Wavering Heart ~ 元同級生は別人級に甘すぎる ~

芙月みひろ

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35.帰ります

「申し訳ありません。本当にご馳走様でした……」

 ラウンジを出た私は佐山に礼を言い、頭を下げた。断る前提の見合いということもあり、本当は自分の分は自分で払いたかった。しかし、財布に手をかけた私を止めて、佐山が全て支払いを持ってくれたのだ。最後にもう一度と思って頭を下げてから、私は強張った笑顔で佐山に告げる。

「大変申し訳ありませんが、私はこれで失礼します」
「えっ!」

 私が思っていた以上に佐山は驚いた様子を見せた。
 
「そう言わずに、もう少しだけお話ししませんか。さっきは緊張してしまって、自分のことばかり喋ってしまいましたから、遠野さんのこと、あまり聞けなかったですし」
「いえ、でも……」

 上手い言い訳が思いつかない。私はじりっと一歩後退した。

「夕食を一緒にとまでは言いません。せめてあと一時間。あぁ、そうだ。この上の方にバーがあるんです」

 佐山はぴかぴかした腕時計にちらっと目を落とした。

「そろそろ開く時間だ。そこに行きませんか。ノンアルコールドリンクもあるようですから、お酒を飲まなくても大丈夫ですし」
「いえ、本当に、申し訳ありませんが、私はこれで……」

 佐山の誘いはしつこくて、それに辟易した私はさっさと帰ってしまおうと踵を返そうとした。
 ところが、彼は私の進路を断つように回り込んだかと思うと、いきなり私の背中に腕を回した。
 あっという間に私の体のあちこちに鳥肌が立つ。

「ちょ、ちょっと、佐山さんっ……!」

 私は彼から離れようとした。
 しかし佐山は手を離そうとしない。そのままぐいぐいと私を押すようにして、エレベーターのある方へと向かっていく。
 自分の歩幅で歩くことができず、足がもつれそうになり、不覚にも佐山に支えられてしまった。私は彼の腕を押し戻そうとしながら訴える。

「あの、離していただいた方が、ちゃんと歩けます。それに、傍から見たら絶対にこれって変ですからっ」
「カップルが寄り添って歩いているようにしか見えないと思いますけど」

 不満そうに鼻を鳴らしながらも、佐山はようやく私から手を離した。
 すかさず私は彼から距離を取った。
 そんな私に、佐山は頼み込むような目をして言う。
 
「あと一時間だけ、どうか付き合って下さい。お願いです」

 そうした方が穏便に帰してもらえるのならばと、私はやむなく頷く。

「一時間だけでしたら……」

 佐山の顔がぱあっと明るくなった。

「ありがとうございます!じゃあ、早速行きましょうか」

 嬉々として言いながら、佐山は再び私の背に手を回そうとした。しかし、私はするりと身をかわした。近づかれただけでも全身がぞわぞわする。

「あの、その前に、ちょっとお手洗いに行きたいんですが……」

 バーに行くことにしてしまったから、ホテルを出るのは一時間半ほど後になりそうだ。予定より遅くなることを塚本に伝えておくために、いったん佐山から離れる必要があった。

「お手洗い?でしたら、私はこの辺りで待っていますね」
「えぇと、先にバーに行って頂いても構いませんよ?」
「いえ。この辺りで待っています」
「そうですか……。では、ちょっと失礼します」

 私は作り笑顔を佐山に見せた後、ロビー奥にある化粧室へと足を向けた。
 トイレに用はない。パウダールームに入った私は、そこに誰もいないことを確かめてから、椅子に腰を下ろした。途端に大きなため息が口を突いて出る。バーに行くことを承諾してしまったが、今になって非常に後悔していた。
 佐山には、何度となくぞくっとするような嫌な感覚を覚えた。それはつまり、私は彼を生理的に受け付けないということだ。改めてそのことを思うと、やはり帰ろうという気持ちが大きくなり始める。
 考えてみれば、一緒にいる時間が長くなればなるほど、次回の約束をせざるを得ない状況に陥るかもしれない。そして最終的に、見合いそのものを断れなくなってしまう恐れが無きにしも非ずだ。
 では、ここで帰るのであれば理由をどうするか、だ。考えた結果、体調不良で、ということにする。
 そうなると、塚本に迎えに来てもらうのはやめた方がいいだろう。先日彼との電話で、ホテルから少し離れた場所で待ち合わせをすることに決めていたが、体調不良を言い訳にするのであれば、佐山の手前、タクシーを使った方が良さそうだ。
 私は早速塚本にメッセージを打った。

『色々あって、タクシーで帰ることにします』

 彼からの返信は早かった。

『とりあえず、ホテルを出たら連絡してほしい。少しでもいいから会いたい。君のマンション近くで待ってます。帰ってきたら、もう一度連絡を下さい』

 少しでもいいから会いたい――。

 彼を好きだと認めた私にとってその言葉は甘すぎて、また、たったそれだけのために彼がわざわざ時間を作ろうとしていることに、私の胸はきゅうっと鳴った。
 本人が目の前にいないにも関わらず、どきどきしながら「連絡します」と返した後、私は気持ちを切り替えて立ち上がり、化粧室を出た。いかにも体調が悪そうな冴えない表情を作り、佐山の元へと向かった。
 私の様子を目にした佐山の顔が心配そうに歪む。

「どうかしましたか。なんだか、具合が悪そうですが」
「はぁ、ちょっと……」

 騙してごめんなさいと心の中で謝りながら、私はそっとこめかみのあたりを指で押さえた。

「もともと頭痛持ちなんですが、なんだか痛み出してしまって……」
「あっ、っと、それなら薬をもらってきましょう。フロントに聞いてみます」

 慌てた様子でフロントに向かおうとした佐山を私は引き留めた。

「あ、あの、家まではなんとか我慢できそうですから、薬は大丈夫です。それで、大変申し訳ないのですが、やっぱり今日はこれで失礼させてください。すみません……」

 佐山は首を大きく縦に振る。

「いえ、謝らないで下さい。正直残念ではありますけど、無理はさせられませんから。じゃあ、帰りましょうか。そうだ。心配ですし、私も一緒に乗って行きましょうか」
「えっ、いやっ、それはっ……」

 私は焦った。そんなことをされて、家を知られてしまうのは困る。

「いえっ、大丈夫です。一人で帰れますから。ご心配ありがとうございます」
「いや、でも……」
「お気持ちだけで充分ですので」
「でしたら、せめてタクシーの所まで一緒に行きます。見送らせてください」
 
 そこまで言われては断れない。私は仕方なく頷いた。

「分かりました……」
「では、行きましょうか。どうそ私に捕まってください」
「いえ、そこまでは……。ありがとうございます」

 私は弱々しい微笑みを作り、差し出された彼の腕を断った。彼の顔が不服そうに歪んだのが見えたが、それを無視して歩き出す。
 
 早くタクシーへ――。

 家に帰ることしか考えられず、私の歩幅は自然と大きくなった。
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