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第二章
32、面影
しおりを挟む朝食後、いつものようにサラは中庭の散歩中で、今日の護衛役にはリックが付き添っている。この数日間、以前よりも明るくなったサラの雰囲気を間近で感じたリックは、朝の涼しい風を心地く受け止めながら、しっかりと四方に気を配って護衛の任務に付いている。
時々、屋敷周辺の警戒にあたらせている部下達がリックのもとへ報告にやって来るのだが、その度に散歩を中断させてしまう事を申し訳なく思っていると、部下達が去り際に一礼すれば、憧れの的である「聖女」が彼らにも優しく微笑んでくれるのだから、だんだんと報告と称してやって来る部下達の本当の目的は別にあるような気がしてきて、気が緩んでいる彼らには再訓練が必要だなと、苦笑気味にリックも微笑み返すしかなかった。
気持ちにも余裕が持てるようになったサラは、周囲の人達とも積極的に会話をするように心がけているが、リックはサラの素性も知っているのでそこまで気を張る必要はなく、近くにいてくれるだけでとても心強く思える存在だった。
(そうだわ、あの模擬戦で斬りつけられた傷は治っているかしら)
リックの頬に赤い線のような傷が浮き上がっていた事を思い出していると、周囲に目を向けていたはずのリックの視線が、突然サラの視線を捉えた。
「あの、どうかされましたか?」
「え?」
リックからの質問でサラが我に返ると、いつの間にかじっと見ていた事を恥じて、すぐに謝った。
「じろじろ見ちゃってごめんなさい!あの、この前、訓練場であなたの傷を治すのを忘れていた事が気になってしまって」
「あの傷ですか?かすり傷です。しばらくしたら治りました。あなたの力を使うまでもありません」
どんな傷も治してしまう「聖女の力」に自惚れていたつもりはなかったが、そんな助けなどいらないと言われてしまった気がして、サラは少し落ち込んでしまった。
「傷痕が残らなくてよかったです」
そう寂しげに返したサラの反応に、言い方が端的過ぎて印象を悪くしたと気付いたリックは、慌てて言い直した。
「いえ、その、私のかすり傷程度で気を煩わす必要はありません。ですが、気にかけて頂きありがとうございます。それに同僚の腕も綺麗に治してくれました。それだけでも十分過ぎるほどです」
真面目な性格を表すように丁寧に言い直したリックに、サラはきょとんとしながらも、勝手に落ち込んでしまった自分に気を遣ってくれたのだと、また恥ずかしくなってしまった。
「本当に治ったかどうかは本人の口から聞かないと実感が沸かなくて、もしまだ完治していないようでしたら、ぜひ教えて下さい」
「わかりました。何かあればお知らせいたします」
サラはふと、リックが模擬戦で戦った同僚について、すっかり忘れていたことを思い出した。
「そう言えば、同僚の方は私を知っていたようですが、私はお会いした記憶がありません。その事について何か仰っていましたか?」
リックは少し考えて間を置いた後、微笑みながら答えてくれた。
「彼も騎士団の一人ですから、どこかであなた様をお見かけしたのでしょう。いい加減な奴ですが、悪い奴ではありませんのでご安心下さい」
その口振りから、あの模擬戦の相手はただの同僚ではなく友人だとわかるが、その友達を軽くけなしたリックに、サラはくすっと笑って「はい。わかりました」とだけ言って再び歩き出そうとした。すると、リックの方からまた声がかけられた。
「近頃調子が良さそうですね。何かいい事でもありましたか」
この質問の答えは、サラが誰かと共有したかった話題ではあったが、どこまでリックに話すべきか迷いながらも、隠しきれない嬉しさを声に滲ませた。
「はい。じつは、やっと『聖女の力』を正しい方法で使う事ができそうなんです。今まではずっと命令されながら使っていましたから」
「そうでしたか。総司令官閣下と…、マティアス侯爵と話されたのですね」
「それについても、じつは、キース様にお願いをしました。思い切って相談してよかったです」
「――なるほど。それでもあなたの決意を伝えられたのはいい事だと思います。訓練場でも『聖女の力』を使う前に、本気でお怒りになってましたね。当然のことだと思います。こんな事を言える立場ではありませんが、嫌な想いをさせて申し訳ございませんでした」
「え!?いいえ!騎士は上官の命令に背けないはずです。…確かにあの時は怒ってしまいましたけど、あの出来事をきっかけに、私自身が変わらなければいけないと考えることができたのです」
「そうでしたか」
いつもの困ったような表情に加えて、今は優しく微笑むリックに、サラは無意識に懐かしさと安心感を抱いてしまう感情に、どう対処したらいいのかと考え込んでしまった。
(やっぱり、私はこの人とどこかで会っている気がする。でもそんな事ってあり得るの?)
「あの…」
自分でも馬鹿げた質問をしようとしていることがわかっている。それでもサラはどうしても確かめたくて、思い切って聞いてみようとした―――その時、侍女頭のエレナがやって来て、キースの執務室にマティアス侯爵が到着し、サラが呼ばれていることを伝えたのだった。
※ ※ ※
エレナにサラを呼びに行かせた後、三階の執務室の窓から中庭を見下ろし、そこでサラと護衛をしているリックを観察していたマティアス侯爵は、窓辺から離れて来客用のソファに座り込んだ。
「そろそろ護衛の入れ替えをする必要がありそうだな」
その言葉にキースは異論なく同意した。サラの護衛兼監視の任務は、責任者のリック・アイゼンの腕を信用して任せているのだが、サラが訓練場で彼を心配して見つめていた時の事を思い出すと、侯爵が言う事には一理あると頷けるのだった。
「こちらの提案はすべて受け入れられ、聖ミハエル教会にオリビアを派遣することになった。だがあまり安易に『聖女の力』を使わせないようにしろ。今の段階で教会に出入りしている事を民衆に知られて騒がれても面倒だ」
「護衛の件も私にお任せ下さい。屋敷の警備も強化します」
「いいだろう。新しい護衛の人選はお前に任せて、今いる者たちは全員通常の任務に戻す」
「はい。承知しました」
ノックの音を聞いたキースがドアを開けると、リックとエレナと共にやって来たサラが、緊張した面持ちでキースを見上げている。
「アイゼン卿、私がオリビアを部屋まで連れて行くので、それまで彼女の部屋の前で待機していてくれ。エレナもここは下がっていい。オリビア、中に入りなさい」
「はい」
入室したサラは、キースの背中に隠れたい気持ちに堪えながら部屋の中央まで進むと、ソファに座る侯爵を直視できず、両手を前で握りしめ、立ち止まってしまった。
相変わらず自分に対してビクビクと怯えるサラを見た侯爵は、いつものように眉をひそめると、ソファから立ち上がって脱いでいた手袋をはめ始めた。
「オリビア、私が今日ここに来た用件はすでにキースに伝えてある。教会ではあまり目立った行動を取らないようにするんだ。それから、護衛はお前を守る為に付けている訳ではない。私は裏切り者にも容赦はしないという事を、よく覚えておくんだ」
侯爵の言っている意味を半分だけ理解しつつ、「護衛」という単語が誰のことを指しているのか確信がもてないまま、それでもサラの頭の中では直前まで一緒にいたリックの顔が浮かんでいる。
「――護衛が付いている理由もわかっています。私は、逃げません」
それがサラの見せられる精一杯の強がりだった。
こぼれ落ちそうなほどの涙を目に溜めて、床を見つめるサラの横を素通りし、侯爵はそのまま執務室を出ていった。
泣かないようにと唇を固く結ぶサラに、キースは胸ポケットからハンカチを取り出して差し出した。
「唇を噛んでしまう前に、これで涙を拭えばいい」
サラは「ありがとうございます」と言いたい口を動かすこともできず、黙ってこくんと頷いて、キースからハンカチを受け取った。
「君は『聖女』として教会に派遣され、そこで治療院の推薦を受けた患者だけを治療してもらうことになった。あとは陛下の勅令が記された書簡が届くのを待つだけだ」
侯爵が言った内容をやっと理解できても、サラまだ上手く話すことができず、悔し涙をこらえるので必死だ。
(嬉しい話なのに、旦那様を前にすると怖くて悔しくて、結局何も考えられなくなる。キース様にちゃんとお礼を言いたいのに…)
動揺を抑えきれないサラを気遣って、キースから次の提案をした。
「部屋まで送ろう。今日のレッスンはすべてキャンセルにしておく。気持ちが落ち着くまで休んでおくといい。私も非番だから、教会の事は午後に詳しく話そう」
「――はい」
目を赤く腫らしたままのサラを連れて、キースは気の利いた言葉もかけられず、無言のまま歩くしかなかった。
(泣かせたかったわけじゃない。どうしてこうなるんだ)
キースがそんな事ばかり考えているうちに、サラの部屋の前までやって来ると、廊下で待機していたリックが戻って来たサラの顔を見た途端に、冷ややかな眼差しをキースに送ってきた。キースは剥き出しにされたリックの苛立ちに、逆に苛立ちを覚えて睨み返してしまう。
そしてまた再び、エレナが急な来客の訪問を知らせる為に、駆け足で三人のもとへやって来た。
「大変です!キース様!皇帝陛下の使いの方が来ております!」
「そうか。陛下から書簡を預かってきたのだろう」
「そ、それが、エバニエル殿下もご一緒にいらしています!」
「何だと!?」
キースは招いてもいない客の来訪に、思わず声をあげた。
「どこにいるんだ」
「ギルバートが応接室で対応しております。その前に旦那様とすれ違い様に何かを渡されていました。旦那様がお帰りになった後、キース様とお嬢様をお呼びするように言われて、急いで参りました」
「わかった。オリビア、君は部屋にいろ。エレナ、彼女を頼んだぞ」
「え?私も一緒に行ったほうが――」
「駄目だ。君は体調を崩して部屋で休ませていることにする」
それだけを言い捨てて、キースは一人で足早に行ってしまった。エレナに背中を押され部屋の中に入れられたサラは、ずっと廊下で待っていてくれたリックに何も言えないままドアを閉められて、サラは呆気に取られてしまった。
「キース様はエバニエル殿下とずっと親しかったと聞いていたけど、どうしてあんなに警戒しているの?」
答えにくい質問を受けたエレナは、眉間にシワを寄せている。
「キース様には昔、騎士になることを共に目指していたご友人がいたのですが、殿下がその方を皇室直属の騎士団に引き抜いた後、しばらくして行方がわからなくなったのです。それからは以前のような親密なお付き合いは避けられるようになりました。ですから、大事なお嬢様をお守りする為に、部屋で待つようにと仰ったのでしょう」
説明の最後の部分に引っかかるものはあったが、それだけでは納得し難い感じがして、サラはまた質問を重ねた。
「でも、そのご友人がいなくなったのは殿下の責任だと言い切れないんじゃないかしら」
「殿下も生まれてすぐにお母様を亡くされているので、キース様の境遇を御自身と重ねて見ていらっしゃるようです。それがあの御方の独占欲を煽ったようで、キース様の他のご友人方を嫌って、いろいろな手を使って遠ざけさせるようになりました。行方不明になったご友人は平民だったので手出しされずにいたのですが、結局はその方も巻き込んでしまった事をずっと悔やんでおられるのです」
キースとエバニエルの間にそんな複雑な過去があった事を知ってしまったサラは、しばらく考え込んだ後、エレナにこう尋ねた。
「わかったわ。でも、エレナはとても詳しいのね」
「はい。長年ギルバートさんと共にマティアス家にお仕えしてきておりますので」
「そう。でも私が顔を出さないと、余計に疑わしく思われるんじゃないかしら」
「お嬢様、まさか…」
サラは鏡に映った自分の顔を見て、泣き腫らした目と、啜り泣いた痕が残る赤くなった鼻先を確認すると、きれいにまとめていた髪をおろした。
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