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泥棒と探偵
いつかの約束
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夕方、カケスに呼ばれて探偵事務所にいた。
「少しは落ち着けよ、ツグミ」
「分かってる」
悠真が母親と連れ立ってやって来た。母親は少し不安げな表情でソファーに腰を下ろした。
「お呼びだてしてすみません」
「いえ、こちらこそ悠真がご迷惑をおかけして申し訳ございません」
母親が深々と頭を下げた隣で悠真が首をすくめた。
「いいえ。悠真君がここに来てくれたから、無事に済んだとも言えます」
「どういうことですか」
カケスは淡々と悠真と圭太がして来た事を母親に伝えた。母親は口を挟むのをじっと我慢してカケスの話を聞いている様だった。
「悠真が一部の友達と関係がうまくいっていないと察しながら、忙しさを理由に何もしませんでした。夫も出張の多い仕事で寂しい思いをさせていたのも分かっていたのに」
母親は悠真の方を見て、「ちゃんと話を聞かなくて、ごめんなさい」と言った。
「ううん。僕の方こそ心配かけてごめんなさい」
母親と悠真はこれからはちゃんと話をし合う関係になるのだと思った。
「悠真君。そう思うなら、ちゃんと本当の事を話すべきじゃないかな?」
悠真は驚きの表情でカケスを見た。私もカケスが何を言う気なのか分からず、心臓がどきどきした。
「本当の事って何?」
母親が眉をひそめた。
「悠真君、君は何も悪い事なんてしてない。不幸な偶然が重なって、有りもしない罪で圭太君に脅されていたんじゃないのかな?」
「……何でそれを知ってるんですか」
悠真は重い荷物を下ろせた様に、ほっとした表情をした。
「つてを辿ってね。お母様が働いていらっしゃるスーパーの店員さんに話を聞けたんだ」
カケスは悠真の母親がいない日を狙い、話を聞きに行っていたのだろう。
「君と同じ様な運動着でスポーツバッグを持っていた子達が書籍コーナーからコミックを万引きしたんだね。そして、たまたま君もその場に居合わせてしまった。店側には直ぐに誤解は解けたが、その様子を見ていた者達がいたーー圭太君と二人の友達がね」
「……はい。そうです。あちこちで噂を流すと言われました。それが嫌なら僕のする事に協力しろって言われて……」
「でも、やっていないなら堂々としていたら良いじゃないの。どうしてそんな……まさか、お母さんの為? 変な噂になって働けなくなると思ったから……」
思わず口を挟んだ母親が悠真の気持ちに気づいて声を震わせた。
「ごめんなさい。でも、それだけじゃないんだ」
「悠真?」
「僕にとって、あのサッカーチームは大切な居場所なんだ。だから噂のせいでいられなくなるのも嫌だったし、少し我慢すれば良いって思った」
母親が仕事の間にサッカーの練習がなければ一人ぼっちになってしまうと思ったのかもしれない。
「最初は僕のお守りを取られた事にして、騒げって言われました」
「何故、そんな事をするのか聞いていたかい?」
「お前は言う事だけ聞いておけって言われるだけで」
「なるほど。物置に閉じ込められた事も圭太君がやれって言ったのかな」
「……はい。タオルも緩くしておくから大声で叫べって言われました」
「何てこと!」
母親が頭を抱えた。
「……ごめんなさい。本当は、もっと騒いでお母さんに圭太君にやられたって言わなきゃいけなかったんです。でも、やっぱりこんな事は間違ってるんじゃないかって思って」
圭太の徐々にエスカレートしていく要求に、悠真も従いながらも戸惑い始めていたのだ。
「ボヤ騒ぎは君達ではないよな?」
「……違います」
「やったのは圭太君の兄ちゃんかな?」
「それも、分かってるんですね。さすが、探偵さんですね」
悠真は少し嬉しそうに言ったが、眉間に皺を寄せて考え込む母親の表情を見てすぐに真顔に戻った。そんな様子を見て、カケスは助け舟を出す。
「お母様、悠真君はただ、必死に自分の居場所を守ろうとしただけですよ。万引きもしてなければ、誰かを貶める様な事もしていない。やり方を少し間違えてしまっただけでしょう」
「……探偵さん」
「はい」
「私も悠真の気持ちはよく分かります。ですが、この事はきちんと圭太君のご両親に話をしたいと思います」
「……それが良いと思います。もしそれで、佐竹コーチが辞める事になったとしても、悠真君を守る事が出来るのはお母様だけだと思いますよ」
「……そうですよね」
カケスの言葉にほんの少し気持ちが揺らいでいる様に見えた。
「僕、圭太君に言われた事だけやれば良いって言われた時、すごく嫌なやつだって思ったけど、本当は違う気がするんです」
「悠真君、どうしてそう思うんだ?」
「圭太君、色々考え過ぎてサッカーが嫌いになっちゃったんだと思います。圭太君はこう言ってたんです。お父さんがコーチを辞めるか、自分がサッカーを辞めるか……もう、それしか選択肢が無いんだ。だから悪いけど手伝って欲しいって。方法は兄ちゃんを見ていて知ってるからって」
「圭太君のお兄さんが過去に起こした事を参考にした?」
悠真はこくりと頷いた。
「でも、兄ちゃんはやり過ぎたせいで家から追い出されたから、いじめるフリをしたいって。大人達が動いてくれれば、お父さんにきっと自分の本当の気持ちが伝わるって」
「それで悠真がその役割をしたって言うの?」
「……うん」
カケスも悠真の母親も、もちろん私もまんまと圭太達の計画通りに動かされたのだと知る。
「すっかりやられた」
カケスが笑顔になって笑う。
「悠真君がここに来た時から計画が始まっていたんだな」
「うん。門前払いになると思ってたけど、ツグミさんがいてくれてラッキーでした」
そう言って私の顔を見た。
「……私が助手を気取って動き回ったのは、君達にとって追い風になったのね」
「はい。でも、圭太君の兄ちゃんがあちこちで放火したのは、僕達とは関係なくて……」
「いや、確かに最初はそうだったかもしれない。でも、圭太君の兄ちゃんは君達の動きを見て、便乗する事にしたんじゃないかな」
今度こそ、父親に自分の気持ちを伝えるチャンスだと思ったのかもしれない。
「……そうかも。平良君、自分達の事をヤバい兄弟だって言ってた」
まるで共犯関係にあると言っている様にも取れる。ただ、思ったよりも父親には響かず、いつも通りに他人の子供にサッカーを教え続ける事への苛立ちを募らせていたのかもしれない。
「佐竹コーチは圭太君と平良君の事をどう思ってるんだろう。結局は、圭太君の計画は失敗したわけで、大きな騒ぎにはならなかったからな」
「……噂好きの保護者が、圭太君が僕にいじめをしている様だとコーチに言ったみたいです。でも、変わらなかった。そんなにサッカーが嫌ならやらなくて良いとだけ言われたそうです」
一応は望みが叶ったかに思えるが、圭太の本当の望みはそんな事では無い気がした。
「圭太君、やらなくて良くなったってサッカーチームに来なくなったけど、何だか寂しそうなんです」
「……可愛そうだが、それはまた別の問題だな。それは探偵の仕事ではないし、この一件はここまでだな。結局、お守りは盗まれていなかったんだからな」
「あっ、そっか。お守りを取り戻して欲しいっていう依頼だったんだ」
「建前上はな」
悠真が申し訳なさそうに「すみませんでした」と謝った。
「悠真がした事、本当に申し訳ございません。それでその、探偵さんに依頼なんてしたことなくて」
母親が財布を取り出そうとしたのをカケスが止める。
「いえ。私は依頼を断りましたから」
「えっ、でも……」
「本当に、私は何も」
「……本当に有難うございました」
深々と悠真は母親と共に頭を下げた。
「ジェイ探偵、ありがとう」
「往来でその呼び名はやめろ」
悠真が笑って母親と帰って行った。
「何だか、すっきりしないね」
コーヒーカップを片付けながら、カケスの様子を窺う。
「ーー佐竹コーチか」
「うん。平良君も圭太君も、心底サッカーが嫌いになったわけじゃないと思うんだよね……うまく言えないけど」
「そうだな。でも、悠真君の母親が今回の事を話すと言っていたからな。そこから何か変わるかもしれない」
「……だと、良いんだけど」
「その期待する様な目は何だ……」
「別に?」
「俺はもう泥棒じゃないからな」
「分かってるってば」
探偵として手は尽くしたはずなのに、カケスも心に引っかかっている事があるのだろう。
「……ビデオ、返し忘れたな」
そう言って、カケスは持っていたビデオテープをぎゅっと握りしめた。
「それは?」
「サッカーの練習風景が映ってる」
「え、誰から借りたの?」
「ーー圭太君の部屋にあったのを、ちょっと失敬した」
「え? 何のために? というかカケス……それ、泥棒スキルじゃない」
「今回、無報酬なんだぞ? 自分で調べるにはやむ得なくてな。それにちゃんと、返すって。サッカー馬鹿親父をたっぷり脅した後でな」
圭太と平良の声でそう言って、にやりと笑った。
その日、私は夢を見た。夢の中のカケスは、平良と圭太にそっくりの声で、佐竹コーチに『このまま自分達と向き合わないのなら、親子の縁を切る』と言い放った。佐竹コーチはそれを聞いてやっと目が覚めたと、これからはもっと家族へ目を向けると今までの事を悔やみ、そう約束をした。これは、私の願望から見た夢なのかもしれない。でも、本当にそうなったら良いと思った。
私はこの直後、疲れのせいか熱を出した。火事が起きる夢を見てうなされていた私に、優しく額のタオルを替えてくれたのは、本当に母だったのか。熱が下がり、大学へ復帰出来たのは三日後の事だった。
大学からの帰り、小学校のグラウンドに寄ると、聞こえて来た声が佐竹コーチのものでないのは直ぐに分かった。辞めてしまったのだろうか。
「あら、ツグミちゃん。体調は良くなったの?」
相変わらず赤いダウンを着て、ゴミ掃除をしている小森が声をかけてくれた。
「はい。もう、すっかり」
「そう。良かったわね」
「ありがとうございます。あの、カケスは今日はいますか?」
「あら。いつも通りに行ってごらんなさいよ」
「……そうですよね」
カケスは探偵として一線を超えない様にして来たはずだ。それなのに、私が厄介事を持ち込んだせいで、ルールを破らせしまったのではないか。
「大丈夫。カケスは昔から根っこの部分は絶対に腐っちゃいなかった。変な事にはならないよ……良くも悪くも起用な子だからね」
小森の最後の一言は聞かなかった事にして、階段を駆け上がった。
「カケス、いるの?」
「よお。元気になったか。やっと、部屋が綺麗になるな。そうだ、お前に今回のお礼だって藤島がお菓子置いていったぞ」
戸棚にファイルを整理していたらしい。ホコリのせいか、一つくしゃみをした。テーブルの上にすでに包装を解いた菓子箱が置いてあった。
「掃除くらい自分でやればいいのに。ねえ、そういえば、圭太君にビデオテープは返せたの?」
「ん? ああ」
「佐竹コーチ、辞めたのかな」
「ああ。後釜は佐竹コーチの大学時代の後輩だそうだ」
「さすが。よく知ってるね」
「探偵だからな」
「そっか」
カケスはそれ以上、佐竹コーチの事は言わなかった。そう簡単に全てが上手くいくとは私も思わない。
「そういえば、平良君と圭太君はまたサッカー始めたらしいぞ。今度は二人でサッカースクールに通ってるそうだ」
「そうなんだ。良かった」
子供の世界は狭い。だから何か辛い事があったら家に逃げ込むしかない。もし守られるべき場所が居心地の良いもので無かったら、子供達はどこへもいけなくなってしまう。
「私はラッキーだったんだろうな」
「それは俺の方だよ」
「え?」
「ツグミにも、やっと返せる」
手渡されたのは手垢のついた子供向けの探偵小説だった。
「これ」
「ありがとな。あの日、世界がもっと広いものだと気づいたんだ」
二人で見た窓からの景色を思い出す。どこまでも遠くへと飛んでいく飛行機は私にとって希望そのものに見えた。
「あれは泥棒と探偵の出会いだったんだ」
名探偵になったカケスが、人のために奔走するのを側で見たいと思った。
「探偵には助手が必要だよね」
「……今から依頼人が来るんだ。大事なネックレスを別れた恋人に盗まれたから取り返して欲しいってな。何でこんな似たような案件が続くんだ? お前は感情移入してまた泣くのか? 首からティッシュぶら下げとけ」
放り投げられたティッシュボックスを慌ててキャッチした。
「了解。名探偵ジェイ」
私達の世界はどこまでも広く難解だ。
「その呼び名はやめろ」
探偵がいつも通り、不敵に笑った。
了
「少しは落ち着けよ、ツグミ」
「分かってる」
悠真が母親と連れ立ってやって来た。母親は少し不安げな表情でソファーに腰を下ろした。
「お呼びだてしてすみません」
「いえ、こちらこそ悠真がご迷惑をおかけして申し訳ございません」
母親が深々と頭を下げた隣で悠真が首をすくめた。
「いいえ。悠真君がここに来てくれたから、無事に済んだとも言えます」
「どういうことですか」
カケスは淡々と悠真と圭太がして来た事を母親に伝えた。母親は口を挟むのをじっと我慢してカケスの話を聞いている様だった。
「悠真が一部の友達と関係がうまくいっていないと察しながら、忙しさを理由に何もしませんでした。夫も出張の多い仕事で寂しい思いをさせていたのも分かっていたのに」
母親は悠真の方を見て、「ちゃんと話を聞かなくて、ごめんなさい」と言った。
「ううん。僕の方こそ心配かけてごめんなさい」
母親と悠真はこれからはちゃんと話をし合う関係になるのだと思った。
「悠真君。そう思うなら、ちゃんと本当の事を話すべきじゃないかな?」
悠真は驚きの表情でカケスを見た。私もカケスが何を言う気なのか分からず、心臓がどきどきした。
「本当の事って何?」
母親が眉をひそめた。
「悠真君、君は何も悪い事なんてしてない。不幸な偶然が重なって、有りもしない罪で圭太君に脅されていたんじゃないのかな?」
「……何でそれを知ってるんですか」
悠真は重い荷物を下ろせた様に、ほっとした表情をした。
「つてを辿ってね。お母様が働いていらっしゃるスーパーの店員さんに話を聞けたんだ」
カケスは悠真の母親がいない日を狙い、話を聞きに行っていたのだろう。
「君と同じ様な運動着でスポーツバッグを持っていた子達が書籍コーナーからコミックを万引きしたんだね。そして、たまたま君もその場に居合わせてしまった。店側には直ぐに誤解は解けたが、その様子を見ていた者達がいたーー圭太君と二人の友達がね」
「……はい。そうです。あちこちで噂を流すと言われました。それが嫌なら僕のする事に協力しろって言われて……」
「でも、やっていないなら堂々としていたら良いじゃないの。どうしてそんな……まさか、お母さんの為? 変な噂になって働けなくなると思ったから……」
思わず口を挟んだ母親が悠真の気持ちに気づいて声を震わせた。
「ごめんなさい。でも、それだけじゃないんだ」
「悠真?」
「僕にとって、あのサッカーチームは大切な居場所なんだ。だから噂のせいでいられなくなるのも嫌だったし、少し我慢すれば良いって思った」
母親が仕事の間にサッカーの練習がなければ一人ぼっちになってしまうと思ったのかもしれない。
「最初は僕のお守りを取られた事にして、騒げって言われました」
「何故、そんな事をするのか聞いていたかい?」
「お前は言う事だけ聞いておけって言われるだけで」
「なるほど。物置に閉じ込められた事も圭太君がやれって言ったのかな」
「……はい。タオルも緩くしておくから大声で叫べって言われました」
「何てこと!」
母親が頭を抱えた。
「……ごめんなさい。本当は、もっと騒いでお母さんに圭太君にやられたって言わなきゃいけなかったんです。でも、やっぱりこんな事は間違ってるんじゃないかって思って」
圭太の徐々にエスカレートしていく要求に、悠真も従いながらも戸惑い始めていたのだ。
「ボヤ騒ぎは君達ではないよな?」
「……違います」
「やったのは圭太君の兄ちゃんかな?」
「それも、分かってるんですね。さすが、探偵さんですね」
悠真は少し嬉しそうに言ったが、眉間に皺を寄せて考え込む母親の表情を見てすぐに真顔に戻った。そんな様子を見て、カケスは助け舟を出す。
「お母様、悠真君はただ、必死に自分の居場所を守ろうとしただけですよ。万引きもしてなければ、誰かを貶める様な事もしていない。やり方を少し間違えてしまっただけでしょう」
「……探偵さん」
「はい」
「私も悠真の気持ちはよく分かります。ですが、この事はきちんと圭太君のご両親に話をしたいと思います」
「……それが良いと思います。もしそれで、佐竹コーチが辞める事になったとしても、悠真君を守る事が出来るのはお母様だけだと思いますよ」
「……そうですよね」
カケスの言葉にほんの少し気持ちが揺らいでいる様に見えた。
「僕、圭太君に言われた事だけやれば良いって言われた時、すごく嫌なやつだって思ったけど、本当は違う気がするんです」
「悠真君、どうしてそう思うんだ?」
「圭太君、色々考え過ぎてサッカーが嫌いになっちゃったんだと思います。圭太君はこう言ってたんです。お父さんがコーチを辞めるか、自分がサッカーを辞めるか……もう、それしか選択肢が無いんだ。だから悪いけど手伝って欲しいって。方法は兄ちゃんを見ていて知ってるからって」
「圭太君のお兄さんが過去に起こした事を参考にした?」
悠真はこくりと頷いた。
「でも、兄ちゃんはやり過ぎたせいで家から追い出されたから、いじめるフリをしたいって。大人達が動いてくれれば、お父さんにきっと自分の本当の気持ちが伝わるって」
「それで悠真がその役割をしたって言うの?」
「……うん」
カケスも悠真の母親も、もちろん私もまんまと圭太達の計画通りに動かされたのだと知る。
「すっかりやられた」
カケスが笑顔になって笑う。
「悠真君がここに来た時から計画が始まっていたんだな」
「うん。門前払いになると思ってたけど、ツグミさんがいてくれてラッキーでした」
そう言って私の顔を見た。
「……私が助手を気取って動き回ったのは、君達にとって追い風になったのね」
「はい。でも、圭太君の兄ちゃんがあちこちで放火したのは、僕達とは関係なくて……」
「いや、確かに最初はそうだったかもしれない。でも、圭太君の兄ちゃんは君達の動きを見て、便乗する事にしたんじゃないかな」
今度こそ、父親に自分の気持ちを伝えるチャンスだと思ったのかもしれない。
「……そうかも。平良君、自分達の事をヤバい兄弟だって言ってた」
まるで共犯関係にあると言っている様にも取れる。ただ、思ったよりも父親には響かず、いつも通りに他人の子供にサッカーを教え続ける事への苛立ちを募らせていたのかもしれない。
「佐竹コーチは圭太君と平良君の事をどう思ってるんだろう。結局は、圭太君の計画は失敗したわけで、大きな騒ぎにはならなかったからな」
「……噂好きの保護者が、圭太君が僕にいじめをしている様だとコーチに言ったみたいです。でも、変わらなかった。そんなにサッカーが嫌ならやらなくて良いとだけ言われたそうです」
一応は望みが叶ったかに思えるが、圭太の本当の望みはそんな事では無い気がした。
「圭太君、やらなくて良くなったってサッカーチームに来なくなったけど、何だか寂しそうなんです」
「……可愛そうだが、それはまた別の問題だな。それは探偵の仕事ではないし、この一件はここまでだな。結局、お守りは盗まれていなかったんだからな」
「あっ、そっか。お守りを取り戻して欲しいっていう依頼だったんだ」
「建前上はな」
悠真が申し訳なさそうに「すみませんでした」と謝った。
「悠真がした事、本当に申し訳ございません。それでその、探偵さんに依頼なんてしたことなくて」
母親が財布を取り出そうとしたのをカケスが止める。
「いえ。私は依頼を断りましたから」
「えっ、でも……」
「本当に、私は何も」
「……本当に有難うございました」
深々と悠真は母親と共に頭を下げた。
「ジェイ探偵、ありがとう」
「往来でその呼び名はやめろ」
悠真が笑って母親と帰って行った。
「何だか、すっきりしないね」
コーヒーカップを片付けながら、カケスの様子を窺う。
「ーー佐竹コーチか」
「うん。平良君も圭太君も、心底サッカーが嫌いになったわけじゃないと思うんだよね……うまく言えないけど」
「そうだな。でも、悠真君の母親が今回の事を話すと言っていたからな。そこから何か変わるかもしれない」
「……だと、良いんだけど」
「その期待する様な目は何だ……」
「別に?」
「俺はもう泥棒じゃないからな」
「分かってるってば」
探偵として手は尽くしたはずなのに、カケスも心に引っかかっている事があるのだろう。
「……ビデオ、返し忘れたな」
そう言って、カケスは持っていたビデオテープをぎゅっと握りしめた。
「それは?」
「サッカーの練習風景が映ってる」
「え、誰から借りたの?」
「ーー圭太君の部屋にあったのを、ちょっと失敬した」
「え? 何のために? というかカケス……それ、泥棒スキルじゃない」
「今回、無報酬なんだぞ? 自分で調べるにはやむ得なくてな。それにちゃんと、返すって。サッカー馬鹿親父をたっぷり脅した後でな」
圭太と平良の声でそう言って、にやりと笑った。
その日、私は夢を見た。夢の中のカケスは、平良と圭太にそっくりの声で、佐竹コーチに『このまま自分達と向き合わないのなら、親子の縁を切る』と言い放った。佐竹コーチはそれを聞いてやっと目が覚めたと、これからはもっと家族へ目を向けると今までの事を悔やみ、そう約束をした。これは、私の願望から見た夢なのかもしれない。でも、本当にそうなったら良いと思った。
私はこの直後、疲れのせいか熱を出した。火事が起きる夢を見てうなされていた私に、優しく額のタオルを替えてくれたのは、本当に母だったのか。熱が下がり、大学へ復帰出来たのは三日後の事だった。
大学からの帰り、小学校のグラウンドに寄ると、聞こえて来た声が佐竹コーチのものでないのは直ぐに分かった。辞めてしまったのだろうか。
「あら、ツグミちゃん。体調は良くなったの?」
相変わらず赤いダウンを着て、ゴミ掃除をしている小森が声をかけてくれた。
「はい。もう、すっかり」
「そう。良かったわね」
「ありがとうございます。あの、カケスは今日はいますか?」
「あら。いつも通りに行ってごらんなさいよ」
「……そうですよね」
カケスは探偵として一線を超えない様にして来たはずだ。それなのに、私が厄介事を持ち込んだせいで、ルールを破らせしまったのではないか。
「大丈夫。カケスは昔から根っこの部分は絶対に腐っちゃいなかった。変な事にはならないよ……良くも悪くも起用な子だからね」
小森の最後の一言は聞かなかった事にして、階段を駆け上がった。
「カケス、いるの?」
「よお。元気になったか。やっと、部屋が綺麗になるな。そうだ、お前に今回のお礼だって藤島がお菓子置いていったぞ」
戸棚にファイルを整理していたらしい。ホコリのせいか、一つくしゃみをした。テーブルの上にすでに包装を解いた菓子箱が置いてあった。
「掃除くらい自分でやればいいのに。ねえ、そういえば、圭太君にビデオテープは返せたの?」
「ん? ああ」
「佐竹コーチ、辞めたのかな」
「ああ。後釜は佐竹コーチの大学時代の後輩だそうだ」
「さすが。よく知ってるね」
「探偵だからな」
「そっか」
カケスはそれ以上、佐竹コーチの事は言わなかった。そう簡単に全てが上手くいくとは私も思わない。
「そういえば、平良君と圭太君はまたサッカー始めたらしいぞ。今度は二人でサッカースクールに通ってるそうだ」
「そうなんだ。良かった」
子供の世界は狭い。だから何か辛い事があったら家に逃げ込むしかない。もし守られるべき場所が居心地の良いもので無かったら、子供達はどこへもいけなくなってしまう。
「私はラッキーだったんだろうな」
「それは俺の方だよ」
「え?」
「ツグミにも、やっと返せる」
手渡されたのは手垢のついた子供向けの探偵小説だった。
「これ」
「ありがとな。あの日、世界がもっと広いものだと気づいたんだ」
二人で見た窓からの景色を思い出す。どこまでも遠くへと飛んでいく飛行機は私にとって希望そのものに見えた。
「あれは泥棒と探偵の出会いだったんだ」
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「……今から依頼人が来るんだ。大事なネックレスを別れた恋人に盗まれたから取り返して欲しいってな。何でこんな似たような案件が続くんだ? お前は感情移入してまた泣くのか? 首からティッシュぶら下げとけ」
放り投げられたティッシュボックスを慌ててキャッチした。
「了解。名探偵ジェイ」
私達の世界はどこまでも広く難解だ。
「その呼び名はやめろ」
探偵がいつも通り、不敵に笑った。
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