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しおりを挟む目が覚めると、障子の向こうはもう明るくなっていた。
布団を片付け、寝間着から作業着に着替える。何時の間にか枕元に置いてあったのは、藍色の作務衣だ。これが制服という事だろう。
箪笥からタオルを出して肩にかけ、洗面用具を抱えた。相変わらず薄暗い廊下を歩き、あやさんの部屋の障子の陰から中を覗く。
「おや、直之、昨夜はよく眠れたかな?」
昨日と同じように、火鉢の前に座り、煙管を銜えている。あれ、と思い、時計を見ると、既に九時を過ぎていた。
「うわ! 俺、こんな時間まで寝て……!」
住み込みで働かせてもらっておきながら、主人よりも後に起きてきて、なんの世話もしないだなんて。解雇という文字が頭をぐるぐる回る。解雇までいかずとも、叱責されても仕方のないレベルのミスだ。手の平に汗が滲んでくる。脇の下には冷たい汗が流れ、手足が痺れた。なんとなく、息苦しくもある。全て、都会で働いていた間に癖になっている心と体の変化だ。
「いいさ。お前の好きな時に私の世話をやけばいい。『あやかし』は、人間と違って、時間に細かくないよ」
「え、でも……主よりも後からのんびり起きるなんて……」
「私は眠らないよ。先に起きるも後に起きるもない」
「は?」
「あやかしを、人間と同じだとは思わない事だ」
「……はぁ」
あやさんは、すました顔をしながら煙管を火鉢の縁でカンと鳴らした。吸い口を銜えてフウと息を入れる。火鉢に落としきれなかった灰が、火皿から噴き上がる。
(ああ~火鉢に入らずに、畳の上に灰が落ちちゃったよ。綺麗な顔してるのに、雑なんだよなぁ。昔から変わらないや)
後で火鉢の周りを掃除せねばと思いながら見ていると、煙管を片手で持ったまま抽斗から刻みを出し、火皿にぎゅっと詰めた。手慣れている。手慣れているし、器用にも見えるが、なんとも雑だ。火皿からはみ出して見えている刻みに、ハラハラする。あれに火がついたら、まずいのではないのかと。
こちらの気も知らずに、あやさんは五徳から鉄瓶を持ち上げて、煙管の雁首を無造作に突っ込んだ。突っ込みながら、息を拭き込んだりして、火をつけている。わかっている。慣れているのだ。妙に乱暴で、目が離せないけれども、いつも、そうして煙管をふかしているに違いないのだ。しかし、案の定、火皿からはみ出した刻みは普通にメラメラ燃えていて、こちらにまで焦げ臭い匂いが漂っている。あれでは、煙が美味しいわけがない。
「ん? 何?」
ずっと様子を見ていた俺に、あやさんが不思議そうな顔をする。まさか、貴方の雑さが気になりますとも言えず、曖昧に微笑んでおいた。
「とりあえず、顔を洗ってきます」
「ああ、そうだね。うちは洗面所がないから、台所か、おもての水道を使うといいよ」
「はい」
料理を作る台所で顔を洗うのは少し抵抗があったので、外の水道を使う事にした。土間に脱ぎっぱなしにしてあったスニーカーは、何時の間にか端の方に揃えられている。かわりに、昨日来た時にはなかった真新しい下駄が、自分を履けとばかりにど真ん中に居座っていた。
履いてみると、意外に快適だ。カコカコと鳴らしながら外へ出る。水道の横には、元々はそこから水を汲んでいたであろう井戸にコンクリートの蓋がしてある。洗面用具は、その上に置いた。
静かだ。ぐるりと周囲を見渡す。あやさんの家、恐ろしいほどに暗い竹藪。竹藪までは細い小道が続いていて、その両側に、手入れをしているのかわからない畑がある。ぶう、ん、と蜂が飛んでいた。
じゃこじゃこと歯磨きの音が響く。いつのまにか、あの猫が足元に来ていた。あやさんが飼っているのだろうか。毛艶もよいし、人に慣れているし、可愛がられているに違いない。
顔を洗って猫と一緒にあやさんの部屋に戻ると、先程と同じ格好のまま、ぷかぷかと煙管をふかしていた。
「おかえり」
「……あやさん、遅くなっちゃったけど、朝食は……」
「私は、食べないよ。お前が一人でおあがり」
「じゃあ、昼飯は何がいいですか?」
「食べない。私は基本、酒しか飲まない。あとは煙管をふかすだけ」
「えッ。それは……『あやかし』だから?」
「いいや? 単に、私が面倒臭がりだから」
「じゃあ食べなきゃだめですよ!」
上司にこんなに強気な発言をしたことなどない。自分の口から出た言葉に自分で驚いて、慌てて口を塞いだ。もう遅いけれど。
「食べなきゃだめ、か。懐かしい」
あやさんは静かに笑った。こんな顔は、今まで見た事がない。まるで、人間みたいな顔だった。
「何か作ってきます。食べられないものとかありますか?」
「多分、何でも平気だと思うけど……軽いものがいいな。粥にしてくれ」
「わかりました」
「それと、食事が終わったら、仕事の内容を確認しよう。村役場でまともな説明が出来たとも思えない。それから、直之、都会で何があった? その辺も詳しく聞かせてもらおう」
「…………ちゃんとお話しします」
「べつに、そんなに畏まらなくてもいいけどね」
ぺこりと頭をさげる。台所に向かいながら、何をどう話すべきか頭の中でまとめていく。
(俺は逃げたんだ)
握った手の平から、また大量の汗が滲んでいた。
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