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六十七、
しおりを挟む広隆は秘色を抱えて立ち上がった。触手は勢いよく襲いかかってきて地面にめり込んだ。危うく避けた二人だったが、獲物を逃した触手はしゅるしゅると巻き戻り板の中に溶け込んだ。
わずかな時を置いて、再び触手が二人に襲いかかった。
「くそっ」
広隆は片手で刀を抜き触手を払った。切り飛ばされた触手の先がぼとぼとと地面に落ちた。それは地面の上で苦しげにうねっていたが、やがてちろちろと赤い舌を出す黒蛇に姿を変えた。秘色が短い悲鳴をあげた。
広隆は秘色の肩を抱いて走り出した。上空に浮かぶ黒い板は二人の真上にぴったりと張りついて轟音をとどろかせながら追いかけてきた。断続的に触手が襲いかかってきて、切り落とすとその部分は黒蛇になって地面をうめる。
「きゃあっ」
秘色が足をもつれさせて転んだ。
「秘色っ」
広隆が足を止めて振り返る。起き上がろうとする秘色の腕に、数本の触手が絡み付いた。触手は足腰にまで絡み付き、秘色の体が宙に持ち上げられた。
「秘色っ」
広隆は慌てて手を伸ばすが、秘色の手にはわずかに届かなかった。
「広隆っ」
秘色の体が触手と共に板の表面に沈んでいく。秘色は必死にもがくが、抵抗むなしくその全身は黒い板に飲み込まれていった。
完全に秘色を吸収してしまうと、板は辺りを揺るがすほどの雷鳴をとどろかせた。思わず耳をふさいだ広隆の頭上を、黒い板はすごい速さで滑って行った。
「待てっ」
広隆は遠ざかっていく物体に向かって叫んだ。だが、黒い板はどんどん小さくなっていき、まもなく空の向こうに姿を消した。足元を埋め尽くしていた黒蛇も、急に広隆に興味をなくしたようにばらばらと散っていった。
広隆は板の消えた方角をみつめて立ち尽くした。足が震えていた。板に飲み込まれる秘色の姿が目に焼きついて離れなかった。秘色は、死んだのだろうか。あの黒い板に吸収されるとどうなってしまうのか、助ける方法はあるのか、広隆は一生懸命考えようとした。だが、ひょっとしたらまたしても人の死を、身近な者の死を味わってしまったのかもしれないという恐怖が広隆の思考を乱していた。
緋色の最期の姿が目に浮かぶ。
(あの時と同じだ。何もできなかった)
広隆は自分を責めた。黒い板を追いかけなくては、と頭のどこかが命令するが、足がうまく動かない。
(追いかけてどうなる?秘色を助けられるのか?)
広隆はぎゅっと目をつぶった。追いかけるのは怖かった。化物に遭遇するのが怖いのではなく、秘色が死んだとしてその証拠を見せられるのが怖かった。
広隆は長い時間その場に立ち尽くしていた。
どれくらい経ったのか、空を見上げたままでいた広隆は、突然後ろから声をかけられて飛び上がった。
「あれは厄介なものだよ。時折現れて蛇を撒き散らす」
振り返った広隆の真後ろに、赤いチャンチャンコの男の子が立っていた。
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