25歳までに

朔名美優

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第二章 消える若者たち

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 朝の光が鈍く部屋に射し込んでいた。
 夜の夢の名残がまだ身体の内側に残っているようで、起き上がるのに少し時間がかかった。
 スマホの画面は、昨夜と同じメッセージを映している。
 〈25歳までに出ていけ〉
 その一行を削除しても、また同じ文が通知欄に浮かんでいた。

 午前十時、電話が鳴った。
 警察署の生活安全課だった。
 悠斗の件で、もう一度話を聞きたいという。
 あれから三週間。彼のSNSは更新されず、実家にも帰っていない。
 “失踪”という言葉が、正式に使われ始めた。

 署内は薄い蛍光灯の光で、どこか病院のような匂いがした。
 担当の刑事――四十代半ばの男が、ファイルを机の上に置いた。
 「君の友人の件だけどね、似たようなケースが多いんだ」
 男はそう言って、数枚の紙を広げた。

 そこには顔写真と名前、年齢、最後に確認された日付が並んでいる。
 写真のほとんどは、笑顔の若者たちだった。
 「これ、みんなこの町で?」と沙也加が尋ねると、男は軽くうなずいた。
 「過去三年で十五件。特徴がひとつある。見てごらん」
 指で示された列――年齢。
 すべて“二十五”だった。

 「偶然、ですか?」
 刑事は少し笑って肩をすくめた。
 「まあね。二十五なんて、就職や引っ越し、人生が変わる時期だ。急に連絡が取れなくなることもある。でも、奇妙なのは――どの家族も“捜索願を出したのが誕生日の翌日”なんだ」
 彼の声は淡々としていたが、目の奥だけが何かを避けているように見えた。

 「……それで、何か分かったんですか」
 「まだ。けど、昔も似たことがあったらしい」
 刑事は引き出しから古びたコピー用紙を取り出した。
 黄ばんだ紙の見出しには「青藤町集団行方不明(1999)」と印字されている。
 人数は二十五人。全員、二十五歳。

 沙也加は息を呑んだ。
 紙の端には、火事の跡のような黒い染みがついていた。
 「この事件、結局“原因不明”で片づけられたんだ。君が生まれた年だよ」
 刑事の声が遠く聞こえる。
 沙也加の頭の中で、夜の夢の時計が再び音を立てて回り始めた。
 ――25。

 署の掲示板の片隅に、古いモノクロ写真が貼られていた。
 “青藤町境神社 火災跡”。
 写真の奥には、焼け焦げた鳥居の向こうで、影のような人影が立っている。
 その影が、沙也加を見ている気がした。

 昼過ぎ、空はどんよりとした雲に覆われていた。
 警察署の帰り道、沙也加は駅前の通りを歩いていた。
 無意識に足が、昔からの友人・三好千佳の美容室へ向かっていた。
 小さなガラス張りの店。白い外壁に「Hair25」という看板。
 その数字が、胸の奥を少しざわつかせた。

 ガラスのドアを開けると、シャンプーの甘い匂いが漂ってきた。
 千佳は鏡の前で、年配の客の髪を整えていた。
 「おお、久しぶり。就職どう?ちゃんと生きてる?」
 軽い口調。けれどその裏に、わずかに張りつめたものを感じた。
 「まあ、なんとか。今日は切ってもらおうと思って」
 「はいはい。じゃあそこ座って。……顔、ちょっと疲れてるね」

 ハサミの音がリズムを刻む。
 鏡越しに見る自分の顔は、どこか他人のようだった。
 頬が少し痩せ、目の下にうっすらと隈。
 「悠斗くん、見つかった?」
 千佳が慎重な声で尋ねた。
 沙也加は短く首を振る。
 「ううん。警察も、もう諦めムード」
 「……あんた、誕生日いつだっけ」
 「来月。二十五」

 その瞬間、千佳の手がぴたりと止まった。
 ハサミの刃が光を反射して、一瞬、目の奥が白く焼ける。
 「……この町さ、二十五になると、みんなどこか行くんだよ」
 「どこかって?」
 「知らない。でも、“出ていく”んじゃなくて“いなくなる”。急に。音もなく」

 千佳の声が鏡の向こうから響いてくるようだった。
 沙也加が視線を合わせると、鏡の中の千佳はまだ笑っている。
 だが、その後ろ――
 鏡の奥にもう一人、自分が立っていた。
 無表情で、まるで待っていたかのように。

 息が詰まり、振り返る。
 誰もいない。
 店の奥から流れるラジオの音が、やけに遠く聞こえた。
 「どうしたの?」と千佳が言う。
 「いま……誰か、後ろにいた気がして」
 「気のせいだよ。まぁ、時々変な感じするけど、この店」
 千佳はそう言って笑った。だが、その笑みは少し震えていた。

 カットを終えて立ち上がると、外の空はもう夕方の色だった。
 レジで会計を済ませようとしたとき、千佳が急に真顔になった。
 「ねえ、沙也加」
 「ん?」
 「二十五の夜には、鏡を見ない方がいいよ」

 その声は囁くように小さく、まるで誰かに聞かれないようにしているようだった。
 沙也加は笑い返そうとしたが、喉の奥で声が止まった。
 店を出ると、ガラスに映った自分の姿が少し遅れて動いた。

 夜、家に帰る頃、外は細かい雨が降っていた。
 街灯の光がカーテン越しに滲み、部屋の空気に薄い湿気を混ぜる。
 沙也加は冷えた指でノートPCの電源を入れた。
 悠斗の部屋から借りたままのそれは、彼の気配をまだ微かに残している。
 机に置くと、画面にうっすらと自分の顔が映った。
 ――まるで覗かれているみたいだった。

 パスワードを入力すると、デスクトップには整理されていないフォルダがいくつも散らばっていた。
「record」「town」「mirror」「25」。
 最後のフォルダを開くと、テキストファイルが一つだけあった。

 〈25年前と25歳の呪い〉
 ファイル名がそう書かれている。
 クリックすると、淡々とした文章が並んでいた。

 > 1999年、青藤町で25人が行方不明。
 > 事件発生9月25日、場所は“境神社”。
 > 神社は同日深夜に火災。鎮火後、遺体は一つも見つからず。
 > 現在、再建された境神社では毎年「25祭(にじゅうごさい)」が行われている。
 > 目撃証言:「25日の夜、境の道で“影が二つ”並んで歩いていた」。

 淡々と打ち込まれた文字が、妙に生々しく感じられた。
 「境神社……」
 沙也加はその言葉を口の中で転がしてみた。
 母が昔、何かの折に言っていた気がする。
 “あの神社の方には行っちゃいけない”。
 理由は聞かなかった。けれど、声の調子だけを覚えている――怯えていた。

 再び画面に目を戻すと、地図画像のフォルダがあった。
 町の衛星写真に、赤い丸がいくつも付けられている。
 それは、失踪者たちの最後の目撃地点を示しているようだった。
 驚くことに、その全てが、町の中心から半径二・五キロの円に収まっている。
 そして中心には“境神社”の印。

 偶然ではない。
 何かが、この町全体を取り囲むように配置されている。
 まるで、見えない結界のように。

 沙也加は、指先で地図を拡大した。
 森の奥に小さく「境神社」と文字が浮かんだ。
 雨音が強くなる。
 その瞬間、モニターの明かりが一瞬だけ暗くなった。
 電気が落ちたかと思うほどの一瞬。
 しかし、再び光が戻ると、デスクトップに新しいファイルが増えていた。

 〈帰っておいで〉

 震える手で開こうとしたが、ファイルはすぐに消えた。
 存在していた痕跡さえ残らない。
 ただ、画面に映った自分の影が、ほんの一秒、別の動きをした。

 翌朝、雨が止むと、沙也加はバッグにノートと懐中電灯を入れた。
 境神社――あの名を確かめに行く。
 胸の奥で、何かが静かに鳴り始めていた。

 町の中心から少し外れた高台。木々がうねるように並び、道を覆っていた。
 湿った風が肌を撫でる。雨の名残が土の匂いと混ざり、呼吸が重くなる。
 長い参道をゆっくり歩く。足音は湿った苔に吸い込まれ、返ってこない。
 鳥居の赤が、雨上がりの光に揺らめく。目の端で揺れる影が、人の形に見えた。

 社務所の前に、細身の影がひとつ。
 白衣と袴、やせた体。
 神主・鹿野宗一郎だった。年齢は六十歳前後か。笑っているのか怒っているのか判別できない表情で、こちらをじっと見ている。

 「ご祈祷ですか?」
 低く、湿った声。
 沙也加は軽く会釈して言った。
 「少し、昔のことを知りたくて……二十五年前の火事や行方不明のことです」

 鹿野は目を細め、社務所の奥へ歩く。木戸を開けると、中は薄暗く、木の香りと煤の匂いが混ざっていた。
 壁には黒ずんだ写真が飾られている。焼け焦げた御札、煤けた面。
 一枚だけ、妙に鮮明な写真――白い服を着た二十五人の若者たち。
 背景には、再建前の古い社殿。

 「これは?」と問うと、鹿野は静かに答えた。
 「“更新”の儀式さ」

 「更新?」
 「この町は古い。長く生きると、どうしても濁りが溜まる。二十五年に一度、若い命で町を清める。そうすれば、また二十五年、生きられる」

 冗談めいた口調。だが、目の奥に光はない。
 「火事の夜、二十五人が消えた。記録では“事故”と書かれているが、違う。あれは――“供え”だった」

 鹿野が空を見上げると、雲の隙間から薄日が差す。
 その光に、彼の顔が一瞬、奇妙に歪んだように見えた。

 「あなたの世代が、次の順番だ」

 言葉の意味を理解する前に、風が止み、社殿の鈴がかすかに揺れた。
 その奥、白い服の人影――誰もいないはずの場所に、立っていた。
 ぴたりとこちらを見ている。

 「……あれは?」
 沙也加が問うと、鹿野は静かに微笑む。
 「見えるのか。じゃあ、あなたは“呼ばれている”んだね」

 鐘が一度、低く鳴った。
 風が止み、音が遠ざかる。
 白い影は、鏡の中の自分のように、微動だにせず立っていた。

 翌日、沙也加のスマホが震えた。
 千佳からのメッセージだった。

 〈鏡の中の私が、笑わなかった〉

 受信ボックスにその一行だけ。
 どこか意味がわからず、指が震えた。
 すぐに電話をかけたが、通じない。

 急ぎ美容室へ向かったが、そこに千佳はいなかった。
 店内は無人で、鏡がすべて割れている。
 ガラスの欠片に自分の顔が歪んで映る。
 手を伸ばすと、欠片が微かに冷たく振動した。
 誰かの呼吸のように、低く、遠く、しかし確かに近くで。

 沙也加は街を彷徨った。
 いつもの道が異様に長く、足音は吸い込まれ、呼吸が重い。
 交差点のカーブミラーに映る自分の姿も、少し遅れて動く。
 ――ひとつ遅れて、鏡の向こうの自分がこちらを見ている。

 通りの人々はいつも通りに歩き、誰も気づかない。
 でも、沙也加にはわかる。
 千佳も、悠斗も、もうここにはいない。
 “存在”が、町から静かに剥がれていったのだと。

 雨上がりの空に、夕焼けがわずかに赤く染まる。
 その光に、町の建物が少しずつ溶けて見えた。
 建物の影の間で、白い服の人影がふっと立つ。
 ――鏡の中の千佳の姿だ。
 微笑むでもなく、ただ立って、沙也加を待っているように見える。

 胸の奥で何かが崩れ落ちる感覚。
 沙也加は震えながら、空に向かって小さく呟いた。

 「……どうすれば、戻せるの?」

 答えは、もちろん、返ってこなかった。
 ただ、風が頬を撫で、影のひとつが微かに揺れた。

 雨上がりの翌朝、沙也加は実家の物置に入った。
 埃っぽい空気の中、古い段ボールの山。
 手探りで、古いアルバムを取り出す。
 表紙には「青藤町青年会」と鉛筆で書かれている。

 ページをめくると、写真が並んでいた。
 1999年、25年前の集合写真。
 笑顔の若者たち。白い服を着た二十五人。

 息が止まった。
 その中に、自分と瓜二つの少女がいた。
 同じ髪型、同じ目、同じ表情。
 心臓がざわつき、手が震える。

 裏を見ると、手書きの文字。
 〈25年後、同じ場所で会いましょう〉

 文字を追った指先が、冷たく震える。
 どういう意味なのか、理解できない。
 ただ、胸の奥がひりつくように痛む。

 夜、部屋の鏡に映った自分の姿。
 影の奥で、少女が微かに笑った。
 「そろそろ帰る時間だよ」

 沙也加は後ずさる。
 部屋の空気が重く、動くたびに息が引き裂かれるようだった。
 自分の足元に、誰かの存在が潜んでいる感覚。

 過去と現在、鏡の中と現実――。
 境界は曖昧で、沙也加の存在そのものが揺らいでいた。

 そして、耳の奥で微かに響く声。
 悠斗の声、千佳の声、そして……。
 母の声が、遠くから呼んでいる。

 「……帰っておいで」

 その声に、沙也加は小さくうなずいた。
 町の闇の中で、25歳の夜が静かに迫っている。
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