優しい君に恋をする~この関係、気にしないではいられない、だけど、それでも

芙月みひろ

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4.もっと知りたい

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 理玖の家庭教師を始めてから半年近くがたった。今では、私たちの間に初めの頃のようなぎこちなさや堅苦しさはなく、休憩時には他愛のない雑談などを交わすようになっている。そして春に進級した私たちは、私が大学四年生、理玖は高校二年生になっていた。

「理玖君、こんにちは。今日は何からやる?期末テストの対策する?」

 友恵の案内で理玖の部屋に入った私は、親しい口調で話しかけながら彼の隣の椅子に腰を下ろした。

「今日はまず、数学の宿題からやろうと思ってた。その後は英語の復習したいんだ。この週末に、いきなり英語の小テストだってさ。あ、でも、期末の範囲にも入れる予定だって、先生言ってたな」
「そうなのね。じゃあ、まずは宿題からやろうか」
「うん」

 理玖は机の上に宿題を広げる。時折私に質問をしては疑問を解消し、次々と問題を解いていった。その後は英語に取り掛かり、基本的な構文や英単語を見直していった。
 最後に確認の意味で、即席の簡単な問題を口頭で出してみることにした。
 時々考え込む様子を見せながらも、理玖はすべて間違えることなく解答した。

「ちゃんと頭に入っているみたい。これなら小テストだけじゃなく、期末テストもきっと大丈夫ね。その調子で頑張りましょ」
 
 励ますように彼に笑顔で言ってから、ふとあることが気になる。 

「ところで英語と数学以外は大丈夫?」
「大丈夫だと思う。先生が来てからこないだの中間まで、結局赤点は取らなかったの、知ってるでしょ?」
「そう言えばそうだったわね」

 私が理玖の家庭教師を始めて最初の定期テストは、三学期の期末テストだった。思っていたほどひどい成績というわけではなかった。その前の二学期には赤点ぎりぎりの成績だったと聞いていた英語と数学も、想像していたよりは良かった。こつこつと勉強を重ねてきた今なら、もっと頑張れるかもしれないと実は期待している。

「前回の中間の結果を見て思ったんだけど、理玖君ならもっとできる気がするのよね。どうせなら塾にでも通った方が、もっと成績が上がるんじゃないかしら」

 しかし理玖は私の意見をあっさりと受け流す。

「そんな必要ないよ。まど香先生がいるんだから」
「そう言ってもらえるのは光栄なんだけど、やっぱりプロみたいには教えられないから……」
「俺に教えるの、大変?」

 理玖が不安そうに表情を曇らせたのを見て、私は慌てた。

「大変だなんて、全然そんなことないわよ。むしろ、理玖君って、すごく理解が早いと思うの。だからこそ、プロの先生に教わった方がいいのかなって思ったから」

 理玖は私の方に体を向けて真顔で言う。

「まど香先生は、自分の教え方に自信がないみたいだけど、そんなことないよ。俺のペースに合わせてくれるから、すごく理解しやすいんだ。だからまだ、このままでお願いします」

 熱がこもった理玖の言葉に照れてしまう。

「理玖君がそれでいいなら……」
「これでいいの。だからもう余計なことは考えないで、まど香先生は俺に教えることだけに集中して」
「は、はい。分かりました」

 私は真面目な顔で頷いた。
 そんな私に微笑んでみせた後、理玖は壁の時計にちらりと目を走らせた。

「ちょっと休憩していい?」

 理玖は私に断りを入れて、机の端に置いた水のペットボトルに手を伸ばした。
 私もまた、マイボトルを手に取る。
 家庭教師でここに来始めた頃は、彼の母親の友恵が頃合いを見計らって、お茶やお菓子を毎回運んできてくれていた。しかし、それは早い段階で遠慮することにした。わざわざお茶を出してもらうのは申し訳ないと思ったことの他に、理玖の集中を中途半端に途切れさせない方がいいと考えたのだ。実際、彼自身のタイミングで休憩を入れた方が勉強ははかどるようだった。それからは今のスタイルで休憩を入れている。
 ボトルのお茶で口を湿らせながら、私は壁際の棚に並ぶ本の背表紙を眺めていた。そこには、星だの惑星だのという文字が見える。

 部活は天文部だとか言っていたな――。

 いつだったかの短い雑談を思い出したところに、理玖が話しかけてきた。

「まど香先生って、弟さんがいるんだっけ?」

 私はボトルのキャップを閉めて、彼の方に顔を向けた。

「うん。図体も態度も大きい二つ下の弟がいるわ」
「やっぱり大学生?」
「えぇ。私とは違う大学に行ってる」
「弟さんとは仲いいの?」
「そうねぇ、私は仲がいいと思ってるけどね」

 肩をすくめて苦笑する私に、理玖はため息をついて言った。

「いいなぁ、弟さん」

 私は目を瞬いて彼を見た。

「いいな、って何が?」
「だって、まど香先生がお姉さんなんだよ?弟さんが羨ましい」

 リップサービスだと分かってはいるが、理玖の言葉にくすぐったい気持ちになる。照れ隠しにぼやくように言う。 

「そんなことを言ってくれるのは、理玖君だけよ。うちの弟にぜひ聞かせてやりたいわ」
「まど香先生のプライベートの話が聞けて嬉しいな」
「え?」

 理玖はにこにこして私を見ている。

「まど香先生に勉強を見てもらうようになってから、もう半年くらいたつよね。それなのに、俺たちって互いのこと、あんまりよく知らないと思わない?先生のことで知っていることって言えば、美和ちゃんの中学からの友達で、桐青出身、今は大学四年生。他にやってるバイトはファーストフードの店員。今は就活中とかそれくらい?あ、後は、二つ下の弟さんがいるってことを今知った。他にもたくさん聞いてみたいことがあるよ。例えば、休みの日は何をして過ごしているのか、どんな本が好きなのか、好きな食べ物は何なのか、とか。とにかく、先生のことをもっと知りたい」

 理玖の言葉の中に、単なる好意以上の感情を感じ取って戸惑った。もしも私が彼と同年代の女子だったら、もしかしたら彼は自分に恋愛感情を抱いているのかしらと、うっかり勘違いしてしまいそうだ。しかし、そんなはずはないのだ。なぜなら私は理玖より五才も年上、互いに互いの恋愛対象にはなり得ない。だから今の言葉は単なる好奇心からのものなのだろうと思い直し、私は笑顔を作る。

「そんなに興味を持ってもらえてありがたいけど、私のプライベートなんてすごく地味よ。だから、高校生の理玖君が聞いて面白いような話なんてないと思うよ」

 この話はもう終わりとばかりに、私はボトルをカバンの中に仕舞い込む。

「さ、そろそろ休憩は終わりよ。期末に向けて勉強しないとね」

 ところが、理玖の中で話はまだ終わっていなかったようだ。

「待ってよ。せっかくだから、質問させて?」
「質問?」
「そう、先生のことで」
「そんなのはいいから、早く勉強しましょ」
「質問に答えてくれたらね」

 理玖は悪戯っぽい目をして、おもむろに口を開いた。

「先生ってつき合ってる人、いる?」
「えっ?」

 予想していなかった質問に困惑して、一瞬瞬きが止まる。
 私の固まった表情に理玖は苦笑した。

「そんなに驚くような質問だったかな」
「だって、そんなこと聞かれると思っていなかったから……」
「それで、どうなの?」
「そ、そういう超プライベートな質問は受け付けません」

 私はそそくさと理玖から視線を外す。

「休憩はもう終わり。次は数学をやるのよね?ところで期末の範囲はもう分かるんだったかしら」

 口を挟ませない勢いで、私は早口で言う。
 私が答えないことを残念に思ったらしく、理玖の口からため息がもれた。

「いる、いないも教えてくれないか……。ま、今の先生の反応で分かっちゃったけどね。まど香先生、彼氏いるんだね」

 理玖の残念そうな口ぶりが引っかかった。しかし私は無反応を装い、あえてキリリとした口調で彼に告げる。

「勉強を再開します」
「……はぁい」

 理玖はどこかつまらなそうな顔で、間延びした返事をした。

「返事は短く『はい』ね」
「はいはい」
 
 休憩前と比べて、彼のやる気が明らかに下降したのが分かった。

「気が乗らないんなら、今日はもうおしまいにしようか。私はそれでも構わないわよ」

 理玖が弾かれたように顔を上げた。

「でも、まだ時間があるよ」
「うん。そうなんだけど……。やる気がない人に教えても身にならないと思うから」

 言ってからはっとする。今の言い方はきつかった。すぐに謝ろうとしたが、口を開いたのは理玖の方が早かった。

「ごめんなさい。先生の言う通りだ。ちゃんとやるよ。だから、時間いっぱい勉強見てほしいです」

 理玖は神妙な面持ちで頭を下げる。
 私は確かめるように彼に訊ねた。

「大丈夫なのね?」
「うん、大丈夫です」
「……分かった。それなら、もう少し頑張ろうか」
「はい。お願いします」

 理玖の表情がほっとしたように緩んだ。

「それじゃあ、ここなんだけど……」

 理玖はワークを開き、その中のある箇所を指差した。少し前かがみの姿勢を取ったせいで、長めの前髪がはらりと額にかかる。そこにできた影が彼の横顔を大人びて見せた。
 毎週のように彼と顔を合わせるようになり、はや半年。その綺麗な顔立ちには相当慣れたはずだった。それなのに、心がざわざわと落ち着かなくなる。おまけに、私のプライベートに関心を寄せていた彼の言葉が思い出されて、その熱に当てられたかのように胸の奥がむずむずした。
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