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学校に行きたくない私と、来未(くるみ)の九月の話。
九月十二日(金)パン作り。
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クルミ【今日は何してんの?】
ゆかり【パン作ってる】
クルミ【いいね!】
急いで鞄を肩に掛け、教室を飛び出る。
「クルミ、バイバーイ」
「バイバイ! 部活頑張って!」
同級生の波間をすり抜けながら廊下を駆け、体感では最短記録で自転車置き場に辿り着いた。なのに、こういう時に限って、自転車の鍵がすぐに出てこない。
焦る気持ちを静め、考える。
パンって、何パンだろう。オーソドックスな食パンかな。それともレーズンとかシナモンロールとか、甘い系? ツナマヨとかハムマヨなんかの食事系もありえるかな。いや、初回からそれはないか。やっぱりシンプルなロールパン系だろうな。それならハムときゅうりくらい、買って行くべき?
でもやっぱり、パンと言えば――
「コーヒー牛乳!」
ガチャリと鍵が開いた。ペダルに片足を乗せ、思いっきり漕ぎ出す。
「焼きたてのパン、いいやん。最高!」
健康優良児な十七歳の食欲は、いつでも有り余っている。
ひとまず目指すは、ゆかりの家、の、すぐ近くにあるコンビニだ。
コンビニまでは急いで漕いで二十分弱。ささっと買物を終え、コンビニを出て再び自転車にまたがる。
ものの三分後、私は喜び勇んで、玄関のチャイムを押した。
玄関に出迎えてくれたゆかりが差し出したのは、こんがり黄金色の焼き目がついたクロワッサンだった。
「クロワッサンだぞ」
笑顔のゆかりとは対照的に、私はしばし沈黙した。
ゆかりは「どうした?」と、そもそも大きな黒目をさらに膨らませた。
「思ってたんと違った……」
私は深く溜息をついて、靴を脱ぎ、玄関を上がると、勝手知ったるキッチンまで勝手に進んだ。コーヒー牛乳のパック二つとハムひとパックが入ったエコバッグを、大きなダイニングテーブルの上に失望感と共にぼさっと置いた。食欲に身をまかせ、少ない小遣いでハムまで買ってしまったことを後悔した。だってハムは、甘い系でもシンプル系でもパンのお供にあったら嬉しいものなのだ。
「思ってたより、小さかった?」
後を追ってきたゆかりが、小さくニヤリと笑った。
「だいぶ、小さい」
「まあそう落ち込むでない」
「誰のせいだと」
ゆかりは再度、自慢げに手のひらのそれを掲げた。
私は顔を近づけ、それをまじまじと見つめた。
親指の爪と同じくらいのサイズの、クロワッサン。爪の先で突っつくと、カチカチ乾いた触感がした。軽く匂いを嗅いでみたが、小麦とバターのいい匂いはしなかった。
「上手でしょ?」
「うん、上手」
私はたぶん、死んだ魚みたいな目をしていたと思う。
「樹脂粘土と紙粘土、二種類で作ってみた。焼き色を付けるのが難しかった」
ゆかりはそう言って、もう一つの全く同じに見えるクロワッサンを私の手のひらに乗せた。
「どうやって色付けるの? 絵の具?」
とりあえず、ちょこんと手のひらに鎮座したクロワッサンを指先で突いてみる。
「アクリル絵の具をメイクパフに乗せて、パタパタするといい感じになる」
「へえー」
固いクロワッサンをぐりぐりとこねくり回しながら、この空腹と失望感をどうしたものかと考える。
「本物も、ある」
いつの間にか、ゆかりは薄茶色のショップバックを持っていた。ベーカリーっぽいロゴが入っている。ゆかりは、その中から白い紙袋を一つ取り出すと、得意げにニヤリと笑った。私の胸は期待に膨らんだ。しかも紙袋は掌より大きいサイズ。ゆかりは勿体ぶるように、白い紙袋の口をゆっくり開けた。小麦とバターのいい匂いがふわっと広がった。
「クロワッサン!」
艶々の黄金色が見えた瞬間、思わず叫んでしまった。
「お父さんが買ってきた、ちょっといいクロワッサン」
ゆかりが得意満面に言った。
「と、クルミが持ってきてくれた、ハムとコーヒー牛乳。冷蔵庫にはチーズもある」
ゆかりがてきぱきとそれらを並べていく。ダイニングテーブルの上は、瞬く間にアフターヌーンティーの様相を見せ始めた。
「最高――! クロワッサン、最高!」
「最高でしょ? さあ、私の作ったクロワッサンももっとよく見るんだ」
ゆかりがニヤリと、私の掌を指さす。
「上手! すごく上手! この焼き目の色が最高だね。ゆかりちゃん、天才!」
「お父さんも褒めてくれ、このベーカリー、行列ができる有名店だぞ」
満を持して、白い紙袋の中から美しい螺旋の生地を纏った大振りのクロワッサンがゆかりの手によってうやうやしく取り出された。
「最高! ゆかりのおじさん、最高! 早く食べよう!」
「ちょっと待って。先にこの、お父さんこだわりのちょっといいトースターでリベイクしてから――。全部は入らないから、まずは二つ」
トースターのタイマーが回るカリカリとした音に、わくわくが膨らむ。
「全部でいくつあるの?」
有名店らしいベーカリーのショップバックからは、白い紙袋がまだ覗いている。
「全部で四つ。一人二個ずつだから、まずはシンプルにそのまま食べよう。素材のポテンシャルを知ってこそ、アレンジがいきる」
トースターの中のクロワッサンは、南国の夕陽よりも真っ赤な光に照らされつやつや輝いている。わくわくが止まらない。
「四つ全部、食べちゃっていいの? おじさんの分は?」
「お父さんは、今朝一つ食べてから仕事に行った」
「二人暮らしなのに、おじさん随分たくさん買ってきたんだね」
早くも、トースターから小麦の焼けるうっとりするほどいい匂いが漂ってきた。その香りを目いっぱい吸い込む。
「最近、クルミが来てくれ――、クルミの食欲が果てしないって話をしたから、気を遣ったんだと思う」
途中で消えた言葉の続きは、気にならない振りをしておくことにした。
「えー、私、おじさんの中で食いしん坊キャラみたいになってない?」
「キャラじゃなくて、事実でしょ」
チーンと、トースターが元気に響いた。
【九月十二日(金)
昨夜、お父さんがおいしいと有名なベーカリーのクロワッサンを買ってきてくれたから、今日はそれを見ながらミニチュアのクロワッサンを作ってみることにした。わりと上手にできたと思う。やっぱり本物を見ながら作るのが一番いい。
今日もクルミが来てくれた。しかも、コーヒー牛乳とハムを持って。本物のクロワッサンがあってよかった。でもクルミの作ったミニチュアは酷い出来だった。やっぱり私は人より手先が器用なのかもしれない。それか、クルミが極端に不器用なのかもしれない。どっちが正解かは、もう少し時間が経ったらわかってくると思う。
ミニチュアパン作りが面白かったから、明日もやってみよう。
週末外に出る勇気は、まだちょっと出ない。】
日記帳を閉じると同時に、スマホに通知が入った。
クルミ【ちょっと待って。あのクロワッサン、一個三八六円もする!】
ゆかり【値段を調べるんじゃないよ】
クルミ【もっと心して食べればよかった】
クルミ【すっごくおいしかったよね】
ゆかり【そうだね】
クルミ【おじさんにありがとうって伝えて】
ゆかり【もう伝えた】
クルミ【明日は何するか決めてるの?】
ゆかり【もっと色々パンを作る】
クルミ【いいね!】
クルミから【おやすみ】のスタンプがきた。シロクマが帽子被ってすやすや寝ている。私も新しく買ったパンダのスタンプを送った。
ゆかり【おやすみ】
今夜は、よく眠れそうな気がした。
ゆかり【パン作ってる】
クルミ【いいね!】
急いで鞄を肩に掛け、教室を飛び出る。
「クルミ、バイバーイ」
「バイバイ! 部活頑張って!」
同級生の波間をすり抜けながら廊下を駆け、体感では最短記録で自転車置き場に辿り着いた。なのに、こういう時に限って、自転車の鍵がすぐに出てこない。
焦る気持ちを静め、考える。
パンって、何パンだろう。オーソドックスな食パンかな。それともレーズンとかシナモンロールとか、甘い系? ツナマヨとかハムマヨなんかの食事系もありえるかな。いや、初回からそれはないか。やっぱりシンプルなロールパン系だろうな。それならハムときゅうりくらい、買って行くべき?
でもやっぱり、パンと言えば――
「コーヒー牛乳!」
ガチャリと鍵が開いた。ペダルに片足を乗せ、思いっきり漕ぎ出す。
「焼きたてのパン、いいやん。最高!」
健康優良児な十七歳の食欲は、いつでも有り余っている。
ひとまず目指すは、ゆかりの家、の、すぐ近くにあるコンビニだ。
コンビニまでは急いで漕いで二十分弱。ささっと買物を終え、コンビニを出て再び自転車にまたがる。
ものの三分後、私は喜び勇んで、玄関のチャイムを押した。
玄関に出迎えてくれたゆかりが差し出したのは、こんがり黄金色の焼き目がついたクロワッサンだった。
「クロワッサンだぞ」
笑顔のゆかりとは対照的に、私はしばし沈黙した。
ゆかりは「どうした?」と、そもそも大きな黒目をさらに膨らませた。
「思ってたんと違った……」
私は深く溜息をついて、靴を脱ぎ、玄関を上がると、勝手知ったるキッチンまで勝手に進んだ。コーヒー牛乳のパック二つとハムひとパックが入ったエコバッグを、大きなダイニングテーブルの上に失望感と共にぼさっと置いた。食欲に身をまかせ、少ない小遣いでハムまで買ってしまったことを後悔した。だってハムは、甘い系でもシンプル系でもパンのお供にあったら嬉しいものなのだ。
「思ってたより、小さかった?」
後を追ってきたゆかりが、小さくニヤリと笑った。
「だいぶ、小さい」
「まあそう落ち込むでない」
「誰のせいだと」
ゆかりは再度、自慢げに手のひらのそれを掲げた。
私は顔を近づけ、それをまじまじと見つめた。
親指の爪と同じくらいのサイズの、クロワッサン。爪の先で突っつくと、カチカチ乾いた触感がした。軽く匂いを嗅いでみたが、小麦とバターのいい匂いはしなかった。
「上手でしょ?」
「うん、上手」
私はたぶん、死んだ魚みたいな目をしていたと思う。
「樹脂粘土と紙粘土、二種類で作ってみた。焼き色を付けるのが難しかった」
ゆかりはそう言って、もう一つの全く同じに見えるクロワッサンを私の手のひらに乗せた。
「どうやって色付けるの? 絵の具?」
とりあえず、ちょこんと手のひらに鎮座したクロワッサンを指先で突いてみる。
「アクリル絵の具をメイクパフに乗せて、パタパタするといい感じになる」
「へえー」
固いクロワッサンをぐりぐりとこねくり回しながら、この空腹と失望感をどうしたものかと考える。
「本物も、ある」
いつの間にか、ゆかりは薄茶色のショップバックを持っていた。ベーカリーっぽいロゴが入っている。ゆかりは、その中から白い紙袋を一つ取り出すと、得意げにニヤリと笑った。私の胸は期待に膨らんだ。しかも紙袋は掌より大きいサイズ。ゆかりは勿体ぶるように、白い紙袋の口をゆっくり開けた。小麦とバターのいい匂いがふわっと広がった。
「クロワッサン!」
艶々の黄金色が見えた瞬間、思わず叫んでしまった。
「お父さんが買ってきた、ちょっといいクロワッサン」
ゆかりが得意満面に言った。
「と、クルミが持ってきてくれた、ハムとコーヒー牛乳。冷蔵庫にはチーズもある」
ゆかりがてきぱきとそれらを並べていく。ダイニングテーブルの上は、瞬く間にアフターヌーンティーの様相を見せ始めた。
「最高――! クロワッサン、最高!」
「最高でしょ? さあ、私の作ったクロワッサンももっとよく見るんだ」
ゆかりがニヤリと、私の掌を指さす。
「上手! すごく上手! この焼き目の色が最高だね。ゆかりちゃん、天才!」
「お父さんも褒めてくれ、このベーカリー、行列ができる有名店だぞ」
満を持して、白い紙袋の中から美しい螺旋の生地を纏った大振りのクロワッサンがゆかりの手によってうやうやしく取り出された。
「最高! ゆかりのおじさん、最高! 早く食べよう!」
「ちょっと待って。先にこの、お父さんこだわりのちょっといいトースターでリベイクしてから――。全部は入らないから、まずは二つ」
トースターのタイマーが回るカリカリとした音に、わくわくが膨らむ。
「全部でいくつあるの?」
有名店らしいベーカリーのショップバックからは、白い紙袋がまだ覗いている。
「全部で四つ。一人二個ずつだから、まずはシンプルにそのまま食べよう。素材のポテンシャルを知ってこそ、アレンジがいきる」
トースターの中のクロワッサンは、南国の夕陽よりも真っ赤な光に照らされつやつや輝いている。わくわくが止まらない。
「四つ全部、食べちゃっていいの? おじさんの分は?」
「お父さんは、今朝一つ食べてから仕事に行った」
「二人暮らしなのに、おじさん随分たくさん買ってきたんだね」
早くも、トースターから小麦の焼けるうっとりするほどいい匂いが漂ってきた。その香りを目いっぱい吸い込む。
「最近、クルミが来てくれ――、クルミの食欲が果てしないって話をしたから、気を遣ったんだと思う」
途中で消えた言葉の続きは、気にならない振りをしておくことにした。
「えー、私、おじさんの中で食いしん坊キャラみたいになってない?」
「キャラじゃなくて、事実でしょ」
チーンと、トースターが元気に響いた。
【九月十二日(金)
昨夜、お父さんがおいしいと有名なベーカリーのクロワッサンを買ってきてくれたから、今日はそれを見ながらミニチュアのクロワッサンを作ってみることにした。わりと上手にできたと思う。やっぱり本物を見ながら作るのが一番いい。
今日もクルミが来てくれた。しかも、コーヒー牛乳とハムを持って。本物のクロワッサンがあってよかった。でもクルミの作ったミニチュアは酷い出来だった。やっぱり私は人より手先が器用なのかもしれない。それか、クルミが極端に不器用なのかもしれない。どっちが正解かは、もう少し時間が経ったらわかってくると思う。
ミニチュアパン作りが面白かったから、明日もやってみよう。
週末外に出る勇気は、まだちょっと出ない。】
日記帳を閉じると同時に、スマホに通知が入った。
クルミ【ちょっと待って。あのクロワッサン、一個三八六円もする!】
ゆかり【値段を調べるんじゃないよ】
クルミ【もっと心して食べればよかった】
クルミ【すっごくおいしかったよね】
ゆかり【そうだね】
クルミ【おじさんにありがとうって伝えて】
ゆかり【もう伝えた】
クルミ【明日は何するか決めてるの?】
ゆかり【もっと色々パンを作る】
クルミ【いいね!】
クルミから【おやすみ】のスタンプがきた。シロクマが帽子被ってすやすや寝ている。私も新しく買ったパンダのスタンプを送った。
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