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第20話
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部屋に戻ったレイチェルは、ヴェンディグの言葉の意味を考えた。
(閣下とノルゲン様しか知らない……国王陛下と王妃陛下もご存知ないのだわ)
国王夫妻すら知らない真実を、自分が知ってもいいものだろうか。それも、おそらくはとても恐ろしいであろう真実を。
昨夜の恐ろしい光景はレイチェルの脳裏に焼き付いている。夜の闇のような黒い蛇と、それを平気な顔で我が身に受け入れる青年。
(何が起きているのだろう?)
ヴェンディグの様子からして、あの蛇を厭うているようには見えなかった。
だが、ヴェンディグの肌の痣があの蛇のせいなら、何故ヴェンディグは己に醜い痣を刻みつける存在を恨まないのだろう。
(ナドガ、と呼んでいたわ……)
それがあの蛇の名前なのだろうか。ナドガ。聞いたことのない響きだ。
レイチェルは突きつけられた二択を思い返した。選択肢があるような言い方をされたが、実際には一択だ。ヴェンディグは前者を選べと言っているのだ。
何も見なかったことにして、ヴェンディグから口を噤む報酬として庇護を受けて静かに暮らせ、と。
確かに、選ぶとしたらそれしかないだろう。だって、後者を選ぶということは、真実を知ってあの二人と共にあの黒い蛇を他の人間から隠し、守るために生きるということだからだ。
見なかったことにするのが正しい。それはわかる。
けれど。
(もしも、あの蛇が悪いもので、閣下とノルゲン様が騙されているのだとしたら)
そうだとしたら、あの蛇はいずれこの離宮を超えて王宮にまで、或いはこの国そのものに悪影響を与えるかもしれない。
その可能性を見ないふりして、安穏に生きていけるだろうか。
レイチェルは悩み続けた。
ふと顔を上げた時にはもう日が暮れかかっていて、いつも午後のお茶の時間に迎えに来てくれるライリーが現れなかったことに気づいた。
きっと彼らは、今頃レイチェルがここから逃げ出す準備をしているとでも思っているのだろう。
ほどなくして、メイドが夕食を運んできた。
食欲はあまりなかったが、レイチェルは立ち向かう力が欲しくて料理を令嬢らしくない乱暴さで噛み砕いて飲み込んだ。
飲み込めば、胃に落ちた食べ物が全身に力をみなぎらせてくれた。
レイチェルは覚悟を決めて、夜が来るのを待った。
***
暗い廊下に靴音が響く。
ランタンを壊してしまったので、手燭の明かりを頼りに暗い廊下を歩く。
やがて辿り着いた部屋の扉を主人の許可なく、躊躇うことなく開け放つ。中で椅子に体をもたれさせていた青年が呆れたような声を出した。
「おい、嘘だろ」
眉根を寄せて、これ見よがしに大きな溜め息を吐いて肩をすくめる。
「お前はもう少し賢い女だと思ったんだがな」
「買いかぶりでございます」
レイチェルが部屋に入ると、隅に控えていたらしいライリーがすっと静かにレイチェルの座る椅子を用意してくれた。
「好きこのんで恐ろしい思いがしたいのか? 昨夜のを見ただけでも、普通の令嬢なら震え上がって……いや、お前は普通じゃなかったな」
勝手に納得したヴェンディグは、椅子から立ち上がって窓辺に立ち、窓を開け放った。夜の冷たい空気が吹き込んできて、レイチェルの頰をなぶり髪を吹き流す。
「今ならまだ間に合う。出て行け」
ヴェンディグはレイチェルに背を向けてそう言った。
レイチェルは椅子に座ったままぎゅっと拳を握ってヴェンディグの後ろ姿を睨みつけた。
「閣下。約束が違います。私は選んだのです」
自分で突きつけた選択肢のくせに、そっちが怖気付くな。そう視線に込めてやった。
ヴェンディグは仏頂面で振り向いた。小さく「くふっ」と聞こえてそちらへ目をやれば、ライリーが俯いて肩を震わせていた。
「わかった。そこまで言うなら見せてやる。「生贄公爵」の真実を」
ヴェンディグはそう言うと胸元に手を置いた。
「ナドガ。出てこい」
次の瞬間、ヴェンディグの胸から黒い煙が噴き出した。煙は生き物のようにうねって、頭の先から徐々に実体化していく。ぼやけていた表面が鱗を持つ皮膚になり、赤い光が爛々と輝く眼になる。
レイチェルはごくりと息を飲んだ。ヴェンディグの胸から黒い蛇の体が這い出ていく。それに比例して、ヴェンディグの肌の痣が消えていく。
空気に濃密な生き物の気配が混じる。最初の日に感じた気配はこれだとレイチェルは悟った。
やがて、尾の先まで出ると蛇は鎌首をもたげてレイチェルを見た。
「怖がらなくていい、レイチェル。私は君に何もしない」
蛇が喋った。落ち着いた大人の男性の声だ。
「私の名はナドガルーティオ。訳あって、十二年前に人の世界にやって来た。蛇の国の王だ」
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