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43.その”とき”
店の外に出た私は、束の間その場に佇んでいた。
とうとう塚本に告白しようという気持ちになったというのに、どう切り出そうか、どう伝えようかと考え始めたら、怖気づいてしまったのだ。
彼とは明後日の日曜日に会う約束をしている。落ち着いて話すには、その時まで待った方がいいだろうかと迷う。けれど先延ばしにすればするだけ、今よりももっと言い出しにくくなるような気もした。彼の誤解も早く解きたい。だから今度こそ、と私は覚悟を決める。
「あのね、話したいことがあるの。次のバスが来るまでの間、少し、いいかな?」
塚本の表情が強張ったように見えたが、それも一瞬のことで、彼の顔には柔らかな笑みが浮かんでいる。
「いいよ。それなら、あそこにでも行こうか。ベンチがあるし、バス停までも近い」
塚本が示したのは、この街の歴史的建造物のある広場だった。この時間帯であっても灯りのおかげで明るい。
「そうね。そうしましょうか」
私たちは、どちらからともなくゆっくりと歩き出した。
広場に近づくにつれて、私の胸はどきどきとますますうるさくなっていく。落ち着け落ち着けと、何度も自分に言い聞かせた。そのことに気を取られていたせいで、前方からやって来た自転車に気づくのが遅れる。
「ほら、遠野さん、こっちだよ」
塚本が焦った声を上げながら、私の腕を引っ張った。
その後すぐに、私の傍を自転車が走り抜けて行った。
「ご、ごめん、ありがとう」
私は礼を言って彼から離れようとした。
ところが、塚本の指が私の指にするりと絡みついた。きゅっと握る感触に息を飲み、どきどきしながら見上げた彼は、私を見て微笑んでいた。
「恋人なら手を繋いだって構わないよね。まぁ、それも、そろそろ終わりなのかもしれないけど」
自嘲気味に言って、彼は私の手を引いて再び歩き出した。
彼の隣を歩きながら、後半の彼の言葉が気になっていた。誤解が誤解を生んでいるような気がしてならず、私はおずおずと訊ねる。
「ねぇ。そろそろ終わりって、どういう意味?」
「改まって話があるって言われた時から、覚悟はできてる。だけど、その言葉を聞くまでのほんの短い間だけでいいから、君とこうやって手を繋いで歩いてみたいと思ったんだ。あの時、見合い相手から、好きな人がいるのかって聞かれた時、遠野さんは何も答えなかった。否定しなかったということは、つまり、そういうことだろ?」
「そういうことって?」
戸惑う私に彼は悲しそうな目を向ける。
「だって、好きな人ができたんでしょ?そもそも、俺が無理やり頼み込んで付き合ってもらったわけで、だから、俺との恋人ごっこはもう終わりにしてくれて構わないよ。だけど、せめてバスに乗るまでのもう少しの間だけでいい。俺を遠野さんの恋人でいさせてほしい」
「待って。何を言っているの……?」
やはり彼は誤解していた。もっと早く気持ちを伝えれば良かったと、自分を責めたくなった。私は彼の手をきゅっと握り返す。
「それは違うから」
「違う?」
「えぇ。誤解だから」
私は立ち止まり、彼の顔をのぞき込みながら告げる。
「好きな人がいるのは本当のことだけど、それは、あなたのことだから」
「あなたのこと……」
ぼんやりと私の言葉を繰り返していた塚本の目が、大きく見開かれた。
「えっ、今のは本当?俺の聞き間違えじゃなくて?」
塚本にじいっと見つめられて、恥ずかしくなる。私はもじもじしながらこくんと頷いた。
「私、塚本さんのこと、ちゃんと好きみたい」
「好きみたい?好き、じゃなくて?」
訊き返す塚本の言葉の中に、意地悪な響きがにじんでいるように感じたのは、たぶん気のせいではないだろう。
「遠野さんの気持ち、もう一回はっきり言って?」
「も、もう一回?」
塚本は首を縦に振る。
「だって、ちゃんと聞きたいじゃないか。好きな人に自分を好きだと言ってもらえるなんて、すごいことなんだから。だから、お願い」
甘い声で言われ、甘い眼差しを向けられて、拒否できなかった。私は唇を湿らせ、改めてその言葉を舌に乗せる。
「……好きです。塚本さんのこと」
「聞こえなかったな」
わざとらしく言い、塚本は私の口元に耳を寄せた。
「嘘ばっかり!絶対ちゃんと聞こえたはずよ」
「あはは。ごめんごめん。何回でも聞きたいって思っちゃって」
塚本は笑いながら体を起こしかけたが、その動きが途中で止まった。
どうしたのと訊ねようとした瞬間、唇に柔らかな感触があった。驚いた私の目の前に塚本の顔があって、さらに驚く。
「なっ……」
「本当に恋人になったんだなと思ったらなんだか感無量で、我慢できなかったんだ。……嫌だった?」
しゅんとした顔で言われたら、怒るに怒れなくなる。
「べ、別に嫌だったわけじゃなくて、驚いただけだから……」
「本当に?」
念を押す塚本に私は首を縦に振る。
「ほ、本当に」
「じゃあ、もう一回キスしていい?」
「えっ」
私はうろたえた。いくら暗くて分かりにくいとはいえ、ここは外だ。私の感覚では無しである。
「だ、だめ」
私は短く拒否の言葉を告げた。
「遠野さんはそう言うと思ってたけどね」
塚本は諦めたように笑いながら、私の手をそっと握り直す。
「ところで、ベンチに座る間もなく、そろそろバス時間になるんだけど、どうする?俺としては、まだまだ遠野さんと一緒にいたい。だけど」
彼は残念そうに続ける。
「今日は帰るとするか。実は明日、仕事なんだよ」
「そうだったの?それなら私と晩ご飯なんてしなくても良かったのに」
「俺には、遠野さんと一緒にいる時間の方が大事だから」
流し目で言われてどきりとしたが、嬉しくもあった。ここで「私も」と返せばいいのだろうが、照れ臭い気持ちが先に立ってしまい、頷いただけで終わってしまう。
しかしそんなことは気にした風でもなく、塚本は元来た道へと私を促す。
「戻るとしますか」
「えぇ、そうね」
私の傍にぴたりと寄り添う彼の横顔はひどく満足そうで、バス停に向かうその間も彼は私の手を離さなかった。
とうとう塚本に告白しようという気持ちになったというのに、どう切り出そうか、どう伝えようかと考え始めたら、怖気づいてしまったのだ。
彼とは明後日の日曜日に会う約束をしている。落ち着いて話すには、その時まで待った方がいいだろうかと迷う。けれど先延ばしにすればするだけ、今よりももっと言い出しにくくなるような気もした。彼の誤解も早く解きたい。だから今度こそ、と私は覚悟を決める。
「あのね、話したいことがあるの。次のバスが来るまでの間、少し、いいかな?」
塚本の表情が強張ったように見えたが、それも一瞬のことで、彼の顔には柔らかな笑みが浮かんでいる。
「いいよ。それなら、あそこにでも行こうか。ベンチがあるし、バス停までも近い」
塚本が示したのは、この街の歴史的建造物のある広場だった。この時間帯であっても灯りのおかげで明るい。
「そうね。そうしましょうか」
私たちは、どちらからともなくゆっくりと歩き出した。
広場に近づくにつれて、私の胸はどきどきとますますうるさくなっていく。落ち着け落ち着けと、何度も自分に言い聞かせた。そのことに気を取られていたせいで、前方からやって来た自転車に気づくのが遅れる。
「ほら、遠野さん、こっちだよ」
塚本が焦った声を上げながら、私の腕を引っ張った。
その後すぐに、私の傍を自転車が走り抜けて行った。
「ご、ごめん、ありがとう」
私は礼を言って彼から離れようとした。
ところが、塚本の指が私の指にするりと絡みついた。きゅっと握る感触に息を飲み、どきどきしながら見上げた彼は、私を見て微笑んでいた。
「恋人なら手を繋いだって構わないよね。まぁ、それも、そろそろ終わりなのかもしれないけど」
自嘲気味に言って、彼は私の手を引いて再び歩き出した。
彼の隣を歩きながら、後半の彼の言葉が気になっていた。誤解が誤解を生んでいるような気がしてならず、私はおずおずと訊ねる。
「ねぇ。そろそろ終わりって、どういう意味?」
「改まって話があるって言われた時から、覚悟はできてる。だけど、その言葉を聞くまでのほんの短い間だけでいいから、君とこうやって手を繋いで歩いてみたいと思ったんだ。あの時、見合い相手から、好きな人がいるのかって聞かれた時、遠野さんは何も答えなかった。否定しなかったということは、つまり、そういうことだろ?」
「そういうことって?」
戸惑う私に彼は悲しそうな目を向ける。
「だって、好きな人ができたんでしょ?そもそも、俺が無理やり頼み込んで付き合ってもらったわけで、だから、俺との恋人ごっこはもう終わりにしてくれて構わないよ。だけど、せめてバスに乗るまでのもう少しの間だけでいい。俺を遠野さんの恋人でいさせてほしい」
「待って。何を言っているの……?」
やはり彼は誤解していた。もっと早く気持ちを伝えれば良かったと、自分を責めたくなった。私は彼の手をきゅっと握り返す。
「それは違うから」
「違う?」
「えぇ。誤解だから」
私は立ち止まり、彼の顔をのぞき込みながら告げる。
「好きな人がいるのは本当のことだけど、それは、あなたのことだから」
「あなたのこと……」
ぼんやりと私の言葉を繰り返していた塚本の目が、大きく見開かれた。
「えっ、今のは本当?俺の聞き間違えじゃなくて?」
塚本にじいっと見つめられて、恥ずかしくなる。私はもじもじしながらこくんと頷いた。
「私、塚本さんのこと、ちゃんと好きみたい」
「好きみたい?好き、じゃなくて?」
訊き返す塚本の言葉の中に、意地悪な響きがにじんでいるように感じたのは、たぶん気のせいではないだろう。
「遠野さんの気持ち、もう一回はっきり言って?」
「も、もう一回?」
塚本は首を縦に振る。
「だって、ちゃんと聞きたいじゃないか。好きな人に自分を好きだと言ってもらえるなんて、すごいことなんだから。だから、お願い」
甘い声で言われ、甘い眼差しを向けられて、拒否できなかった。私は唇を湿らせ、改めてその言葉を舌に乗せる。
「……好きです。塚本さんのこと」
「聞こえなかったな」
わざとらしく言い、塚本は私の口元に耳を寄せた。
「嘘ばっかり!絶対ちゃんと聞こえたはずよ」
「あはは。ごめんごめん。何回でも聞きたいって思っちゃって」
塚本は笑いながら体を起こしかけたが、その動きが途中で止まった。
どうしたのと訊ねようとした瞬間、唇に柔らかな感触があった。驚いた私の目の前に塚本の顔があって、さらに驚く。
「なっ……」
「本当に恋人になったんだなと思ったらなんだか感無量で、我慢できなかったんだ。……嫌だった?」
しゅんとした顔で言われたら、怒るに怒れなくなる。
「べ、別に嫌だったわけじゃなくて、驚いただけだから……」
「本当に?」
念を押す塚本に私は首を縦に振る。
「ほ、本当に」
「じゃあ、もう一回キスしていい?」
「えっ」
私はうろたえた。いくら暗くて分かりにくいとはいえ、ここは外だ。私の感覚では無しである。
「だ、だめ」
私は短く拒否の言葉を告げた。
「遠野さんはそう言うと思ってたけどね」
塚本は諦めたように笑いながら、私の手をそっと握り直す。
「ところで、ベンチに座る間もなく、そろそろバス時間になるんだけど、どうする?俺としては、まだまだ遠野さんと一緒にいたい。だけど」
彼は残念そうに続ける。
「今日は帰るとするか。実は明日、仕事なんだよ」
「そうだったの?それなら私と晩ご飯なんてしなくても良かったのに」
「俺には、遠野さんと一緒にいる時間の方が大事だから」
流し目で言われてどきりとしたが、嬉しくもあった。ここで「私も」と返せばいいのだろうが、照れ臭い気持ちが先に立ってしまい、頷いただけで終わってしまう。
しかしそんなことは気にした風でもなく、塚本は元来た道へと私を促す。
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