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第一話「白い手」

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 吐き気と尿意で目が覚めた。

 枕元の時計を見ると1時26分。文司は重たい体を持ち上げてベッドから出た。
 腹が低く唸るような音を立てて動く。そういえば、昨日の夜からほとんど何も食べていない。水を飲むだけでやっとだった。唇が乾いてひび割れている。寝る前に白湯でも飲んだ方がいいかもしれない。

 そんなことを思いながら階下に降りると、ひやりとした空気がまとわりついてきた。今は春なのに。おかしいのは周囲の気温か、それとも自分自身か。

 トイレから出た文司はよろよろと台所に向かい、冷蔵庫からミネラルウォーターを出して電気ポットに注いだ。昨夜から冷たい水を飲んでも吐いてしまう。温めれば少しはマシだった。

 両手に包むように湯呑みを持ってダイニングの椅子に座り、文司は重い息を吐いた。手のひらに染み込んでくる湯呑みの熱に、思っていた以上に体が冷えていたことを思い知る。

 明日は学校に行けるだろうか。文司は乾いた唇を噛んだ。どんなに体調が悪くても学校に行きたい。学校に行けば石森がいる。

 迷惑をかけないと決めたはずなのに、結局は石森に縋る自分が情けなくて、文司の目から涙がこぼれた。
 なんでこんなことになってしまったんだろう。どうしたらいいんだろう。誰かに助けて欲しい。

(倉井……)

 明日。明日こそは、倉井に相談しよう。霊感があると嘘を吐いたことを謝って、自分の身に起こっていることを話して――吐き気を抑えてちびちびと白湯を飲むと、お腹が暖まったおかげかほんの少し楽になった。
 軽くゆすいだ湯呑みを水屋に突っ込んで、文司は台所を出た。

 とにかく、明日のために少しでも睡眠を取ろう。明日は倒れる訳にはいかない。そう考えながら階段を上がり、自分の部屋に入ろうとした。

 顔を上げた文司は、ギクリとしてそこで足を止めた。
 電灯のスイッチにかけた手が固まって動かない。
 暗いままの室内。月明かりと階段の灯りのおかげで物の輪郭はわかる。
 つい先程まで自分が寝ていたベッド。その上に、黒い影が座っている。

 喘ぐように短い呼吸を繰り返して、文司は影を見つめた。目を逸らすことが出来なかった。
 闇に慣れた目にはその影が女性の輪郭をしているのがはっきりわかった。
 髪の長い女性だ。俯いて座っている。顔は見えない。

 あれが、こっちを向く前にどうにかしなくては。

 文司はそんな焦燥に襲われて、震える指に力を込めた。
 電気を点ければ、明るくなれば、消えるはず。
 もしも消えなかったら、という嫌な不安を抑え込んで、文司は意を決してスイッチを押した。
 パッと電気が点いて室内が明るくなる。

 影は消えた。

 だが、文司が望んだような消え方はしなかった。光が点くと同時にパッと消えるのではなく、光を浴びてからぐずぐずと溶け崩れるようにして消えたのである。

 ベッドの上には何もなかった。

 だが、目には見えずとも溶解した液体がそこにあるような気がして、文司は口元を抑えて身を翻した。こみ上げる吐き気を抑えて階段をほとんど落ちるように駆け下りて居間に駆け込むと、テレビを点けてその前にしゃがみ込んだ。
 膝に頭を埋め、両腕で頭を抱え込む。床から冷気が吹き上がってきて寒い。

 だが、ガタガタと震えが止まらないのは寒さのせいではなかった。


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