生贄公爵と蛇の王

荒瀬ヤヒロ

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第56話

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 炎は空中を、まるで一本の糸を辿っていくようにまっすぐにナドガに向かってきた。

「お前が私に勝てるなどと……」

 ナドガは炎をかわし、口を開けて人間には聞こえぬ声を発した。

 蛇の王の命令だ。その人間の体から出ろ。

 蛇の王であるナドガの命令に、シャリージャーラは逆らえないはず、だった。
 しかし、パメラは平然としたまま空に浮いていた。

「何っ……!?」

 パメラが羽ばたくように両腕を動かす。そこから翼の形に炎が噴き上がってナドガに迫る。かろうじてかわすが、背中のヴェンディグが「ぐっ」と呻き声をあげた。炎が背中をかすめたのだ。

 ナドガはもう一度、命令を発した。

 王の命令だ。従え。人間の体から離れろ。

「ふふふ……いいことを教えてあげるわ」

 パメラが妖艶に微笑んだ。

「私は十二年間、生きた人間の「欲」を食い続けた。ナドガルーティオ、あなたはこの十二年間、一度も欲を食っていない」

 ナドガはパメラを捕らえようとしたが、パメラは夜空を跳ねるようにして逃げる。軽やかなステップを踏みながら、パメラは歌うように続けた。

「わかるかしら? ナドガルーティオ。私はもうあなたなどより遥かに強くなっているのよ」

 パメラの手のひらから炎の弾が放たれ、避けきれずにナドガの体に数発の炎が叩き込まれる。

「ナドガッ!!」

 ヴェンディグが声をあげる。ナドガは体から黒煙を上げながらも再びパメラに突っ込んでいった。

「私が何故、あなたの近くに現れたと思う?」

 ふわりと飛び上がってナドガの攻撃をかわし、上空から炎を放つ。背に乗ったヴェンディグに炎が迫るが、咄嗟にナドガが尻尾で炎を受けヴェンディグを守った。だが、肉の焼ける臭いと煙に、ヴェンディグが咳き込んだ。

「もうあなたなど怖くないからよ。蛇の王」

 パメラはすいっと目を細めた。

「生きた人間の「欲」を食らって、私は地下でうごめいている影共など蹴散らせる力を手に入れたのよ。私は既にこちらの世界の生物。お前の命令に従うしかない弱々しい蛇共とは違うのよっ!」

 パメラが手を広げると、四方八方の炎が出現し、鞭のようにしなってナドガとヴェンディグに襲い掛かった。

「ぐうっ……」

 ナドガは自らの身を呈してヴェンディグを庇うが、縦横無尽に襲い掛かってくる炎の動きに対応できず、ヴェンディグの背中を炎の鞭が打った。

「ぐあっ……!」
「ヴェンディグ!」

 ナドガは全身から煙を上げながら、パメラから距離を取った。炎の鞭はどこまでも伸びて追いかけてくるが、ナドガは全速力で夜空を逃げる。

「覚えておきなさい、蛇の王! 私は既に蛇を、王を超えた存在なのよっ!!」

 背後から甲高い哄笑が聞こえてきたが、ナドガは振り返らなかった。
 背中にヴェンディグが乗っていることを確認し、王宮へ向かって飛ぶ。

「……ナドガ」

 しばらくした後、苦しげな声でヴェンディグが言った。

「……お前、あれを捕まえられるのか……?」
「……」

 ナドガは答えることが出来なかった。

「……体から追い出せないなら、捕まえられないのなら……あの少女ごと……お前に、出来るのか……?」

 ヴェンディグの声は不安に震えていた。この十二年間、シャリージャーラは蛇の王であるナドガの命令に逆らえないという言葉を信じてきた。その前提が覆されて、ヴェンディグは戸惑い、恐怖していた。

 ナドガは無言で夜空を飛び続けた。


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