あやかし様のお世話係

香月しを

文字の大きさ
3 / 8

しおりを挟む


 目が覚めると、障子の向こうはもう明るくなっていた。

 布団を片付け、寝間着から作業着に着替える。何時の間にか枕元に置いてあったのは、藍色の作務衣だ。これが制服という事だろう。
 箪笥からタオルを出して肩にかけ、洗面用具を抱えた。相変わらず薄暗い廊下を歩き、あやさんの部屋の障子の陰から中を覗く。

「おや、直之、昨夜はよく眠れたかな?」

 昨日と同じように、火鉢の前に座り、煙管を銜えている。あれ、と思い、時計を見ると、既に九時を過ぎていた。
「うわ! 俺、こんな時間まで寝て……!」
 住み込みで働かせてもらっておきながら、主人よりも後に起きてきて、なんの世話もしないだなんて。解雇という文字が頭をぐるぐる回る。解雇までいかずとも、叱責されても仕方のないレベルのミスだ。手の平に汗が滲んでくる。脇の下には冷たい汗が流れ、手足が痺れた。なんとなく、息苦しくもある。全て、都会で働いていた間に癖になっている心と体の変化だ。

「いいさ。お前の好きな時に私の世話をやけばいい。『あやかし』は、人間と違って、時間に細かくないよ」
「え、でも……主よりも後からのんびり起きるなんて……」
「私は眠らないよ。先に起きるも後に起きるもない」
「は?」
「あやかしを、人間と同じだとは思わない事だ」
「……はぁ」
 あやさんは、すました顔をしながら煙管を火鉢の縁でカンと鳴らした。吸い口を銜えてフウと息を入れる。火鉢に落としきれなかった灰が、火皿から噴き上がる。

(ああ~火鉢に入らずに、畳の上に灰が落ちちゃったよ。綺麗な顔してるのに、雑なんだよなぁ。昔から変わらないや)

 後で火鉢の周りを掃除せねばと思いながら見ていると、煙管を片手で持ったまま抽斗から刻みを出し、火皿にぎゅっと詰めた。手慣れている。手慣れているし、器用にも見えるが、なんとも雑だ。火皿からはみ出して見えている刻みに、ハラハラする。あれに火がついたら、まずいのではないのかと。
 こちらの気も知らずに、あやさんは五徳から鉄瓶を持ち上げて、煙管の雁首を無造作に突っ込んだ。突っ込みながら、息を拭き込んだりして、火をつけている。わかっている。慣れているのだ。妙に乱暴で、目が離せないけれども、いつも、そうして煙管をふかしているに違いないのだ。しかし、案の定、火皿からはみ出した刻みは普通にメラメラ燃えていて、こちらにまで焦げ臭い匂いが漂っている。あれでは、煙が美味しいわけがない。

「ん? 何?」

 ずっと様子を見ていた俺に、あやさんが不思議そうな顔をする。まさか、貴方の雑さが気になりますとも言えず、曖昧に微笑んでおいた。

「とりあえず、顔を洗ってきます」
「ああ、そうだね。うちは洗面所がないから、台所か、おもての水道を使うといいよ」
「はい」

 料理を作る台所で顔を洗うのは少し抵抗があったので、外の水道を使う事にした。土間に脱ぎっぱなしにしてあったスニーカーは、何時の間にか端の方に揃えられている。かわりに、昨日来た時にはなかった真新しい下駄が、自分を履けとばかりにど真ん中に居座っていた。
 履いてみると、意外に快適だ。カコカコと鳴らしながら外へ出る。水道の横には、元々はそこから水を汲んでいたであろう井戸にコンクリートの蓋がしてある。洗面用具は、その上に置いた。

 静かだ。ぐるりと周囲を見渡す。あやさんの家、恐ろしいほどに暗い竹藪。竹藪までは細い小道が続いていて、その両側に、手入れをしているのかわからない畑がある。ぶう、ん、と蜂が飛んでいた。
 じゃこじゃこと歯磨きの音が響く。いつのまにか、あの猫が足元に来ていた。あやさんが飼っているのだろうか。毛艶もよいし、人に慣れているし、可愛がられているに違いない。

 顔を洗って猫と一緒にあやさんの部屋に戻ると、先程と同じ格好のまま、ぷかぷかと煙管をふかしていた。
「おかえり」
「……あやさん、遅くなっちゃったけど、朝食は……」
「私は、食べないよ。お前が一人でおあがり」
「じゃあ、昼飯は何がいいですか?」
「食べない。私は基本、酒しか飲まない。あとは煙管をふかすだけ」
「えッ。それは……『あやかし』だから?」
「いいや? 単に、私が面倒臭がりだから」

「じゃあ食べなきゃだめですよ!」

 上司にこんなに強気な発言をしたことなどない。自分の口から出た言葉に自分で驚いて、慌てて口を塞いだ。もう遅いけれど。
「食べなきゃだめ、か。懐かしい」
 あやさんは静かに笑った。こんな顔は、今まで見た事がない。まるで、人間みたいな顔だった。

「何か作ってきます。食べられないものとかありますか?」
「多分、何でも平気だと思うけど……軽いものがいいな。粥にしてくれ」
「わかりました」
「それと、食事が終わったら、仕事の内容を確認しよう。村役場でまともな説明が出来たとも思えない。それから、直之、都会で何があった? その辺も詳しく聞かせてもらおう」
「…………ちゃんとお話しします」
「べつに、そんなに畏まらなくてもいいけどね」

 ぺこりと頭をさげる。台所に向かいながら、何をどう話すべきか頭の中でまとめていく。

(俺は逃げたんだ)

 握った手の平から、また大量の汗が滲んでいた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

愚かな側妃と言われたので、我慢することをやめます

天宮有
恋愛
私アリザは平民から側妃となり、国王ルグドに利用されていた。 王妃のシェムを愛しているルグドは、私を酷使する。 影で城の人達から「愚かな側妃」と蔑まれていることを知り、全てがどうでもよくなっていた。 私は我慢することをやめてルグドを助けず、愚かな側妃として生きます。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

処理中です...