少年プリズン

まさみ

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九十三話

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 「どうしたんだ?やるのかやらねえのか」
 サムライを挑発したユアンを加勢するように野次がとぶ。
 「サムライなら男気見せてみろよ」
 「腹切れよ」
 「てめえの女救うために下水道に手えついて土下座してみろ」
 「コンクリートに額こすりつけて命乞いしな」
 長大なコンクリートの暗渠、照度の低い冷光灯が30メートルの間隔をおいて点々と設置された肌寒い暗闇。黙ってじっと立っていても冷気が骨の隋まで染み込んできて呼気が白く曇る。寒い、身も凍るほど寒い、いや、既に寒いという感覚は通り越した。痛い。息を吸うたびに肺を氷針で刺されるような鋭利な痛みを内側に感じ、呼気を吐き出すのが辛くなる。水にぬれた体は冷える一方だ、体温は急速に低下している。歯の根が合わずにがちがちと震えている。二の腕を抱いて暖をとろうにも両手はまとめられている、今の僕はなにもできない、瀕死のゴキブリより無力な状態だ。
 歯痒い。
 目だけ動かしてサムライを見る。
 暗闇に溶けた長身は厳粛な雰囲気で佇立していたが、白い吐息の向こう、乱れた前髪の奥から覗いたのは一重の双眸。 
 少年と形容するには鋭すぎ、青年と形容するには悟りすぎた、幾星霜を厳しい修行に耐え抜いた武士としか形容しようのない峻厳なまなざし。
 「なんだよその目は。文句あんのかよ」
 この期に及んでまだ武士の誇りを失わないサムライに反発したのだろう。
 長い沈黙に焦れたユアンが横柄に顎をしゃくる。僕を押さえこんだ少年がリョウに目配せを送る。リョウがポケットから取り出したのは針金。反射的に顔が強張り、心臓が止まりそうになる。針金を口に突っ込まれた恐怖と激痛が生々しくよみがえり全身から血の気が引いてゆく。 
 逃れようとした。無駄だった。背中に乗った少年が片膝に体重をかけ、右足左足を掴んだ少年ふたりがさらに腕の力を強める。腕を絞られ、皮膚がねじれる激痛に口から苦鳴がもれる。肩甲骨と肩甲骨の間を片膝でおさえた少年が僕の右腕をコンクリートに水平に固定、無理矢理五指を広げさせる。
 「爪と皮膚の間って神経が集まってていちばん敏感なところなんだよね」
 僕の指を手にとってまじまじ眺めていたリョウが口笛でも吹きそうな口調で言う。
 「生爪剥がされるのってどんな感じかな。麻酔なしで歯を削られるのとどっちが痛いかな」 
 喉が変なふうにひきつり、間延びした喘鳴が漏れる。
 コンクリートの地面にしっかりと僕の指を固定させる。その指先、爪と皮膚の間に針金の先端があてがわれる。鈍い銀色に輝く金属の先端が見せ付けるようにゆっくりと皮膚と爪の間にもぐりこみ――
 衣擦れの音。
 来るべき激痛にそなえ、固く閉じていた目を開ける。あんまり強く目を閉じていたせいで視界には赤い輪が明滅していたが、一点に焦点を凝らすと次第に薄れて消えてゆく。僕が焦点を凝らした先にはサムライがいた。目を開けてサムライの姿を見て違和感を感じる。背が縮んだ?まさか、人間の背が一瞬で縮むわけがない。
 もっとよく目を凝らす。
 サムライの背はたしかに縮んでいた。そのはずだ、サムライは床にひざをつき、今まさに両手をつき、両の肘を屈曲させた姿勢で土下座の前段階に入ろうとしていたのだから。
 いやだ。
 サムライのこんな姿は見たくない。
 「サムライ!」
 声は震えていた。きっと寒さのせいだ、冷たい水に漬けられて体の芯から凍えていたから声がみっともなく震えていたのだ。
 サムライが地面に膝を屈した姿勢で、半身だけ伸び上がるようにこちらを見る。全員の視線が僕に向く。愉快な見せ物に水をさされたユアンと仲間たちが音荒く舌打ちするが、関係ない。
 サムライは僕だけを見ていた。
 僕はサムライだけを見ていた。
 他の人間は視覚的には存在していたが心情的には存在してなかった、いないも同然だった。僕の目はユアンを通り越してサムライだけを見つめていた、今まさに武士の矜持をかなぐり捨て、僕を救うために人前で土下座を強いられようとしている男を。 
 そんなサムライは見たくない。
 この男のそんな無様な姿見たくない。
 サムライが人前で醜態を晒すなんて耐えられない、しかも僕の為に、足手まといの僕の為にだなんて我慢できない。
 「僕の為に土下座なんかしたら一生軽蔑するぞ」
 吐く息が白く染まる。
 大気に溶けた息の向こう、サムライは常と同じ無表情でじっと僕を見据えていた。が、やがてその唇が綻び、この男にしてはごく珍しい笑みを浮かべる。
 「お前の軽蔑など痒くもない」 
 挑発的な笑みを唇の端に矯めたサムライが瞑想に入るように肉の薄い瞼をおろす。ゆっくりと瞼を上げ、糸のような薄目を開ける。次第に上がりつつある瞼、瞼が完全に上がりきったときには最前までたしかに浮かんでいた仏の微笑は拭われたように消え去っていた。
 空気が変容した。
 微笑を脱ぎ捨てたサムライがゆっくりと顔を伏せ、百八十度に近い角度で肘を折り曲げる。綺麗な扇形に開かれたサムライの腕、沈んでゆく後頭部。いつでも、だれの前でも決して恥じることなく、逃げも隠れもせずにまっすぐのびていた背中が桑の葉を虫食む蚕のように丸まり、そして。
 額が完全に、コンクリートに付く。
 「…………………………………………」
 僕の目の前でサムライが土下座している。
 あの誇り高い男が、だれに対しても膝を屈することなく、だれに対しても媚びることなく、背筋をまっすぐにのばして立つこの男が。
 膝を屈し、肘を屈し、首を屈し。
 黴臭い地面に額を擦りつけ、身動ぎもせずに耐えている。耐え抜いている。
 「なんで……」
 なんでそこまでするんだ?
 僕はもう完全に愛想を尽かされたはずなのに、サムライに軽蔑されたはずなのに、何故サムライは僕を助けようとする?無視することもできたはずだ、食堂でフォークを無視したときのようにリョウに呼び出された僕を放置することもできたはずだ。何故そうしなかったんだ、木刀ひとつ引っさげてのこのこ下水道まで出むいてきたんだ?
 「僕はかってに手紙を見ようとしたんだぞ」
 きみの過去を暴こうとしたんだぞ。きみがだれにも知られたくないと思っていた過去を。
 「僕はきみを侮辱したんだぞ」
 『自分が殺した女の名を未だに忘れられずに夢で呼ぶなんて本当に情けない男だ』
 無断でサムライの手紙を読もうとしたことが発覚して壁際に追いつめられた僕はそう言った、卑屈な薄笑いさえ浮かべてサムライを嘲弄した。サムライを情けない男だと言った、自分の身を呈してまで監視塔で僕を助けてくれたサムライを、明日の強制労働に差し障るのに嫌な顔ひとつせず恵への手紙を見直してくれたサムライを、何度も何度も僕を助けてくれたサムライを。
 何度も何度も、本当に何度も。
 「僕は……」
 僕はなんだ?
 続けようとした言葉が塊となって喉に詰まる。他人に依存するなんて情けない真似はお断りだ、他人の助けを借りなければ生きていけないような惰弱な人間に成り下がるのを僕はなにより嫌悪していたはずだ。だからずっと目を逸らし続けてきた、サムライは頼みもしないのに僕を助けてくれる物好きな男だと、お節介で鬱陶しい人間だと、行動に謎が多いモルモットだと。
 じゃあ僕は、これまでずっとモルモットに助けられてきたのか?
 自分が見下していた人間に助けられてきたのか?
 僕は馬鹿だ。
 何故モルモットに人間を支えることができる?観察者と観察対象の関係に異物が入りこむ余地はない、観察者と観察対象の関係には相互扶助の精神など介在しない。いや、相互ではない。もっと酷い、僕はモルモットの立場の人間に一方的に扶助されてるだけではないか。
 こんな不均衡な関係は、もう観察者と観察対象に分類できない。 
 頭ではわかっていた、でも認めたくなかった。こんな何を考えているかわからない男の言動に自分がいちいち心乱されていると認めたくなかったのだ、モルモットだと見下していられた間は精神的に優位に立てた、たとえそれがむなしい先入観で思い込みに過ぎなくてもそう自己暗示をかけることで僕は僕でいられた、鍵屋崎 直でいられた。
 恵以外の他人に依存することなく、友人を必要とすることなく、「寂しい」という感情を知らない人間でいられたはずなのに。
 嫌だった。
 僕はそうとは気付かずにサムライに縋っていた、だから「なえ」のことが気になった。僕が現在進行形で縋っている人物が過去形で縋っていた女性、もしくは現在進行形で縋り続けている大切な女性。
 安田ならこの不条理な感情になんて名前を付けるだろう。
 『初めて出来た友人に対する独占欲』とでも指摘するだろうか。
 その意味では僕はたしかに嫉妬していたのだ、顔も見たことない、しかしサムライに大切に想われている『なえ』という女性に。
 馬鹿みたいだ。本当に、馬鹿みたいだ。
 サムライの姿が正視できない。土下座したサムライから顔を背け、痛いほどに唇を噛み締める。うつむいた僕の頭上で声が交わされる。
 「マジかよ、本当にやりやがった!」
 「傑作だぜ、あのサムライが、サムライ気取りのくそったれた親殺しが黴の生えた地面に額こすりつけて命乞いしてやがる!」
 「もっとひと呼んでくるんだったな、こんなおもしれえ見せ物俺たちだけで独占するんじゃもったいねえ。天下のサムライがこんな可愛げねえメガネひとりに熱上げてよ、ユアンに言われたとおり俺らに手えついて謝ってんだぜ?とんだ玉ナシだな」
 「玉なし?ちがう、玉はある。だから『なえ』さんとそういう関係になったんでしょ」
 『なえ』  
 頭から冷水を浴びせられた気がした。
 「なえってだれだよ?」
 ユアンの不審げな声にリョウは楽しげに答える。
 「サムライの恋人。知ってるんだよ、きみがパパ含めた門下生十二人を殺したワケ。幼い頃から剣の修行一筋に励んできたサムライは年頃になってひとりの女性と恋に落ちた、それが『なえ』。サムライの遠縁にあたる親戚の娘だけど幼い頃に両親を亡くして本家に引き取られてきた女の子。ところがこの『なえ』ちゃんは目が見えなかった、生まれつきかどうかは知らないけどね、それに同情した本家当主…つまりサムライのお父さんだけど…がお情けで引き取ってあげたみたい。そんなわけで親類の子と言っても屋敷じゃ厄介者の使用人扱い、朝から晩まで雑巾がけや雑用にこきつかわれる薄幸の少女だったわけ」
 呼吸すら止めてリョウの話に聞き入る。
 リョウが饒舌に語るサムライの隠された過去、「なえ」の正体。
 「でもさ、年頃の男女が一つ屋根の下にいて色恋沙汰に発展しないわけないよね。『なえ』ちゃんは『なえ』さんになってサムライも立派な剣士に成長した。サムライと『なえ』さん、小さい頃から仲良かったんでしょ?よくふたりで遊んでたんだよね、庭で。二つ年上の『なえ』さんはきみのお姉さんみたいな存在だった、やさしくておしとやかでいっつもニコニコしてて……サムライのお父さんてのがおっかない人でさ、地元じゃ鬼帯刀って呼ばれてたんだって。オニタイトウ。三歳になったばかりの我が子に刀を握らせて植木を斬らせたり藁人形を斬らせたり……まあそれくらいで済めばいいんだけど、熱が入ってくると小鳥や小動物まで斬らせたんだよね。庭に迷いこんできた野犬をばっさりヤらせたり。それでさ、怖気づいたり犬が可哀相になったりして一太刀で留めさせないと頭から桶で汲んだ冷水浴びせたんでしょ?そういう時必ずきみをなぐさめてくれたのが『なえ』だった。一緒に野犬のお墓作ったりしたんだよね?桜の木の下に」
 「桜の木の下」という言葉にサムライが強く反応する。
 地面に付いた手が震え、肩が強張る。
 リョウの語りは続く、サムライに対する二人称「きみ」を時折思い出したようにまじえ。 
 「『なえ』はきみのお母さん代わりでお姉さん代わりで唯一の安らぎ……心の支えだった。ふたりが恋に落ちるのは自然な成り行きだった。でも、上手くいかないよね。使用人と本家の跡継ぎじゃ立場が違いすぎる、ましてや相手は目が見えない、両親を早くに亡くした天涯孤独な女の子。サムライのお父さんは厳しい人だった、大事な跡取り息子が色恋沙汰にうつつをぬかして剣の修行をおろそかにするのが許せなかった、絶対に。だからサムライに命じた、『なえ』とは縁を切れって」
 サムライは答えない。
 何かに耐えるように悲痛な沈黙を死守し、コンクリートに額を付けている。微動だにしないサムライにリョウが歩み寄る。リョウに続くのはユアン、ユアンに促された少年がひとりふたり、僕の右足と左足を解放してリーダーについてゆく。僕を押さえこんでおくにはひとりで十分だと高を括っていたのだろう。
 「きみは言う通りにした。『なえ』より剣を選んだんだ」
 「…………」
 サムライの傍らに屈みこみ顔を覗きこむリョウ。サムライの表情はこの距離からでは見えないが、地面に付いたてのひら、五本の指の関節が白く強張っているのがちらりとかいま見えた。   
 深々と顔を伏せ、痛覚への刺激で奈落に没しようとする自我を繋ぎとめ、奔騰した激情を自制しようと地面に爪を立てるサムライ。
 「きみに捨てられた『なえ』は絶望した。可哀相に、『なえ』さんは本気だった。本気できみのことを愛していたんだ。それなのにきみときたら、ねえ?どうせ遊びだったんでしょう、人間国宝の祖父を持つ名門道場の後継者が目の見えない使用人なんて本気で相手にするわけないもんね。ボロ雑巾のようにもてあそんでポイと捨てるつもりだったんでしょう、最初から。きみに絶縁された『なえ』は絶望して首を吊った。子供の頃、ふたりで犬のお墓を作った桜の木の枝でね。逢引によく使った思い出の場所だったんだよね?でしょ」
 無反応のサムライからどうにか言葉を引き出そうとリョウが耳元でささやく。
 「『なえ』に死なれて逆上したきみは神棚の刀を引っ掴み、実の父親を一太刀で斬り捨てた。むかし野良犬にやったみたいに、ね。『なえ』が死んだのはお父さんのせいだって逆恨みしたのかな?道場の門下生まで殺したのは何でだかよくわかんないけど、要は巻き添え食らったんでしょう。きみ、一度キレると手がつけられないタイプっぽいもんね。お父さん殺したときはそりゃ『なえ』さんの敵討ちって大義名分があったかもしれないけど、他の11人を続けざまに斬殺したのは肉を斬って骨を断つのが病みつきになったからでしょう」
 サムライの肩に手をそえたリョウがすっくと立ち上がる。
 「『なえ』の死は言い訳、お父さんの死はきっかけ。これが全真相、スカした顔したサムライはたんなる色狂いの殺人狂だったわけ。がっかりだね」
 良心の呵責などかけらも感じさせずにサムライの過去を暴露したリョウが気分爽快にユアン達を振り向く。
 サムライを取り囲んだユアン達が口々に罵声を浴びせる。
 「はっ、東棟のサムライが、レイジに継ぐ実力者とかおだてられて乙に澄ましてたサムライがそんな情けねえ男だったとはよ!」
 サムライの肩を拳で殴るユアン。 
 「女に首吊られてキレちまうなんていまどき流行らねえよ、浪花節も大概にしやがれ」
 仲間の少年がサムライの左手を踏む。
 「それとも何か、そんなにイイ女だったのか?」
 「目が見えねえならやりたい放題だもんな」
 サムライの左手を靴裏で踏みにじって泥まみれにした少年が高笑い、もうひとりの少年が調子に乗って右手首を踏みつける。三人にかわるがわる小突き回されながらそれでもサムライは顔を上げない、地面に両手をつき額を擦りつけ、されるがままにじっと耐えている。
 しかし、僕は見てしまった。
 地面に付いたサムライの手が、爪も剥がれんばかりにコンクリートを掻き毟っている。
 肩といわず頭といわず降り注ぐ殴打の嵐に耐えるためというより、『なえ』にまつわるゲスな詮索、ユアン達の想像の中でなす術なく汚されてゆく『なえ』に対する自責と憤怒とに苛まれ、慙愧の念にいたたまれずにコンクリートに爪を立てる姿。
 「で、どっちが目当てだったんだ」
 「顔か体か、それとも両方?」
 「体だろう、きっと締まりがいい―……」
 卑猥な軽口を叩いた少年がサムライの右手を踏みにじろうと足を振り上げたのを見て、理性が一瞬で蒸発した。
 剣を握る大事な右手。

 ―「やめろ!!!!」―

 鼓膜を震撼させる絶叫。
 驚いた少年たちがサムライを小突くのを止め、一斉に振り向く。硬直した少年たちひとりひとりを睨みつける。 
 「サムライと、サムライの大事な人を侮辱するな」
 口の中が苦いのは血のせいだ。
 きっとそうだ。
 「貴様らになにがわかる、サムライと貴様らを一緒にするな。サムライはそんな低俗で低劣な人間じゃない、貴様らに何がわかるんだ」
 サムライは『なえ』の遺書を片時もはなさずに握り締めていた。
 左腕を折られても、なお離さず。
 「サムライは僕が認めたモルモットだ、生まれて初めて僕が恵以外に、妹以外に認めた他人なんだ!僕が生まれて初めて対等になりたいと望んだ人間なんだ、『なえ』はサムライが認めた女性、サムライが愛した女性だ!!ふたりを侮辱するのはこの僕が、鍵屋崎 ナオが絶対に許さないぞ!!!」
 貴様らになにがわかる、わかるはずがない。
 僕にだってわからないことが貴様らなんかにわかってたまるか。
 でも僕はサムライのことが知りたい、理解したい。サムライの過去すべてを理解しようなどというのは思い上がりだ、それが今はっきりとわかる、さっきリョウに言った言葉で自覚した。
 だからすべてを知りたいとは言わない、そんな虫が好いことはいまさら言えない。
 ようやくわかった。こんな単純なことが、どうして今までわからなかったのだろう。
 それでもこれだけは言える、サムライは僕が認めた男、『なえ』は僕が認めた男が好きになった女性だ。 
 ふたりに対する侮辱は、僕自身を侮辱されるより何倍もこたえる。
 「サムライの手から足をどけろ」
 氷点下の声音で命令する。
 「サムライの右手は刀を握るためにある、人を、大切なものを守るためにあるんだ。自慰しか用途のない貴様らの右手と一緒にするな」
 サムライの右手を踏み付けていた少年の顔色がサッと紅潮、奇声を発してこちらに突進してくる。僕の背中を押さえこんでいた残るひとりが狼狽、拘束が緩む。
 今だ。
 瞬間冷却した頭でタイミングを計算し、はげしく身を捩る。油断していた少年が悲鳴を発して胴から落下、コンクリートに突っ伏した彼が頭を振って起き上がる間にポケットに手を突っ込む。僕に振り落とされた少年が逆上、怒りに任せて鉄拳を振り上げたその鼻先にぴたりとポケットに隠し持っていたフォークをつきつける。
 「だれの学習能力がないって?」
 サムライの傍ら、リョウを振り返る。
 「監視塔の一件で学習した、手ぶらで呼び出しに応じる馬鹿がどこにいる?こんなフォークでもないよりはマシだろう」
 リョウがいまいましげな顔をする。息を呑んだ少年の鼻先から頚動脈へとフォークを移動させ、宣言する。
 「天才をなめるなよ」
 この四ヶ月で僕も多少は成長したのだ。
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