生贄公爵と蛇の王

荒瀬ヤヒロ

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第44話

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 ヴェンディグはここ数日のレイチェルの様子を思い返した。マリッカの言う「空回っている」状態なのかと少し納得した。そういえば、一度捜索に連れて行ってから、同行したいと言わなくなった。想像していたより恐ろしかったので懲りたのかと思っていたのだが、もしや気絶してしまったことを気に病んで落ち込んでいるのではないかと初めて思い至った。

「あの子は、公爵閣下に良くしていただいた分を、何が何でも役に立ってお返ししなくてはと頑なに思い込んでいるのです」

 マリッカはライリーが淹れた紅茶を口に含んで考えをまとめるように沈黙した。ヴェンディグは彼女の口から次の言葉が出るのを待った。
 マリッカがカップを置いて再び口を開いた。

「ご存知でしょうか。あの子が実の両親からあまり良い扱いを受けてこなかったことを」

 ヴェンディグは黙ったまま目で続きを促した。

「あの子の両親は優秀な姉を嫌い、妹ばかりを可愛がりました。妹が羨ましがれば両親がレイチェルの物を取り上げてでも与えてしまうもので、レイチェルは物に執着しない性格になりました」

 レイチェルは懐剣の他には何一つ持たずにここへ来たし、レイチェルの物を取りに行かせた王宮の使用人も物の少なさに驚いていたとライリーから聞いている。しかし、実際にレイチェルが古着を着ていても、本当に姉妹にそんなに差をつける両親がいるのかと信じがたい気持ちもある。

「アーカシュア侯爵夫妻は、何故そんなことをしたのか」

 姉を蔑ろにしているという悪評が耳に入らなかったわけではなかろうに、とヴェンディグは首を捻る。

「侯爵夫妻の心中はわかりかねますが、リネット……妹の方は単純です。姉が大好きなのです」
「大好きな姉の婚約者を奪うのか」
「はい。何故ならリネットはレイチェルが持っていればなんでも世界で一番素晴らしいものに見えるらしいのです」

 マリッカは「ふっ」と笑った。

「お茶会もレイチェルが誘われたものに付いてくるだけですし、レイチェルの後ろに隠れていますのよ。レイチェルにべったりで離れないのです。正直言いますと、私、リネットがまだこちらに「お姉様を返して!」と押しかけてきていないのが不思議なくらいですわ」

 押しかけてきてはいないが、姉を返せと訴える手紙なら届いた。ヴェンディグは苦笑いを浮かべた。

「おそらく、パーシバル様が抑えていらっしゃるんでしょうね。しかし、リネットをレイチェルから引き離す役目を背負い込むだなんて、並大抵の覚悟ではございませんわね」

 ヴェンディグはぴくりと眉を動かした。

「サイロン家の三男は妹に心変わりしたんじゃないのか?」
「確かめた訳ではないのでわかりませんが……パーシバル様には何らかのお考えがおありだったのだと思います」

 マリッカは確信を込めた口調で言った。

「侯爵夫妻とリネットに問題があることは確かですが、レイチェルにも問題はあります。あの子は賢く意志も強く、一人で物事を決定できるたくましさを持っております。しかしながら、それらの長所を両親から否定されて育ったため、あの子は常に自分に自信を持てないのです」

 ヴェンディグは目を見開いた。脳裏にナドガの言葉が蘇った。レイチェルには寄りかかるところがなく不安定だと言っていた。

 あの時、ヴェンディグはナドガの言い分に賛成できなかった。レイチェルぐらい強い令嬢はいないだろうにと思った。

「自分の「良いところ」が愛されなかったのですもの。自分のことを気に入って、無償で何かをしてくれる者はいないと思い込んでいるのです。あの子は侯爵閣下に良くしていただいた分を、何が何でもお役に立ってお返ししなくてはと頑なに思い込んでいるのです」

 マリッカは伏せていた目を上げて、困ったように微笑んだ。

「私達があの子を愛し、ただ幸せにそこにいてくれるだけでいいと思っているのが、なかなか伝わらないのでございます」

 マリッカの言葉がヴェンディグの胸を打った。

 マリッカの目から見たレイチェルは、完璧な令嬢などではなくどこか危なっかしい少女なのだ。ナドガもライリーも、レイチェルの不安定さを感じ取っていたのに、ヴェンディグはちっとも気づかなかった。

(俺は、レイチェルをちゃんと見ていなかったのか……)

 その事実に愕然とした。レイチェルの抱えている事情は知っていたが、それがレイチェルの心身にどんな影響を与えているかまでは考えていなかった。
 それに気づいて、ヴェンディグは頭を抱えた。


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