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29.魔女様は秘密がお好き
しおりを挟むあれから慌てて自宅に帰って。
フィーネは羞恥でベッドの上に突っ伏した。
もう駄目だ。どんな顔してガレスに会えばいい?
仕事をする上で避けては通れない相手になんて失態を。
――コンコンコン。
いっそのこと、開き直ればいい? あれは、私の下僕なのよって?
いやいやいや。
それじゃあ変な噂を立てられかねない。余計に街へ行けなくなる。
うーうーと、布団の中で唸って。唸って。
突然聞こえた音に、がばっと身体を起こした。
「フィーネ、ご飯何が良い?」
「いまそれどころじゃない!」
「食事を抜くと、痩せちゃうよ」
「痩せる歓迎!」
「俺は嫌だね」
フィーネには美味しそうにたくさん食べて欲しいと頷く。
「なんだか太らせて食べるみたいよ?」
「……その言葉は危険。誘われている気がする」
「??」
「天然無自覚立ち悪い」
「ええ?? 何その呪文みたいな言葉」
「秘密」
目を瞬くフィーネにアストリードは笑う。
のほほんとした笑みに、少しだけ腹の黒そうな雰囲気が乗る。今までとは違う一面を見ても、やっぱりフィーネの気持ちは同じだった。だけど、秘密ってなによ、秘密って。
ならばこっちもと、フィーネは攻める。
「ねえ、アストリード」
「うん?」
「結局、まだ聞きそびれているのだけど」
「何を?」
「貴方の正体よ」
まだ覚えていたのと、アストリードは眉を寄せる。
「勿体つけられると余計に気になるわ」
「まあ大したことないんだけど、今となっては大したことというか」
「意味分かんない」
「あー。倒れる前の方が言い易かったなあ……」
じゃあ、俺ご飯作るよ。
そそくさと逃げようとするアストリードに、フィーネは体当たりした。
「いてっ」
「逃げようったってそうはいかないわよ」
「いやいや、食事しながら、ね?」
「そういって、またのらりくらりかわす気でしょ?」
「そんなことないよ」
「嘘」
「信用ないの、俺?」
「今はゼロかも」
「ひどいなあ」
微笑みながら。それでも逃げようとするので、フィーネは靴の踵を踏んでやった。
つんのめるように足が浮いて、アストリードがたたらを踏む。
――ころん、と。
床に何かが転がった。
不意に視界に入ってきたそれを見て、フィーネは目を見開く。
「え……? 何で?」
あるのは細長いガラス管。
中にはたくさんの綿が敷き詰められ、その中心に細い針のような緑の葉っぱが一枚入っている。
ランソルドッド。
これはフィーネがガレスの依頼で採ってきた品。
遅行性の毒にも効く、万能の解毒剤。そして、その依頼主は――。
視線を動かし、アストリードを見る。
武力、手腕は元より、貴重な魔具を持っていた事。
それらのすべてに合点がゆく結論を、フィーネは見つけた。
「貴方……まさか」
信じられない気持で口にして。
それを聞いた彼は観念したように深く息をついた。
「俺の名前はアストリード=ウェンデル。東部に新設された騎士団所属で、辺境伯の三男だ」
◆◇◆
すべてが繋がった。
ウェンデル伯の子息。三男。
たしか身体が弱く、あまり表に出ないと噂で聞いていた。
――ただ、そんな事よりも。
「ちょっと待ってよ……。これを持っていたらなら、初めから使えばよかったじゃない」
「ええっと、使おうとしたんだけど」
「したんだけど?」
「上手く伝わらなかったというか、役得というか」
「は?」
「実は、フィーネがキスをしてくれて、割とすぐ声は出そうだったんだ。でも、それを伝えるのが惜しかったというか、このままが良いなと思ったというか」
まあ、うん。と、赤く染めた頬を掻くアストリード。
「フィーネのキスで毒がなくなるのなら、魔具がなくても、ずっとここで暮らせるなあ……なんて思っていたら、もうランソルドッドの事は忘れていた」
何かが崩れた。
それは今まで築き上げた魔女フィーネの矜持だとか、壁だとかそういうんじゃなくて。
なにか、こう、保っていた感情がすべてなし崩しになって、気持ちの洪水が起こった。
「ばか、馬鹿、ばか!!」
「ち、ちょっと、フィーネ!?」
「私すごく心配して、なのに貴方は何でもないような事みたいに!! 毒は甘く見てるとあっという間に広がるの。それも驚くほど早く。準遅行性だって馬鹿にならない!」
言い募っても驚くだけのアストリードを、フィーネはキッと睨んだ。
「貴方、死んでいたかもしれないのよ!?」
フィーネのキスで絶対助かるなんて、何の保証もなかった。
運がよかっただけ。もしかしたら何の効果もなくて、そのまま毒がまわってしまったかもしれないのに。どうして、そんな。
「……フィーネ?」
「ほん、と、ばかよ……」
「泣かないで、フィーネ」
「泣いて、ない」
「ごめん」
「もう無理はしないから」と続ける彼に、「当たり前よ」と返す。
ふわりと温かさに包まれた。
やさしく羽根のように添えられた背中の手。伝わる、体温。
とくん、とくん、と、心地よく響く音は大切な命がある証拠で。それらを失いそうだった恐怖は、今ある彼の温かさと音によって小さくなってゆく。
「――これからも、そばに居ていい?」
優しく強請るように、彼は耳元で言葉を紡ぐ。
心が甘く震えて。フィーネはアストリードのシャツを握った。
「それを貴方は望むの?」
「うん。俺の望み」
「じゃあ、対価が必要よ」
本当は対価なんていらない。
いてくれるだけで良いのだと、フィーネは思う。
それでも今はこの想いを秘密にして、彼の心を先に望む。
「うん。対価は払うよ」
アストリードはフィーネを穏やかに見つめ、嬉しそうに微笑む。
「掃除、洗濯、料理に買い物、それに草むしりだってしてあげる」
「もうそれ、ただの主夫じゃない」
「フィーネの夫になれるなら大歓迎」
「夫じゃなくて、主夫よ、主夫!」
「どっちも同じじゃないか」
「同じじゃないわよ」と不貞腐れてみても、彼はのほほんと笑ったまま。
「……まったく、あんなに強いのに。主夫してどうするのよ」
「夫は妻を、家族を守れればそれでいいの」
「たくさんの人を守れる力があるのに?」
「一番大事なものを守るための力だ。余力があれば他も守る」
「まあ、ずいぶん身勝手な人ね」
「自分が望むようにして何が悪い?」
悪くない。
フィーネだって、自分がしたいようにする。
その結果が皆を助ける事になっても、それは自分のしたいようにしただけで、単なる偶然。
感謝や称賛を望んで行動するのとは違うから、それらがなくても気にしない。
フィーネは魔女だ。そして自由。
自由に対する責任を自らが負い、思いのままにふるまう。それは傲慢だし、時に誰かの反感を買うだろう。
だからこそ、自らを守る秘密の鎧は決して脱ぐことはない。ずっとずっと続くのだと言える。
けれど。
『ただ一人の前を除いては』という注釈を心の中で唱えて、それを秘密とする。
彼がその事に気付くのは一体いつだろう。そう考えるだけでわくわくして、フィーネは悪そうなと評された魔女の笑みを浮かべた。
「交渉成立よ――アスト」
フィーネは愛しい人の首に手を撒きつけ、そっと唇を寄せる。
のほほんとした笑顔が、瞬時に真っ赤になって。その瞳に堪え切れない喜びが浮かぶのを、フィーネは穏やかな気持ちで眺めていた。
【魔女様は秘密がお好き おしまい】
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