生贄公爵と蛇の王

荒瀬ヤヒロ

文字の大きさ
78 / 98

第78話

しおりを挟む


***

 レイチェルを背に乗せたナドガは、慎重に夜空を飛んで人気のない墓地に音を立てずに着地した。

「それじゃあ、ナドガ。私の中に入って」

 背中から降りたレイチェルは、ナドガの前で両手を広げた。

「レイチェル。君の肉体には大変な負担がかかる」
「覚悟の上よ」

 レイチェルは気丈に答えたつもりだったが、声が震えているのを隠せてはいなかった。
 怖い。この場にはヴェンディグも居なくて、レイチェルは兵士達に追われている身だ。不安だし、寒いし、怖い。

 でも、ヴェンディグと共に行くことを選んだのはレイチェルだ。今、ここにこうしているのは誰のせいでもない。レイチェルの選択の結果だ。
 だから、選択の結果生まれた恐怖とは、レイチェル自身が真正面から向き合わなければならない。

 レイチェルは口を真一文字に引き結んでナドガの前で胸を張った。

「今、私に出来るのはこれしかないの。朝が来る前に——私の決心が鈍る前に、早く」

 ナドガは眩しいものを見るように少し目を細めた。
 初めて会った時——ヴェンディグの目を通して彼女の姿を見た時に感じた不安定さが今はどこにも見えなかった。
 今のレイチェルは、自分がヴェンディグの傍にいることに意味を見出しているのだ。

「レイチェル。君の魂を傷つけないように中に入れば、ヴェンディグと同じように君の体に蛇の痣が浮く」
「ええ」
「それに、ヴェンディグと違って、私が侵入することで多大な苦痛を感じるだろう。自分の居場所に他の生き物が無理矢理入ってきたような不快な思いをするはずだ。それでも、耐えられるか」

 レイチェルはごくっと喉を鳴らした。

「……どれだけの苦痛を味わうかわからないから、絶対に大丈夫とは言い切れないけれど……私は耐えてみせるわ」

 レイチェルがナドガから目を逸らさずに言うと、ナドガも覚悟を決めてレイチェルの前に進み出た。

「——行くぞ」

 ナドガが鼻先をレイチェルの胸元に押しつけた。ぐっと、強い圧迫感を感じたと思ったら、次の瞬間、ナドガの輪郭があやふやになり、黒い煙が吸い込まれていくようにレイチェルの胸に染みこみ始めた。
 レイチェルはぞくっと震えた。ぐぐぐ、と強く押されているような感覚に、思わず後ずさる。同時に、背中の方から冷たい物を突き刺されているような痛みも感じる。

「ぐ……」

 レイチェルの額に汗が滲んだ。自分の中に自分ではないものが入ってくる不快感が、全身の骨をぎしぎしと軋ませて痛む。

(受け入れるのよ。ヴェンディグ様のように……)

 呪われた公爵と忌み嫌われながら、その陰で民を守ろうとして、それでもいつだってなんてことのないような態度で佇んでいた彼の姿を思い浮かべ、レイチェルは歯を食い縛って苦痛に耐えた。

(ヴェンディグ様のように、ヴェンディグ様が信じたナドガを……ヴェンディグ様を信じるの!)

 次の瞬間、どんっと重い衝撃を受けて、レイチェルは地面に膝をついた。

「はっ、は……はあ、はあ」

 荒い息を吐きながら、咄嗟に地面に突いた両手が目に入る。左手の甲には、真っ黒な痣が浮かんでいた。

「はあ、はあ……」

 レイチェルは息を整えながら、自分の左頬をそっと撫ぜた。
 そこに、ひんやりとして、ざらついた感触がある。

「……行きましょう!」

 苦痛の余韻の残る体を動かして、レイチェルは言った。


しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

置き去りにされた転生シンママはご落胤を秘かに育てるも、モトサヤはご容赦のほどを 

青の雀
恋愛
シンママから玉の輿婚へ 学生時代から付き合っていた王太子のレオンハルト・バルセロナ殿下に、ある日突然、旅先で置き去りにされてしまう。 お忍び旅行で来ていたので、誰も二人の居場所を知らなく、両親のどちらかが亡くなった時にしか発動しないはずの「血の呪縛」魔法を使われた。 お腹には、殿下との子供を宿しているというのに、政略結婚をするため、バレンシア・セレナーデ公爵令嬢が邪魔になったという理由だけで、あっけなく捨てられてしまったのだ。 レオンハルトは当初、バレンシアを置き去りにする意図はなく、すぐに戻ってくるつもりでいた。 でも、王都に戻ったレオンハルトは、そのまま結婚式を挙げさせられることになる。 お相手は隣国の王女アレキサンドラ。 アレキサンドラとレオンハルトは、形式の上だけの夫婦となるが、レオンハルトには心の妻であるバレンシアがいるので、指1本アレキサンドラに触れることはない。 バレンシアガ置き去りにされて、2年が経った頃、白い結婚に不満をあらわにしたアレキサンドラは、ついに、バレンシアとその王子の存在に気付き、ご落胤である王子を手に入れようと画策するが、どれも失敗に終わってしまう。 バレンシアは、前世、京都の餅菓子屋の一人娘として、シンママをしながら子供を育てた経験があり、今世もパティシエとしての腕を生かし、パンに製菓を売り歩く行商になり、王子を育てていく。 せっかくなので、家庭でできる餅菓子レシピを載せることにしました

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
ファンタジー
 毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 連載時、HOT 1位ありがとうございました! その他、多数投稿しています。 こちらもよろしくお願いします! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

処理中です...