Wavering Heart ~ 元同級生は別人級に甘すぎる ~

芙月みひろ

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37.甘く広がるのは

 向かった先の店内はテーブル席がいっぱいだったため、私たちはカウンター席に案内された。
 隣り合って座ることに一瞬躊躇したが、他に空いている席はなかった。私は緊張しながら椅子に腰を下ろした。しかし実際に座ってみると、それなりに間隔が空いている。そのことにほっとしてから、隣の塚本のことを明らかに意識している自分にこっそりと苦笑した。
 私の表情に気がついて、塚本は一瞬怪訝な顔をした。しかしそれについて問うてくることはなく、彼は早速目の前に立てられたメニューを取って、私に見せる。

「何食べる?」
「えぇと、そうねぇ……」

 何にしようかメニューを眺めながら、佐山とのラウンジでの時間を思い出した。塚本ならばまずは私に訊ねるだろうと思ったが、やっぱり思った通りだったと嬉しくなる。
 互いに食べたい物が決まり、私たちの注文を受けて店員が去ってから、塚本がくすくす笑いながら言う。

「普通さ。デートって言ったら、女の人って、イタリアンとか、なんかおしゃれな店に行きたがるものなんじゃないの?」

 私は湯呑茶碗で出されたお茶を一口飲んでから、ふうっと息を吐き出す。
 
「私、ちゃんと『デート』ってしたことがないから分からないけど、なんだか今日は、どうしてもとんかつを食べたいような気分だったの。お見合いでエネルギーを消耗しちゃったかな」

 「お見合い」の単語に、塚本の眉がぴくりと動いた。

「それで、どうだったの?お見合いは」
「あぁ、うん……」

 見合い相手に対して抱いた不快感を思い出してしまい、口元に苦い笑いが浮かぶ。

「普通にいい人ではあった。私とは合わない人だと思ったけどね」
「そう」
 
 塚本は短く相槌を打った。言いたいことを飲み込んでいるような顔つきで私を見つめている。
 彼が何を訊きたいと思っているか、すぐに察した。どうやら今のは言葉足らずだったようだ。

「前にも言ったと思うけど……。後で断りの電話をかけるの」
 
 付け加えた私の言葉を聞いて、塚本の顔に安堵の表情が浮かんだ。

「ということは、このまま俺とお試し交際を続けるっていうことで、いいんだよね」

 私はどきりとした。すでに自分の気持ちの確認は済んでいた。だから、私がそのことを伝えれば、すぐにも本当の交際に転じるだろう。ただ、がやがやとしたこの場所で、「実は」と切り出すのもどうかと思った。そのうちに改めて伝えることにして、今はとりあえず曖昧な言い方で返しておく。

「そういうことに、なるのかな」

 そこに注文の品が運ばれてきた。
 私は早速箸を手に取る。

「とんかつなんて久しぶり」
「俺もだよ。これ、結構ボリュームあるけど全部食べられるの?」
「全然平気よ。温かいうちに頂きましょ」

 皿の上の料理に箸をつけながら、今さらではあるが、少しだけ後悔していた。
 塚本が言っていたように、パスタだとかピザだとか、そういった店に行けば良かっただろうか。しかし、今夜の私の胃は多分、それでは物足りなかっただろう。
 私より先に食べ終えた塚本は、満足そうな顔でお茶を飲んでいる。湯呑茶碗をテーブルの上にことりと置き、私の皿の上にちらりと目を走らせる。

「全部食べきれそう?」
「大丈夫。あ、でも、まだ少しかかると思うんだけど、いい?」
「いいも何も、ゆっくり食べて。時間は気にしなくていいよ」
「うん。ありがとう」

 私は再び食事に取り掛かる。最後の一切れを胃に納め終えて、箸を置く。お茶を飲んでふうっとひと息ついた所に、塚本のくすくす笑いが聞こえてきた。湯呑をテーブルの上に戻して彼に訊ねる。

「何?」
「いや、美味しそうに食べる人だな、と思ってさ」
「え、そうかな?別に普通でしょ」 

 食いしん坊だと思われたとしたら、ちょっと恥ずかしい。

「ところでデザートはどうする?何か頼む?」
「もうお腹いっぱいだからいらないわ」
「それなら、出ようか。お茶が少し残ってるみたいだけど、飲まなくていい?」
「あ、飲んで行こうかな」

 私は湯呑に残っていたお茶をこくこくと飲み干した。

「お待たせしました」
「どういたしまして。今夜は俺が払うからね」
「そんなの悪いから、割り勘にしましょ」
「面倒だから、次回、何かご馳走してくれればいいよ。あ、でも」

 何か名案を思いついたかのように、塚本はにやりと笑う。

「例えばだけど、もしデートの度に外食するのはちょっとな、っていうんなら、たまに俺、何か料理しようか。ウチに来てもらったりしてさ。あ……」

 つい口が滑ってしまったとでもいうような顔をして、塚本は気まずそうに笑う。

「部屋の行き来なんか、まだまだずっと先だよね」
「……いいよ」

 私は小声でぼそりと言った。
 塚本が息を飲んだのが分かった。

「えっ、えぇと、俺の聞き間違えかな。今、いいよって聞こえたような気がするんだけど……」
「うん、そう言った」
「えぇと、それっていうのは……」

 彼が言葉を続けようとした時、店の出入り口の方で賑やかな声がした。新たな客が入ってきたのだ。
 塚本は苦笑しながらその一団を横目で見て、私を促す。

「とりあえず、ここは出ようか」

 私は頷き、塚本の後に続いて立ち上がった。
 会計を済ませてレジの脇を通り過ぎる時、案内を待つ例の一行の中にいた一人の女性とぶつかりそうになった。
 私がそれを避けようとするよりも早く、塚本の手が私の肩をぐいっと引いて回避させてくれた。
 私はどきどきしながら彼に礼を言う。

「あ、ありがとう」
「礼を言われるほどのことじゃないよ。さ、行こうか」

 さらりと言いながら塚本は歩き出し、ドアを開けようとしたが、途端にはっとした顔になった。私の肩から手を離し、急いで距離を取る。

「ごめん。つい……」
「うぅん、大丈夫」

 塚本につられて、私までもが照れてしまった。
 彼は気まずそうに笑いつつ、改めてドアを開ける。

「はい、どうぞ」 
「ありがとう」

 おずおずと礼を言い、私は彼の前を通って外に出た。
 やや遅れて出てきた彼は私の数歩先を歩き、駐車場に止めた車に向かう。
 私はその後を追いながら、彼の手が触れた肩先をそっと指でなぞった。
 彼に触れられて嫌じゃなかった。嫌悪感など微塵もなく、それどころか、その余韻なのか、私の胸は甘く疼いていた。彼との距離が今までで一番狭まった時に、爽やかな香りが鼻先をかすめたことを思い出して、私の鼓動はいつやむともなく胸の内で響いていた。
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