Wavering Heart ~ 元同級生は別人級に甘すぎる ~

芙月みひろ

文字の大きさ
6 / 9

6.ひととき

しおりを挟む
 征也が淹れてくれたカフェオレを大事に飲んでいると、奥の方から賑やかな声が聞こえてきた。

「掃除、終わりました!……あれ?遠野さんじゃないですか!こんばんは」

 この店のスタッフ、田川史和だった。彼もまた征也と同様、もともと本社の社員だ。私より二才年上の彼とはこの店に来るようになってから親しくなったが、話しているうちに、実は学部違いの大学の先輩であることを知る。そのため、後輩に当たる私に対して丁寧語は不要と告げたのだが、真面目な性格らしい彼は未だに丁寧な口調を崩さない。
 ちなみに彼らの他にも正社員、アルバイトなどを含めた数人のスタッフがいる。今日のこの時間帯は征也と田川の二人だけだったようだ。
 私は田川に頭を下げる。

「すみません。閉店ぎりぎりに来てしまって」
「いえいえ。大丈夫ですよ」
「田川君、掃除ありがとう。あと、ごめん。外の看板を片づけてもらっていいかな?」
「了解です」

 店の外へ出て行った田川は看板を引き上げてくると、それを店の隅っこに置いた。その後ドアの内側にかけてあるプレートをひっくり返し、「CLOSE」の面を外に向けた。

「あとは、シンク周りの掃除ですね。俺、やっておきますよ」
「いいよ、俺がやるよ。フロアの掃除、任せちゃったから」
「いいですって。佐伯さんは何でも自分でやりすぎなんだから、たまには俺に任せて下さい。そんで、遠野さんを家まで送ってあげたらどうですか?」
「え?いいの?」
「はい、問題ありません。後はレジを締めるくらいですし」
「そう?だったら頼もうかな」
「どうぞどうぞ」

 征也はエプロンを外しながら私に笑顔を向ける。

「本当は少し待っててもらって、って思ってたんだけど、田川君のお許しが出たことだし、送るよ」
「そんなわけにはいかないわ」

 私はそそくさとスツールから降りた。

「一人で帰れるから大丈夫よ。田川さん、お気遣いありがとうございます」

 頭を下げてドアに向かおうとした私を、征也が引き留める。

「美祈ちゃん、ちょっと待って。もう遅い時間だから送るって」
「遅いって、まだ十時前よ」
「この辺は飲み屋街が近いし、万が一何かあったら大変だから」

 私は苦笑する。

「征也君、心配し過ぎ。本当に大丈夫よ」

 田川がカウンターの中から私たちのやり取りに口を挟む。

「遠野さん、ここは素直に送ってもらった方がいいですよ。この街は都会じゃないですけど、女性の夜の一人歩きはやっぱり危ないですから。酔っぱらいも歩いてるだろうし」
「ほら。田川君もあぁ言ってくれていることだし、ね?」
「だけど、仕事、まだ残ってるんでしょ?」

 私は征也と田川の顔を交互に見た。
 田川がにっと笑う。

「大丈夫、問題ありませんよ。俺もたまには店長代理らしい仕事をしないといけないので」
「それじゃあ、後は任せた。美祈ちゃんを送ってくるよ」
「だけど……」

 なかなか頷かない私を強制的に送り出すかのように、田川は手を振る。

「遠野さん、また来てくださいね。佐伯さん、行ってらっしゃい」
「行ってきます。田川君、終わったら帰っていいからね」
「了解です」
「よし、美祈ちゃん、行くよ」

 征也はドアを開けて、私を待っている。
 結局、私は困惑の残る顔で田川に挨拶をして、征也と一緒に店を後にした。
 征也は私と並んで歩きながら、店の裏手に足を向ける。そちらに駐車場があるようだ。
 彼の横顔に私は念を押す。

「ねぇ、本当に送ってもらっていいの?」
「もちろんだよ。そんなに申し訳ない顔、しなくていいから」
「う、うん……」

 彼は街灯の灯りしかない一角に大股歩きで近づいて行く。そこに止まっている黒っぽい車の傍で立ち止まり、助手席のドアを開けて私を手招きする。

「乗って」
「お邪魔します」

 私はおずおずと車に乗り込んだ。座席に座り、シートベルトを掛ける。何度か彼の車に乗ってはいるが、その時はいつも兄が一緒で、私が乗るのは後部座席だった。助手席に乗るのは初めてで、緊張する。
 運転席に乗った彼はエンジンをかけ、ハンドルを握る。

「じゃ、行くよ」
「お願いします」

 面倒をかけて申し訳ないと思いつつも嬉しかった。油断すると顔がにやけてしまいそうになり、私は眉間にぐっと力を入れて顔を引き締めた。

「本当にありがとう。わざわざごめんね」

 征也は前を向いたまま柔らかい口調で応える。

「気にしなくていいよ。と、いうかさ。まさかとは思うけど、今までも飲み会の後は歩いて帰ったりしてたんじゃないよね?」
「え、えぇと、この辺りで飲む時はそうだったかな。だって、タクシーを拾うよりも早いような気がして……」
「え、そうなのか。確かに歩ける距離だろうけど、それでもやっぱり、夜の遅い時間に一人で歩いて帰るのは感心しないな。今度からはちゃんとタクシーを使った方がいい」
「また飲みに行くようなことがあったら、その時はそうします」

 私は神妙に答えた。しかし、彼に心配されていることが嬉しくて口元が緩んでくる。

「もうすぐ着くよ」

 征也の声にはっとした。左手にマンションが見えてきた。
 スピードを徐々に落として、彼はエントランス近くに車を止めた。
 あっという間の二人きりの時間だった。短かかったそのひとときを惜しみながら、私はあえてゆっくりとシートベルトを外す。

「送ってくれて、本当にありがとう」
「どういたしまして。また顔出してね」
「うん。もちろん」

 私は力強く頷いた。言われるまでもなく行くつもりだ。本当は時にはゆっくりと二人だけで食事に行ったりしたいと思う。けれど彼はいつも忙しそうで、誘いにくい。だから私はこの時も、いつものようにありきたりな挨拶を口にする。

「それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」

 征也の笑顔はいつもと変わらない。もう少しだけ一緒にいたかったと名残惜しく思いながらその笑顔をもう一度目に収め、私はのろのろと車から降りた。
 彼は私に手を振ってから、静かに車を発進させた。
 遠ざかって行く彼の車を見送りながら、早く告白しようと、私は改めて決意していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです

沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end**

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

ブラック企業を退職したら、極上マッサージに蕩ける日々が待ってました。

イセヤ レキ
恋愛
ブラック企業に勤める赤羽(あかばね)陽葵(ひまり)は、ある夜、退職を決意する。 きっかけは、雑居ビルのとあるマッサージ店。 そのマッサージ店の恰幅が良く朗らかな女性オーナーに新たな職場を紹介されるが、そこには無口で無表情な男の店長がいて……? ※ストーリー構成上、導入部だけシリアスです。 ※他サイトにも掲載しています。

処理中です...