Wavering Heart ~ 元同級生は別人級に甘すぎる ~

芙月みひろ

文字の大きさ
6 / 61

6.ひととき

 征也が淹れてくれたカフェオレを大事に飲んでいると、奥の方から賑やかな声が聞こえてきた。

「掃除、終わりました!……あれ?遠野さんじゃないですか!こんばんは」

 この店のスタッフ、田川史和だった。彼もまた征也と同様、もともと本社の社員だ。私より二才年上の彼とはこの店に来るようになってから親しくなったが、話しているうちに、実は学部違いの大学の先輩であることを知る。そのため、後輩に当たる私に対して丁寧語は不要と告げたのだが、真面目な性格らしい彼は未だに丁寧な口調を崩さない。
 ちなみに彼らの他にも正社員、アルバイトなどを含めた数人のスタッフがいる。今日のこの時間帯は征也と田川の二人だけだったようだ。
 私は田川に頭を下げる。

「すみません。閉店ぎりぎりに来てしまって」
「いえいえ。大丈夫ですよ」
「田川君、掃除ありがとう。あと、ごめん。外の看板を片づけてもらっていいかな?」
「了解です」

 店の外へ出て行った田川は看板を引き上げてくると、それを店の隅っこに置いた。その後ドアの内側にかけてあるプレートをひっくり返し、「CLOSE」の面を外に向けた。

「あとは、シンク周りの掃除ですね。俺、やっておきますよ」
「いいよ、俺がやるよ。フロアの掃除、任せちゃったから」
「いいですって。佐伯さんは何でも自分でやりすぎなんだから、たまには俺に任せて下さい。そんで、遠野さんを家まで送ってあげたらどうですか?」
「え?いいの?」
「はい、問題ありません。後はレジを締めるくらいですし」
「そう?だったら頼もうかな」
「どうぞどうぞ」

 征也はエプロンを外しながら私に笑顔を向ける。

「本当は少し待っててもらって、って思ってたんだけど、田川君のお許しが出たことだし、送るよ」
「そんなわけにはいかないわ」

 私はそそくさとスツールから降りた。

「一人で帰れるから大丈夫よ。田川さん、お気遣いありがとうございます」

 頭を下げてドアに向かおうとした私を、征也が引き留める。

「美祈ちゃん、ちょっと待って。もう遅い時間だから送るって」
「遅いって、まだ十時前よ」
「この辺は飲み屋街が近いし、万が一何かあったら大変だから」

 私は苦笑する。

「征也君、心配し過ぎ。本当に大丈夫よ」

 田川がカウンターの中から私たちのやり取りに口を挟む。

「遠野さん、ここは素直に送ってもらった方がいいですよ。この街は都会じゃないですけど、女性の夜の一人歩きはやっぱり危ないですから。酔っぱらいも歩いてるだろうし」
「ほら。田川君もあぁ言ってくれていることだし、ね?」
「だけど、仕事、まだ残ってるんでしょ?」

 私は征也と田川の顔を交互に見た。
 田川がにっと笑う。

「大丈夫、問題ありませんよ。俺もたまには店長代理らしい仕事をしないといけないので」
「それじゃあ、後は任せた。美祈ちゃんを送ってくるよ」
「だけど……」

 なかなか頷かない私を強制的に送り出すかのように、田川は手を振る。

「遠野さん、また来てくださいね。佐伯さん、行ってらっしゃい」
「行ってきます。田川君、終わったら帰っていいからね」
「了解です」
「よし、美祈ちゃん、行くよ」

 征也はドアを開けて、私を待っている。
 結局、私は困惑の残る顔で田川に挨拶をして、征也と一緒に店を後にした。
 征也は私と並んで歩きながら、店の裏手に足を向ける。そちらに駐車場があるようだ。
 彼の横顔に私は念を押す。

「ねぇ、本当に送ってもらっていいの?」
「もちろんだよ。そんなに申し訳ない顔、しなくていいから」
「う、うん……」

 彼は街灯の灯りしかない一角に大股歩きで近づいて行く。そこに止まっている黒っぽい車の傍で立ち止まり、助手席のドアを開けて私を手招きする。

「乗って」
「お邪魔します」

 私はおずおずと車に乗り込んだ。座席に座り、シートベルトを掛ける。何度か彼の車に乗ってはいるが、その時はいつも兄が一緒で、私が乗るのは後部座席だった。助手席に乗るのは初めてで、緊張する。
 運転席に乗った彼はエンジンをかけ、ハンドルを握る。

「じゃ、行くよ」
「お願いします」

 面倒をかけて申し訳ないと思いつつも嬉しかった。油断すると顔がにやけてしまいそうになり、私は眉間にぐっと力を入れて顔を引き締めた。

「本当にありがとう。わざわざごめんね」

 征也は前を向いたまま柔らかい口調で応える。

「気にしなくていいよ。と、いうかさ。まさかとは思うけど、今までも飲み会の後は歩いて帰ったりしてたんじゃないよね?」
「え、えぇと、この辺りで飲む時はそうだったかな。だって、タクシーを拾うよりも早いような気がして……」
「え、そうなのか。確かに歩ける距離だろうけど、それでもやっぱり、夜の遅い時間に一人で歩いて帰るのは感心しないな。今度からはちゃんとタクシーを使った方がいい」
「また飲みに行くようなことがあったら、その時はそうします」

 私は神妙に答えた。しかし、彼に心配されていることが嬉しくて口元が緩んでくる。

「もうすぐ着くよ」

 征也の声にはっとした。左手にマンションが見えてきた。
 スピードを徐々に落として、彼はエントランス近くに車を止めた。
 あっという間の二人きりの時間だった。短かかったそのひとときを惜しみながら、私はあえてゆっくりとシートベルトを外す。

「送ってくれて、本当にありがとう」
「どういたしまして。また顔出してね」
「うん。もちろん」

 私は力強く頷いた。言われるまでもなく行くつもりだ。本当は時にはゆっくりと二人だけで食事に行ったりしたいと思う。けれど彼はいつも忙しそうで、誘いにくい。だから私はこの時も、いつものようにありきたりな挨拶を口にする。

「それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」

 征也の笑顔はいつもと変わらない。もう少しだけ一緒にいたかったと名残惜しく思いながらその笑顔をもう一度目に収め、私はのろのろと車から降りた。
 彼は私に手を振ってから、静かに車を発進させた。
 遠ざかって行く彼の車を見送りながら、早く告白しようと、私は改めて決意していた。
感想 0

あなたにおすすめの小説

俺様上司に今宵も激しく求められる。

藤白ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【完結】女当主は義弟の手で花開く

はるみさ
恋愛
シャノンは若干25歳でありながら、プレスコット伯爵家の女当主。男勝りな彼女は、由緒ある伯爵家の当主として男性と互角に渡り合っていた。しかし、そんな彼女には結婚という大きな悩みが。伯爵家の血筋を残すためにも結婚しなくてはと思うが、全く相手が見つからない。途方に暮れていたその時……「義姉さん、それ僕でいいんじゃない?」昔拾ってあげた血の繋がりのない美しく成長した義弟からまさかの提案……!? 恋に臆病な姉と、一途に義姉を想い続けてきた義弟の大人の恋物語。 ※他サイトにも掲載しています。

義姉と押し入れに隠れたら、止まれなくなった

くろがねや
恋愛
父の再婚で、義姉ができた。 血は繋がっていない。でも——家族だ。そう言い聞かせながら、涼介はずっと沙耶から距離を取ってきた。 夏休み。田舎への帰省。甥っ子にせがまれて始まったかくれんぼ。急いで飛び込んだ押し入れの中に、先客がいた。 「……涼介くん」 薄い水色の浴衣。下ろした髪。橙色の光に染まった、沙耶の顔。 逃げ場のない暗闇の中で、二人分の体温が混ざり合う。 夜、来て。 その一言が——涼介の、全部を壊した。 甘くて、苦しくて、止まれない。 これは、ある夏の、秘密の話。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。