タンブルウィード

まさみ

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Black Widowers15

恩寵が枯れ果て荒廃した礼拝堂。割れた窓から落ちる月明かり。説教台に面した最前列の長椅子に、モッズコートを羽織った青年と褐色肌の老婆が腰掛けている。
青年は長椅子の肘掛にドリームキャッチャーを結んだライフルを立て掛け、老婆の膝には水晶玉が安置されていた。
「本当に大丈夫ですか?念のため病院で診てもらった方が」
「金はないよ」
「立て替えますよ。あっ待てモーテルに帰らなきゃ持ち合わせがない、診療所ってツケが利くかな?」
「本人が大丈夫って言ってるんだから大丈夫さ、擦り傷だから気にしなさんな」
「擦り傷だからって油断してほったらかすのが一番怖いんですよ、バイキン入っちゃったら一大事だし破傷風なめたら死にますよ」
「赤の他人に随分食い下がるねェ。アンタみたいなお人好しイマドキ珍しいよ、そんなんじゃさぞかし生き辛いだろ。ところでどうしたんだい、アンタ臭いよ」
「や、やっぱり匂いますか」
「残飯の山にでも突っ込んだのかい?悪臭で鼻が曲がりそうだ、匂いが伝染るからあんまり近寄らんどくれ」
「すいません……」
コートの袖口を嗅いだピジョンが八の字眉になり、長椅子の天板を尻で擦って端っこに移動する。
枯れ枝のような指を水晶玉に添えた老婆は、親切心からの説得に頑として肯わず、白濁した瞳を虚空に凝らす。
「よりにもよって教会を寝床に選んだのが運の尽き、連中の言うとおり了見の狭い神様の罰が当たっのかね。とはいえこの年になると野宿はこたえてねえ、テントを張るのもめくらの老いぼれにゃ手間だ」
「ノイジーヘブンには何日前に」
「今日で二週間てところかね?賞金首の掃討目当てに出入りが増えたしぼちぼちよそに移る頃合いじゃとは思っていたが、ケチなコソ泥風情に目を付けられるとはヤキが回ったもんじゃ」
「ずっと一人旅を?」
「まあね」
「占いで生計立ててるなんてなんてすごいなあ。目が不自由なのに旅を続けているのも」
「そっちは賞金稼ぎかい?」
「わかりますか」
「見えなくても音と匂いでわかるさ、アレだけ派手にぶっぱなしてりゃね。しかもかなりの腕前と見た、五分と掛からず追っ払っちまったじゃないか」
「不意打ちがたまたま成功しただけで威張れません。暗闇が味方してくれました」
「何にせよ助かった、アンタが上手いこと通りがかってくれなきゃ今頃身包み剥がれてくたばってたよ。命の恩人だね」
「とんでもありません」
条件反射で謙遜してから異常に夜目が利いたことに戸惑い、不気味に静まり返った礼拝堂を見渡す。狙撃に集中している間は気付かなかったが、さっきは一時的に視力が向上していた。
数時間前から打ち続いた目の痛みは漸く落ち着いたものの、解像度を増した視界に違和感がある。夜梟の目を移植されたみたいだ。自分の身に起きた変化に困惑を隠せぬピジョンの隣、萎んだ老婆が太い息を吐く。
「そろそろ潮時かもしれないね」
「これまでどんな所に行かれたんですか」
「東へ西へ南へ北へ。ある時は赤茶の荒野をこえて、ある時は干上がった川を渡って、この水晶玉と一緒に大陸中回ったよ。風車が回る田舎にもネオン輝く都会にも行った。回転草は旅の友、行き先にゃどこへだって付いてきた。とはいえ占いだけじゃ食ってけないからね、仕方なく体を売ったこともある。若い時分の話さ」
その事を別段恥じても悔やんでもないのか、達観した口調で懐かしむ。
数十年の追憶に耽る横顔を温かく眺め、郷愁を刺激されたピジョンがしんみり頷く。
「子供の頃を思い出します。母さんは女だてらに車を転がす流しの娼婦で、行く先々でお客を取りながら俺たちを育ててくれました。物心付いた頃から町から町への旅暮らしで友達もろくに出来なかったけど、落書きだらけのガソリンスタンドに泊まったり洗濯物を木に干したり、今思えば楽しかったな。廃車場の部品をかき集めて、見様見真似でラジオやスリングショットを自作したのもいい思い出かな。回転草と同じく風の向くまま気の向くまま、あっちこっちへ転がっていく根無し草です」
「旅に付き合わせた母親を恨んでるかい」
「まさか!俺もアイツも母さんがいたから大きくなれたんです、恨むとかあり得ない」
思いがけない返しを力強く否定する。しかしすぐ表情を曇らせ下を向き、取れかけのボタンをいじりだす。
「俺は何やらせても要領悪いしグズでノロマで鈍感だから、どっちにしたって友達作りには苦労しました。街の子たちにはよくいじめられて、そのたび弟がすっとんできた。アイツがよく言ってました、兄貴のオツムは母さん譲りのポンコツお花畑だって。脳みそ代わりにおが屑詰まってるんじゃないかとも言われたな。ホント酷いですよね実の兄に向かって、アイツには思いやりの心ってもんがないんだ。おが屑詰まってるのはどっちだよ、すぐ火が付いてカッカするくせに」
「弟さんとは何歳差だい」
「二歳違いです。腹違いなんで半分しか血は繋がってません。俺とは全然似てないんですよ、笑っちゃうくらい。アイツは母さん似、俺は父さん似。と言っても顔知らないけど、母さん曰く笑った顔がよく似てるそうです」
「親父さんは優男だったんだね」
夜の礼拝堂で話が弾む。
逃げるようにモーテルを去った先で話し相手に出会えたことは、ピジョンにとって幸運だった。
夜明けまでまだ長い。独りでいたら心を病む。大陸中を旅して見聞を広めてきた老婆と並んで座り、他愛ない思い出話に浸っている間だけは現実を忘れていられるのに加え、当人の目が見えなくともひとりぼっちで暗闇に置き去るのは躊躇われた。
お喋りの間も警戒と監視を怠らず、伸ばせばすぐ手が届く距離にスナイパーライフルを置いたピジョンは、矢継ぎ早の質問で老婆から昔語りを引き出していく。
「占いってどんなことするんですか。映画や小説じゃ水晶玉に手を翳して未来を視ますけど、あんな感じでやるんですか」
「時と場合によりけりだね」
「お婆さんが服に掛けてるアミュレットはジプシーのおまじない関連でしょうか。面白いデザインですね、どんな意味があるのか知りたいです。俺も馴染みのインディアンに習ってドリームキャッチャー編んだんですよ、せっかくなんでライフルに飾ってます」
レティクルで標的を弔い、悪夢を捕まえてほしいと願って。
「お客さんはどんな人ですか?やっぱ恋占い希望が多いのかな。俺の母さんも恋バナ大好きで四六時中ラジオの恋愛相談コーナーに齧り付いてました。で、別の番組聞きたい弟と喧嘩。大人げないんですよねどっちも、毎回止めに入るこっちの身になってほしいです」
「誰だって運命の人は気になるからねえ。五十年前にカクタスタウンで会った娘には、親の言いなりで三十離れた金持ちと結婚するのとイレギュラーの恋人と駆け落ちするのと、どっちが幸せになれるか聞かれたよ」
「ロマンチックだ……答えは?」
興味津々身を乗り出すピジョンの方は見ず、皮肉っぽく口端を上げる。
「アンタ次第と答えたよ。私にできるのは分岐点を示すことだけ。よしんば未来を垣間見た所で、そこに至る道は一本道じゃないからね。運命っていうのは詰まるところ川みたいなもんで、激しい流れに逆らうのは難しくても、死に物狂いに抗い切って渡れないとも限らない」
川の流れをまねて上から下へ片手を泳がす老婆を見詰め、含蓄深い箴言に感心する。
「俺もカクタスタウンにいたことあります。懐かしいなあ、元気かなジェニー」
「誰だい」
「初恋の子です。雑貨屋の店番してる所に一目惚れしました」
「ふむ」
「あっちは弟にお熱でしたけど、街を去るときにお別れのキスをもらったんです。今頃は素敵な女の子になってるだろうな、最近は手紙のやり取りも途絶えてすっかりご無沙汰だけど……実はちょっとした事件に巻き込まれて、彼女の弟たちにも手伝ってもらって、賞金首を捕まえたことあるんですよ。上から下まで黒ずくめのワタリガラス、友達作りが趣味で生きがいのレイヴン・ノーネーム」
「ああ知ってるよ、絵描きの賞金首だろ?モデルにした子を監禁して殺す」
「優しい人だと思ってたんです最初は、よそ者の俺にも良くしてくれたし。でも違った。俺の目は節穴だった。彼の親切が見せ掛けの罠だって見抜けないで、弟をみすみす危険にさらしてしまった。アイツはスワローをアパートの部屋に監禁して、とっても酷いことをしたんです」
今は監獄で過ごしているらしい、レイヴン・ノーネームの犯行に想いを馳せる。
「レイヴン・ノーネームの検挙が俺たちの初手柄でした。二人で賞金稼ぎになる誓いを立てたのもあの時」
「母親の反応は」
「笑って送り出してくれました。そこに至るまでに紆余曲折あったんですけど、今振り返ればいい思い出です。お婆さんのご家族は?」
「天涯孤独の身の上だよ。子供の頃に馬車の事故で家族を亡くしてね」
「ご、ごめんなさい」
失言を悔やんで詫びた直後、老婆が胸元に下げた五芒星のペンダントが目に飛び込む。同じ物をどこかで見た気がする。ああそうだ、サシャが肌身離さず付けてるアクセサリーに似てるんだ。
ピジョンはおずおず訪ねる。
「好きになった人とかいなかったんですか」
「忘れられない男は数人。何をとち狂ったんだか、嫁に欲しいと言ってきた酔狂な牧場主もいたっけ」
「プロポーズ受けなかったんですか?」
「好みがあるからねえ。一人だけ本気で惚れた人がいたよ。行きずりに孕まされた私の手を取って、腹の子の父親になると請け負ってくれた人。なのに駆け落ちの途中で崖から落ちてあっさり死んじまって、こっちは一週間近く飲まず食わずでさまようはめになった」
「お腹の子はどうなったんですか」
聞いていいものか迷った末、好奇心に負けて遠慮がちに問えば、老婆の顔に沈痛な色が浮かぶ。
「身重で峠越えの無理が祟っちまったのか、嵐の晩に早産したよ。人様の納屋の隅を借りてひり出したんだが、産声を上げなかった」
「辛いですね……」
「可愛い女の子だった。肌の色は私と同じ褐色、髪は父親と同じ金色。生きてれば子供を産んで、私に孫がいてもおかしかない」
やっぱり神様は残酷だ。十字架に触れ冥福を祈りかけ、さすがに節操がなさすぎると反省して指を剝がす。
辛気臭い雰囲気を厭い、老婆が明るい声を出す。
「あんたは?他にどんな街に行ったんだい」
「アザレアタウンをご存じですか。むかし炭鉱で栄えた町です、コヨーテが沢山住み着いてる」
「何年か前にキマイライーターが遠征した土地かい。閉鎖された廃坑に指名手配の賞金首が潜伏してた」
「ネイキッド・クインビーですね。彼女とも因縁があります」
問われるがままピジョンは話す。
賞金稼ぎになる計画をどちらが母に切り出すかで弟と揉めたこと、ピジョンの誤解が原因でスワローが家出したこと、廃坑道で迷子になってクインビーに追いかけられたこと、アザレアタウンを救ったキマイライーターの活躍を。
「同情するのは間違いかもしれません。けど、クインビーは可哀想でした。彼女は小さい子供でした、当時の俺よりまだ幼い……外道な実験で体をいじられてさえいなきゃ、どこにでもいる普通の子供として生きて、普通の大人になれたかもしれない。それを夜寝る前に繰り返し考えてしまうんです」
あれから時が経って色々なことがあったが、クインビーの最期を思い出さない日はない。
レイヴンだってそうだ。自分の選択が最善だったのか、もっと良い方法があったんじゃないか、どうしても考えてしまわずにはいられない。それが非情になり切れないピジョンの弱さ、スワローに言わせれば偽善者のずるさだ。

無人の祭壇に暗い視線を放り、棘の冠を被った磔刑像を睨み付ける。
「被害者から出発した人生が加害者で終わるのが正しいことだとは思えない」
本当はもっと前に止めたかった。彼や彼女が罪人に身を落とす前に、殺されることでしか止まらない人殺しになる前に止めたかった。
スワローとならそれが出来ると思った、思い上がった。
大陸中に散らばった極悪非道な賞金首を生かさず捕らえて突き出して、今までさんざん苦労をかけてきた母さんには仕送りで楽をさせて、叶うことならアンデッドエンドに呼び寄せて家族みんなで暮らしたいと願った。
「俺、は」
全部ブチ壊した。
「本当にそうしたかった。誰より強くてかっこよくて絶対に曲がらないアイツと組んで、世界中の虐げられた人たちヴィクテムを助けて回りたかった」

俺が。
俺のせいで。

「巣立ちの日に母さんに言われたんです、何があっても弟を、スワローを守ってあげてねって。俺の血を分けた、たった一人の弟だからって。知ってるよそんなことは、俺が一番知ってるんだよ」

ワタリガラスと対峙した時も女王蜂と対峙した時もピジョンはスワローと一緒だった、共に知恵を絞り力を合わせ死地を乗り越えた、切っても切れない絆で結ばれていた。
膝に置いた手を痛いほど握り締め、所々どもりながら、やっとの思いで言葉を絞り出す。

「俺、は、一生被害者ヴィクテムでいたかった。アイツが欲しがるから仕方なくこたえてやってるんだって言い訳して、受け止めることが兄さんの役割だって自分に言い聞かせて、俺の中にもあるアイツをめちゃくちゃに汚したい気持ちとかズタズタに傷付けたい衝動から必死に目を背けてきた。じゃなきゃ誰かを痛め付けることでしか生きてる意味や人生の喜び感じられないレイヴンやクインビーと同じになるから、俺やスワローを慰み者にした奴等が息をしてる場所に落っこちるのだけは死んでも嫌で、そ、そこにスワローがいても関係なくて、お、俺だけはキレイで正しいまんま在りたくて」

地獄の底まで付き合うって約束したのに。

「憎しみが止まらない」

テレビの中でスワローを凌辱した男たち、全員をハチの巣にしてやりたいと思った。なのに同じことをした。

長椅子の上で膝を抱え、深々と顔を埋める。

「~~~~~~~~~っぐ、ひ」

老婆は無言でピジョンに寄り添い、ピジョンは小便臭いモッズコートに包まり、まるきり子供返りして咽び泣く。さっき知り合ったばかりの他人の隣で泣くことに抵抗を感じても、涙は後から後から出てきて止まらない。ここは教会だが、何もしてくれない神様に祈りたくない。
コートの二の腕に指を食い込ませ、胸の内に吹きすさぶ優しい思い出と罪の意識に耐え、今ここにいない大事な人たちに向けて謝罪と懺悔を繰り返す。

「ごめんスワロー。ごめん母さん。俺、きっと地獄に落ちる。お前と繋いだ手錠が外れて、ひとりぽっちで地獄に行く。俺がやったこと、ひぐっ、悪魔と同じっ、だから」

一方的に捌け口にして。眠ってる時にずるいまねして。
お前を物として扱った。
俺だけはそれをしちゃいけなかったのに。

「この世界はちっとも優しくない。残酷で酷い所で怖い人も沢山いる。人をだしぬきだまし裏切り、そうやって食い物にする悪党が沢山いる。痛いことや怖いことが向こうから襲ってくる。だけど私が産む子が悪魔なら、悪魔のようにしぶとくずぶとくしたたかに頭が回るなら、きっとどんな酷い世界でだって生きていける」  

自らの膝を抱き締めたピジョンがのろのろ顔を上げ、真っ赤に腫れた目を緩く瞬いて、滑らかな詠唱を紡ぐ老婆を見詰める。

「二十年前にバードバベルで会った、変な小娘の言葉だよ」
「あの町にいたんですか」

嘗て神父がいた町の名に驚けば、老婆が淡く微笑んで過去を見透かす。鞣革を思わせる横顔には呆れと感嘆の色。

「アレは本当に妙ちきりんな小娘だった。やめとけって私の忠告も聞かず、どうしても子供を産む、家族が欲しいと言い張った。オツムも股も緩いと見せかけて、頭っから話の通じん頑固者でね。その娘が生まれて来る子に求めたのは、空の上の神様が見捨て給うた掃き溜めで生き残る才能だった」

最悪の逆境を切り抜く才能。
最悪の窮状を切り開く機転。
どん底から這い上がる不屈の精神。
ナイフも鉛弾も爆弾も利かず、どれだけ傷付いても悪意を跳ね返し立ち上がるタフな魂。

「その全部を兼ね備えた子なら自分の夢を叶えてくれると、何も持たざる小娘は一人前の母親の顔で言い切った」

世界中の人が悪魔と罵っても。
たとえ此処が地獄であっても。

話の行き先が読めず洟をすするピジョンの方を向き、表情を厳格に改めた老婆が淡々と教え諭す。
「アンタと弟の間に何があったかは知らんがね、しかしまあ、許す許さないを決めるのは結局の所やられた側でしかない。不感症の神様なんて知ったこっちゃない。アンタが誰かを傷付けたこと本気で後悔してるなら、こんな所でめそめそしてないで本人に謝りに行ったらどうだい?話はそれからさね」
「そんなことできるはず」
「じゃあ何かい、自分の過ちから逃げて逃げて逃げ続けてしまいにゃ地獄に落ちるのがお望みかい?腐っても賞金稼ぎ、レイヴン・ノーネームとネイキッド・クインビーを捕まえたやり手だろ?アレは口からでまかせかい、本当は弟一人がやったことでみそっかすのアンタは見てただけ」
「違うっ!」
立ち上がった拍子にスナイパーライフルが倒れ、うるさい音をたてる。すかさずライフルを起こし、ピジョンがこれだけは譲れないと頑固に訂正する。
「……違います。あれは俺たちふたりでやったんです」
老婆が胡乱げに目を細める。

「気付いてるかい?アンタね、さっきからずっと『ふたりで』『ふたりで』って言ってるよ。物心付いた頃から病める時も健やかなる時も一緒にいたくせに、何で肝心の気持ちだけは言わずに済まそうとするんだい」

率直な言葉に撃たれ、ピジョンが慄然と立ち竦む。老婆が静かに人さし指を上げ、ピジョンの胸元にたれた十字架とドッグタグを突く。

「地獄に落ちて当然の過ちを犯したんならね、そのわけをちゃんと話して謝んなきゃ筋が通んないだろ。確かにこの世界は悪党だらけの酷い所で必ずしも善意や親切が報われるとは限らんさね。あの娘はそれでも産むと言った、お腹を痛めて産んだ赤ん坊を命がけで愛しぬくと断言した。アンタはどうだい、弟に対して同じ気持ちを貫けるかい?そもそもさ、何をもって『汚した』『汚れた』と決め付けるんだい」

ため息を吐いて礼拝堂の天井を見上げる。

「バードバベルの小娘は我が子に備わる悪運を喜んだ。いずれ自分が産み落とす子が憎まれっ子の悪魔なら、地獄で待ち受けるどんな理不尽や災いも笑って乗り越えていけると信じ、ふざけた運命がどんなにかその子たちを虐げ苛んでも、誰かや何かの犠牲に甘んじず己の道を行く限り、決して心は折れず、魂までは汚せぬと賭けたのさ」

被害者ヴィクテムを作り出すのは己を卑下する気持ちだ。その欺瞞を盲目の目に見透かされ、ピジョンの顔が歪む。

「……帰ります。お大事に」
スナイパーライフルを担ぎ直し、老婆の前を通って出口に向かいかけた時、突如として老婆が長椅子から崩れ落ちた。
ピジョンは仰天する。
「言わんこっちゃない、やっぱり病院に」
反射的に抱き止めたピジョンの腕の中、限界まで目を見開いた老婆の唇が戦慄き、膝に安置した水晶玉がゴトンと滑落。
「駄目だ。行っちゃならん」
「えっ?」
わけがわからず問い返すピジョンの腕を渾身の力で握り締め、かと思えばモッズコートの前に縋り付き、全身震えながら譫言を漏らす。

「弔鐘鳴り響く空のもと 囚われの天使と不死鳥来たれり。結社の計略は実を結び 幻の痛みは解き放たれ 梟は宿敵と邂逅を為す」

厳かな託宣の波紋が礼拝堂に染み渡り、漠然とした胸騒ぎを呼び起こす。
見えない目の奥で老婆が幻視する光景、遠からず訪れる未来の全体像も知らぬまま、霊能を帯びた啓示に不安を誘われてピジョンは肩を掴み返す。

「天使とか不死鳥とか何なんですか、この街で流行ってる新種のドラッグの隠語ですか。じゃあ梟は?結社の計略って」
梟。まさか先生?新聞にはボトムの教会の神父が追悼式典の進行役を務めると書いてあった、さっきすれ違った男もそんな噂をしていた。弔鐘は追悼式典の隠喩か?
目の前の老婆は完全に錯乱し、口角から白い泡を飛ばす。
「馬鹿な俺にもわかるようにハッキリ言ってください、先生の宿敵って誰ですか、具体的に何が起きるんですか!」
「アンデッドエンドは滅びる」

予言は極めて簡潔に。

「二十年前のバードバベルの再来だ、怒れる不死鳥が全てを焼き滅ぼす。幻の痛みは布石、憎悪を播種する企み。地上には絶望と混沌が満ち、世界は燃え上がる地獄と化す」
「悪い冗談よしてください、滅びるとか……意味わからない」

曖昧なごまかし笑いに失敗し、現実を蝕む悪夢を否定するかのように首を振る。
アンデッドエンドにはピジョンとスワローが住むアパートがスイートとサシャが働く娼館がイレギュラーの子供たちが暮らす孤児院が区画と区画を繋ぐトラムが掘り出し物が売り買いされるマーケットが賞金首の手配書が張り出された保安局が殺人鬼の遺品を展示するマーダーミュージアムが春節に張り子の龍や虎が練り歩く快楽天が中央の噴水を囲んで広がる悪運の法廷がある。

スワローとピジョンの第二の故郷、多くの人と出会い別れて関係を育んだ場所、賞金首と賞金稼ぎが交わり栄える死なずの行き止まり。

そのアンデッドエンドが滅びる?

俄かには信じられない。口からでまかせのデタラメだ。俺のこと担ごうとしてるんだ。そんな事して何の意味が?
めまぐるしく思考を働かせるピジョンの顔をおもむろに手挟み、赤錆の目を覗き込んで老婆が言って聞かせる。 

「戻るな。逃げろ。地の果てまで」
さもなくば皆死ぬ。

数呼吸の膠着を破ったのは、割れ窓の向こうから熱風に乗じ吹き込んできた怒号と悲鳴だった。
「マジかよ火事か」
スカベンジャーレーンドブさらい横丁のモルグ跡が火元だとさ、すげー勢いで延焼してる」
「雑居ビル地下の?あそこ人住んでたのか、随分前に廃業したって聞いたが」
「事故?放火?」
「案外黒後家蜘蛛が潜伏してたんじゃねえか、ちょっと前にいかにもギャングってナリの野郎どもがカチ込んだらしいし」
「蟲中天の追っ手か?」
「どけどけてめえら俺様が一番乗りだ!」
「ざけんな黒後家蜘蛛捕まえるのはこの俺様だ、まんまと生け捕りにして保安局に突き出しゃバンチの今年度抱かれたい賞金稼ぎランキング入り夢じゃねえ!」
「夢だ馬鹿引っ込んでろ!」
教会前の通りを駆け抜けていく賞金稼ぎの群れが、老婆の予言に囚われたピジョンの思考を現実に引き戻す。
「お婆さんは安全な所にいてください、続きは後で」
話し合いを一時中断し窓を飛び越え、現場に急ぐ賞金稼ぎに混ざってひた走る。
がむしゃらに足を繰り出す都度背中のライフルが上下し、恐ろしい予言が殷殷と脳裏を駆け巡る。

『弔鐘鳴り響く空のもと 囚われの天使と不死鳥来たれり。結社の計略は実を結び 幻の痛みは解き放たれ 梟は宿敵と邂逅を為す』

「畜生!」
ここにスワローがいたら意見を聞けるのに。無意識に弟を当てにしている自分に気付き、勢い込んで死にたくなる。
ややあって火元が見えてきた。打ち捨てられた雑居ビル、地下に下りる階段を席巻する紅蓮の炎。
近くではノイジーヘブンの自警団がバケツリレーとホースで消火活動に当たり、それをノーマルとアブノーマル取り交ぜた野次馬たちが呆然と眺めている。
雑居ビル前に座り込む青年に見覚えがあった。
「劉」
近付きざま声を掛けようとして、あられもない格好にたじろぐ。劉は下半身裸だった。下には何も穿いておらず、前を適当に留めたシャツの裾が辛うじて太腿を隠す。
痩せた内腿には白濁した精液が伝い、ずれて留めたボタンの隙間から覗く貧相な胸板や脇腹には、凌辱の痕跡とおぼしき無数の痣が散っている。
ボロ雑巾と化した事後の友人の姿を目の当たりにし、脳内が真っ赤に燃える。
「誰にやられた!?」
睫毛を焦がす距離で爆ぜる火の粉を浴び、雪崩れる建物を包む炎に炙られ、放心状態で蹲る劉の腕を掴む。劉は動かない。伊達眼鏡の弦は片方ひしゃげ、焼け落ちるビルの瓦礫を煤けたレンズが映す。
明らかに様子がおかしい。ヒステリックに喚くピジョンの声も聞こえないのか、お仕置きされた小さい女の子みたいに凍り付いた表情で、すぐそばの地面に倒れた男に虚ろな凝視を注ぐ。
劉の足元に伏せた男は全身を切り刻まれ、大量の血を流していた。ベリーショートの頭髪は目に痛いショッキングピンク。
夥しい血に染まった服や靴は火勢を増す炎に照り、近くには粉々に砕けたサングラスが落ちている。顔はピジョンから見て反対側を向いており、どんな表情を浮かべているかは判然としない。
「早く離れないと焼け死ぬぞ、さっさと立って」
「呉哥哥が、死んだ」
耳を疑った。
劉の視線を追って地面に伏せた男に向き直り、既に微動だにしないその人が、確かに呉自身だと確認をとる。
炎に巻かれガラガラと焼け落ちる瓦礫の中、シャツ一枚でへたりこむ青年と倒れた男を見比べていたピジョンは、劉の唇に濃い口紅がなすり付けられているのに気付く。
「劉!」
体当たりで押し倒し降り注ぐ瓦礫を躱す。煙が目にしみて長く開けていられない。呉は静かすぎる。本当に死んだのか?神父たちの哀しむ顔が過ぎり駆け寄ろうとした刹那、視界の端を掠めるように閃光が瞬き、柔靭な軌道を描いて夜空に銀糸が放たれる。
偽りの天国に張り巡らされた偽物の蜘蛛の巣。それを編み上げる一本一本が獰猛に踊り狂いながら区画を蚕食していく炎に照り映え、少し離れた建物の屋上で対峙する人影の姿態を暴く。片や手から糸を放ち、片やナイフを構え、降り注ぐ火の粉を被り近付いてはまた離れ、動体視力の限界に迫る速度で戦闘を行っているのは――――
「スワロー!!」
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