Wavering Heart ~ 元同級生は別人級に甘すぎる ~

芙月みひろ

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46.恋人の距離感

 塚本に促されるがまま、ソファに腰を下ろした私だったが、そわそわと落ち着かなかった。まだ胸がどきどきしている。今日はもう帰ろうかしらと立ち上がりかけた時、塚本がトレイを持って戻ってきた。
 彼はテーブルの上にトレイを置き、不思議そうな顔をする。

「どうしたの?」
「あ、いえ、やっぱりそろそろ帰ろうかな、って……」
「えっ、もう?」

 塚本は戸惑った顔をした。

「この前約束した時、今日は空いているって言ってたと思うんだけど、何か急用でもできたの?」
「え、えぇと、まぁ、そんな感じ……」

 彼は口ごもる私をじっと見つめていたが、ふっとため息をついた。

「うそだね」

 その表情はどこか悲しそうだ。

「今日のこの数時間、俺と一緒にいてみて、やっぱり違う、とか思った?好きだと思ったのは勘違いだった、とか……」
「え?全然違うわ」
「じゃあ、どうして、もう帰るなんて言うの」
 
 塚本は拗ねた顔をして、私の隣に腰を下ろした。
 仕方なく再び座り直した私はソファの端の方に体をずらし、もじもじと答える。

「だって、緊張するんだもの」
「緊張?」
「塚本さんといると、どきどきして落ち着かないの。だから、今日はいったん帰ろうって思って……」

 すると塚本は嬉しそうに笑い出した。

「なんだ、そうか。そういうことか。あぁ、良かった。早速嫌われたかと思ったよ」
「嫌いになったりしないわ」

 私の言葉を聞いた塚本は笑いを収め、声をひそめて囁く。

「それなら、もう少し一緒にいてくれる?」

 彼の声が耳に甘く届く。それに抵抗できず、私はこくんと頷いた。

「よし、じゃ。映画見よっか。遠野さんが買って来てくれたこのぶどうだけど、さっき一つ食べてみたら、すごくうまかった」
「それは良かったわ」

 彼はぶどうを一粒取って、私の口の前に差し出す。

「遠野さんもどうぞ」

 彼の行動にどぎまぎして、私は体を後ろに引く。

「じ、自分で食べるから、大丈夫よ」

 しかし、彼が手を引っ込める様子はない。

「こういうこと、やってみたかったんだよね。彼女に食べさせてあげるっていうやつ」
「い、一般的にはその逆なんじゃないの?」
「もちろんそれもやってみたいよ。でもまずは、俺が遠野さんにやってあげたいの。それに、そうでもしないと、遠慮して手を出さなさそうだから。ほら、もう観念して口開けて」

 ぶどうで唇をちょんっとつつかれて、私は苦笑しながら軽く口を開けた。一口では無理な大きさだから、少しだけかじりとった。
 もぐもぐと口を動かす私を見て、彼は満足そうに言う。

「ね?うまいでしょ?」

 ごくんと飲み込み、私は首を縦に振る。

「うん、ほんと。瑞々しくて美味しいわ。あ、その残った分、ちょうだい。後は自分で食べるから」

 私はぶどうをもらおうと手の平を見せた。
 しかし、その黄緑色の粒はまだ彼の指先にある。

「俺が食べさせてあげるって言ったじゃないか。はい、もう一回口開けて」
「本当に、もういいから!」

 と言って口が開いたところに、ぶどうが飛び込んできた。結局塚本の手から食べてしまい、私は苦笑する。

「……ご馳走様でした」

 塚本はくすっと笑う。

「どういたしまして。まだあるから、もっと食べてね。……あれ、なんかついてる」
「え?どこに?」

 私は手で自分の顔を探ろうとした。
 ところがそれよりも早く塚本の腕が伸び、彼の指が私の唇の上をすっと撫でた。

「っ……」

 動きも表情も固まってしまった私の前で、塚本は自分の指先を舌先でぺろりとなめる。

「ん、甘い。ぶどうの味だ」

 礼を言うべきか、それとも文句を言うべきかと迷った。結局、言葉を失って瞬きばかりを繰り返していると、彼がじりっと近づいてきた。

「な、何?」

 私は彼から距離を取ろうとした。しかし、ソファにはアームがあって、これ以上彼から離れることができない。
 息を詰めたままの私に、彼はぼそりと言う。

「ごめん。だめかも」
「な、なにが?」
「遠野さんが色々初めてなのは分かってるけど、今、ものすごくキスしたい」
「え……」
「だめかな?」
「っ……」

 色っぽく潤んだ目をして囁かれ、めまいが起きそうになった。視界一杯に広がる彼の瞳をそっと見つめ返して、私は小声で答えた。

「キス、だけなら……」

 彼の顔には、たちまちに嬉しそうな笑みが広がった。

「好きだよ」

 彼の手が私の顔に優しく触れた。
 私の胸は、息苦しいほどに高鳴っている。
 彼の顔が間近に迫ってきた。
 私はどきどきしながら目を閉じた。唇に柔らかな熱を感じたのはそれからすぐのこと。私は息を止めてその熱を受け止めた。
 どれくらいの時間が過ぎたのだろう。彼の唇がなかなか離れないことを疑問に思い始めた。この前のキスよりも長いような気がする。今の状況を確かめようと思って薄目を開けてみたが、彼の目はまだ閉じられていた。  
 それに倣って私も再び目を閉じはしたが、実はもう息が苦しい。彼の胸を押してキスから逃れ、はぁっと肩で息をついた。

「大丈夫?」

 私を気遣う塚本の声がした。

「息ができなくなって……」

 私は胸を抑えて答えた。

「鼻で息していいんだよ」

 彼はくすっと笑ってこんなことを言う。

「じゃあ、練習してみようか」
「れ、練習?!」

 これで終わりだと思っていたのに、私の唇は再び塚本に塞がれた。

「ん……」

 塚本の口づけを再び受け入れた途端、あっという間に彼のペースに引き込まれてしまった。彼のリードでキスの合間の呼吸がだいぶ楽になる一方で、彼の口づけは濃厚さを増すばかりだった。おかげで私の体からは力が抜け、がくんと後ろに倒れそうになった。それに気づいた塚本の手が、慌てて私の背中と頭を支える。

「ごめん、やりすぎた。大丈夫?」

 心配そうな顔を見せる彼に、私はまだ荒い呼吸のまま、途切れ途切れに文句を言う。

「ぜ、全然、大丈夫じゃ、ない」
「ごめんね」

 彼は謝りながら、私が体を起こすのを手伝ってくれた。

「ありがとう」

 ぼそぼそとした声で礼を言い、身なりを整えながら、私は彼から離れようとした。けれどもう、移動できる隙間は残っていない。

「遠野さんの定位置はここだよ」

 言いながら塚本は私の肩をくいっと引っ張った。
 その弾みで塚本にもたれかかる格好になる。

「えっ、ちょ、ちょっと待って」
「恋人同士の距離はこれくらいなんだよ」

 しれっとした顔で言う彼に私はため息をつき、皮肉を込めて返す。

「さすが恋愛経験者は違うわね」
「まぁね」

 塚本は愉快そうに笑ったが、すぐに真顔になって言う。

「次は外で会おうね」
「それはもちろんいいけど」

 不思議な顔をする私に、彼は視線を流してよこす。

「次回、部屋で会ったらこれで終わらない気がするんだよね」
「っ……!」

 私の顔が熱を持った。「これで終わらない」の意味は、これまで恋人がいたことのない私にも分かる。密着した部分から伝わってくる彼の体温がますます意識されて、私の心臓は今にも破裂しそうなくらいどきどきと高鳴っていた。
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