からでもお礼のメッセージだけでも送ったほうがいいのだろうか。】
 
 隣に置いたスマホを手に取った。それを胸の前でぎゅっと握りしめる。
「よし!」
 再び「星野来未」の名前を見つめる。
 そして、そっとそれをタップする。ちょっと指が震える。
「――――!」
 止まっていた息をぷはーっと吐きだした。
「ダメだ……!」
 クルミはただ、親切なクラスメイトとして風邪をひいた私にプリントを持ってきてくれただけ。
 妙な期待はしちゃいけない。
 でも、どうしてクルミが……?
 同じグループだったわけでもないし、特に仲が良かったわけでもない。
 というか、私は一緒にお昼を食べるメンバーはいても、休日に遊びにいくほどの友達は一人もいないわけで……。
「はあーー」
 ここ三日で一番大きな溜息をついた。
「いや、でもこういうとこだぞ」
 こういう時にサラッとお礼を言えるかどうか、それが大事なんだ。
「でも、お礼は一応、言ったよね……?」
 クルミだって、きっと私から連絡がきても、困るよね。
 クルミはいつも明るくて、クラスみんなと仲良くて、だから私にも親切にしてくれただけで。
 思い出せ……あの日のことを。
「夏休みにさ……みんなで花火大会とか、行かない?」
 昼休み、お弁当を食べながら思い切って同じグループのみんなに切り出した。
「うん……そうだね」
 微妙な空気になったことくらいわかってる。それでも、ちょっと期待していた。
 当日まで、予定を空けて待っていた。
 けれど現実は――
 SNS上にあった、私以外のメンバーと数人の男子が一緒に行ったという事実。
 そうだよね、あの男子は三人グループで、私たちは四人だから、一人余るもんね。
 私以外は同じ中学で地元も一緒で、私だけ違ったもんね。
「迷惑だったのかなあ……」
 お弁当一緒に食べようって、誘ってくれた時は嬉しかったのになあ。
「全然、うまくできない……」
 雨はまだ、しとしと降り続いていた。
「明日も雨だといいのに――」
 私は力なくベッドに寝転び、顔を両手で覆った。

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