マヨヒガ

荒瀬ヤヒロ

文字の大きさ
78 / 107

七十七、

しおりを挟む




 あれは、遠野だったのだ。
 あまりに幼すぎてうっすらとしか覚えていないが、その頃の広隆は今とは違っていた気がする。かきわの暗い瞳、あの頃の広隆も、そんな瞳をしていたのではなかっただろうか。
 傷ついた広隆はこの世界に迷い込み、かきわとなった。

 ときわは自分の胸をかき抱いた。 涙が溢れた。
 傷つき、迷いながらも、広隆は元の世界に戻ってきた。広也の待つ現実の世界に。

(大丈夫。僕は、絶対に元の世界に帰ることができる)

 ときわは涙をぬぐいながら自分に言い聞かせた。

(だって、兄さんが僕を遠野によんだのだ。兄さんは遠野で僕を待っていたのだ。僕を、マヨヒガに行かせるために)

 ときわは真っ白な空間を睨み付けた。

(兄さんは僕が戻ってくると信じているのだ。兄さんが戻れたように、僕も必ず戻ってこれると信じて送り出してくれたのだ。弱くて頼りない自分を、自分でも嫌な自分を、信じてくれている人がいるのだ。だから、僕も信じよう。兄さんは僕を信じていると信じよう)

 ときわは疲れ果て脱力していた体に再び気力が戻ってくるのを感じた。兄は自分を信じてくれている。自分を待っていてくれる。戻ってこなくていいなどと、兄が考えるはずがない。緋色から託された大切な鈴を持たせてくれたのは、必ず戻ってこいという兄からのメッセージだ。

 立ち上がらなければ、と、ときわは思った。

(兄さんは戻ってきてくれた。だから、僕も必ず元の世界に戻る)

 ぐっと腕に力を込めて、ときわはずっしりと重たい体を起こそうとした。だが、全身を覆う白い膜がそれを阻んだ。ただの布切れのようだったはずのあの白い布が、いつの間にやら石のように固いものに代わっていた。身動きを取ると体のどこかしらがぶつかってしまう。
 ときわは出来るだけ力を込めて壁を蹴ってみた。だが、鈍い音と骨に伝わる鈍痛がするだけだった。
 もしも、ここからずっと出られなかったらと考えて、ときわは初めて恐ろしくなった。刀を抜こうと試みるも、いかんせん狭すぎて鞘を抜くことすら出来ない。やさしく包まれていた時の感触などもうどこにもなかった。ときわはだまされたと叫びたい気分で壁を蹴りつけた。

(出られなかったら、どうなるのだろう)

 ときわは途方にくれて白い壁をみつめた。
 ずっと閉じ込められていたら、やがて死んでしまうのだろうか。それは、だめだ。
 死にたいという気持ちはとうに失せていた。むしろ、今は立ち上がりたい、地面を踏みしめたいという気持ちのほうが強かった。

 立ち上がりたい。その気持ちは、心のどこか一隅からほろほろとわき起こり、やがて体中にまんべんなくひろがった。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート

谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。 “スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。 そして14歳で、まさかの《定年》。 6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。 だけど、定年まで残された時間はわずか8年……! ――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。 だが、そんな幸弘の前に現れたのは、 「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。 これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。 描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。

クールな幼なじみの許嫁になったら、甘い溺愛がはじまりました

藤永ゆいか
児童書・童話
中学2年生になったある日、澄野星奈に許嫁がいることが判明する。 相手は、頭が良くて運動神経抜群のイケメン御曹司で、訳あって現在絶交中の幼なじみ・一之瀬陽向。 さらに、週末限定で星奈は陽向とふたり暮らしをすることになって!? 「俺と許嫁だってこと、絶対誰にも言うなよ」 星奈には、いつも冷たくてそっけない陽向だったが……。 「星奈ちゃんって、ほんと可愛いよね」 「僕、せーちゃんの彼氏に立候補しても良い?」 ある時から星奈は、バスケ部エースの水上虹輝や 帰国子女の秋川想良に甘く迫られるようになり、徐々に陽向にも変化が……? 「星奈は可愛いんだから、もっと自覚しろよ」 「お前のこと、誰にも渡したくない」 クールな幼なじみとの、逆ハーラブストーリー。

童話絵本版 アリとキリギリス∞(インフィニティ)

カワカツ
絵本
その夜……僕は死んだ…… 誰もいない野原のステージの上で…… アリの子「アントン」とキリギリスの「ギリィ」が奏でる 少し切ない ある野原の物語 ——— 全16話+エピローグで紡ぐ「小さないのちの世界」を、どうぞお楽しみ下さい。 ※高学年〜大人向き

とある旅行の話

森永謹製
絵本
ハリネズミのウーフーと、モグラのルベンが、海を見るために旅行に行くお話。

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

童話短編集

木野もくば
児童書・童話
一話完結の物語をまとめています。

処理中です...