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五十四、
しおりを挟むときわは泣きながら歩いていた。一歩歩くごとにしゃくり上げ、ぬぐってもぬぐってもすぐにぼやける視界のせいで自分がどこへ向かっているのかさえわかりはしない。
秘色もかきわもそばにはいない。ひとりぼっちだと思うと不安で不安で胸が張り裂けそうだった。誰かにそばにいてほしい。誰でもいい。誰でもいいから自分にやさしくしてほしかった。そうでないと、狂ってしまいそうだ。
泉に落ちたかきわは無事なのだろうか。自分が泉に落とした秘色は無事なのだろうか。
二人のことを考えると心臓がえぐられるように痛かった。仲良くやれていると思っていた。三人で仲間なのだと思っていたのに。
ときわは泣いた。今すぐこの世界から逃げ出したかった。
だが、どれほど帰りたいと望んでも、元の世界へ帰る扉は開きはしなかった。
帰ろうと思ったものだけが帰ることができる。
ぐえるげるはそう言った。だが、嘘ではないか。これほど帰りたいと望んでも帰れないのだから。
ときわは立ち止まってしゃくり上げた。足が痛かった。どこかで休みたい。どこかやさしい人のいる場所で。だがそんな場所はどこにもない。
静かだった。あまりの静かさにまた泣けてきた。孤独だ、孤独だという思いが嫌というほどわき上がってきて、とにかく誰にでもいいから人に出会いたかった。
(助けてよ……兄さん)
ときわの胸の中に広隆の顔が浮かんだ。こんな時、兄が手を差しのべてくれたらどんなに心強いだろう。叶うはずもない願いを抱きながら、ときわは幼子のように膝を抱えてその場にうずくまった。静かすぎた。葉ずれの音も鳥の声さえも聞こえない。まるで、音のない世界に迷い込んだようだった。ときわの漏らす嗚咽だけが小さくただよっていた。
その時、目の前の茂みががさりと大きな音をたてた。驚いて目を上げたときわは、一瞬見たものが信じられずに息を飲んだ。
背の高い男が立っていた。今、ときわが胸の中に描いたそのままの姿で。
広隆がそこにいた。
「兄さんっ」
ときわは叫んで立ち上がった。
広隆はくるりと踵を返すと茂みの中に姿を消した。
「兄さんっ」
ときわは茂みの中に飛び込んだ。必死に兄の姿を探す。
「兄さんっ、兄さんっ」
頭のどこかではこんなところに広隆がいるはずがないとわかっていた。だが、探さずにはいられなかった。
細い木の枝がぴしぴしと顔や腕を打った。それでもときわは奥へ奥へと分け入っていった。
前方に、かすかに人影がみえた。
「兄さんっ? 」
呼びかけると、黒い人影はうろたえるように揺らめいた。そして、さっと逃げ出してしまう。
「兄さんっ」
それが兄ではないことを半ば予期しつつ、それでもときわは追わずにはいられなかった。どこへ行けばいいかもわからず一人立ち尽くしているよりは、何かを追いかけていたほうがマシだった。
黒い人影が足を止めた。ときわを待っている。
ときわは急いで駆け寄ろうとした。だがその時、突然二人の男が現れてときわの行く手を阻んだ。驚いたときわは足を止めて振り返った。いつの間にか背後も男達に囲まれていた。
男達はときわにつかみかかってきた。ときわは必死に抵抗したが、かなうわけがなかった。
「放せっ、放せよっ」
腕をねじ上げられ、背中に痛みが走る。
「兄さんっ」
もがいて暴れるときわの前に、黒い人影が歩み寄った。
近くに来ると、それは広隆に似ても似つかない老人であることがわかった。額に刻まれた深い皺と奇妙に歪んだ口の形が見る者に不快な感じを与える。
(つれていけ)
その時、空気の中にいびつな音が混じったような声が聞こえた。
ときわは暴れるのを止めて老人を見た。
(今、こいつが喋ったのか?)
しかし、その声は音としてときわの耳には響かなかった。何と言えばいいのか、脳に無理矢理言葉を押し込められたような感じだった。
男達はときわを森の奥へ引きずっていった。しばらく行くと、小さな集落が姿を現した。
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