ボーダー×ボーダー

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十二話

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「どうしてここに?」
闇の帳が包む資料室で懐中電灯をさげた敷島と対峙する。
ひりひり痛む頭をさすりつつ涙目で敷島をうかがう。
敷島は懐中電灯を構え辛抱強く待つ。
懐中電灯から伸びる白い光に照らされ、できるだけ気楽に笑う。
「はは……ばれちゃったか。ぱぱっと忍んで帰ろうとしたのに、計画失敗」
「不法侵入は感心しない。悪戯なら帰りたまえ」
「人聞き悪いっすセンセ、部室に忘れ物とりにきただけなのに。用が済んだらすぐ帰りますって」
「君の携帯?」
「あ、そっす、これを忘れたんす!いやー無事でよかった、だれかにもってかれちゃったんじゃねーか気がかりで自転車すっとばしてきたんす」
「表にとまっていた自転車は君のか」
「お袋のチャリです。俺のは今壊れてるんで……」
軽いノリでごまかし、さりげなく携帯を隠す。
こん中には見られちゃまずいものが沢山入ってる。
「携帯を忘れたなら不便だったろう。冬休みに入って数日すぎてから気付いたのか」
「そう、そうなんです、うっかり忘れちゃって……ほら、俺って友達少ないじゃねっすか?ダチらしいダチっていや麻生くらいだし、その麻生はめったにメールよこさねーし、しばらく携帯忘れた事にも気付かず部室に放置してたんス。冬休みはじまってから部屋でゲームと読書三昧、積みゲー崩しに熱中してて、今さっき、大掃除してるときにはじめてなくしたのに気付いたんすよ。馬鹿ですよねーはは。っと、それにこれも」
たまたま目についた机上の部誌を手にとり、雑に埃を払う。
「構想中の小説で学校の七不思議ネタにしようとおもって、部誌をとりにきたんです」
「そうか。寒いのに大変だったね」
敷島は俺の学校とクラスに置ける立ち位置を正確に理解し、以前から気にかけてくれてる数少ない先生だ。
だから友達がいなくて携帯紛失に気付くのが遅れたという普通ならありえねー言い訳もすんなり通った……それはそれで複雑な心境。
親切な教師に嘘吐いた良心の痛みに目を閉じ、部誌をジャージのズボンにはさみ、上着を被せる。
今度はこっちが質問する番。
懐中電灯をもって所在なく立ち尽くす敷島に疑問をぶつける。
「先生はどうしてここに」
「見回りだよ。冬休み中は教師が交替で巡回するんだ、業者に任せきりにもできないしね。私の当番は大晦日」
「なるほど。物騒な世の中ですもんね」
「年末年始は空き巣も多い、警戒にこしたことはない。妻も家族もない寂しい中年男にはもってこいの仕事さ。宿直室のストーブにあたりながら剥くみかんはなかなか味があっていい」
俺はこの先生が嫌いじゃない。
妙な偏見や差別意識をもたないだけ学校の中じゃまともなほうだ。おちこぼれの俺にも分け隔てなく接する敷島には少なからず好感と信頼を抱いてる。ボルゾイに指折られかけたのをとめてくれた恩人だしな。
「ツイてないっすね。大晦日にたった一人で旧校舎の見回りなんて不気味っしょ、俺なら小便ちびっちゃう。だれかもう一人くらいいりゃいいのに」
「いいんだよ、私一人で。そんなに大変な仕事でもないし、手を煩わせちゃかえって申し訳ない。他の先生方には家族や恋人、大晦日の予定もあるし……私のような窓際やもめが役に立てるなら光栄さ」
「窓際やもめってセンセ、自分で言ってて哀しくね?」
「……少しは」
正直な先生だ。
敷島は要領が悪く職員室で孤立してる。俺に肩入れするのは同属憐憫の延長かもしれない。
今日の見回りも同僚におしつけられたんだろう。大晦日、夜の校舎の見回りなんて地味で辛い仕事を引き受けたがる手合いがいるとは思えない。
「旧校舎の方から不審な物音がするから怪しんできてみれば、君だったとは」
「すいません、お騒がせして」
素直に頭を下げる。
迷惑かけた事に引け目を感じる。
敷島の顔にふと緊張が走る。
「梶先生の話を聞いたかい」
心臓が肋骨をノックする。
「あ、はい。さっきメールで……」
「そうか、既に噂がながれてるんだね。じきに連絡網が回るとおもうが……」
複雑そうにため息を吐く。
「年に一度の大晦日だというのに梶先生は災難だった。どこの誰の犯行か知らないが、一命をとりとめてくれるよう祈るよ」
「隣近所が巻き込まれなかったのは不幸中の幸いっすね」
「え?」
敷島が一瞬怪訝な顔をする。俺は首を傾げる。
「だって、爆発でしょ。もっと威力があったら壁ぶち破ってたかもしれないし……運送屋も危機一髪っすよね、まさか年末の忙しい時期に時限爆弾なんて危険な代物トラックの荷台にのっけてごとごと運んでるなんて考えねーし、うっかりおとしたショックでボン!となったらたまったもんじゃないな」
「……そうだね、他に怪我人がでずにすんでよかった。梶先生は気の毒だが、警察が必ず犯人を見つけてくれるだろう。なにも心配いらない、私を含む先生方に事後処理はまかせておきたまえ」
安堵に頬を緩め、懐中電灯を操作して資料室を照らす。
「用がすんだなら早く帰りなさい。親御さんが心配する」
「あ、お袋はパートなんで。今は家に妹一人っす」
「ならなおさらだ。妹さんを心配させちゃ悪い。連絡は入れたのかね?」
「心配なんかするたまじゃねーっすよ、クソ生意気で可愛げのぜんぜんねー妹です。デレるってこと知らないんすよあいつは。漫画借りに部屋入るとすげー怒るし、読んでる漫画のぞきこむと慌てて隠すし、実の兄貴に対してそりゃないだろって無体な仕打ちの数々に涙がとまらないです。ったく、誰が幼稚園の頃風呂にいれてやったと……」
「連絡は入れたの?」
「……入れてません」
「入れなさい。今すぐ」
断固たる調子で促す。目には叱責の光。
柔和な顔つきが若干引き締まり、なりをひそめていた教師の威厳が立ち現れる。
しぶしぶ携帯の短縮を押す。電話はすぐ繋がる。
『バカ兄貴いつまでジャンプ読んでんの、せっかくゆでたそばのびちゃうじゃん!』
開口一番お叱りを受け耳がキーンとする。
おもわず携帯を耳から放し渋面を作るも、傍らで敷島が監視中なため切るのをためらう。
敷島の顔色を上目でうかがいつつ、片手で遮った携帯に口を近づけ、くぐもった声で話す。
「ばか、声でけーよ。かよわい鼓膜破れるだろ」
『そこのコンビニまで出かけるのに何分かかってんの、もう二時間たってんじゃん。立ち読みいいかげんにしなよ、お店の人に迷惑。ただでさえ大晦日までバイトでくさってるのに雑誌棚の前に兄貴みたいなのがいたらさらに気分がおちこむっしょ』
「我が妹ながら相変わらず酷い言いざまだなおい。しょうがねーだろ、ついでにサンデーとマガジン読んでたんだ」
『それわざわざ大晦日の夜にすること?私のゆでたそばより大切なこと?兄貴って頭の可哀相な暇人?』
「頭は関係ねーだろ頭は、撤回しろ。だって気になったんだよハンター×ハンターの続きが、休載してたけど」
『兄貴やっぱばかだよ、富樫が年末年始まともに働くわけないじゃん』
「おまえ富樫のなにを知ってるんだよ」
『漫画家の嫁もらって鉛筆描きの原稿のせてしょっちゅう取材で休載するダメ大人で漫画家』
「………きわめて的確で辛辣な人物評。観察眼に敬意を表する」
『いいからはやく帰ってきてよ、いつまでたっても片付かない。上になにもひっかけずジャージでとびだしてって風邪ひいても知らないよ』
「心配してくれんの?」
『貴重なお正月を兄貴の看病で潰されたくない。初詣の予約入ってるのに』
………期待した俺がばかだった。
妹の声には優しさ成分が一滴も含まれてない。耳元でうるさく喚かれ早くもうんざりする。
「待て。初詣の予約って、中学生が巫女さんのバイトでもすんの?確かに家計苦しいけどそこまで困ってね」
『巫女さんとかまじきもい。勝手に妄想しないでよ実の妹で。デートだよ、デート』
「はあ!?」
聞いてねえ。
携帯にかじりつき素っ頓狂な声をだす。
みっともなく狼狽する俺とは対照的に妹の声は手柄を誇るように得意げだ。
『最初が小田くんで次がカズ、最後がアキくん』
「貧乳の分際で三股!?」
『貧乳関係ないでしょ殺すよ。むしろ死んで』
「新年から男心もてあそびすぎだろ」
『大丈夫、バレないようにうまくやるから。友達に根回ししてアリバイ証言してもらうし』
だれこの悪女。本当に俺の妹?
いやまさかなにかの間違いだ、俺の妹がこんなにもてるわけない、貧乳の漫研部員の分際で……ミス研の部長でモテない俺の立場がない。
まだまだ子供だと侮っていた妹の本性暴露に動揺が隠せない。
脳裏に思い浮かべたあどけない顔と魔性の女のイメージが結び付かず思考がぐるぐる渦を巻く。
真理。
髪の色はもとから薄く茶がかって中学の入学式じゃ教師に染めてると決め付けられ家で悔し泣きした。バットをもって飛び出した俺におにいちゃんやめて殺らせないと追い縋ったのは懐かしい思い出。アーモンド形の愛嬌ある瞳、ちょっと低めの鼻、ちんまり小造りな顔だち。兄の贔屓目だがたしかに可愛い……と言えないこともない、学校でモテてもふしぎじゃない、でも中学生がトリプルデートって色々段階すっとばしすぎてねーか交際の?!
兄の心痛に想像およばず携帯の向こうで妹がはしゃぐ。
『元旦がジャンプコミックスの発売日だから一人一冊、全部で三冊買ってもらうんだ。お年玉浮いて超ラッキー』
男を金づるとしか見ない極悪な発言に息を呑む。
「財布めあての三股交際?そんな毒婦に育てた覚えはねえ!!」
『買ってくれるっていうんだからいいじゃん。むこうから誘ってきたんだし付き合ってあげただけ有難いでしょ』
「黒いよ!黒いし怖えよ!うちが貧乏で満足に小遣いでねえからって男を手のひらで転がす悪女の花道別名不二子ロードに走るな!?」
浅ましい兄妹喧嘩をくりひろげつつ敷島を盗み見て、携帯を握る手が強張る。
机に向かい立ち尽くし、手にした二枚の切り抜きを食い入るように見比べる敷島。
ポケットから携帯を抜いた時におちたらしい、気付かなかった。
麻生が教室と部室にのこした一見無関係な新聞記事の切り抜きに異様な凝視を注ぐ敷島の顔を、鬼気迫る陰影が隈どる。
懐中電灯の光が見せた錯覚で片付けるには様子がおかしい。
敷島はまるで手から感電したかの如く硬直し、嫌悪と驚愕、焦燥、その他もろもろが入り混じった戦慄の形相で褪せた記事を見詰め続ける。
刑の執行を宣言された死刑囚さながら打ちのめされた顔。
肩を落としうなだれた様子は懺悔にも似て、不吉な予感に胸が騒ぐ。
「センセ?」
耳から携帯がずりおちる。
苦労して唾を飲み、茫然自失の体の敷島に呼びかける。
弾かれたように顔を上げた敷島が、内心の動揺を抑え、表情を封殺して確認をとる。
「これはなんだね」
「えっと……」
「君のポケットからおちたようだが」
抑制した調子で追及する。声は既に平静を取り戻してる。
俺がさっき見たのは錯覚、勘違いか?
今は表情も柔和だ。さっきのあれは……
携帯を脇にたれさげ、粘着な視線に絡めとられ、一生懸命言い訳を考える。
今の俺はどう考えたって不審者だ。学校に無断侵入した罪は重い。しかも土足。
正直に話すか?
麻生の悪趣味な計画に巻き込まれ学校に呼び出されたと白状するか、一切合財事情をぶちまけて協力をたのむか?
敷島は信頼できる。
一見くたびれた中年教師だが度量は広い、今日ここであったことを軽々しく口外したりしないだろう。事は一刻を争う。俺がこうしてぐだぐだ悩んでるあいだも麻生は学校のどこかにいて、大晦日が終わり新しい年が始まると同時に爆弾が爆発して、校舎ごとふっとんじまう運命だ。俺だってさんざん走り回った、できるかぎりのことはやった。

だから、そろそろ、大人を頼っていいだろ。

誘惑に心が傾く。
孤独に疲弊した体と心が目の前の男に縋りたいと弱音をもらす。
信頼できる誰かに相談したい、一人で抱えるには重すぎる。
俺はただの高校生だ。
どこにでもいる普通の高校生で、人よりちょっとばかしミステリ知識に秀でてる他に特別なスキルはもってない。
麻生の指名は分不相応、ぶっちゃけ俺には荷が重い。
秒針が時を刻むごとに焦燥が身を焼く。
麻生はゲームと称したが、もし本当に爆弾が仕掛けられてるなら、現場にいる俺ともども無事ですむはずがない。校舎にだって被害が出る。
俺一人でどうにかできる問題じゃない。
警察は却下、通報は抵抗がある。麻生を売るようなまねはできない。
でも、先生にならー
「先生、実は」
俺の意志はひどく脆い。一瞬たりとも安定せず指針が揺れ動く。
何が正しくて正しくないか、理性が麻痺して次第に判断できなくなってくる。
決断には責任が伴う。
俺が吐いた一言が、麻生の運命を決定する。
「今度書く小説のネタです、それ。実際の記事からヒントをえてミステリ書こうかなって、今スクラップ集めてるんです」
「面白い試みだね」
敷島は思ったよりあっさり記事を返してくれた。拍子抜けする。
結局麻生の事は言えなかった。
安堵と罪悪感とを胸に抱え、取り返した切り抜きをポケットに入れる。
『もしもし兄貴?ねえ、ほんとに今コンビニいんの?なんか話し声聞こえたけど……』
「またかける」
『ちょっと!』
妹の詮索を一方的に絶ち、沈黙した携帯を見下ろしひと息吐く。
「元気な妹さんだね」
「聞こえました?」
「早く帰ってあげなさい。大晦日は家族と過ごすのが一番だよ」
「先生は実家帰んないですか」
「両親はもう死んでる。親戚とも疎遠だし、田舎に帰ってもすることがない。今年も寝正月だ」
「あ、すいません」
敷島は鷹揚に笑み、恐縮する俺の肩を軽く叩いて懐中電灯を廊下へ向ける。
「足元は暗い。玄関まで、よければ予備の懐中電灯を貸すー……」
手の中で携帯が鳴る。
「うるせーな、そう何度も何度も念おさなくてもなるべく早く帰るって……」
『帰りたいの?』
麻生。
「………るせーな」
『妹と勘違いしたか』
相手の確認もせず出た事がばれ、顔が火照る。
液晶に表示された名前をろくに見もせず出るのは俺の悪い癖だ。注意力が足りない。
敷島に背を向け、資料室の片隅に行き、手で囲った携帯へとあせった声を吹き込む。
「二番目のヒントってこれかよ。意味不明。さっきは女子高生レイプ事件、今度は高校生いじめ自殺。おきた年も場所もばらばらで接点がみあたらねー。この中に爆弾のありかが示されてるって、マジ?」
『全部の手がかりを集めれば俺に辿り着く』
「ちょっと待て、全部の手がかりって……これで終わりじゃないのか」
『それだけじゃわかんないだろ?推理小説ならようやく三分の一ってとこ。パズルのピースも全部集めて正しい位置にあてはめなきゃ全貌が見えてこない。秋山、おまえには学校中にばらまいたピースをさがしてほしいんだ』
「……ふざけるなよ」
『本気だよ俺は、本気でこの悪趣味なゲームを楽しんでるんだ。だから秋山にも本気で参加してほしい。足が棒になるまで必死こいて冷たい校舎をはしりまわって、俺がばらまいたピースをかき集めてくれ。得意だろ、伏線の解明。推理小説ファンの腕の見せ所』
怒りに焼き切れそうな頭で理不尽な寝言を整理する。
麻生の言葉を信じるなら、校内のほか何箇所かに爆弾のありかを示すヒントが隠されている。
それを全部集めなきゃ犯人に辿り着けない。
愉快犯の狂言に踊らされ続ける徒労感が襲い、視界が急激に狭まりゆく。
『ミス研に引き込んで後悔した?』
「………………ちょっと」
本音を漏らせば、携帯の向こうから鬱屈した笑いが返る。
自暴自棄の暗さを秘め、誰彼構わず攻撃するような危なっかしい笑い。
『頼んでないよ、俺は。あの時だって、お前が勝手に約束取り付けて家に呼んだんだ』
「やきそばおごったとき?猫舌だとは思わなかった、優等生の弱み発見」
『……………』
「聡史と俺に笑われて、すっげ不機嫌な顔してた。ぶーたれたお前見て、ますますツボにはまっちまって……でもさ、結局四時間も長居したじゃん。たまには畳の部屋でだべるのもまんざらじゃなかったろ。外出たらすっかり暗くなってて」
『手土産にどっさり本を持たされた』
「あれくらい楽勝だろ?実際翌週にはちゃんと読んできたし」
『少しは遠慮しろよ、客の両手に大量の本で嵩む袋もたせて送り出すヤツあるか』
「途中まで自転車のカゴにのっけてやったじゃん、感謝しろよ」
言い合ううちに記憶が鮮烈に甦る。

六月、麻生がミス研に入ってまだ間もない頃。
親睦会と称し、渋る麻生を俺んちに招いてやきそばをふるまった。
麻生は途中で帰ろうとしたが、俺が体を張って引きとめ、結局四時間も長居した。
麻生は終始不機嫌で居心地悪そうにしていたが、腰を浮かす気配を見せるたび取り乱す俺の鬱陶しさに観念したか勝手に辞そうとはしなくなった。

自転車を引いて麻生と歩いた帰り道の情景を回想し、口元が和む。
「帰り道、二人乗りしたほうが早いのに断るんだもん。本気でいやがられて傷付いた」
『高校生にもなって二人乗りができるか。一度で十分だ』
その一度は、一学期の終業式を終えた夜だった。
一学期最終日に起きた事件がきっかけで俺と麻生の距離は一気に接近し、夏休みいっぱいかけてラインを消して親友になった。
遠のく面影をたぐりよせるように思い出をひとつずつ反芻し、俺は言う。

「おまえ、いつから」

二人一緒の帰り道、自転車を引く俺の隣を歩く麻生の横顔、後ろを歩く聡史。
夕闇迫る空の下、換気扇から料理の匂いが流れる住宅街をぬけて駅へと向かいながら、俺は無視されてもこりずに麻生にしゃべりかけ、麻生はこりずに無視し、でも時折根負けして、気まぐれにボールを投げ返してくれるようになった。
スニーカーの靴裏で踏んだ固くざらつくアスファルトの感触。
ぬるい風が髪にじゃれ、Тシャツの袖を揺らす。
夏の兆しを孕み始めた空は鮮烈に赤く、残照を反射して雲が清廉な朱鷺色に染まる。
自転車の車輪が眠たげな軋みをたて回る。

「いつから今回のこと計画してた?」
いくら知識豊富でも一朝一夕で爆弾は作れない、数ヶ月かけ綿密に計画を練っていたはず。
麻生はずっと、だましてたのか。
眼鏡の奥に本意を隠し、腹の内を見せず、だましだまし付き合っていたのか。
俺に一言も相談せず、自分の中だけで決定を下し、爆弾を仕掛けたのか。
もしそうだとしたら。
こいつにとって、俺の存在ってなんだ?
腹の底で溶岩のように蠢く激情が冷却、虚しさにとってかわる。
携帯を掴む手が自制を破って噴き出す感情に小刻みに震え、壁に額をつける。
「うちにきたときにはもう考えてたのか。帰り道くだらない話しながら、頭の中で計画立ててたのか。ネットで情報と材料集めて、物置から道具箱ひっぱりだして、夜中部屋にこもって……回線いじくって爆弾を作りながら、昼は学校にきて、俺や聡史としゃべってたのかよ。なんでもないみてーに」

気付かなかった。
気付けなかった。
そんな大それたこと企んでたのに、一番近くにいた俺が、気付けなかった。
無力な俺は、抑止力にもならなかった。

「馬鹿なことやめろよ。学校と心中するつもりか」
『さっきから同じこと言ってる』
「なんでここなんだ?学校に不満もってるのか?キャラじゃねーよ。お前の行動は支離滅裂だ、学校に不満もってるなら授業中に爆発させりゃいい、そしたらパニックを来たした生徒が暴走して惨事になる。でも今は冬休み、学校はからっぽで爆発させたとこで被害はない、校舎がちょっと壊れるだけだ。でも、お前は!」
『どうなるかは梶で実証ずみ』
「…………っ!」
『死ななくても重傷。腕の一本二本ちぎれるかな。俺の腕がふっとんだら拾ってきてくれるか』
「………ぶん殴ってからホチキスでとめてやる。麻酔なしで」
自分の生命さえ軽んじる発言。
炎のような憤激に駆られ、携帯を握り潰しかける。
握力を強めた手の中で携帯が軋み、麻生の声が割れる。

麻生は自分の命に執着してない。
とっくにわかってた、そんな事は。薄々予感していた。
初めて会った時から麻生は異質で異端だった。
ほんの束の間この世に間借りしてますみたいな自分を取り巻く環境への執着の薄さが、畏れと紙一重の関心をかきたてた。
窓枠を蹴って軽々二階から身を躍らせた麻生は、虚無と隣り合わせに生きる者特有の重力に包まれ、俺の目と心を一瞬でかっさらった。

「死にたいのか、お前」
『お前さ、スプラッタもいけたよな』
携帯から薄暗い笑い声が漏れる。聞く者の背筋を冷たくする、悪意が凝集した笑い声。
『派手に臓物ぶちまけるところ見せてやろうか』
今まで聞いた中で、文句なしに最悪の冗談。
一瞬で沸点に達する。
メーターが吹っ切れるのに腕が連動し、床に叩き付けかけた携帯を、必死に己を律し引き戻す。
「自殺なら一人でしろ、甘ったれんな!!」
腹が立った。哀しかった。俺が必死こいて学校中走り回ったのは、機械越しの無機質な声で、こんな言葉を聞くためじゃない。
「秋山くん、自殺って……」
背後に硬質な靴音が迫る。
頭に血が上ってて接近に気付くのが遅れた。
携帯を持って即座に振り返れば、敷島が愕然と立ち竦んでいた。
途中から激して声を抑えるのを忘れていた。
物騒な会話を聞かれ、冷や汗が出る。
『だれかいるのか』
「電話の相手は?死ぬだの自殺だの爆発だの物騒な……待て、爆発……爆弾?」
独り言を呟く敷島の顔に理解の電流が走り、別人のような剣幕で俺に急接近、携帯を奪い取ろうとする。
「貸しなさい!」
「ちょ、センセ、それ俺の携帯!?」
血相かえた敷島と激しく揉みあいつつ携帯を庇う。
『敷島か』
声で正体を感知した麻生が呟く。
髪と服と息を乱し、敷島の猛攻を辛くも防ぎつつ、少しでも通話の時間をひきのばし居場所のヒントを入手しようとほえる。
「第一関門は教室、第二関門は資料室、当然この先も難関が待ち構えてるんだよな!?ならせめてヒントよこせ、学校は広い、校庭ひっくるめたら一晩でさがしきれねーよ!」
『頭の使いどころ』
「俺ばかだよ!!」
『大声で宣言しなくても知ってる。……俺の行きそうな場所、心当たりない?』
教室。部室。他に麻生が行きそうな場所……第一候補は図書室。しかしもし違っていたら?
図書館は校庭の北側、ここからだと距離が遠く時間がかかる。
はずれだったらタイムロスが痛い。
「ヒント、ヒントくれ!俺の推理もそこそこいい線いってる、最初は教室次は部室、時間はずれてるけど蓋をあけてみりゃ正確にルートなぞってた!だからご褒美くれ、特別出血大サービス、お前のが絶対有利な立場にいんだからちょっとくらい教えてくれたってばちあたんねーだろ!?」
携帯にすがりつき、譲歩案を引き出そうと躍起になる。
恥も外聞もプライドもかなぐり捨て懇願する俺の剣幕にまけじと敷島が手をのばし、携帯を没収ー……
『お前が一晩中放置プレイされた場所』
「あ」
一拍はさみ、返事が来た。
「君が話してくれないなら相手に詳しい事情を聞くか、警察に話すしかない。これは遊びじゃない、実際に人が死んでるんだ」
敷島に持っていかれそうになった携帯を慌てて取り返し耳にあてるも、その時には既に通話が切れていた。
厳正な表情で見詰める敷島に挑み立ち、切れた携帯を未練がましくなで、覚悟を決める。
「…………わかりました、話します。移動しながらでいいですか」
携帯をしまい踵を返す俺に、釈然とせぬ様子で敷島が続く。
資料室の戸を閉め、部室に別れを続ける。
敷島がもつ懐中電灯のあかりを頼りに長い廊下を駆け抜け、一路目的地をめざす。
走りに合わせ懐中電灯が揺れ光がぶれる。
くすんだ旧校舎、冷え切った冬の廊下で俺たちの吐く息だけが仄白い。
先頭を猛然と突っ走る俺に僅差で続き、敷島が聞く。
「どこへ行くんだ」
足を繰り出すたびポケットに突っ込んだ携帯が跳ね、心臓が呼応して踊る。
「グラウンド・ゼロです」
麻生と俺を隔てるボーダーラインが初めてゼロセンチとなった場所……
むせかえるような油絵の具の匂いが染み付く、極彩の爆心地。

そこに第三のヒントがある。
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