少年プリズン

まさみ

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二十九話

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 「おーいリョウ。今の言葉にはちょっと矛盾があるんじゃねえか?」
 それがレイジの第一声だった。
 「は?」
 名指しされたリョウが自分の顔をゆびさして首を傾げる。聖書を小脇に手挟んだレイジは、闇を円く切り抜くサーチライトを背にし、にこやかに叫び返す。
 「12時過ぎても帰ってこねえ囚われのシンデレラは、俺じゃなくてロンだろう」
 驚愕した。
 レイジのいる場所と僕らが今いる場所とでは単純な直線距離にして30メートルは離れてる。これだけの距離を維持していながらさほど大きくもない声でなされた先刻の会話を正確に聞き取れるとは、殆ど人間の範疇を超えた地獄耳だ。
 胸までの高さのあるコンクリート塀から身を乗り出した僕は顔を傾げて四方を見渡し、改めて自分のおかれた状況を確認する。今僕がいるのは、何かの建物の屋上らしい。  
 そしてその建造物の全方位には、コンクリートを敷き詰めた矩形の空間が広がっている。
 東西南北、見渡すかぎりをコンクリートで固められた無機質な空間を視界におさめ、確信する。
 ここは東棟の中庭だ。
 東棟の中庭は自由時間ともなれば囚人たちに開放され、昼間には団体で球技に興じる囚人の姿も数多く見受けられるが、とっくに就寝時刻をすぎた今となっては人けもなく、四隅の高所に設置されたサーチライトだけが煌煌と輝いている。
 僕らが現在囚われた建造物は、日中、中庭で遊ぶ囚人たちが度を越したふるまいに及ばないよう看守が監督するための監視塔だった。中庭の中央に位置する監視塔は、前後左右を余すところなく見渡せる絶好の立地にある。僕らが今手をおいているコンクリート塀は非常に頑丈な造りをしており、目に見える範囲で囚人が暴動を起こしたり喧嘩を始めたりした時に銃床を固定して威嚇射撃するための砲台も兼ねる。
 東棟の敷地内を歩いているときに遠目に眺めたことはあったが、実際登ってみたのは初めてだ。
 最も、自発的に登ったというより強制的に登らされたと表現したほうが正確か。
 静寂の帳がおちた中庭に一人立ち尽くしたレイジが、コンクリート塀に顔をならべた集団の中から銀髪の男を選び、ほほえむ。
 「今宵は舞踏会にお招きいただいてありがとう、北の皇帝」
 「歓迎しよう、東の王」
 優雅に挨拶したレイジに返されたのは、慇懃無礼な労いの言葉。コンクリート塀に手をかけたサーシャは高飛車に顎を反らすや、深海の鮫のように殺気を凍らせたアイスブルーの目で傲然とレイジを見下す。そして、勝ち誇ったように口を開く。
 「噂どおり、東の王には人望がないようだな」
 「あん?」
 「今日この場に招かれた用件はわかっているだろう。それなのに仲間の助力を乞わず、単身戦場に出向いてくるとは……」
 サーシャの口角が痙攣するようにひきつり、笑みというにはあまりにも酷薄な表情が浮かび上がる。
 「噂どおり、東の王は痴れ者だな」
 「痴れ者はお前だろ、永久凍土の皇帝」
 「なに?」
 サーシャが気色ばむ。ただ一人下界に立ったレイジは相変わらず微笑んだまま……だが、その身にまとう空気が一瞬で変質する。
 サーチライトの照明を受け、闇から切り離されたレイジは、積木が散乱した絨毯を極上の緋毛氈だと勘違いした幼稚な皇帝に世の常識を説くが如く、辛抱強い口調で宣言する。

 「ロンは俺の女だ」

 空気が氷結した。
 その時、その場に居合わせた一同の表情をどう形容すればいいだろう―理解不能、というのがいちばん正しいかもしれない。
 東京プリズンの公用語は日本語だ。それは親の出身国はさておき、物心ついた時から日本で生まれ育った二世・三世、または混血児が圧倒的多数を占めるからだが、国別に分かれた派閥内ではその国の言葉が日常語として使われている。たとえば、凱が仕切っている中国系派閥では福建なまりの中国語が幅を利かせているし、サーシャとその手下が僕らの目を盗んで私語を交わしたときにも聞こえてきたのはロシア語だ。
 しかし今レイジが発したのは、完璧な日本語だ。
 サーシャたちが意味を理解できなかったはずがない。レイジの言葉は一言一句正確にサーシャたちに伝わったはずだが、その全員が自分たちの立場を忘失したかのような腑抜けた表情をさらしているのは何故だろう。
 「あの野郎……」
 隣から不穏な気配が漂ってくる。
 ロンがありたけの殺意をこめた三白眼でレイジを睨んでいた。本気で頭にきているらしく、コンクリートの手摺を掴んで墜落せんばかりに身を乗り出す。
 「おいレイジ、人が好きに動けねえからってなに勝手なことほざいてんだ!ありもしねえ事実を素面で捏造するんじゃねえ、今の台詞取り消せ!」
 憤怒で満面を紅潮させたロンが拳を振って前言撤回を要求し、手錠でつながれたロンにひきずられるかたちでコンクリートの手摺に衝突した僕は、その衝撃でずれた眼鏡を中指で押し上げる。鼻梁にずり落ちてきた眼鏡を中指で押し上げ、定位置に戻す。
 眼鏡のレンズに映ったレイジは、あまり懲りた様子もなく首を竦めた。
 「間違えた」
 そして、深呼吸して言い直す。
 満場に響く、よく透る声で。

 「ロンは俺の物だ」

 ロンがコンクリートの手摺で額を強打した。
 僕らの周囲に陣を敷いて展開していたサーシャとその仲間たちは、またコイツ何を言い出すんだと不審な目でレイジを見つめている。
 自分に危害が及ばない安全圏の高所から檻の中の珍獣を観察するかの如き視線の集中砲火にもレイジはめげず、躁病的な早口で続ける。
 「こう見えて俺は嫉妬深い男でね、自分の物に横からちょっかいかけられるのが大っ嫌いなんだ。まあ、俺の目の届かないところや俺の知らないところならまだ諦めがつくさ。その場に俺がいなかったんじゃしかたない、運が悪かった、いけずな神様のいたずらだって言い聞かせて納得することもできるさ。それで俺の物に多少の傷がついたとしたらものすげえ腹が立つし、犯人には殺意が沸くさ。でも逆に考えてみりゃ、チキンハートの腰抜け連中は俺がそばにいりゃあ絶対俺の持ち物には手をださないってことだろ?だったら俺がいつでもそばにいりゃいいだけの話。クソする時も寝る時もシャワー浴びる時も片時もはなれず俺の持ち物のそばにぴたりとくっついて目を光らせてりゃ、それで絶対の安全が保証されるってんだからお安いもんさ」
 額にかかった前髪を鬱陶しそうにかきあげるレイジ。
 サーチライトの光を吸い込んだ薄茶の目に、初めて淡い波紋が生じる。
 レイジの目に波紋を投じた感情の名は―……怒り。
 笑顔の仮面の下で灼熱の溶岩流の如くうごめく、激しい怒り。
 「ところがだ。お前らはご丁寧にも、招待状を送りつけてくれた」
 レイジの口角が急角度で吊りあがり、意外に尖った犬歯が覗く。唇の両端からせりだした犬歯は、彼が普段抑圧している獣性の象徴であるが如くサーチライトの光を反射して剣呑に輝いていた。
 「ロンを人質にとって、俺を中庭に呼び出して、罠をかけて待ち構えて。俺の女を横からかっさらって、人の許可なく手錠をかけて、見晴らしのいい台につないでくれちゃって。それをわざわざ俺に見せ付けるために、リョウに招待状書かせるなんて手のこんだことをして。なに、そんなに王座が欲しいわけ?今度の試合で勝ちたいわけ?不戦勝でも勝ちは勝ち、手足を折って頭蓋骨を割ってブラックワークで使い物にならなくさせたいわけか?」
 掴み所のない笑顔はそのままに、監視塔の上に整列したサーシャたちを超然と睥睨するレイジ。
 「素で聞く。お前ら、何様のつもりだ?」
 「貴様こそ何様のつもりだ、薄汚い混血の分際で」
 コンクリートの塀を王座の肘掛けに見立てて優雅に手をおいたサーシャが、冷厳と言い返す。
 サーチライトの明かりを一身に受けたレイジは、舞台中央で単身脚光を浴びた役者のように大袈裟に両手を広げるや、なんの気負いもないあっけらかんとした口調で宣言する。
 「王様のつもりだ」
 「―王が聞いてあきれる」 
 サーシャのまなざしに霜が降りる。凍てつく氷河のまなざしを広場のレイジから真隣のロンへと移したサーシャは、黄金の錫杖を打ち振り勅命を発する皇帝の如く腕を振りかぶるや、まったく油断していたロンの前髪を雑草を毟るかの如く無造作に掴む。
 「!?痛っ、」
 前髪を一房掴まれてサーシャのほうへと引き寄せられたロンの顔が苦痛に歪み、手錠を共有した僕の体が傾ぐ。さかんに身を捩って抵抗するロンの顎をギロチンに固定する要領でコンクリートの手摺に押しつけ、抑揚を欠いた声で告げるサーシャ。
 ロンの後頭部を覆った手に全体重をかけ、コンクリートの手摺に圧搾された頭蓋骨が不吉に軋む音に恍惚と酔いしれながら、爬虫類の目をした皇帝が薄く冷笑する。
 「ブラックワークの暫定覇者に少しでも警戒していた私が愚かだった。東の王の実体はただの腑抜けで色惚けの混血児ではないか。女を人質にとったという招待状を鵜呑みにして、命令どおりたった一人で出向いてくるとは……王の座にありながら騎士を気取ったのが仇になったな」
 「っ、ぐ……」
 憑かれたように呪詛を口走るサーシャの手の下で、ロンの顔が苦悶に歪む。サーシャが手に力をこめるにつれコンクリートの角が頬へと食いこみ皮膚を削り、ざりっ、と砂を噛む異音が生じる。
 己が手の中のロンを見下ろすサーシャは、実に生き生きとしていた。
 相変わらず表情には乏しいが、鋭角的にそげた頬には混血の手下をなぶっていた時にも垣間見られた嗜虐の笑みが浮かび、レイジの無表情とロンの悲痛な顔とを等分に視野にいれたアイスブルーの目は陰湿な光に濡れ輝いている。
 骸骨のように骨ばった五指に満腔の悪意と渾身の膂力とをこめ、息も絶え絶えのロンの頬へとなぶるように吐息を吹きかけ、狂える皇帝が提案する。
 「東の王ご執心の雑種を先に殺してから、飼い主の息の根をとめるのも一興だな」
 致死量の毒を含んだ挑発にかえされたのは、緊迫感に欠けるのどかなあくび。
 驚いて眼下を見る。視線の集中砲火を浴びたレイジは眠たげに目をしょぼつかせ、あくびを噛み殺すふりで口に手をあてる。
 そして……
 「なあサーシャ。お前童貞だろ」
 耳を疑った。
 退屈そうな顔をしたレイジが、腰に手をあててサーシャを仰ぎ見ている。サーシャは愕然としてその場に立ち竦んだ。レイジの発言はもしサーシャが本物の皇帝と仮定するなら不敬罪が適用されてもおかしくない無礼きわまるものだったが、続く言葉はさらに聴衆の理解を超越していた。
 「前戯が長すぎ。ギャラリーが退屈してんのわかんないの?お前のうしろのガキなんてほら、貧乏揺すりしてるじゃねーか。その隣の奴は小便我慢して股間おさえてるし……いいか?本番前に長々と演説ぶつのは自信のなさの裏返し、単純にテクだけで相手を逝かせる自信のねえ腰抜けの予防策だ。要するにだ、前戯が長すぎるうえにねちっこすぎて女に愛想尽かされる典型だよお前」
 サーシャの顔から笑みが消え、蝋のように白い無表情がおりてくる。
 怒り。
 有機物も無機物も、森羅万象を平等に凍てつかせる氷点下の怒りが、絶対零度の冷気に変じてサーシャの全身から放射される。
 「―よかろう」
 興味が失せたようにロンの後頭部を突き放し、威風堂々と歩み出るサーシャ。前髪を開放されたロンの体がよろめき、僕の肩にぶつかる。期せずしてロンを支える格好となった僕の目の前で、事態は急速な展開を見せる。
 「自分に注意を向けさせて友を救おうという魂胆は見え見えだが、お前のつまらん試みにあえて乗ってやろうではないか」
 「さっすが皇帝、話がわかるう」
 尻に手をあてた姿勢で上体を仰け反らせ、真っ向からサーシャの視線を受け止めて不敵に笑むレイジ。その過剰に余裕ぶった態度が気に食わなかったのか、夜風に銀髪を泳がせたサーシャが横柄に顎をしゃくる。
 サーシャがロンを痛めつけている間に、首領の意を汲んで眼下の広場に移動していたロシア系の少年たちが、絶妙の連携でレイジを取り囲み、輪の中央に追いつめる。
 レイジは尻に手をあてた余裕の体勢で殺気走った少年らを見渡し、1・2・3と口の中で数を数えながら、おもむろにレイジが言う。
 「―サーシャ。ひとついいか」
 「なんだ」
 「いくら自分が直接手の届かない安全圏にいるからって、三分の二の戦力をこっちに割くのは……」

 一閃。
 レイジの腕が俊敏な弧を描き、よく撓った腕から投擲された円筒形の瓶がサーシャの脳天へと急降下する。

 「『命取り』だって、よーく覚えときな」
 
 瓶が爆発した。
 サーシャが燃えた。

 「!」
 凄まじい破裂音に鼓膜が麻痺し、平衡感覚が狂ってその場に転倒する。ロンを巻き添えにしてコンクリートの地面に突っ伏した僕の視界が赤く染まり、火の粉が弾ける。
 ずれた眼鏡を直してあたりを見回す。
 目の前でサーシャの背中が炎上していた。
 火にくるまれたサーシャは野太い絶叫をあげて激痛を訴え、左右に侍っていた少年ふたりが慌てふためいて囚人服を脱がそうと試みる。サーシャの後ろでぽかんと突っ立っていた少年たちがようやく自らの成すべきことに思い当たり、サーシャの服を脱がすのに苦戦していた仲間に加勢する。
 火が燃え広がり、背中一面が無残に焼け焦げた囚人服を苦労して脱がしたときには、サーシャは地に膝を屈して荒い息を吐いていた。その額には無数の玉のように脂汗が浮かび、夜目にも白い背中からは今だ焦げ臭い臭気がたちのぼっていた。
 対処が早かったため大事は免れたが、軽度の火傷を負ったのは事実だ。
 「大丈夫ですか、サーシャ様!」
 「お怪我はございませんか、皇帝!」
 「案ずるな、忠臣よ。大事はない」
 自らの肩におかれた手をなだめるように外し、ゆっくりと上体を起こすサーシャ。コンクリートの地面には粉々に砕けた瓶の破片と無数の火の粉が散乱していた。
 「―今のは爆弾か?」
 「正確には火炎瓶だ」
 ロンの独白に、頼まれてもいない注釈を付け加える。
 レイジが投擲したのは手製の火炎瓶だ。
 レイジが投げた火炎瓶はサーシャと接触すると同時に炸裂、彼の目論見どおりにサーシャを炎上させた。
 しかし………
 「なぜだ?」
 自分の声が上擦っているのがわかる。いまだ名残惜しげに地面で燻っている火の粉から僕の横顔へと目を転じたロンが、訝しげに眉をひそめる。
 「なぜ、危険物の持ちこみが厳重に禁止されてる刑務所内で爆弾が作れる?あの男はどうやって、人ひとり火だるまにできる威力の火炎瓶を作ったんだ?」
 「火炎瓶ってのは身の周りにあるもので意外と簡単にできるもんなんだぜ」
 ズボンの膝にふりかかった火の粉を払い落とし、手錠を引いて立ち上がるロン。鎖に引かれ、強制的に立ち上がらされた僕のほうは見ずにロンが口を開く。
 「俺の場合は横流し品の手榴弾だったけど、取り調べんときにサツから聞いた話じゃ中はずいぶん雑な構造をしてたらしい。一歩間違えば、肉片になって吹っ飛んでたのは俺のほうだった」
 そう語るロンの目は、韜晦した口調とは調とは裏腹に救いがたい暗さと厳しさを秘めていた。
 臣下に両脇を支えられ、下界を一望できる特等席へと導かれてゆくサーシャの歩みから、コンクリート塀の向こうの戦場へと目を転じ、空恐ろしげに眉をひそめてロンがささやく。
 「ましてや『あの』レイジだ。火炎瓶でも爆弾でも、鼻歌うたいながら仕上げちまうだろうさ」
 僕はただただ呆然とそう断言するロンの横顔を凝視するしかない。
 
 いったい、レイジは何者なんだ?
 鼻歌まじりで火炎瓶を作り、なんのためらいもなくそれを投げ、人ひとりを炎上させるなんて、どういう精神構造をしてるんだ?
 
 本気でレイジに怯えているらしいロンのこわばった表情と、間接が白くなるほどに握り締められた拳とを見比べ、僕が首を捻った時だ。
 「!」
 ロンと同時に振り向き、コンクリート塀から身を乗り出す。
 到底これが人間の喉と声帯から生み出されたとはおもえない、濁りに濁った絶叫が聞こえてきたからだ。
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