【完結】脇役令嬢だって死にたくない

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32.長い夜

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 クロエは清々しい表情を浮かべ、美しいドレスに身を包み、プロム会場へと足を進める。
 通りすがる誰もが自分を振り向く。
 当然だ、自分はこの世界で一番可愛く、美しく、尊ばれる存在なのだから。

 それを裏付けるように、街へ出れば多くの男が自分の虜になった。
 前世では知らなかった、男を転がすことがこんなにも容易いのだと。
 楽しくなって好き放題に遊び、必要なものを手に入れた。

 満たされて、しかし直ぐに空いた。
 肝心なものが手に入っていない。
 ヒロインたる自分は、身に着けるもの全て一等でなければならない。
 当然、男も。

 自分たちは並び立てば、まるでパズルのピースがはまるかのようにピッタリであるのに、未だ彼が遠いのはあの女のせいだ。
 意地汚い泥棒に茶々を入れられた。
 どんなインチキを使ったのか、ヒーローを惑わせた大罪人。
 そして自分はそれを手ずから葬り、彼を救ったのだ。

「役を全うできない役者には、舞台を降りてもらわないと」

 これできっと、運命は正しく回り始める。
 ヒロインに用意されているのは誰一人として及ばない極上のハッピーエンド。
 生まれた時から約束されているそれに、曇りなどない。

「グレン様、こんばんは。素敵な夜ですね」

 会場は大広間へと続く廊下から既に賑わっている。
 その中でもひと際目立つ存在へと、クロエは真っ直ぐに向かい声を掛けた。

「コレットさんから、欠席の言伝を頼まれました。ですので僭越ながら、本日のお相手に私を使ってくださいませ」

 思慮深い言葉を並べるが、グレンは眉を顰めた。

「……彼女に何か?」

「ここ最近心ここに在らずと言った様子だったでしょう? 本当はプロムなんてどうでもいいのだと、他のところへ出掛けられたようですよ」

 行先は存じませんが。
 クロエは緩みそうになる口元をそっと手で隠した。

「こんなに素敵な方との約束を破るなんて、私では到底できませんけれど…元々コレットさんはこういった華やかな席などは、好まれていなかったのではないでしょうか?」

 所詮は脇役。場違いなのだ。
 憶測と決めつけが先行した言葉だったが、グレンは思い当たるところがあるのか少し考えるような仕草をした。
 今度こそクロエは惜しげなく笑みを浮かべる。

「本当は私も身に余ると思い不参加の予定でしたが、グレン様がお一人でいらっしゃる姿を想像すると、足が勝手に向かっておりました……これも何かの縁だと思って、本日は私とのダンスを楽しんでいただければ」

 そう言って彼の手に手を重ねようとするが、

「いや、彼女を探しに行くので失礼する」

「…………………………はい?」

 グレンはすいと躱して、あろうことか会場を出て行こうとする。
 クロエは慌てて彼の服を掴み引き留めた。

「一方的に約束を破られたのですよ? 実際、この時間になってもいらっしゃらないのです。私に仰った通り、プロムになど興味がないのですよ」

「君の言葉じゃなく、彼女本人の言葉を聞きに行く」

 淡々と言い切るグレンに、クロエの笑みが引き攣る。

「………やっぱり、おかしいです」

「…!? おい、」

 グレンの腕に絡みつき、上手く人の波に乗って流されるように大広間まで誘導する。
 そのままどさくさに紛れて体をピッタリと寄せれば、空いた胸が満たされるような心地がした。
 ぎゅっと胸を彼へと押し付ける。
 自分にこうされて悦ばない男はいない。
 クロエは期待を込めた恍惚とした表情でグレンを見上げた。
 障害は取り除いた。あとは愛し合うだけなのだと、伝わるように擦り寄る。

「…放してくれ」

「どうしてです? 私たちこそ運命なのに。ねぇ、踊りましょう?」

 その言葉を聞いて、グレンは悩まし気に目を閉じ嘆息した。

「悪いが、君の妄想には付き合えない。ダンスの相手共々、他を当たってくれ」

 肩を押して無理矢理に引き剥がせば、クロエは瞳を潤ませ「どうして」と嘆く。

「グレン様…! 目を覚まして、貴方はあの女に惑わされているんです…!」

 泣いて縋るが、グレンの表情は変わらない。
 どころか『あの女』という一言に確信を持ったように、冷え切った視線をクロエへと向けた。

 ──ああ、コイツもルールが守れないのか。

 瞬間、クロエの表情は媚びへつらう笑みから、欲に塗れた素の表情へと変わり、

「折角自分で選ばせてあげようと思ってたのにさぁ」

 そう呟いたクロエは、グレンの胸元を無理矢理に引いて、近い距離で視線を合わせた。

 瞳の奥で泥のような淀みが渦巻いている。
 それを視認した途端、グレンは脳が揺れるような感覚に陥った。
 ぐわんぐわんと回る視界の中、クロエの存在だけが妙に心を惹き付けてくる。

 不味いと思うのに、体が言うことを聞かない。
 思考が奪われ、目の前の彼女に侵される。
 頭の中で鳴り響く警鐘が、遠のいていく──

 ──そんな時、キンと耳飾りが揺れた微かな音だけは、はっきりとグレンの耳に届いた。

「ッ…! 放せっ!」

 振り払い距離を取れば、自分のものでなくなりそうだった体が取り戻されたかのように、感覚が正常になる。

 間違いない、魅了の魔法だ。
 精神干渉の魔法は禁じられている。
 何より半端に魔法を学んだくらいでは、ここまで強力なものを扱えるはずがない。それを、なぜ。
 グレンは上がる息を整えながら、クロエを見やる。

 突き飛ばされた衝撃で床に尻餅を付いた彼女は、俯いたまま動かない。
 何の騒ぎかと周りの視線が集まる。
 華やかな賑わいが、困惑を含む喧騒に変わった。

 ざわざわ、ざわざわと、それらは彼女の苛立ちを逆撫でするかのように響いて、

「ぁ゛ぁ゛ぁぁぁぁぁぁぁ!! ウザイウザイウザイってばぁ!!!」

 喧騒を突き破るような叫びと共に、クロエは自身の頭を掻き回した。
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