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32.少しだけでも
私がかけた電話に塚本が出たのは驚くほど速かった。驚くすぎて名乗るのを忘れている私に、彼は結果を訊ねてくる。
『どうだった?ちゃんと断れた?』
彼に電話をかける前までは、さらりと伝えるだけで構わないだろうと軽く考えていた。しょうがないなと呆れながらも、彼は笑ってくれるだろうと思っていたからだ。しかし彼の声は固く、それを聞いた途端、どう答えようか迷った。
私が即答しなかったことで、彼自身が思っていた結果と違うようだと悟ったのか。
ひどく低い彼の声が私の耳を打つ。
『まさか、するの?見合い……』
そこににじむ不穏な響きにどきりとし、緊張のために声が喉に引っかかりそうになった。ごくりと唾を飲み込んで喉を湿らせてから、私はおずおずと口を開く。
「えぇと、ごめんなさい。どうしても断り切れなくて、お見合いしないわけにいかなくなっちゃったの。だから、日曜日は会えないわ。また別の日に、ということでお願いします……」
『本当にちゃんと断ったの?』
返ってきた塚本の声は不機嫌で、私を疑うような口ぶりでもあった。
伯母との攻防戦を知らないくせにと不愉快になり、言葉を返す私の声も低くなる。
「しょうがないじゃない。断る隙を与えてもらえなかったんだもの」
『どうだか』
疑わし気にぼそりと言った後、彼はそれきり黙り込んでしまった。
無言の気まずい時間が流れる。
先にそれに耐えられなくなったのは、私の方だった。
「とにかくそういうわけなので、会うのはまたそのうちにということでお願いします。電話、切ります」
感情的にならないよう、気をつけた物言いをした結果、極めて事務的というか、無機質な言い方となってしまった。もっと別の言い方があったのではないかとやや後悔しながら、私はスマホから顔を離す。これが彼との最後の電話になってしまうかもしれないと、胸の奥に鈍い痛みを感じながら、通話を終わらせるために画面をタップしようとした。
その寸前のぎりぎりのタイミングで、塚本の慌てた声が電話の向こうから聞こえてきた。
『待って!ごめん!切らないで!』
追いすがるようにも聞こえる彼の声に、私ははっとして指を止めた。この一件のせいで、彼との関係が終わらずに済みそうだとほっとしたくせに、私はわざとらしく大きなため息をついて淡々とした反応を返す。
「何でしょうか」
塚本が私の冷たい反応に怯んだ様子はない。
『その見合いって何時から?夜までかかるの?』
「どうしてそんなことを訊くの?」
『気になるんだよ』
実はさっきの冷やかな態度を反省していた。だから、ことさら隠すようなことでもないからと、私はのろのろと彼の質問に答える。
「そんなに長い時間にはならないと思う。伯母からは、お茶の後食事でもしたら、なんて言われたけど、その後はすぐに帰るつもりでいるの。こんなのお相手の方にすごく申し訳ないのは分かってるんだけど、私としては断る前提のお見合いだから……」
『それなら、夜は時間があるってことだよね?どこかで一緒に食事しよう』
「えっ、お見合いの後に?」
彼の誘いに戸惑った。初対面で、かつ断るつもりでいる見合い相手に対して、義理立てする必要はないと思うけれど、それでも、その人との見合いの後に他の男性と食事に行ったりするのはどうなのかと、ためらわずにいられない。
その空気を感じ取ったらしく、塚本は拗ねたように言う。
『だって本当は、俺との約束が先だったじゃないか。俺、この週末をものすごく楽しみにしていたのにさ』
「それは申し訳ないと思ってるわ。本当にごめんなさい。だけど、仕方がなかったのよ……」
電話の向こうで、塚本ががっかりした顔をしているのが想像できて、私は彼に詫びた。しかし、彼の拗ねた口調はなかなか元に戻らない。
『そんなこと言っちゃって、実際に見合い相手に会って、その人が遠野さんの好みの男だったりしたら、その後やっぱり一緒に食事を、なんてことになるんじゃないの?その先には結婚とかさ』
「そんなことにはならないわよ」
『どうかな。俺とは付き合い出したばかりだし、何しろお試しが始まったばかりの、ただの恋人でしかないからね』
「だって、それは……」
それでもいいと言ったのは、あなただったでしょ――。
言いかけて、やめた。このまま口論が続いた挙句、私たちの関係が、恋人どころか友人でさえもなくなってしまうのは嫌だと思った。もしもそうなったらと思ったら、胸がつきりと痛んだ。ついさっきもこれと似た痛みを感じたことを思い出し、もしかして自分は塚本との関係を終わらせたくはないのだろうかと、胸の中がざわついた。
それはもう決定事項だとでも言うように、彼はきっぱりとした口調で私に告げる。
『迎えに行く。見合いが終わったら電話して』
「迎えなんていらないわ」
私は即座に断った。塚本を見合いが終わった後の足になどできるわけがない。
『だって食事に行くのは乗り気じゃないみたいだし、だったらせめて、マンションに着くまでの間だけでいいから、遠野さんと一緒にいたいんだ。少しでも会いたいって思うのは、迷惑?』
すぐ隣に彼がいるわけではないのに、まるで耳元で囁かれてでもいるような錯覚が起きる。電話越しの甘い台詞に心をくすぐられて、そわそわと落ち着きをなくし、私の気持ちは頷いてしまいたい方へと傾いた。けれど、本当にいいのだろうかという迷いは消えず、たどたどしく訊き返す。
「だけどそんなのは面倒でしょ……?」
『面倒なわけないよ。俺がそうしたいんだから。というわけで、見合いの場所を教えてよ。もちろん、邪魔するようなことはしないからさ』
「そんな心配はしてないけど……。じゃあ、帰る時に電話するので、お願いしても、いいですか?」
『了解!』
返ってきた塚本の声はひどく嬉しそうだった。
それを聞いて、気持ちがまた揺らぐ。
塚本と夕食の時間を一緒に過ごしても構わないかな――。
どのタイミングで言おうかと考えながら、私は見合い場所のホテル名を塚本に告げた。
『どうだった?ちゃんと断れた?』
彼に電話をかける前までは、さらりと伝えるだけで構わないだろうと軽く考えていた。しょうがないなと呆れながらも、彼は笑ってくれるだろうと思っていたからだ。しかし彼の声は固く、それを聞いた途端、どう答えようか迷った。
私が即答しなかったことで、彼自身が思っていた結果と違うようだと悟ったのか。
ひどく低い彼の声が私の耳を打つ。
『まさか、するの?見合い……』
そこににじむ不穏な響きにどきりとし、緊張のために声が喉に引っかかりそうになった。ごくりと唾を飲み込んで喉を湿らせてから、私はおずおずと口を開く。
「えぇと、ごめんなさい。どうしても断り切れなくて、お見合いしないわけにいかなくなっちゃったの。だから、日曜日は会えないわ。また別の日に、ということでお願いします……」
『本当にちゃんと断ったの?』
返ってきた塚本の声は不機嫌で、私を疑うような口ぶりでもあった。
伯母との攻防戦を知らないくせにと不愉快になり、言葉を返す私の声も低くなる。
「しょうがないじゃない。断る隙を与えてもらえなかったんだもの」
『どうだか』
疑わし気にぼそりと言った後、彼はそれきり黙り込んでしまった。
無言の気まずい時間が流れる。
先にそれに耐えられなくなったのは、私の方だった。
「とにかくそういうわけなので、会うのはまたそのうちにということでお願いします。電話、切ります」
感情的にならないよう、気をつけた物言いをした結果、極めて事務的というか、無機質な言い方となってしまった。もっと別の言い方があったのではないかとやや後悔しながら、私はスマホから顔を離す。これが彼との最後の電話になってしまうかもしれないと、胸の奥に鈍い痛みを感じながら、通話を終わらせるために画面をタップしようとした。
その寸前のぎりぎりのタイミングで、塚本の慌てた声が電話の向こうから聞こえてきた。
『待って!ごめん!切らないで!』
追いすがるようにも聞こえる彼の声に、私ははっとして指を止めた。この一件のせいで、彼との関係が終わらずに済みそうだとほっとしたくせに、私はわざとらしく大きなため息をついて淡々とした反応を返す。
「何でしょうか」
塚本が私の冷たい反応に怯んだ様子はない。
『その見合いって何時から?夜までかかるの?』
「どうしてそんなことを訊くの?」
『気になるんだよ』
実はさっきの冷やかな態度を反省していた。だから、ことさら隠すようなことでもないからと、私はのろのろと彼の質問に答える。
「そんなに長い時間にはならないと思う。伯母からは、お茶の後食事でもしたら、なんて言われたけど、その後はすぐに帰るつもりでいるの。こんなのお相手の方にすごく申し訳ないのは分かってるんだけど、私としては断る前提のお見合いだから……」
『それなら、夜は時間があるってことだよね?どこかで一緒に食事しよう』
「えっ、お見合いの後に?」
彼の誘いに戸惑った。初対面で、かつ断るつもりでいる見合い相手に対して、義理立てする必要はないと思うけれど、それでも、その人との見合いの後に他の男性と食事に行ったりするのはどうなのかと、ためらわずにいられない。
その空気を感じ取ったらしく、塚本は拗ねたように言う。
『だって本当は、俺との約束が先だったじゃないか。俺、この週末をものすごく楽しみにしていたのにさ』
「それは申し訳ないと思ってるわ。本当にごめんなさい。だけど、仕方がなかったのよ……」
電話の向こうで、塚本ががっかりした顔をしているのが想像できて、私は彼に詫びた。しかし、彼の拗ねた口調はなかなか元に戻らない。
『そんなこと言っちゃって、実際に見合い相手に会って、その人が遠野さんの好みの男だったりしたら、その後やっぱり一緒に食事を、なんてことになるんじゃないの?その先には結婚とかさ』
「そんなことにはならないわよ」
『どうかな。俺とは付き合い出したばかりだし、何しろお試しが始まったばかりの、ただの恋人でしかないからね』
「だって、それは……」
それでもいいと言ったのは、あなただったでしょ――。
言いかけて、やめた。このまま口論が続いた挙句、私たちの関係が、恋人どころか友人でさえもなくなってしまうのは嫌だと思った。もしもそうなったらと思ったら、胸がつきりと痛んだ。ついさっきもこれと似た痛みを感じたことを思い出し、もしかして自分は塚本との関係を終わらせたくはないのだろうかと、胸の中がざわついた。
それはもう決定事項だとでも言うように、彼はきっぱりとした口調で私に告げる。
『迎えに行く。見合いが終わったら電話して』
「迎えなんていらないわ」
私は即座に断った。塚本を見合いが終わった後の足になどできるわけがない。
『だって食事に行くのは乗り気じゃないみたいだし、だったらせめて、マンションに着くまでの間だけでいいから、遠野さんと一緒にいたいんだ。少しでも会いたいって思うのは、迷惑?』
すぐ隣に彼がいるわけではないのに、まるで耳元で囁かれてでもいるような錯覚が起きる。電話越しの甘い台詞に心をくすぐられて、そわそわと落ち着きをなくし、私の気持ちは頷いてしまいたい方へと傾いた。けれど、本当にいいのだろうかという迷いは消えず、たどたどしく訊き返す。
「だけどそんなのは面倒でしょ……?」
『面倒なわけないよ。俺がそうしたいんだから。というわけで、見合いの場所を教えてよ。もちろん、邪魔するようなことはしないからさ』
「そんな心配はしてないけど……。じゃあ、帰る時に電話するので、お願いしても、いいですか?」
『了解!』
返ってきた塚本の声はひどく嬉しそうだった。
それを聞いて、気持ちがまた揺らぐ。
塚本と夕食の時間を一緒に過ごしても構わないかな――。
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