マヨヒガ

荒瀬ヤヒロ

文字の大きさ
15 / 107

十四、

しおりを挟む



 幸い、崖というほど急な場所から落ちた訳ではなく、生い茂った草木がクッションにもなったので、たいした怪我はしなかった。けれども、落ちた瞬間には地面にしこたま背中を打って、しばらく息が止まった。やっとのことで半身を起こしたものの、もはや立ち上がる気も起こらないほど消耗していた。

 張りつめていたものが切れたのか、涙もあふれてきた。 広也は泣きながら、その場にうずくまった。自分がひどくみじめに思えて、肩を震わせてむせび泣いた。もう、一歩も歩きたくなかった。

(こんなところに来るんじゃなかった)

 広也はむしょうに悔しくて、ギリリッと唇を噛んだ。腹が立つのは自分に対してだ。いつもいつも、どうしようもなくなってから後悔ばかりする。いままでの人生を振り返ってみても、自分はいつもやめておけばよかったとか、逆にそうしておくんだったとか、何に対しても後悔ばかりしていたような気がした。

 ふと、広也の胸に、あの幼い自分がよみがえってきた。真っ暗な闇の中で、たった一人で泣いている小さな自分。 広也は自嘲の笑みを浮かべた。今の状況と同じだ。自分はあの頃から、何も変わっていやしない。
 もしかしたら、これからもずっと変われないのかもしれないと、広也は思った。このまま、いつまでもこのまんまで、どこかに一人で取り残されているのかもしれない。  それは、あまりにやりきれない未来図だった。いつまでも変われないのなら、これから先、何十年も生きたって、なんの意味もないじゃないか。

 広也は手で涙をぬぐうと、じっと目の前にひろがる闇をみつめた。あまり長くみつめていると、吸い込まれてしまいそうな気がするほど、夜の闇は濃厚で、そして強い。

(いっそ、この闇に飲み込まれてしまったほうが、どれだけさっぱりするかしれない)

 広也はそんなふうに考えた。

(そのほうが、僕も楽だろうし、母さんや兄さんだって、僕なんかいないほうが……いっそ跡形もなく消えてくれたほうが……厄介なお荷物が減ってすっとするのかもしれない……)

 広也の心はどんどん暗い穴の中に落ちていった。いつからかわからないけれど、胸にぽっかり開いていた穴に。 

 だが、その時ふいに、辺りがぱあっと明るくなった。驚いて目を開けた広也は、目の前にそびえる大木が、白くぼんやりとした光に包まれているのを見た。
 よく見ると、その光は霧のようにゆらゆらと流れている。と、どこからともなく、先程広也が追って来たあの白い光が現れて、茫然として立ち尽くす広也を尻目に、すいっと大木の後ろに姿を消した。

「まっ、待って」

 思わず叫んで後を追う広也の耳に、一瞬あの声が、今度は確かにはっきりと、誰かの歌声が聞こえたのだった。  


  悲しかったら迷うてこ
  苦しかったら迷うてこ


 そして、広也の全身を、白く輝く霧が包み込んだ。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

クールな幼なじみの許嫁になったら、甘い溺愛がはじまりました

藤永ゆいか
児童書・童話
中学2年生になったある日、澄野星奈に許嫁がいることが判明する。 相手は、頭が良くて運動神経抜群のイケメン御曹司で、訳あって現在絶交中の幼なじみ・一之瀬陽向。 さらに、週末限定で星奈は陽向とふたり暮らしをすることになって!? 「俺と許嫁だってこと、絶対誰にも言うなよ」 星奈には、いつも冷たくてそっけない陽向だったが……。 「星奈ちゃんって、ほんと可愛いよね」 「僕、せーちゃんの彼氏に立候補しても良い?」 ある時から星奈は、バスケ部エースの水上虹輝や 帰国子女の秋川想良に甘く迫られるようになり、徐々に陽向にも変化が……? 「星奈は可愛いんだから、もっと自覚しろよ」 「お前のこと、誰にも渡したくない」 クールな幼なじみとの、逆ハーラブストーリー。

とある旅行の話

森永謹製
絵本
ハリネズミのウーフーと、モグラのルベンが、海を見るために旅行に行くお話。

童話絵本版 アリとキリギリス∞(インフィニティ)

カワカツ
絵本
その夜……僕は死んだ…… 誰もいない野原のステージの上で…… アリの子「アントン」とキリギリスの「ギリィ」が奏でる 少し切ない ある野原の物語 ——— 全16話+エピローグで紡ぐ「小さないのちの世界」を、どうぞお楽しみ下さい。 ※高学年〜大人向き

14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート

谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。 “スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。 そして14歳で、まさかの《定年》。 6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。 だけど、定年まで残された時間はわずか8年……! ――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。 だが、そんな幸弘の前に現れたのは、 「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。 これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。 描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。

「いっすん坊」てなんなんだ

こいちろう
児童書・童話
 ヨシキは中学一年生。毎年お盆は瀬戸内海の小さな島に帰省する。去年は帰れなかったから二年ぶりだ。石段を上った崖の上にお寺があって、書院の裏は狭い瀬戸を見下ろす絶壁だ。その崖にあった小さなセミ穴にいとこのユキちゃんと一緒に吸い込まれた。長い長い穴の底。そこにいたのがいっすん坊だ。ずっとこの島の歴史と、生きてきた全ての人の過去を記録しているという。ユキちゃんは神様だと信じているが、どうもうさんくさいやつだ。するといっすん坊が、「それなら、おまえの振り返りたい過去を三つだけ、再現してみせてやろう」という。  自分の過去の振り返りから、両親への愛を再認識するヨシキ・・・           

童話短編集

木野もくば
児童書・童話
一話完結の物語をまとめています。

処理中です...