タンブルウィード

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十三話

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ゴミ溜めで光るモノが好きだ。
ドブに落ちたコーラの王冠、箪笥の隙間に転がり込んだ硬貨、服からとれた金ボタン。
他人が無価値と唾棄するガラクタ、とるにたらない有象無象。
子供の頃からそれらをせこせこ拾い集めては、クッキーの缶箱に大事に保管していた。
同じ部屋の子どもたちはそんな僕を忌避し、敬遠した。
光り物を集めるのが好きだなんてカラスみたい、髪も目も真っ黒で気味が悪い。聞こえよがしの悪口陰口は慣れっこだった。
言いたい奴には言わせておけ、わかってもらえずともかまうものか。他人に理解なんて求めない。僕以外の連中は総じてゴミだ。この美しさを理解できない人種は可哀想だ。
ゴミ溜めで光るモノは孤独を囲う僕を魅了した、まやかしじみた幻惑の力でもって魅了し続けた。
けっして汚泥に穢されない一点物の輝き、さながら奇跡のしるしのような神々しさ。
お前たちにわからずとも僕にはわかる、それは天啓のように降ってきた。
他の人間にとってはただの無価値な薄汚いガラクタかもしれない、僕のコレクションはゴミの寄せ集めと軽んじられるかもしれない。
服の裾で手厚く擦って光沢を出した王冠も、定規を奥まで突っ込んで埃まみれになりながら苦労してかきだした硬貨も、縫い付けずにとっておいた金色のボタンも……蒐集は嗜癖かつ病癖だ。暗闇に落ちたモノを救い出そうと手を伸ばす時、僕は自分が何か神々しい存在へと高められる気がした。魂が高次元に昇華していくような、自分が救いの御子にでもなったような全能感に恍惚と酔い痴れた。

穴に。
溝に。
隙間に。
排水溝に。
ありとあらゆる暗闇に飲み込まれたモノを、ある時は釣り糸で、ある時は定規で、ある時は磁石で、何度もくりかえし掬い上げる。

あの時、僕はまさしく神だった。
ゴミ溜めで儚く光るモノ、どん底で微かに輝くモノ、もし僕が手をさしのべなければ誰にも気付かれず打ち捨てられていく運命のカケラたち。
汚物に埋もれ汚穢に塗れても、否だからこそ、その光は尊い。その瞬きは正しく美しい。
圧倒的な暗闇に呑まれ、絶望の質量に押し潰されそうになりながらも、儚く輝き続ける生の証。
いつしか口さがない教職員や子どもたちは、僕をレイヴンと呼び遠ざけるようになった。
西洋に広く分布し、その真っ黒な体色と不気味な啼き声から忌み嫌われるワタリガラス。
生まれながらに光を吸い込む不気味な黒髪黒瞳、光り物に目がない変わり者の少年にはぴったりのあだ名。
院で付けられた名をまともに呼ぶ人間はいなくなり、僕自身もレイヴンが個体を識別する記号だと認識するようになった。僕の本質を的確に表す、これ以上ない命名といえた。ただのカラスではなくワタリガラスというのが特に気に入った。髪の色とおそろいだ。本当の名前などもう忘れてしまった。忘却の彼方に霞んだ両親の顔と同じく。
そのあだ名が定着し、周囲からすっかり孤立してのち、光り物に注ぐ情熱に拍車がかかった。

指につまんで日にかざすと王冠の縁がギザギザに縁取られるのにうっとりした。
頭からすっぽりと毛布を被り、コインの模様にまんじりともせず指を這わせてるうちに夜が明けた。

僕の、僕だけの密やかな愉しみ。禁じられた遊戯、孤独に冷えた傷心を慰める甘美な秘密。コインを手の内で転がしている時だけ魂が浄められた、コレクションを見返す時だけ苛立ちが鎮まった。
どうして光り物にこうまで惹きつけられるのか。理由は生い立ちにまで遡る。
孤児院の前に捨てられた時、僕はぎゅっと拳を握りこんでいた。
拳を握り締めたまま開こうとしないせいで、障害や病気を疑った院長は、半ば意固地になってまだ赤ん坊だった僕の手を無理矢理こじ開けようとした。
あの連中の事だ、障害持ちの赤ん坊なら面倒が増えるとこっそり葬っていたかもしれない。
僕が生まれ育った孤児院の裏庭には、子どもの骨が埋められているというまことしやかな噂が流れていた。夜中用を足しに起きた子どもが、部屋の窓越しにシャベルを持って穴を掘る先生の姿を目撃したのだという。あの穴には先生に逆らった悪い子が麻袋に詰められ生き埋めにされるのだと、子どもたちは皆純粋に信じていた。殴る蹴るは当たり前、鞭打たれるのは日常茶飯事。常に監視される監獄のような院内では、まんざら脅しではないかもしれない。
話が逸れた。
興が乗ると饒舌になるのが僕の悪い癖だ。
ともかく、赤ん坊の手を力ずくでこじ開けんとした努力が実を結び、ぽろりと零れ落ちたのはなんてことない小さな6ペンスコイン。
経済的な値打ちはまるでないが、幸運のお守りとしてこの大陸では有り難がられている。
マザーグースのサムシングフォーを知っているかな。
結婚式へと向かう花嫁の左靴の中に6ペンスを入れておけば経済的にも精神的にも満たされ、豊かで幸せな人生が送れるという戯れ歌。
子供の頃は好んでよく唄った、もちろん一人でね。こう見えて歌が上手いんだよ、僕は。錆びたパイプベッドの上で膝を抱えて、窓の向こうの曇り空を眺めながら唄っていると、不思議と気持ちが晴れたものさ。もちろん、その時も手のひらに6ペンスコインがあった。6ペンスコインは常に僕とともにあった。そう、運命を切り開く幸運のお守りとして、折々に投げて選択を委ねる人生の指針として。
あの手垢に塗れ黒ずんだ6ペンスコインこそ、顔も覚えてない親からの唯一の贈り物だった。
赤ん坊の置き去りに良心が咎めてか、もう二度と会うことはないだろう子どもの健やかな成長を祈ってか、いかなる理由かは判じかねるが、とにもかくにも僕の手にはしあわせの6ペンスコインが託された。何も持たないどころか服まで毟られ丸裸でドブに捨てられる赤子もいる、それに比べたら随分と幸運だと感謝したい。皮肉じゃない、本気で本音を言ってるんだ。

ゴミ溜めで光るモノが好きだ。
何が何でももぎとって手の中に入れたくなる。

不思議と小綺麗な宝石店に陳列されている指輪には一切食指が動かない。最初から綺麗なものがちやほや誉めそやされるのは当たり前だ、ぴかぴかに磨き立てたショーケースに群がる金持ち連中はなにもわかっちゃない。信仰の一念で断言するが、本当に価値があるもの、真実素晴らしいものは、息をするのも難儀な最低のゴミ溜めにこそ転がっているのだ。そう、ゴミのように。
凡俗どもはゴミと見分けがつかないだろう。
だが僕にはわかる、僕はゴミの中から原石をすくいだす天才なのだ。

僕の性癖を決定づけたのは、9歳のある日の出来事。
今でもはっきりと覚えている。昨日のことのように細部までリアルに思い出せる。
あの日僕はいつものように、ひとりぽっちで部屋の片隅のベッドに寝そべり、親の形見の6ペンスコインを横において、ちびた鉛筆で藁半紙にスケッチしていた。いつまで見ていても飽きない。親の顔も覚えてない、匂いすら覚えてない、けれどこのコインからは仄かなぬくもりを感じた。幼い感傷がそんな錯覚を懐かせたのかもしれないが、今となっては真偽はわからない。
鉛筆を小気味よく滑らし線を引く。丁寧に陰影をつけて立体感を持たせる。宝物を眺めるだけに飽き足らず、実際に紙に書いて残しておく。
陰鬱な灰色の壁と天井、殺風景なコンクリ打ち放しの部屋には、十数人からなる子どもたちが詰めこまれていた。
幼くして捨てられたか里親に見放された薄幸の子どもたち。
僕が育ったのは劣悪な環境の孤児院。院で働く大人たちに慈善精神や職業倫理は全くなく、理不尽な体罰や虐待、汚職が横行する。大人に虐げられた子どもはねじくれた精神に育ち、その多くは自立できる年齢に達する前に脱走して行方をくらます。彼らがどうなったかは知らないが、娼婦や男娼、麻薬の売人に身を落としていずれ路上で野垂れ死にした線が濃厚だ。
尤もこの時点では、僕はそんなこと考えなかった。
出る杭は打たれる。なら引っ込んでればいい。毎日を無難にやり過ごすこと、誰にも干渉されず大過なく生きること、それだけがささやかな願い。野菜の屑が浮いたスープに黴びたパン。どんなに手抜きでお粗末な献立でも、日々の食事にありつけるだけで浮浪児よりか幾分は幸運だ。
天井裏と床下でネズミが運動会し、隙間から風が吹きこむ大部屋の中、皆思い思いのグループに分かれて遊んでいる。
あるグループは積み木に興じ、あるグループは輪になってボードゲームをし、またあるグループは先生の目を盗んで持ち込んだ猥褻な図書を回し読みする。最後は年頃の男子のグループだ。僕は周囲に無関心だった。周囲も僕に無関心だ。相互不干渉なら世界は上手く回る。そしてもし、あの時に事故が起きなかったら、僕は大勢に追われる身に堕ちることなく、どこかの平凡な女と結婚し、今頃は子どもをもうけ、波風立たない平凡な人生を歩んでいたかもしれない。
けれどもそうならなかった。
『いいものもってんじゃねえか、ちょっと見せろよ』
あの子が突っかかってきたから。
運命的な一言を放ってしまったから。
『何これ、見たことねえコイン。随分古いヤツだな、使えんのか』
『か、返してよ!』
『ぼっちで絵を描いてたのか、ネクラなヤツ。おーい見ろよ、コイツへんなの持ってるぜ!』
孤児院に新しく入ってきた悪ガキが、咄嗟に隠そうとした僕の手から力ずくでコインを毟り取る。僕はパニックに陥った。無口で変わり者、殆ど自己主張をしないみそっかすとして、長いあいだ空気のように無色透明な存在だったせいで、他人の注目を浴びるのに慣れてない。
どうしてほうっておいてくれないんだ、誰にも何も迷惑をかけずじっとしていたじゃないか?お願いだから手を出さないでくれ、ちょっかいをかけないでくれ!
没交渉と不干渉を不文律に、ずっと首を竦め、身を縮めて生きてきたのに酷い仕打ちだ。だが僕は諦めなかった。死ぬ気で幸運のお守りを取り返そうとした。
付け根が痛むほど手を伸ばし、諦め悪く飛び跳ねる。
『返せよ、大事なものなんだ!僕の宝物なんだってば!』
『へえ、こんな古くて汚ぇ役立たずのコインが?みんなの言う通りやっぱお前って変わってんな、光り物が大好きの真っ黒レイヴン』
その子は癖の強い、けれども綺麗な金髪の持ち主だった。全体的に色素が薄い。年齢は11歳かそこらか。孤児院に来る前は相当惨い環境にいたのだろう、栄養不良の痩せっぽちで肋が浮いてる。ここも大して変わらないけれど、一日二回食事が出るだけでちょっとはマシだ。
悪ガキ……スティーブは、身軽にベッドに飛び乗って、僕からもぎとった戦利品を高々と見せびらかす。僕はベッドの下であたふたと泡を食い懇願するしかない。
『おねがい返して、落としてなくしちゃったらどうするのさ!』
『うるせえな、更年期のヒス女みたくぎゃあつく喚くなよ。いいじゃねえかちょっとくらい、ケチケチすんなって。で、どこで拾ったんだコレ。どっかのレジからくすねてきたのか。それとも先公の財布から?だとしたら度胸あるなぁ』
『僕のだよ!僕のなんだからぁ!やめてよぉ!』
他者に明確な殺意が芽生えたのはアレが初めてかもしれない。
それまで僕は、他人というものに一切興味を持たず過ごしてきた。日常生活に必要最低限の会話ややりとりこそこなせるが、それ以外のコミュニケーションは徹底的に拒絶した。物好きの遊びの誘いにもけっして乗らなかったし、時々わく、孤児院から脱走を企てる連中の唆しも上品に無視し続けた。どこからかくすねてきた煙草を僕に喫わせて共犯に仕立て上げんとする不良連中とも接触を絶ってきた。
そうすれば周囲は自ずと放っておいてくれる、アイツは一人が好きなんだ、さわらぬレイヴンに祟りなしと……。
誤算だった。すっかり油断していた。この新入りは僕なんかにかまって一体何が楽しいんだ。幼稚な悪ふざけ、馬鹿みたいないたずら。
『返してあげなよスティーブ、それレイヴンが捨てられた時に持ってたんだよ。親の形見なんだって』
べそをかく僕を見かねて、画用紙にクレヨンでお絵かきをしていた女の子が口を出す。周囲の女子が追随する。
『マザーグースの歌にあるでしょ、花嫁さんが持ってると幸せになれる6ペンスコイン』
『その子変わってるんだ、みんなと全然しゃべらないし。ひとりが好きみたい』
『いっつもコインをいじくりまわしてにやにやしてる。気持ち悪い子』
『カラスは光り物が好きだから仕方ないよ。ほかにも変なガラクタいっぱい集めてるんだ』
『先生にバレたら没収されるよ』
『先生だって興味ないよ、あんなゴミ』
意地悪い忍び笑いがさざなみだって広がっていく。スティーブの表情が豹変、面白半分のニヤニヤ笑いがシラケて興ざめの表情に塗り替わる。
『じゃあこのおちびちゃんは、ママのおっぱい恋しさに自分を捨てたヤツの手がかりを大事に隠し持ってるワケか。どーりで必死に取り返そうとするわけだ』
『わかったなら返してよ、大事なモノなんだ!傷ひとつでもつけたら承知しないぞ!』
毎日毎日手塩にかけて磨きぬいた、一点の瑕汚れもない6ペンスコイン。まるで自分の心臓を握られているように落ち着かない、毛穴が開いて冷たい汗がふきだす。スティーブはコインをひねくりまわして束の間思案していたが、突如下卑た笑みを満面に湛え思いがけぬ行動にでる。
凝視する僕の眼前で。
大部屋に散った子どもたちの面前で。
6ペンスコインをガリッと噛んだのだ。
『!!』
コインに前歯を立て、右に左に揺する。スティーブの奇行に絶句し、何人かはあんぐりと口を開ける。
『うえ。まじぃ。でもホンモノっぽいな、少なくとも噛んだだけでメッキが剥げるニセモノじゃねえ。よかったなレイヴン、感謝しろよ。テメェの親はこれから捨てるガキにできそこないの贋金掴ませるほど鬼畜じゃなかったぜ』
それが引き金となって甲高い哄笑が爆ぜる。スティーブがコインを齧って笑ってる。笑うと銀歯が目立つ。子どもたちも遊びを中断して爆笑を響かせる。
今思うに、あれは彼なりに新天地に溶け込もうとしての行動だったのだろう。
単純に生来の目立ちたがり屋だったのかもしれない、おだてられると際限なく悪乗りするタイプだ。新入りの剽軽なパフォーマンスは、異分子の行動を用心深く窺っていた子どもたちの心をがっちり掴んだ。
ただ一人僕だけが、笑い声で繋がる連帯感から弾きだされ孤立する。里親のもとを転々とした子ほど人の顔色や場の空気を読むのが上手くなる。スティーブはその不幸な生い立ちが鍛えた嗅覚と場数を踏んだ観察眼で、この孤児院で一番の弱者を見抜いて、僕を踏み台にのしあがることにしたのだ。
『う……、』
大勢の前で侮辱され、コインを奪われ。
味方は誰もいない。助けは期待できない。幸運の6ペンス硬貨は今この手にないのだから祈っても無意味だ、いや、そもそもアレが本当に幸運のお守りならまんまと取り上げられたりしないのでは?愚直に信じてきた価値観、縋ってきた信仰の背骨に亀裂が入る。早くも訪れたアイデンティティーの最大危機。スティーブは自分の唾液で濡れ光るコインを口から抜くと、それを僕の顔の前でちらつかせる。
『悔しかったらテメェの力でぶんどってみろよ、カラスだってそれ位の知恵は回るぜ、弱虫レイヴン』
顔に粘り気がはねる。唾を吐きかけられた。暴れるスティーブの足元でぐしゃりと絵が潰れる。周囲がまたドッと沸き、僕はスティーブの胸ぐらを掴み殴りかかる。スティーブは僕の足をひっかけて容易く転ばし、馬乗りになってパンチを入れる。
ベッドの上で互いの胸ぐらを掴み、手足を振り回し激しく取っ組み合う。錆びたスプリングが軋み、スティーブが掴んだコインが金の軌跡を曳いて近付いてはまた遠ざかり、両手は遮二無二やり返すのに忙しく、再三顔を突きだし噛み付こうとする。
ガキン、ガキン!
上下の前歯がかちあう異音と衝撃が脳にまで響く。なりふりかまっていられない、スティーブが出来心で手を出したのは僕の一番大事なもの、世界で一番大事な宝物だ。全力で逆襲に出た僕を見下ろすスティーブの目が徐徐に変わっていく。最初は軽蔑と愉悦、次いで困惑……。
そして恐怖。
『いきなりキレやがって、膝抱えてぶるってろ!』
『僕のコインを返せ!!』
スティーブの瞳に映りこむ必死の形相。ぎょろつく眼をひん剥き、鋭く尖った犬歯を剥き、鼻孔から血を垂れ流しつつ襲いかかっていく気迫は凄まじく、餌の屍肉を横取りされたカラスの如く。さんざん殴られ腫れあがった顔に、憤怒をくべて殺意を燃え滾らせる表情……。

醜悪の極み。
憎しみのかたまり。

『なにをしてるんだ、騒がしいぞ!』
『いい加減離れろガキども、手間かけさせやがって……あーあ、シーツがぐちゃぐちゃじゃねえか。床に跡までつけて……お前らは大人しく遊ぶこともできねーのか、両方とも飯抜きだ!』
子どもたちの一人が報告に行ったのだろうか、それとも騒ぎが届いたのか、駆け込んだ先生が僕とスティーブをひっぺがす。
羽交い絞めで離されても怒りはおさまらず、毛を逆立てた猫のように歯の隙間から呼気を吐いて威嚇する僕と、息を荒くしながらそんな僕を睨みつけるスティーブ。
どちらもボロボロ、擦り傷だらけの酷い有り様。僕は鼻血を滴らせ服と床を汚し、スティーブは片方の目に青痣をこしらえている。ベッドは盛大にずれ、毛布はめくれ、脚が床を擦った跡が刻まれている。
『スティーブが僕のコインをとったんだ、泥棒め!』
羽交い絞めにされたスティーブを指さし訴える。スティーブは「はあ?」と脳天から甲高い声を発しそらっとぼける。
『どこにお前んだって証拠があるんだよ、言ってみろよ』
『え……』
『指紋を検出するか?目撃者をさがすか?いるなら出てこいよ!』
先生の腕をふりほどき、勝ち誇って両手を広げ、大部屋を睥睨する。目が合った野次馬からよそよそしく目をそらす。
誰もトラブルに巻き込まれたくない、厄介ごとに関わりたくないのだ。孤児院で暮らすうちに学んだ処世訓、トラブルメーカーには近寄るな。そればかりか、そっけなく首を振ってこちらに背を向けた子どもたちの何人かはくすくすと笑っている。彼らは僕を嫌っている、疎んじている、カラスのように不気味なヤツだと遠巻きに白眼視する。
おっかない顔をした先生にわざわざ口をだし、そんな僕を庇うメリットなどまるでない。どこにもない。
僕は世界にたった一人、嫌われ者の真っ黒ガラスレイヴンだ。
『くっ……、』
ずっと外の世界に無関心だったツケが回ってきた。
人間関係を構築してこなかった負債だ。
藁にも縋る一念で周囲を見渡し、目が合った子に片っ端から詰め寄っていく。
『ねえ見てたでしょ、ずっとそこで僕とスティーブの取っ組み合い見物してたじゃないか、やんややんや野次をとばしてたじゃないか!スティーブが僕のコインをとるとこ見てたって、悪いのはコイツだってお願いだから言ってよ!!』
『本読んでたから知らない』
『絵を描いてたから』
『模型で遊ぶのに忙しくて』
『なんも見てなかったよ、なあ?』
『ねえ?』
『気付いたら喧嘩がおっおぱじまって、スティーブが張り倒されてたんだ』
『なんで……』
なんで、どうして本当のことを言ってくれない?
一部始終を見ていたくせに、面白がって囃し立て口笛まで吹いたくせに。
背を向けた子どもたちの輪の中で絶望にうちひしがれ立ち尽くす。
スティーブはすぐキレる乱暴者として知られている。相手が女の子でもすぐ手を上げる。皆仕返しされるのが嫌で、僕を見殺しにするのか。僕を生贄の羊に仕立て上げるのか。

この世界は理不尽だ。
ここはゴミ溜めだ。
だからゴミしかいない。光るモノなんてなにもない。

『このコインは最初っから俺がもってたもんだ。うらやましいからって嘘吐くなよ、手癖が悪い上に虚言癖までこじらせるなんて救えねーぜ、腹ン中まで真っ黒なカラス野郎』
スティーブの台詞が追い討ちをかける。僕は周囲の子どもたちに助けを求めるのを打ち切って、先生を交互に見比べて縋り付く。
『悪いのは僕じゃない、コイツだ!コイツが僕が大事にしてるコインをとったんです、取り返してください!』
『とは言ってもなあ。だれも見てねえんだろう』
『どっちが悪いなんてどうでもいいんだよ、人に迷惑かけるうるせえガキにゃお仕置きする、そんだけだ。それが給金ぶんのお仕事だ。白黒付けんのは神様の役割だ』
嘘だ、嘘だ、嘘だ。
言葉が膨れ上がって破裂しそうだ。けれども真実を証明する手立てがない。6ペンスコインはたしかに珍しいが、僕が持ってる一枚だけが世界に現存するんじゃない。任期の短い大統領の肖像が刷られたお札並には見かける代物だ。節穴が見たらコインなんてどれも同じ、僕の主張を補強するキズや特徴がついてるわけでもない。
僕はただの無力で非力なちっぽけな子どもで、身寄りもなくて。
あのコインがすべてだったのに。
『ったくしょうがねえ連中だ、元気がありあまってるならよそでやれ』
先生たちにとっては、善悪も成否もどうでもいい。自分たちの手を煩わさなければそれでいい。空き時間の飲酒と喫煙、そして馬鹿話とポルノの読書にだけ愉悦を見出す連中に仕事への情熱など皆無だ。
僕とスティーブは別々に連行され、こっぴどく絞られた。一緒にしておくと喧嘩を再開すると懸念したのだろうか?それは英断だった。乱暴に手を引かれ、足を縺れさせ廊下を歩みながら、僕はどうやってスティーブからコインを取り返すか考えていた。
逆方向へ引っ張られていきながら、振り向きざま僕と視線がかち合ったスティーブは得意の絶頂で笑っていた。ゴミ溜めに似合いの、胸糞悪い顔だった。

お腹が空いて眠れない。
空腹を抱えてベッドに横たわる。薄っぺらい毛布は体を覆う役にも立たない。夕飯を抜かれたせいでお腹は鳴りっぱなし、理不尽な仕打ちへの怒りが燻って、束の間まどろむこともできない。
コインがないと落ち着かない、不安で寝付けない。眠りに落ちるまでコインをいじくりまわすのが癖だった。周囲のベッドからは規則正しい寝息とうるさい鼾が響く。他の子どもたちは熟睡しているようだ。これからずっと不安な夜を過ごさなければいけないのか?ひとりぽっちで夜明けを迎えなければいけないのか?そう考えると憂鬱だ。鞭打たれた手の甲には真っ赤な蚯蚓腫れができている。シーツが擦れると痛いのでしまえない。
大人しく寝たふりをしながら、どうにかしてコインを取り返す手段を悶々と黙考する。残念ながら名案は閃かず、夜が更けるほどに目が冴えて、嵩張る一方の未練が胸を切なく疼かせる。
……トイレに行こう。
ろくに食べてなくても出るものは出る。
尿意を催し静かにベッドを抜け出す。暗闇に沈む大部屋を突っ切る時、一台からっぽのベッドに目をやる。スティーブは依然として帰ってこない。まだお説教されてる……ってことはないよね。明日になったらコインが戻ってこないだろうか。こっぴどく叱られ改心したスティーブが自らの行いを恥じてコインを返してくれるなら、許してやらないこともない。
共有トイレは一番奥だ。
とぼとぼと足を引きずって、風が吹き抜けるたび壁が軋み、足に体重をかけるたび床が軋み、あちこちガタがきた廊下を歩く。
トイレに行く途中、ふと顔を上げる。
真っ黒い闇を湛えた窓に憂鬱によどんだ顔が映る。僕の顔だ。
髪も瞳も夜の闇に負けない、ワタリガラスの生まれ変わりのような不吉な漆黒。
この色を嫌われて捨てられたの?
僕が美しい金髪を生まれ持ったら、今頃は親元でしあわせに暮らせたのだろうか。
そんな馬鹿げた妄想に憑かれ、卑屈な失笑が漏れる。
『ん?』
裏庭に面する窓の向こうで、なにか影のようなものが動いた。微動せず目を凝らす。
確かにいる。何かがいる。
裏庭には朧な月が出て、乳白の霧が漂っている。不気味な影が深夜の裏庭で蠢いている。

ねえ知ってる?孤児院の裏庭には子どもの死体が埋められてるの。
悪い子は麻袋に詰められて、裏庭の穴に放り込まれるんだって。
泣いて謝ってもだめなんだって。

『……』
孤児院の子どもたちが信じるくだらない噂が甦り、恐怖の震えが這い上ってくる。窓の向こうの影は二体、互いに向き合って単調な上下運動をくりかえしている。ごく単純な肉体労働の反復。振り抜き、抉る。振り抜き、抉る。大きいシャベルを持って穴を掘ってる……?
じょわ、と股間に染みが滲み広がり濛々と湯気がたつ。
失禁。
寝巻きを汚した罪悪感とバレたら怒られる恐怖と、それを上回る好奇心に突き動かされ、震える足を叱咤して裏口に回る。
噂の真相をたしかめたい。
あの時僕はどうかしていた。半ばやけっぱちだった。
今すぐにでも大部屋に逃げ帰り、毛布をすっぽりかぶって夜明けを待ちたい気持ちと、裏庭で何が行われているか確かめたい衝動とが激しくせめぎあい、濡れそぼった股間の違和感を振り切って駆け出す。
名伏しがたい衝動に急き立てられ、裸足で裏庭にでる。
夜ともなるとさすがに冷える。
葉擦れが渡る闇に乗じ、木陰に隠れつつ安全な距離を維持してそっと見守る。
『こんくらいでいいか』
『ああ、十分だ』
『くそったれ、手ェ焼かせやがって……残業代ぶんどらなきゃやってらんねえぜ』
『俺のロッカーにウィスキーがある。秘蔵の70年ものだ、一杯いこうぜ』
『マジか、気前いいじゃねえか。もつべきものはダチ公だ』
『テメェは朝までそうしてろ。穴ン底で頭冷やしゃちったぁ考えを改めるだろうさ』
『もう二度と妙なまねしねえだろ』
『カラス野郎が言ってた事も案外マジかもな、なんて手癖のわりぃガキだ』
『前ンとこじゃ盗みの常習犯だったそうだ。ンでとうとう里親にも見放されたってんだから笑えるぜ』
『次は問答無用で矯正院送りだかんな』
シャベルで穴を掘っていたのは、昼間喧嘩の中断にきた、二人組の先生だった。
穴の周縁を徘徊し、ズボンのポケットに手を入れた姿勢で前屈みに覗き込み、だれかに……なにかに向かって口々に吠えたてる。
二人は憤然たる大股で院の方角へ去っていく。互いに小突き合い談笑する、その横顔にはしてやったりと下品な笑み。
無造作にシャベルを放り出し、もう振り向きもせず帰っていく二人組と入れ替わりに、足音と呼吸をひそめ不気味な穴へと近寄っていく。
結構深い。人ひとり、いや、子どもひとりならラクに入ってしまう寸法……

『ごめんなさい……もうしません……ゆるして』
穴の底でだれかが泣きじゃくっている。
夜風に吹き散らされ消えゆく嗚咽に唾をのむ。
寝間着が汚れるのもおかまいなしに縁に手足を付き、緊張の面持ちでゆっくり覗き込む。暗闇に目が慣れるまで少しかかる。
『も、もうやらないから……ライターも返すよ……どうせオイル切れで使えないんだ、そこまで怒らなくてもいいじゃんか。尻ポケットから頭が覗いてたから出来心で、勝手に手が動いて……』
みじめったらしく言い訳を連ね、手を揉みしだき哀訴する。
スティーブが、いた。
真っ暗い穴に全裸で放りこまれて直立している。体中傷だらけだった。凄惨な体罰の跡に交じるのは、おそらく前の孤児院や、里親のもとで受けた虐待の傷痕だろう。赤く醜く引き攣れた煙草の火傷あとが胸から腹にかけて点々と散り、ベルトで鞭打たれた蚯蚓腫れが背中や太ももに交差する。
穴は子ども一人が漸く立てるサイズしかない。
注意深く裏庭を観察する。よく見れば裏庭のそこかしこに似たような盛り土が点在する。
この院ではきっと、どうしようもない悪ガキをずっとこうやってこらしめてきたのだ。
幸い僕は無関係でいられたが、一晩中真っ暗い穴の底に立たされ、全裸にひん剥かれた肌の上をミミズや虫に這いずり回られる拷問を受けたら、どんな手に負えない問題児も大人しくなるだろう。罰を受けた子どもは深刻なトラウマから沈黙し、暗黙の緘口令が敷かれ、その大半は大人になる前におぞましいホームをとびだしていく。これにて証拠隠滅、めでたしめでたしだ。

僕はすべてを理解した。
この世界にはまだ正義が生きてるというシンプルな法則を。
正義を執行するのは今だという啓示を。

穴の底の嗚咽が次第に弱まっていく。
『俺が悪かった、謝るから、いい子になるからあ……ここからだしてよ先生、もう盗みなんて絶対しねえ……』
『ださいね』
『だ、だれかいるのか?そこにいるんだろ?……その声はレイヴン?』
スティーブを見下ろすのは気分がいい、いっそ痛快だ。昼間は逆の立場だった。スティーブが首を目一杯のばし、薄らぐ暗闇に僕の顔を認める。涙と洟水まみれの汚い顔はあどけなさが際立って、彼もただのひとりぽっちの子どもにすぎない残酷な事実をつきつける。
『ちょうどよかった、マジに助かったぜ!頼む手ェ貸してくれ、こっから引っ張り上げてくれ!アイツらぜってーぶちのめしてやる、俺を穴ぼこに放り込みやがって……虫に齧られてあちこち死ぬほど痒いんだ。そのへんに服が散らばってるはずだから取って投げてくれよ』
一縷の希望に顔を輝かせ懇願するスティーブ。
光明を見出して現金に弾む声が、異常を察して不審げに翳る。
『レイヴン?』
昼間のことなどまるで忘れたように能天気な態度で。
僕への仕打ちに一言の詫びもなく。
忘れていた怒りが急激にぶり返し、血管を走って全身に行き渡る。
『なんだよ、まだ昼間のこと怒ってンのかよ……ちょっとした悪ふざけじゃねえか、マジになんなって。すぐ返すつもりだったんだ。先公どもが邪魔したせいでおじゃんになったけど……』
『どうして僕にかまうの』
『変わってるから気になったんだよ。みんなにレイヴンって呼ばれてんだろ?光り物に目がねえ真っ黒ガラス、この孤児院でたった一人、黒髪黒目のガキ。いじめられてると思って……仲間に入るきっかけを作ってやろうって……コインしか友達がいないんじゃ可哀想だろ?大勢で遊んだほうが楽しいに決まってる、俺はひとりぽっちを放っておけないタチなんだ』
『頼んでないよ』
『根暗は自分から言わないだろ』
優しく穏やかに凪いだ口調の僕とは対照的に、焦燥に駆り立てられたスティーブが切羽詰まってまくしたてる。
まるで言い訳してるみたい。自分の正当性を主張して、同情してやったんだと恩を着せて、その厚かましい振る舞いからは反省の色がまったく読み取れない。
穴の底、スティーブの頭上に無言で手をさしのべる。
スティーブがきょとんとする。
『コイン返して』
『あ、ああ』
忘れてた。わざとじゃないんだ、誤解するなよ。
弁解がましく呟き、卑屈な笑みを顔一杯に貼り付けて、不自由に身をよじり何とかポケットから取り出したコインを僕の手に献上する。
優越感と混線する快感が脊椎を駆け抜け、濡れた股間が急激にもたげてくる。
ゴミ溜めで光るモノが好きだ。
深々穿たれた暗闇の底で光る6ペンスコイン、それにも増して深く心を打つスティーブの大粒の涙。
月光を浴びたコインの角が清冽にきらめく。
『きれい……』
感嘆の吐息を零す。
僕は感動していた。
弱弱しく震える手に掴まれた6ペンスコイン、彼の目尻に光る涙が泥で薄汚れた頬に溝を掘る。
そして、その瞳。
完全に立場が入れ替わり、主導権を握った僕を縋るように見上げる潤んだ瞳。
青く澄んだ月光を滲ませて、儚く光る涙の膜。眼球を覆う透明な水膜。
ゴミ溜めで光るモノはゴミでもゴミじゃない。火責めも水責めも僕の思惑一つ、スティーブの運命は僕の手に握られている。
『どうした?さっさと受け取れ。んで早く引き上げてくれ』
『……』
『ほら、早く!こんな汚ェコインもう興味ねえ、くれてやっから好きにしろ!この姿勢きついんだ、腕が攣っちまう。脱臼したらどうすんだ、慰謝料払えよ』
くれてやるもなにも最初から僕の所有物だけど、どうでもいい。もうどうでもいい。
焦燥と絶望に塗れた必死の形相でコインを突っ返す。
のろくさと手を伸ばし、指を近付け、静かに受け取る。
コインの受け渡しは恙なく完了した。スティーブが安堵の息を吐く。これで引き上げてもらえると楽観したのだろう。
それは早計だ。
コインは相変わらず素晴らしい手ざわりだ。
毎日磨き抜かれたなめらかさで、月光に翳すと地上に落ちた星屑さながら美しくきらめく。
けれども僕は、その輝きに前ほどときめかない自身を認識する。
もっと美しいものを知ってしまった今では手の中のコインでは物足りない。
半日ぶりに戻ってきたコインを用心深く懐にしまう。
スティーブがじれて、血走った目で吠え猛る。
『~ちんたらすんなよぐず、のろま!この役立たず!言うこと聞いたんだ、次はそっちの番だ、早く手ェもってこのくそったれた虫食いの穴ぐらから引っ張り上げてくれよ、もう我慢の限界なんだ!』
『そんな狭苦しいトコじゃ暴れられない。君にはちょうどいい鞘だ』
『なん、』
脇のシャベルをひったくり、尖った切っ先をおもいきりスティーブの額に叩きつける。スティーブがよたつき、切れた額から血を噴き出し、背後の壁にぶつかる。何をすればいいかは窓越しに先生たちを見ていたからわかる。途中で穴掘りをやめたら危ない、だれかが落ちたらどうする?掘ったら埋める、それが常識だ。ゴミを放り込んだならなおさらだ。
『誰かが躓いたらいけないよね。先生たちがやらないから、かわりに僕が最後までやる』
『やめ、冗談、うぷ』
くりかえしシャベルで土をすくって底におとす、勢いよく顔面に雪崩かかる土にスティーブが激しくむせ口に分を吐き捨てる、スティーブの顔といわず肩といわず大量の土が覆う。大人用のシャベルは重く、容赦なく手のひらに食い込む。けれどもやめない、一息入れる暇はない。報復を果たす絶好の機会を逃がしてなるものか。
ザク、ザク。ザク、ザク。盛り土に刃を突き刺す。片足をかけ、自重でめりこませ、梃子の原理で振り抜く。小気味よいリズムに体がノッてくる。墓掘り人の追体験だ。いや、実際そうなんだけど。これからそうなるんだけど。
僕は何かに憑かれたようにひとりでに語りかける。
『ねえ知ってる?知らないか、君はここに来たばかりだもんね。この裏庭ボコボコしてるだろ?土饅頭だらけでへんてこだ。前にそれを不思議がって、ある子が先生に聞いたんだ。なんで裏庭はデコボコしてるの、あれじゃサッカーもできないいよって。そしたらなんて言ったと思う?』
そう、はっきりと覚えている。
『カラスが掘り返したんだって!あはは、傑作じゃない?』

先生はこう言った、アレはカラスの仕業だって。
悪戯好きのカラスが裏庭をつつき回ったんだって。

『自分たちがやったこと全部カラスにおっかぶせてしらんぷりして。やっぱり大人は汚い、心底ずるい、君だってそう思うでしょう』
『思う、思うからぁ!お前の言うこと全部正しい、俺が間違ってた、悪かった、だからもう許してくれええェええェ』
『だめだよ、悪い子は埋められるんだ。生き埋めの罰だよ。このデコボコはその跡なんだ。カラスは頭がいいから、くちばしで穴を掘って宝物を隠すんだ』
金ボタン、クリップ、安全ピン、ハンガー、コイン。
罪を着せられ追っ払われた可哀想なカラス。僕の髪と目は生まれつき真っ黒で、カラスの生まれ変わりといわれている。
髪と瞳が真っ黒なら闇に溶け込んで見えにくい、最高の擬態だ。
腫れた手の痛みを我慢して、シャベルで大量の土をすくってなげこむ。
『ここは悪い子の墓場、カラスの餌場なんだ』
夢中で土をすくってかける、ズボンの股間が力を取り戻す、痛いほど疼いて勃起する、死に物狂いでもがくスティーブの顔がどんどん土に埋もれて隠れていく、時折思い出したようにシャベルの切っ先で頭や額や顔を突く、カラスのくちばしに見立てて突きまくる。
ああ、楽しいな。
体の芯から純粋な歓喜が滾り立ち、生まれてきた意味と生きる実感を汗水たらして獲得する。
殴打、連打、強打、痛打、乱打。
額が割れ、頬骨が削れ、軟骨がひしゃげ、目が潰れる。
僕はコレをするために生まれたんだ。
『あぎゃあ、ぐぎゃあ!』
悪い子をこらしめるために、太くて固いモノを突っ込んでぐちゃぐちゃにするために、光り物を手に入れるために。
死にぞこないのカラスそっくりに啼き喚くスティーブ。
『カラスは頭がいいんだ。宝物は大事にとっておくんだ』
ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク。
今まで生きてきた中で一番の充実感が漲り、だらしなく笑んでしまうのが皮膚の弛みでわかる。
『テメエ、ぶっ殺すぞ!!』
シャベルの切っ先が直撃しスティーブが仰け反る。反射的に顔を覆い口内にあふれた血を受け止める、その手に零れでた銀歯が月光を眩く反射し、僕の目を射る。
瞬間、絶頂する。
『っあ!!』
初めて体験する射精の快感は強烈だった。後の事はよく覚えてない。スローモーションのように細切れの映像だけが目に焼き付いている。無我夢中で手を伸ばし抗うスティーブから銀歯をもぎとる、引っかかれた手からひどく出血、激痛に負けじと逆らって金歯を握りこむ。最後に見たスティーブの顔、絶望と悲哀に凝固した顔。何本か歯の欠けた口が無音で開閉され、酸欠の苦しみに喘ぎながら「たすけて」と綴った。
『はあ、はあ、はあ』
シャベルを放り出しその場にへたりこむ。穴は完全に埋まっていた。スティーブの気配は途絶した。圧死か窒息死か……どちらだろう。どちらにせよ末期は生き地獄を味わったろう、日頃の行いが悪いからだ。
キツく目を瞑り、両手を重ねて胸の前におく。
この膨らみの中に彼の形見がある。
新しく手に入れた宝物、自分の力のみでもぎとった輝かしい戦利品。土を被され窒息寸前のスティーブ、骨を軋ませ身を拉ぐ重圧と酸欠の苦痛に虚ろに濁りゆく瞳、生殺与奪の権を握られ絶望に閉ざされゆく表情が、瞼の裏に鮮烈に焼き付いて離れない。
思い出すとまた股間が痛くなる、尿道を熱い液体が通り抜ける、こんな感覚は生まれて初めてだ。壮絶な快感の余韻に浸りきり、生乾きの股間の気持ち悪さも忘れてしまった。
『新しいコレクションだ……』
強張った指をゆっくりと引き剥がし、手のひらの真ん中の銀歯を見詰め、陶然と蕩けきった笑みを広げる。
ポケットの中の6ペンスコインが幸運のお守りなら、問題児の銀歯は悪運のお守りだ。
たった今埋めた穴を一瞥、拳を口元に持ってきてキスをする。服の裾でくりかえし擦って泥を拭い、吐息を吹きかけて磨き立てる。
『さようなら、スティーブだったひと。生きてる時は仲良くなれなかったけど、今ならいい友達になれそうだ』
ゴミ溜めで光るモノが好きだ。
頭から土をかけられ生き埋めにされるスティーブが最期に見せた必死の抵抗、縋るように一途な涙は、どんな高価な宝石より眩く尊い一瞬の生の輝きを放っていた。
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