ソルティ・ジェラート

芙月みひろ

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 ひとしきり静かに泣くと、わたしは涙と共に彼との思い出を振り払うように、ぱちぱちと何度か瞬きを繰り返した。


 そうしたら。


 クリアになった視界に、不思議なものが飛び込んできた。


 何?人形?


 イルミネーションで飾られたケヤキの木の枝、相当高い位置に人の姿らしきものを発見したのだ。


 時折目を瞬かせながらじいっと見つめていたら、それが動いた。


 えっ……。


 びっくりしてさらに目を凝らしたら、枝の上に座ってぶらぶらと足を揺らしている人の姿が見えた。


 本物の人間?まさか何かの作業中とか?あんな高い所に一人で?


 涙なんか、もうとっくに引っこんでしまっている。


 その正体が気になって気になって仕方がない。


 一体どうしてあんな場所に?


 ぐるぐると答えを探しながら、なおも見つめ続けていたら、どうやら相手も私に気がついたらしい。その体勢から、明らかにこちらを見下ろしていると分かった。


 まずい……。


 咄嗟に顔をそむけて、わたしはこの場から立ち去ろうと思った。


 が。


 すぐそばで声がした。


「僕のこと、見えるんだねぇ」


「えっ」


 驚きすぎて、わたしは手にしていたジェラートを危うく落っことしそうになった。


 ***


「ちょ、ちょっと、なに」


 何この男の子。あの高い所にいた人?どうやって降りて来たっていうの?


 わたしは体を後ろに引いて、警戒心丸出しでその男の子を見上げた。


 しかし彼は、自分を怪しむ視線など全然気にもせず、わたしの手元をじっと見ている。それから、にこっと笑って言った。


 この天使の笑顔は何なの……!


 一瞬見惚れてしまったのが失敗だった。


「それ美味しそうだね。一口ちょうだい」


 彼はそう言うと、わたしが了承してもいないのにジェラートを奪い取った。嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、上から二つ分のジェラートをぱくりと食べてしまった。


「あぁ、せっかく買ったのに!」


「美味しかったぁ。ごちそう様」 


 満足した顔で彼が返してよこしたジェラートは、トリプルからシングルへと姿を変えてしまっていた。


「ちょっと、君!一体なんなのよ!って、その背中の何なの?仮装パーティーか何かなの?」


「ん~?これは羽だよ。綺麗でしょ」


「うん、すごく綺麗。いや、そうじゃなくてっ」


 ***


 彼はきょとんとした顔でわたしを見た。


「僕は天使だもの。羽があるのは当然でしょ」


「はぁ?天使ですって?」


 わたしは目を丸くした。振られたことがショックすぎて、幻を見ているのだろうか。


「あ、信じてないね。ほら、こんなことができるよ」


 そう言って彼は優雅に羽を動かすと、わたしの頭の上より高い位置までふわりと浮かび上がった。 


 まるでマジックのような光景に呆気に取られていたが、わたしははっとして周りに目をやった。


 ――誰もこちらを気にしていない。いや、見えていないのか?ではホンモノ?


 そんな夢みたいなことを、すぐに信じられるわけがない。


 顔をしかめるわたしの前に、自称・天使はすとんと降り立った。


 改めて見ると、やたらときらびやかな巻き毛の男の子だ。背中の大きな翼が重たそうに見える。


「天使、ねぇ……」


 わたしは溶けかかっていた残りのジェラートをぺろりとひとなめした。ひんやりとした口当たりと優しい甘さを味わっているうちに、なんだか急に、まぁいいか、という気になってきた。嘘でも本当でも夢でもなんでも楽しい気分にさせてくれるのなら、この際だ。歓迎しよう。


 気を取り直したわたしは男の子に訊ねた。


「それじゃ、天使さん。どうしてこんなところにいるのか聞いてもいい?」


「空の上をぶらぶらしていたら、灯りがきらきらキレイだったから降りてきてみたんだよ。そしたら美味しそうなものを持った人、つまり君を見つけたから。一口頂こうかな、と」


 天使はへへっと笑った。


「天使にも食いしん坊な子がいるんだね」


 無邪気な笑顔につられてわたしも笑った。


 ***


「で、どうして泣いてたの?」


「え、それ聞く?まさか見てたの?」


 わたしは笑顔を引きつらせた。 


「言いたくないなら聞かないけど」 


 わたしはふうっとため息をついた。


「振られちゃったのよ、恋人に」


「へぇ、それは残念だったね」


「ずいぶん軽く言ってくれるわね」


 わたしはムッとして天使をにらんだ。


 けれど彼は全く気にしていない。


「だってそれは、別の出会いが待っている、ってことだもの」


「……そうなの?」


「そうだよ。これ、天使界の常識ね」


 天使は腰に手を当てて、得意げな顔をしている。


「天使界の常識、ねぇ……」


 そんな常識なんか知らないが、彼の様子が微笑ましくて、わたしの口からは笑い声がこぼれた。


「あ、そろそろ戻らないと怒られちゃう」


 急に天使はそわそわと落ち着かない様子となって、天を仰いだ。


「誰に怒られるの?」


「僕より偉い人に」


 彼は閉じていた翼を広げた。


「戻るよ。その食べ物、おいしかったよ。ありがとう」


「どういたしまして。あなたのおかげで少し元気になれたわ。わたしこそ、ありがとう」


「あ、そうだ。もしも気が向いたらさ、大きな白いクリスマスツリーを探してみてよね」


 そう言い残して、天使はふわっと浮かび上がる。


「大きな白いクリスマスツリー?すっごくざっくりした言い方ねぇ」


 枝の間を上へ上へと昇って行くその姿が見えなくなるまで、わたしはその場に突っ立って空を見上げていた。
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