Wavering Heart ~ 元同級生は別人級に甘すぎる ~

芙月みひろ

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36.どきどきしてばかり

 タクシーに乗って、無事、自分のマンションに着いた私は、エントランス前でスマホを取り出す。帰ってきたことを早速塚本にメッセージで知らせようとした時、手の中でスマホが震えた。彼からメッセージが入ったのだ。
 そろそろ着いたかどうかの確認だろうかと思いながら、その文面に目を落とす。思った通りの内容に、口元が綻んだ。今タクシーを降りたところだと返信してから、辺りを見回した。
 しばらくして、道路の向こう側に立つ塚本の姿が見えた。
 彼は左右を確認してからこちら側に渡ってくると、軽く駆けるようにして私の前までやって来た。

「お帰り」

 なんでもない彼のひと言にどきりとし、彼の笑顔にどぎまぎした。

「た、ただいま……」

 塚本はまぶしげ気に目を細め、拗ねたように言う。

「本当はもっと長く一緒にいられるはずだったのにな。タクシーで帰るってメッセージが来た時は、残念だなって思ったよ」

 しかしすぐに彼は表情を柔らかく変えて笑う。

「でも、こうやって少しでも会えて良かった」

 塚本はさらに何か言いたそうだったが、結局なんの言葉も発することなく、名残惜しそうにのろのろと私に背を向けた。

「じゃあ、また」

 彼は肩越しに言って立ち去ろうとしたが、それを私は引き留めた。

「待って」

 塚本は立ち止まり、私に向き直った。

「うん?」
  
 彼は笑みを浮かべて、その先を促すように私を見つめている。
 その視線を受けて、急に緊張してきた。私は彼から目を逸らして、自分の足元を見た。

「あのね、食事、行かない?」
「あれ?嫌なんじゃなかったの?」

 私に問う彼の言葉には、からかうような響きが紛れていた。
 私はもじもじしながら小声で答える。

「嫌だったわけじゃないわ。でも、もうそのつもりがなくなったのなら、別に行かなくてもいいけど……」
「誰がそのつもりがなくなったって?」

 塚本はくすりと笑う。

「行こう。食事」
「え?いいの?」

 言い出したのは自分なのに、つい聞き返してしまった。
 そんな私に塚本は苦笑して、恨みがましい目をする。

「だってそもそも今日は、本当なら俺とデートする約束だったんだよ」
「ごめんなさい。だって……」

 弁解しようとする私を彼は止める。

「責めたつもりはなかったんだ。ごめん。さて、どこに行こうか?でもその前に、もし着替えるんだったら、俺、待ってるよ」

 言ってから塚本は改めて私を、正確には私が着ていた洋服を眺める。

「そのワンピース、もしかしてこの前、俺と初めて食事に行った時に着ていたやつ?」
「え?う、うん」

 覚えていてくれたことが嬉しいような、恥ずかしいような、少し複雑な気持ちになる。

「それと、そのピアスも、この前つけてたやつかな?でも、片方がないみたいだけど、どうしたの?落とした?」
「えっ?」

 塚本に言われて初めて気がついた。慌てて右の耳たぶを指先で確かめたが、ない。ものすごく高価だったわけではないが、自分なりに頑張って買ったダイヤのピアスだった。
 自分で思うよりもがっかりした顔をしたのだろう。塚本が気遣うような声で私に訊ねる。

「どこに落としたか、場所に心当たりは?」
「うぅん……」

 私は自分のこれまでの行動を振り返った。ホテルに着いた時には両方あった。タクシーを降りてホテルに入る前に、ガラスを鏡代わりにして髪をさっと整えたのだが、その時ついでに両耳にピアスがあることを確かめている。

「それなら、ホテルとタクシー会社に電話してみたら?」
「すごく小さいものだから、きっと見つかりっこないわ。それに、タクシー会社は覚えていないし」
「なら、せめてホテルだけにでも、ひとまず電話してみるとか」

 塚本のせっかくの提案だったが、私は首を横に振る。

「ありがとう。でも、いいの。ピアスのことはもう気にしないで」
「遠野さんがそれでいいなら、いいけど……」

 ピアスの紛失のことを私以上に気にかけてくれている塚本に、なんだか申し訳ないような気持ちになる。この話はこれで終わりにしようと、私は笑顔を作って話題を変える。

「ね、それより、晩御飯はどこに行こうか。でもやっぱりその前に、着替えてきてもいい?私だけこの格好じゃあ、浮いちゃうから」
「全然構わないよ。だけど」
 
 そこで言葉を切って、塚本は私をじっと見つめる。

「その服の遠野さんをもっと見ていたいような気もするな。この前も思ったけど、すごく素敵だよ」
「え……」

 彼の甘い眼差しにどきりとする。リップサービスに違いないと思いながらも、鼓動が速くなる。照れ隠しに笑いながら、私は彼にさらりと返す。

「やだな、何を言い出すのかと思ったら、そんな嬉しがらせは恥ずかしいからやめて。えぇと、とにかく、待たせて申し訳ないけど、部屋に戻って着替えてきます」
「ゆっくりどうぞ。俺は車の中で待ってる」
「車?」

 どうしてわざわざ、と疑問に思った。私と彼のマンションは車を使うほど離れていないのだ。
 不思議な顔をする私に、塚本は照れたように笑う。

「もし遠野さんの気が変わったら車でどこかに、と思ってさ。それで一応ね」
「もし私の気が変わらなかったらどうしたの?」

 私の質問に、塚本は澄ました顔を見せた。

「その時はその時で、そのまま家に帰っただけだよ。とにかく着替えが終わったら連絡して。ここまで車を移動させて来る」
「私が行くよ。そこの公園に停めてるんでしょ?」
「うん。だけど、俺がこっちに来た方が早いでしょ?せっかくデートできることになったんだ、時間は有効に使わないとね」

 決定事項のように言う塚本に苦笑しつつ、私は頷く。 
 
「分かったわ。後でということで」

 私たちはそこで別れ、それぞれの行く先へと足を向けた。
 部屋に戻った私は、着ていたワンピースを手早く脱いで、改めて何を着ようか考える。急遽、塚本との約束の履行、つまり食事という形でのデートをすることになったが、気合が入っていると思われるような格好はしたくない。
 塚本がカジュアルな装いだったことを思い出しながら、私はクローゼットの中を眺めた。しばし頭の中でシミュレーションした結果、ボードネックのカットソーにフリルスカートという組み合わせに決めた。
 ピアスは外した。襟元は寂しく見えないように、ダイヤのネックレスを着けたままにしておく。髪とメイクを手早く直して、もう一度全身を鏡に映して確認してから、私は塚本に連絡を入れた。返信を待たずに一階に降りていき、エントランスの前に出て、公園側に目をやった。
 塚本の車がやってくるのを待つ間、私の心臓はずっとどきどきしていた。
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