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第二章:ハンセル帰郷編

3.再会

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「――さぁ、着きましたぞ。ハルト坊ちゃま」

 イノーブ爺がうやうやしく扉を開け、エックハルトは馬車を降りる。
 じゃりっと、踏みしめる土の感触。頬を撫でる風。
 踊る、花の香りで、一気に時がさかのぼる。


 自分が旅立ったあの日。
 オークウッド家の使いの馬車に乗り込む時、母様は無言で頷いただけだった。
 エックハルトはそれが寂しくて、だけど、自分に課せられた使命を十分理解していて。同じように頷きだけを返して、親子の別れを済ませた。
 
 馬車が動き出して、見慣れた景色が後方へと流れてゆく。
 それをもう、見ることはないのだと気がつくと、とても苦しくなって、エックハルトは馬車の小窓から顔を出し、小さくなってゆく屋敷をずっとずっと見つめていた。

 脳内にある、セピア色の風景。
 それが今、十数年の時を経て一枚の景色と重なる。……ああ。ここは本当に――。

「感傷に浸ってる間に歩いたら?」
「って。君はホントに雰囲気をぶち壊すね」
「早くいかないと、待たせる事になるんじゃない? あのお爺さん、走って行っちゃったし」
「……それもそうだよなぁ」

 若干旅の共を間違えた気がしないでもないけれど、このカラッとした性格はエックハルトが持っていないもの。自分で言うのもなんだが、じめじめしたこの性格には丁度いい湿度加減になるだろう。

 エックハルトは気を取り直して歩みを進める。
 ここまで来てしまったらもう、前進あるのみだ。


 懐かしい門をくぐり、扉の横で待つイノーブ爺の案内で屋敷の中へ足を踏み入れる。
 高い天井と、正面に見える曲線の美しい階段。その両脇には季節の花が飾られており、訪問者を出迎える。一階は応接室が二つに、多人数を迎えるための大部屋一つ、そして食堂。扉と扉の間に飾られているのは、母様お気に入りの絵画たち。

 年数は経っても、自分が居た頃と変わらない内装。
 自然と『帰ってきた』という気持ちが湧き上がってきて、わななく唇を押さえるのに必死になった。

 もうあるわけがない、自分の部屋を見たくて。
 エックハルトは二階へと視線を向け、あっと目を見開く。

 ピンと伸びた背筋。優雅な足の動き。
 落ち着いた色のドレスを身にまとい、女性がゆっくりと階段を降りてくる。
 その凛した立ち姿は、十八年ぶりでも変わらない。

 目の前に来た女性が、笑みを浮かべる。
 感極まって、エックハルトが思わず「母様」と呼ぼうとした、その時。

 母様は膝を折り、頭を垂れた。


「ようこそおいでいなりました、オークウッド卿」


 足元から凍りついた。

 わかっていた。――そう、ちゃんと分かっていた、はずなのに。

 顔を上げた母様――ハンセル女男爵は、笑顔でエックハルトを迎える。
 目尻に寄った、小さな皺。それを見下ろす自分。お互いの間に、長い時間が過ぎた事を改めて認識させる。

 エックハルトはニコリと笑顔を貼り付けて、「夜分に失礼しました」と目礼する。

「いえ、お気になさらないでください。うちの執事が無理を申しあげたのでしょう?」
「それでも、元気なお姿を見る事が出来てよかったです」
「ええ。おかげ様で。卿はいつこちらに?」
「本日の昼すぎに到着したところです」
「まあ、それはお疲れのところを」

 差し障りのない、上辺だけの挨拶が続く。

 想像より遥かによそよそしい会話。
 ああ。これが今の自分達の距離間なのだと改めて認識させられた。

 落胆しなかったと言えば嘘になる。
 だが、よかったのかもしれない。
 いつまでも幼い頃の想い出に縋りついていては、前には進めない。
 望んだ結果ではなかったが、これはこれで自分の為だと思えばいい。

 ずっと分からなかった答え合わせが出来た。
 元気な母様の姿を見る事が出来た。
 それだけでも、足を運んだ甲斐がある。

 前向きに、少しでもいい解釈をと、エックハルトが奮闘している隣で、フレアが盛大な溜息をついた。

 いけない。
 紹介しないと。

 反射的にそう思い、手をフレアの方に伸ばした時。彼女はその手を振り払った。
 驚いてそちらを見ると、彼女は心底不服そうな顔をして、「なに、これ」と言い放った。

「……失礼ですが、そちらの女性は?」
「アナタの息子のつれよ」

 女男爵の目がすぅっと細められる。

「オークウッド卿のお連れ様」
「オークウッド卿じゃなくて、ア・ナ・タの息子のつれよ!」
「…………」

 一触即発。
 そんな空気が二人の間を流れる。

 よく考えれば自分はフレアをどう紹介するつもりだったのか。
 家族でも、恋人でもない。彼女が言った通り、旅のつれだ。しかも、この旅限定の。
 そんな間柄の彼女を、母様に……いや、女男爵になんというつもりだったのか。
 
 今更ながら、フレアをここに連れてきてしまった事を後悔した。
 旅に巻きこんだだけでなく、家の問題にまで巻きこんでしまったのから。

 考え込んでいるうちに、事態は更に悪化した。
 フレアが「だから貴族は嫌いなのよ」と言い放ったのだ。

 女男爵の目が剣呑けんのんすがめられる。
 エックハルトは慌ててフレアを制しようとするも、彼女は止まらない。

「会話って、意志を疎通させるためにするのでしょ? なのに、訳の分からない理屈をこねくり回して、言葉を飾って。そんなんじゃ、なんにも伝わらないじゃない」
「……礼儀をわきまえず事を語るが、貴女はわたくしに意見出来る立場なのかしら」
「意見って立場がないとできないの? 私はあなた達親子のやり取りを見て、率直な感想を述べただけよ」
「細かな事を知らぬ他人に意見されるいわれはない」
「知らなくても、わかる事もある」
「それを口にする事自体が僭越せんえつだと、何故気付かないのですか」

 これ以上は、もう。
 エックハルトはパンッと一つ手を打ち、二人の注意を引いた。

「すみません。ハンセル女男爵。彼女、疲れているみたいで」
「疲れてなんかいないわ」
「フレア」

 ピクリと反応した彼女は、苦虫を噛み潰したような顔で押し黙る。
 その隙を見逃さず、エックハルトは別れの挨拶をして、すぐに屋敷を出た。

「――ここには嘘つきばかり」

 彼女の捨てゼリフが聞こえていませんようにと、祈る事は忘れない。


◆◇◆


 宿に戻るなり、エックハルトはベッドに倒れた。
 まだ身支度を整えていないのに、身体が鉛のように重い。動ける気が、全くしない。

 望んでいたのは、穏やかな再会と、ほんのささやかな願いの成就じょうじゅ

 その両方が――特に、願いはもう叶う事がないのだと思うと、ますます動く気力が失われる。

 未練がましく、すがりたい気持ちは起きなかった。
 それは、願いと反対の行為でもあるからだろう。自分が一番よくわかっている。

 結果は出たんだ。明日、帰ろう。

 フレアはなんというだろうか。



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