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第一章:アルフレアの女神編
5.夢と臆病者
しおりを挟むすでに陽は落ち、辺りは闇が支配する時間帯。
エックハルトは庭を見下ろしていた。
白い石畳が正方形に敷き詰められ、その周りには芝生、更に離れた場所には大木と水場がある。王城の東側にある訓練場。日中なら訓練で汗を流している騎士見習いが大勢いるが、今は誰もいない。
庭は明るかった。
石畳に月明かりが反射しているせいだろうか。良く見れば、水場に残された桶に満月が揺れている。
(……真夏じゃなくて良かったな)
水の張った桶など一晩置いてしまったら、蚊が大量発生してしまう。
ぼんやりと、一方では冷静に。
そんな事を考えていると景色が動いた。視界の端に映る庭に意識を取られながらも、エックハルトは正面を見る。
目の前には鉄の扉があった。
ドクリ、と。心臓が嫌な音を立てる。
武骨な錠に手を伸ばし、鍵を開ける。
役目の終えた鍵を懐に仕舞い込み、鉄の塊と化した錠を取り去る。
また、景色が動く。
窓越しの、月明かりの中。
視線を落とし見下ろしたのは――……訓練で汗を流した、庭。
(ああ……)
エックハルトは頭を振った。
だが見える景色はゆっくりと鉄の扉へと向かい、その手を伸ばす。
扉を開ける。
階段を上り、仕掛けを動かし。そうして進んだ先で、明かりを灯す。
見えた景色は――……
「…………」
深く息を吐き、腕で額を拭う。
シミ一つない天井を見上げ、ゴロリと横を向いた。
見習いの頃、悪夢を見る奴は臆病者だと教官が言っていた。
夢は心の中にある怯えが見せているからだとか、単に寝苦しい夜だとか。いずれにしろ、根性が足りんのだと。
言っている事に一貫性は見いだせないが、ようは根性論を教官風に言い表していたのだろう。
そうでなければ自分は、同期の誰よりも臆病者になってしまう。
「……昔はこんな事無かったのにな」
エックハルトは幼い頃から夢見が悪い。
けれども、こんなにも短い間隔で、しかも同じ内容の悪夢を見るなんて。これが初めての事だった。
◆◇◆◇◆
「――そういう訳で、よろしく頼む」
「嫌よ、面倒だもの」
「面倒? 楽ちんの間違いじゃないか?」
『不機嫌な人間をあっという間に笑顔にする女性がいる』
そういう噂が立ち始めて。
そろそろ王都から離れようと思っていた矢先。遭遇したくない奴に捕まってしまった。
こちらの本性と正体を知る男。
まさか、また関わって来るなんて。
私は本日十回目となる「嫌」を繰り返す。
「知り合いの知り合いなんて、嫌なの」
「おまえさんは妙なところで細かいな」
「アンタからみれば、大体の事が細かく見えるでしょーよ」
「たしかに。そういえば先日知ったんだが、苺は野菜らしいな」
話が飛び過ぎた。というより、どうでもいい。
この男は本当に人の話を聞いているのかと疑いたくなる。
私は思わずため息をついた。
もちろん、当の本人は自分の事だとは微塵にも思ってはおらず、「美味ければすべて果物で良いじゃないか」と、訳の分からない自論を持ち出していた。
「それじゃ世の中の食べ物は全部果物になるわよ」
「む。それは一理ある」
「一理どころか、確実に全てジャンル変更よ」
もはや本題のかけらも残っていない。
二人の会話は依頼、拒否、雑談の最後に依頼、拒否、雑談の最後に……を繰り返し続けている。かれこれ――……もう、三時間ほど。
私は何度か追加された紅茶を一気に飲み干した。もう帰ってやる、という意思表示だ。
「とにかく。知り合いはお断りしているの、分かる?」
「分かった。しかし、頼む」
「分かってないじゃない!!」
聞いてよ! 人の話!!
「どんだけ頼まれても嫌なモノは嫌!」
「そういうな。アイツ、眉間のしわが石像みたいに深くなっちまったんだ」
「知らないわよ、そんな事」
眉間にシワを刻んでる人なんて、何処にだっている。
それがちょーっとばかり、深いぐらいで知り合いに手を出したくないのだ。
ツンと横を向き、「嫌よ」と繰り返す。
私にだって選ぶ権利はあるもの。
こんな感じでしばらくの間、言い合っていると、人の話を聞かない人類代表は、珍しく真剣な顔つきでこちらを見た。
「アイツは……ここ何年も笑ってない、周りの奴は深く刻まれたシワを見て、勝手に性格を判断し倦厭する。アイツは何も悪くないのに、皆が離れてゆく」
この男は人の話を聞かない。
だから、答えだけを簡潔に伝えているのに、それすらも聞き入れてくれない。
それは失礼で、横暴で、一途で。
自分の望む結果を手に入れるまで、貪欲までに手を伸ばし続ける。
ああ。もう駄目だと、思った。
私がこの依頼を拒むのは、わざわざ私を探し出してまで頼みたいという程、相手を大切に思っていると分かっていたから。
――そんなに大事な人を、何処の馬の骨か分からない私に託すなんて。
藁にもすがる思いなのかもしれない。
それでも自分は、この貪欲な男から信頼されるだけの事をした覚えはないのに。
「――分かったわ」
単に根負けしたと思われるのが癪だから、そっけなく返す。
「そうか。ありがとう」
「勘違いしないで頂戴。別にアンタの為じゃないわ」
「それでもありがとう」
全く。
失礼で、横暴なくせに。
こういう所は素直すぎて調子が狂う。
だが、そんな事を気取られるつもりはなく、「気になった事があるのよ」と、感謝の雰囲気を断ち切った。
「『ここ何年も笑っていない』『人が離れていく』――……もし、この案件が私の睨んだものだった場合。今すぐしなきゃならない事がある」
一つ、その人物に私が会う事。
二つ、その人物を身近に置く事。
「そして最後に――……」
その人物の言動に注意する事。
目を丸くした男に、私は更なる解説を始めた。
◆◇◆◇◆
翌朝、何気なく発した言葉で、アルバティスの顔色が変わった。
「ハルト、今なんて……?」
「え、ダグラス様はお元気ですかって聞いただけですけど」
ダグラスは六番隊隊長である。
エックハルトは元々、アルバティスの部下――つまり、五番隊の所属――だった為、数字の近い隊とはよく一緒に訓練や任務を行っていた。しかもダグラスはアルバティスと馬が合うようで、城下へ飲みに行くのも一緒だった。
「ダグラスは……まあ、ぼちぼちだ」
「そうですか。領地に引っ込むと、なかなかお会いする事も無いですからね」
エックハルトは『野獣』とこっそり呼ばれているアルバティスと対等に渡り合えるダグラスに、密かに憧れていた。それはもう、偉大な巨人いう意味で。
「ダグラスとは、王都を出てから会ったのか?」
「領地に引っ込んだら会えないって、言ったじゃないですか……」
聞いてないな、人の話。
そう思いながらも、「だから、会っていないですよ」と、伝える。
会っていないから気になったのだ。と。
アルバティスは少し考えたかと思うと、何故か拳を握りしめた。
「ハルト、ちょーっと歯を食いしばれ」
「は!?」
「大丈夫だ、痛くない」
「全然説得力ないです!!」
一歩一歩アルバティスが近づいてくる。
気圧されて、同じ分だけ後退した。――……が、それだけでは足りないと、すぐに踵を返した。
「お、落ち着いて下さい! アルバティス様!!」
「俺は十分落ち着いている!!」
「だから! 人を追いかけまわしながらじゃ、説得力ないって!!」
廊下を走り抜け、階段を飛び降りる。そうしてまた廊下を疾走。
大の大人が朝っぱらから追いかけっこ。しかも、野郎二人で。
何故こうなったか分からないエックハルトは、直前の記憶を慌てて引っ張り出した。
『ダグラス様はお元気ですか?』
『領地に引っ込むとお会いする機会もないですからね』
『会ってないですよ?』
これ、日常会話だろ?
それこそ十人に聞いても、百人に聞いても。
だけど、相手はアルバティス。意思疎通の出来ていない可能性が――……って、それ、いつもの事じゃないか!!
気付けばエントランスまで辿り着いていた。
いっそ、扉を開けて外へ出てゆけば良かったのに、焦っていたエックハルトは屋敷から出てはいけないという見えないルールに足止めされていた。
物影に寄り添い、身を小さくする。
ここに来て、あのデカイ植物が役に立つなんて誰が思っただろう。
アルバティスが首を左右に動かしながら、自分を探している。
このままじゃ、すぐ見つかってしまう――
エックハルトはそぉっと、身体を動かした。
アルバティスが進むのとは反対方向、彼の視界に入らぬよう後ろ向きに。
この方法は失敗だった。
よくよく考えれば、コンセプト森なのだから障害物が多いのは当たり前で。
後退するなんて、目隠ししているのと同義。と、いう事は――……
「うわぁっ!?」
ガゴンと、嫌な音がして。
慌てて振り返った先にはオオワシ。
その次の瞬間には、視界が暗転してしまった。
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