身代わり聖女は悪魔に魅入られて

唯月カイト

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第三章

46、貧民街のマダム(一)

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 マティアス侯爵の命令で、治療を必要としている患者の所へ出向くことになったサラとキースは、お忍びということで一般市民に変装し、目的地へ向かう小型の馬車に乗っている。

 二人は茶髪のウィッグをつけているが、丸い伊達メガネもかけているサラは、別人か或いは使用人である本来の自分の姿に戻れたような気がしている。

 そのせいで患者が待っているとわかっていても、不謹慎ながらどこへ行くのかと期待していると、目的地が貧民街にあると聞いた途端に落胆すると同時に不安になってしまったのは仕方のない事だった。

 それでもキースが一緒なら大丈夫だろうと考えていたのだが、今日の彼は騎士団の制服でもなく、美しい刺繍が施された衣服も身に着けてはいない。それにも関わらず、全身の素朴な装いが彼の整った顔と引き締まった肉体を引き立てていて、狭い馬車の中でサラは目のやり場に困っていた。

 緊張している理由が貧民街に行く不安のせいなのか、それとも美男子のキースが目の前にいるせいなのか、自分でも訳がわからなくなったサラは混乱している今の感情を解きほぐそうと、思い切ってキースに話しかけた。

「キース様は、貧民街がどんな街かご存知なのですか」

「…あぁ、そうだな…」

 サラは勇気を出して話しかけたつもりだが、キースはずっと片手で抑えているカーテンの隙間から見える外ばかりを気にして、今も視線を合わせようとはしてくれない。

 会話はすぐに止まってしまったので、何かあるのかと思って黙っていると、顔を背けたままのキースがこれからの流れを説明し始めた。

「途中で馬車を降りてそこからは徒歩になる。少数で行く事になったが、護衛はラウラを含めて優秀な人間を選んであるから、君が心配することはない」

 ラウラは馬に乗って他の護衛騎士と共にこの馬車と並走している事はサラも知っていたが、それだけを言い終えてキースはまた口を閉ざしてしまった。

 いつもと違う様子にしばらく黙っていたサラだったが、ついに耐え切れず不安を声に出した。

「あの!そんなに怖い所なんですか?」

「何?」
 
 キースが不思議顔でやっとサラがいる正面を向いてくれた。それでもどこかぎこちない様子は隠しきれていない。

「どうして怖いと思うんだ。さっき護衛の数が少ないと言ったからか?」

「護衛の数を気にしているわけではありません。でも私は貧民街の事をよく知らないし、キース様もあまり話したくないご様子だったので、何か気がかりな事でもあるのですか?」

 サラは質問をしたつもりだった。少しの沈黙の後、返ってきた答えは―――

「………君は、隊長のリック・アイゼンの事をどう思う?」

 キースからの唐突な質問にサラの心臓が跳ね上がった。なぜキースがサラの過去の護衛騎士について質問をしてきたのか、その理由がさっぱりわからないまま、何故とも聞けずに正直に答えた。

「とても…強い騎士だと思います。普段は無口な方ですが、側にいるととても安心します」

「安心?それは、つまり……、彼のことが好きなのか?」

 この切り返しにサラは度肝を抜かれた。頼もしい護衛騎士が近くにいると安心できる、そう言ったつもりだったのに、キースには違う意味で伝わってしまったらしい。

「どっ、どうしてそうなるんですか!?私は彼の事を一人の騎士として信頼できる方だと申し上げたのです!それに、それはあなたも同じです!」

「同じ?」

「そうです!これから貧民街に行くのだって不安がないと言えば嘘になりますが、あなたが一緒なら怖くないって思えます。側にいてくれるだけで安心できるのは、あなたも同じです!」

「……側にいるだけで、安心してくれるのか?」

 キースが意表を突かれたような表情でまた聞き返してきた。サラは自分で言った言葉を再認する為にただ頷くだけでいいはずなのに、なぜかドキン、ドキンと鳴り響く体内の音に意識が集中してしまう。

「…はい」

「そうか」

 キースはたった一言、それだけを言ってまた外の景色に視線を戻した。そしてこの時、キースが一瞬見せた微笑みに気づいたサラは驚いて顔を伏せた。

(どうしよう…!私がキースをどれだけ信頼しているのか伝えられた事は良かったけれど、彼が安心して見せてくれた笑顔がすごく嬉しくて、こんなに胸が苦しくなるなんて……)

 サラが頬を赤くして切ない様子で俯いていることに気づいたキースもまた、悩ましい顔つきに戻って考え事にふけり始めた。

 お互いに何を考えているのか察する余裕もないまま、間もなくして馬車は停止し、気まずい時間の終わりを告げてくれたのだった。





 人気のない小さな広場で馬車から降りる時も、サラはキースに差し出されたエスコートの手を取る事さえも緊張していた。

 だが馬車から降りてみれば、薄暗い空にはすでに白い月がうっすらと浮かんでいて、冷たい空気がサラの昂った感情を冷やしてくれる事がとてもありがたく感じられる。

 持っていたマントを羽織りながら周囲を見回すと、広場の隅にある厩舎の前で三人の見覚えのある騎士達が集まっている事に気づく。

 一人は屋敷から同行していたラウラで、二人目は訓練場で怪我をしてサラの治療を受けたルアン、最後の三人目はかつてサラの護衛責任者をしていたリックだった。

 三人ともすでに焦げ茶色のマントを羽織ってはいるが、その下は一般市民に扮した格好をしているので、サラはその新鮮な光景に目を奪われつつ、キースから少し距離を取ろうと厩舎に向かって歩き出そうとした。

 するといきなり手を掴まれたので、びっくりして振り向くとキースも何かに驚いた様子でサラを見ている。

「――どこへ行くんだ?」

「……彼らに挨拶をしに行こうかと。ここで待っていたほうがいいですか?」

「…いや、大丈夫だ。馬車を隠すよう指示を出してくる。先に彼らと合流してくれ」

 手を掴まれた時は驚くほど力強かったのに、離す時はそっと解放された。サラはその違いの意味もわからないまま、とにかくこの気持ちを静めたい一心で厩舎にいる三人の元へ足早に歩いて行った。

「アイゼン卿、先日は色々と助けて頂きありがとうございました。今日はよろしくお願いします」

 茶髪のセミロングに丸眼鏡の女の子に変装しているサラを見て、ここまで変装をしてくるとは知らされていなかったリックは目を見開いて驚いているが、すぐにきちんとした挨拶を返してきた。

「お任せ下さい。あなたに危険が及ばないよう我々が身を挺してお守りします。それから我々は貴族より身分は下ですから、私の事はリック、彼はルアン、彼女はラウラと名前でお呼び下さい」

(…そっか。ラウラとは仲良くなれたからもう名前で呼んでいるけど、かしこまった呼び方を続けていると、彼らが他の貴族から何か言われてしまうのかもしれない。迷惑はかけられないから、素直に言われた通りにしよう)

「わかりました。今後はお名前で呼ばせていただきます」

 リックとサラが言葉を交わしている間、じっとサラを見つめていたルアンがいきなり質問を投げかけてきた。

「聖女様、俺のことは覚えていらっしゃいますか」

「え、ええ、もちろんです。訓練場で腕の怪我を治療しました」

「はい。ですが、じつは―――」

 ルアンが何かを言おうとした時、リックがルアンの肩を背後から引き寄せ、早口で耳打ちをした。

「待て。お前には言ってなかったが、お嬢様はグローリアの街中でお前と会ったその日に例の誘拐事件に巻き込まれている。だからその話は避けるべきだ」

「何?そうだったのか。…仕方ない。わかった」

 ルアンがリックに何かを言われて渋々引き下がった。この状況に首を傾げたサラに対して、ルアンは慌てて取り繕うように言葉を補った。

「いえ、その節は本当にありがとうございました。この通り腕は完全に治っています」

「それを聞いて安心しました。私は街のことがわからなくて、皆さんに迷惑をかけてしまうかもしれません。今日はよろしくお願いしますね、ルアン」

 そこへすっかりサラと打ち解けているラウラが、可愛い妹をたしなめるように口を挟んできた。

「お嬢様、今日我々はお忍びで来ているのです。言葉遣いが丁寧すぎると、すぐに金持ちだと目をつけられてしまいます。もっと平民らしく振る舞いましょう」

「そ、そう?気をつけます。でも上手くやれるかしら…。不安だから、あまり話さないようにするわ」

 サラは困り果てた顔で自分より背の高いラウラを見上げた。元々使用人という身分でありながら、十年以上も侯爵令嬢であるオリビアの側で人形のように扱われ、王都に来てからも令嬢の身代わりになり貴族の振る舞いを強いられているサラにとって、急に平民らしくなれと言われて対応できるほど器用な性分ではない。

「お嬢様は変装して口を閉じていても気品が滲み出てしまいますね。ではこうしましょう!今日は私のことを実の姉だと思って接して下さい。そうすれば丁寧な言葉遣いや仕草も悪目立ちはしないでしょう」

「ラウラの妹の振りをすればいいの?楽しそう!それじゃあ、ラウラ姉さんって呼んでいいかしら。今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ、お嬢様のことは私達が必ずお守りしますからね。それからお嬢様は今日だけ愛称の『リビ』で通しましょう。マティアス副団長、お嬢様と私は姉妹という設定でいきますが、よろしいですね」

 今日のラウラは外での警護ということもあって十分に気合いが入っているらしく、後からこの場に合流したキースはその気迫に気圧されている。

「あ、あぁ。かまわないが」

「それでは私の側を離れないでね、リビ」

「はい、ラウラ姉さん」

 ラウラがサラの手を握って元気に歩き出し、残された三人もつられて歩き出した。キースの命令で今回のお忍びに同行することになったリックと、パウロ公爵からの命令で案内人として来ているルアンも、ラウラの発案に反対はしないものの、妙な違和感を抱えている。

「おい、リック。ラウラの奴、ちゃっかり自分のことをなんて呼ばせているぞ。そこまでする必要があるのか?どうせなら副団長を『お兄様』と呼んで歩かせる方が自然じゃないか。じつの家族なんだから」

 ルアンが難解な質問をリックに投げた。リックが苦笑しつつこの場の指揮官であるはずのキースの反応を伺うと、キースも若干眉をしかめてはいたが、楽しそうにラウラと歩くサラを見て表情を和らげたのがわかった。

 二人に見られていたことに気づいたキースは咳払いをして誤魔化している。

 ルアンが呆れた表情を浮かべたままその場を離れ、先を行く女性二人を追い越し先頭に歩み出た。真ん中にラウラとサラを挟んで、後方にキースとリックがつく体制で、一行は貧民街がある方向に向かって突き進んで行く。


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