身代わり聖女は悪魔に魅入られて

唯月カイト

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第二章

29、薔薇の香りと共に

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 いつの間にか、グローリアの屋敷で使っていたベッドの上にいることに気づいたサラは、恐怖で震える体を両手で抱えこんだ。何故なら、ここは何度も見た夢の中であって、その内容はすべて過去の出来事であり、これから悪夢が始まろうとしている事も、すでにわかっていたからだ。

(嫌だ…またこの夢を見るの?本当に見たくないのに…)

 そこへ、マティアス侯爵が突然現れて、怯えるサラを無理矢理その肩に担ぎあげると、あの地下の入り口へと向かって歩き始めた。

 その時のサラは、これから何が起こるのか、まだ知る由もなかった。




 地下牢の冷たい床石の上に降ろされると、侯爵はサラではなく、牢屋の奥の薄暗い闇を見つめている。松明の明かりも届かない地下牢の奥で、何かが動いた。それは、オリビアを誘拐した二人組のうちの一人だった。

 縄で縛りあげられ、頭には麻袋がかぶせられているせいでその顔は見えないが、首すじにある入れ墨でこの男の正体がわかると、サラは侯爵がこれから何をしようとしているのか、それがわかったような気がして血の気が引いた。

 侯爵が手にしていたのは鞭ではなく、僅かな光さえも捉えてきらめく長い剣だった。

「この男は貴族を誘拐した罪でこの場で死刑になる。それでも助けたいか」

 死刑という言葉に反応した男が、命乞いをするために、両膝をついた姿勢で叫び出した。

「だ、誰か…、頼む!聞いてくれ!俺は、魔女に騙されたんだ!ちょっと脅かして金さえもらえればよかったはずなのに!あの魔女の目を見た途端に―――」

 男が言い終えるより先に、侯爵は剣を一刀した。男の首と鎖骨の間に刃先が深く切り込まれたせいで、男が悶絶して倒れる瞬間を見たサラは、叫びにならない叫び声をあげる。

「あ!あぁッ!」

 侯爵がサラに近づき、思わず後ずさりをしてしまうサラの腕を掴むと、息も絶え絶えになっている男の前に放り投げた。

「『聖女の力』を見せてみろ。そうすれば、この男の命は助けてやろう」

 誘拐されたオリビアは生きて帰ってきたのだから、あまり面識がない男を助けたいという気持ちもなければ、目の前で死んでほしいという訳でもない。

 私にできるだろうか―――侯爵が見ている前で、そんなことさえ考える余裕もなかった。とにかく男の首元に手をかざし、「『治療ヒール』」と唱えてみれば、驚くほど自然に「聖女の力」は発動した。

 息を吹き返した男は声が出せるようになると、何が起きたのかもわからずに、再び顔も見えない相手に泣いて命乞いをし始めた。そこからが本当の地獄の始まりであるとは知らずに―――



 侯爵はその後も繰り返し、男に深い傷を負わせては、その度にサラに強制的に「聖女の力」を発動させた。

「お願い、もうやめて…」

 罪人に対する残酷な罰と、その都度発せられる男の叫び声は、サラの声などかき消してしまう。それは男が廃人と化し、侯爵が剣を振り下ろす手を止めるまで続けられた。

 すべてが終わる頃には、今起きていることは現実なのか、それとも悪夢を見ているのか、わからないほどにサラの意識は朦朧としていた。

 涙に濡れる手の中で、何度も輝きを放つ「聖女の光」だけが、サラにとっても救いの光だった。



※   ※   ※



 王都に着いてから、サラの日常は護衛に見張られる生活に一変してしまったが、次第に緊張が解けてきた頃、あの悪夢を見るようになってしまった。

 そんなサラを救ったのは、「侯爵令嬢オリビア・マティアス」として始まった規則正しい生活だった。厳しい家庭教師が付けられ、礼儀作法も一から見直され、他にも新しく覚えなくてはいけない事が多かった。そして、体力も食欲もすっかり落ちてしまったサラのために、食事のメニューや生活習慣の管理も徹底された。

 すべてはキースの采配によるものだったが、忙しい日々を送るうちに、疲れきったサラは夢など見ないほどに、毎夜深い眠りに落ちていった。

 そんな日常にも慣れてくると、今度はサラを「オリビア」と信じて優しく接してくれる使用人達に対しても罪悪感が芽生えてきて、いつからか、サラは朝食後の散歩の最後には東屋を訪れ、時間が許す限り、一人静かに中庭を眺めながら考え事をするようになっていった。

 そして今日もまた、先日の訓練場での出来事をきっかけに、あの悪夢を見るようになってしまったサラは、東屋の下で腰かけ、物思いにふけっていた。

(旦那様はきっと、この「力」を証明するためなら、他人を犠牲しても、ためらうことなどないはず。だってその人は結局この「力」で救えるとわかっているし、もし助けられなければ、それは私自身の問題であると片付けることができるもの…。私の弱さを見抜いているんだわ)

 地下牢で見た侯爵は、男の返り血が顔にも服にもかかっていて、その姿は背筋が凍りつくほどに美しい悪魔が佇んでいるようだった。そんな苦い記憶が蘇ったせいで、頭痛の予兆を感じて、サラは額に手をあてて目を閉じた。




 護衛の任務で付き添っていた男性騎士が、顔色の悪いサラを気遣って、意を決して声をかけようとした時、執事のギルバートが散歩からなかなか戻らないサラを心配して、東屋へとやって来た。

「オリビア様。顔色がすぐれないようですが、お飲み物でもご用意いたしますか」

「……ギルバートさん、教えてほしいことがあります。私の持つ『力』についてはご存知のはずです。私は正しい場所でこの『力』を活かしたいと考えています。以前、治療院で患者さんの病気を治療した経験があるのですが、この王都にもそういう施設はもちろんありますよね。一般の人々はどこで病気を診てもらっているのですか」

 サラは外の常識を知らずに生きてきた自覚があった。紙の上で読んだ知識がどれほどあっても、屋敷の外を一歩出れば、どこへ行けばいいのかさえわかっていない。

 ギルバートはサラの真剣な目を見て、言いたいことを察してくれたようだった。

「貴族であるお嬢様が、一般市民の治療を行うことを、旦那様がお許しになるとは思えません。しかしキース様なら、そのお気持ちを汲み取って、別の方法を提案して下さるのではないでしょうか」

「……わかりました。今夜、相談してみます」

 夕食を一緒に取るようになったキースは、サラからその日学んだ事や体調の事など、報告を兼ねた、とりとめもない話をちゃんと聞いてくれるのだが、それが弾んだ会話にまで発展することはない。思い切った相談をする前に、その気まずさをまずどうにかする必要がありそうだと、ちょっと憂鬱になっていると、ギルバートが寂しそうにこう言った。

「キース様は本日夜会に出席されますので、夕食はお嬢様一人で召し上がっていただきます。ですが、夜会の前に一度お戻りになるはずなので、私のほうで先にご都合を伺ってから、お嬢様に時間をお知らせしたいと思いますが、それでよろしいでしょうか」

「はい、お願いします」

「お嬢様」

「はい」

「恐縮ですが、使用人にも敬称を付けてしまう癖を控えて頂きませんと、我々がお叱りを受けてしまいます。私共は家庭教師でもないのですから、話し方にも注意が必要です」

「は、はい。えっと、ええ。わかり、わかったわ」

 とてもぎこちない返事をしたサラの不器用さに、目を丸くしたギルバートだったが、「紅茶をご用意しますので、そろそろお戻り下さい」とだけ言って、微笑んで立ち去って行った。

(あ…そっか。もう家庭教師が来る時間なのに、プレッシャーを与えないような言い方で呼びにきてくれたのね。キース様が旦那様と似ても似つかない性格なのは、この人がずっと側にいたおかげなのかもしれない。ギルバートさんに相談してみて本当によかった)
 
 ほっと息をついた時、サラはやっとこの日初めて、薔薇の香りが漂う空間に身を置いていたことに気がついた。

(私ったら…、息をするのも忘れていたのかしら。こんな素敵な薔薇の香りに気づかないなんて。貴重だと言われている薔薇を、私のために品種も増やしてくれたというデレクさんに感謝しなくちゃ)

 悪夢のせいで不眠が続いていた夜、ギルバートが毎晩淹れてくれたローズティーを思い出し、サラは凛と咲き誇る薔薇の花壇に近づくと、一枚の葉をそっと撫でた。

(私が変わらなくちゃ、何も変わらないのかもしれない。また心が挫けそうになったら、ここへ来るわね)

 薔薇を見て微笑んだサラを見て、護衛騎士の男は隊長のリックに報告すべき事ができたと確信した。任務中は表情が硬い隊長も、聖女の話をする時だけは違うのだから、その反応を思い出し、交代の時間がやってくることを待ち遠しく感じていた。




―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――



『親愛なる姉、ジェーンへ


 元気にしていますか。僕はアーノルドさんのおかげで、王都の立派な屋敷で庭師見習いの仕事に就くことが出来ました。アーノルドさんには別の手紙を送ってお礼を伝えたけれど、この幸運を与えてくれたジェーンにも本当に感謝しています。

 でも、じつは、師匠が僕の身元を保証する為に、養子として手続きまでしてくれました。この年で義理の両親ができるなんて思わなかったけど、二人とも本当にいい人達で、僕は今とても幸せです。もちろん姉さんはかけがえのない、僕のたった一人の本当の家族です。これからもっと手紙を書くので、僕に何か出来ることがあれば、ジェーンも手紙に書いてください。

 ところで、ジェーンが言っていた『サラ』という使用人のことだけど、ここに来てから会ったことがありません。僕はずっと庭に出ているから、屋敷の中まで様子はわからないけれど。

 その代わり、聖女と言われているオリビア様が、庭の東屋によくいるのを見かけます。ジェーンがサラはとても可愛い女の子だからすぐにわかると言っていたけど、オリビア様もさすが、聖女様って感じで、使用人の僕たちと目が合っても優しく微笑んでくれる、すごく綺麗な方です。

 でもいつも寂しそうだから、仲が良かったという使用人の『サラ』は、ここにいないのかもしれないね。

 お嬢様が好きな薔薇を、いつかグローリアのお屋敷にも植える許可を頂けるように、僕は一人前になれるまでここで頑張ります。

また手紙を書きます。
あなたのたった一人の弟より」



 ジェーンは、弟の名前が書かれた封筒から手紙を取り出すと、それを執事のアーノルドと侍女頭のイージーに、それとなく見せて反応を伺った。

 二人は最後まで読み終えた後も、手紙を見つめたまま無言だった。

 どちらも何も言おうとしないので、ジェーンの方から話を切り出すことにした。

「もしかして、この『オリビア』様って、サラのことじゃないですか。それがわかってて、私の弟を王都へわざわざ連れて行って、紹介までしてくださったんですよね」

 ずばりと言い当てられたアーノルドは、迷いながらも観念したように頷いた。その横でイージーも同じ表情を浮かべているのだから、二人が同じ秘密を共有していることに気づいたジェーンは、ずっと抱えていた謎がようやく解けて、納得したようだった。

 結局三人はまた無言になってしまったのだが、この時先に口を開いたのはアーノルドだった。

「ジェーン、手紙はどこで誰に読まれてしまうかわからない。しばらく弟には黙って、それとなくサラの様子がわかることが書かれていたら、また教えてくれるか」

「――はい。勿論です。うまくやります」

 三人は頷き合い、再びそれぞれの職務へと戻っていった。


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