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しおりを挟む「先に病院へ向かってちょうだい。バレンティア先生を送ってさしあげなければ」
馬車に乗った後、私の顔を見ようともしなかったシャルロットは、そんなことを御者に叫んだ。
「いい。このまま屋敷に向かってくれ!」
「……バレンティア先生……どうされたの? はやく家族よりも信頼している助手であるヘンリー・マスビクスさんのところへ戻らねば。きっと心配しているわよ? おおかた、死にそうな顔をして出てきたんでしょう?」
「病院なら、さっきヘンリー宛てに電報を打ってもらった。しばらく帰らないから、スケジュール調整をなんとかしておけとね」
「帰らないって……」
「自分で言ったんだろう、シャルロット。私の説教を、あとでちゃんと聞く、と」
「……あとで聞くとは言ったけど、今日聞くとは言ってないもの」
窓の外へ顔を向けて、不機嫌そうな声を出している。さっきは私に凭れ掛かっていたくせに、今は、身体を離せるだけ離して、拒絶の意思を表していた。
「いいや、今日、これから、みっちりと聞いてもらう! だいたい、なんでさっきから私の顔を見ないんだ! 人と話す時は、目をみて話すべきだろう!」
「……それは……」
「それは?」
「……その……どうも、久し振りすぎて……居心地が悪いというか……ね……。ああ、もう、とにかく、家に戻るまで少し静かにしていてよ! 仕方ないから泊めてあげるわ、ドクター・バレンティア!」
「……なんだ、ドクターって……。しかも、仕方ないから泊めてあげると言ったか。あそこは、私の実家だぞ」
顔を抑えているシャルロット。まさか赤面しているのだろうか。余計なことを言うものだから、私まで居心地が悪くなってきた。狭い馬車の中で、目一杯離れて座る。そうなのだ。実に二ヶ月ぶりの再会なのだ。私が意地を張り、シャルロットが嘘をついた。再会できてよかった。胸の奥から、何かが込み上げて来る。朝、実家を目指して乗った馬車の中で込み上げてきたものとは、全く性質の違う何か。私はひとつ咳払いをして、シャルロットの存在を確かめるように、手を伸ばし、腕に触れた。突然触れられたシャルロットは、恐らく吃驚したのだろう。ビクリと身体を震わせて、私に目を向けてきた。
「やっとこっちを見たな」
「……なんなの」
「別に」
「意味もないのに触れないで」
「今までそんなこと言ったことないくせに」
「今はそういう気分だからよ」
「ところが私は、今はお前に触れたい気分だったんだ。だから、意味はある」
眉間に皺を寄せて、呆れたような顔をしている。私がそんな表情でいるのは普通だが、シャルロットがそんな顔をするのは珍しいことだった。それほど、私の行動は、普段と違うものなのだろう。
「意味なんてないでしょう」
「あるよ。お前が生きていてよかった。それを確かめたかっただけだ」
「……アンソ…………」
ガタンと馬車が揺れる。目的地へ到着したようだ。私はすぐに扉をあけて、外に出た。手を差し出すと、シャルロットは戸惑いつつもエスコートに応えてくれる。
「やっと事件が解決したんだね、シャルロット」
朝は姿が見えなかった両親が、笑顔で出迎えてくれた。シャルロットは私の手を離し、駆け寄って行く。父も母も、憔悴していた様子はない。私と違い、きちんと計画を知らされていたのだろう。だからこそ、溺愛しているシャルロットの死の報告にも動揺せずに、ホテルに身を隠していたのだ。何か小さなミスをして計画を台無しにしないために。そこへのこのこと現れた私に、周囲は焦った事だろう。本当に、ちゃんと素直に会いにきておくべきだった。
「この二日間、騒々しくてすみませんでした、おじ様、おば様。今後は静かになると思います」
「騒々しいのは別にいいけれど、危険な事は、やめて欲しいわ。心配で眠れなくなっちゃう。でもまあ、街に出たついでに、とっておきのお茶が手に入ったの。一緒にいかがかしら?」
「いいですね!」
母はシャルロットに微笑みかけると、父の手を引いてサロンに向かった。準備が出来たら部屋まで運んであげるわと言いながら。一緒に帰ってきた私には目もくれなかった。だいぶお怒りの様子だ。
「二人とも、私の事は無視か」
「怒っていたもの。あんな馬鹿息子、後悔してメソメソ泣き暮らせばいいって言ってたわ」
シャルロットは、そんなことを言って、階段を昇り始めた。懐かしい部屋の扉を開ける。自室にいても、すぐに呼び出されたシャルロットの部屋。行かないと大騒ぎして私が悪者にされる。家を出たのは二年前だというのに、もっともっと遠い昔のような気がした。
「酷い部屋だな」
記憶の中の部屋とはだいぶ様子が違ってしまっていた。今朝手紙を持ってきたハミルトン警部が言っていた通り、床には色々散らばっているし、机の上も、妙な薬品の瓶だらけで、しかもまったく片付いていない。ベッドの上も、ガラクタだらけだ。いったいどこに寝る場所があるのかというぐらい。
「そう、酷い部屋なの。私が全力で生きている証拠ね。まあ、以前と同じように、適当にかけてちょうだい。貴方が愛用していた椅子は、そのままにしてあるの」
「……片付けるのが面倒なだけだろう」
椅子の上には、例の新聞が置いてあった。シャルロット轢死の記事と、彼女の顔を見比べる。シャルロットは、口角をきゅっとあげて笑ってみせた。自分の眉間に皺が寄るのがわかった。
「その新聞は、記念になるわね。自分が死亡した記事なんて、そう持てるものじゃないわよ」
「…………この記事で、私が一体どんな思いをしたと……ッ」
鼻の奥がツンとする。まさか私は泣いているんではないだろうな。死んだと信じて疑わなかった時ですら、涙の一粒も流れなかったというのに。シャルロットは、私と向かい合わせの椅子に深く腰掛けて、慈愛に満ちた表情で私を見つめていた。
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