タンブルウィード

まさみ

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二十三話

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邪悪なる女王蜂が遂に姿を現す。
「でたなバケモノ」
反射的にピジョンを下がらせ、前に出てビーを牽制。
満を持して暗闇から歩み出た敵と相対し、正しい輪郭を把握する。
外見はいたいけな幼女そのものだ。
インナーカラーがイエローの黒髪ロング、蜂の模様に似せたジッパー付きのゴスパンルック、坑道にはひどく不似合いな厚底靴。驚くべきことに、数年前の手配書と寸分違わぬ容姿をしている。
遺伝子操作で老化を抑えているというキマイライーターの話は眉唾じゃないらしい。
「お話はぜーんぶ聞かせてもらったわ!あなたがスワローね、お会いできて光栄よ!」
ビーはトロッコの中に隠れ、一部始終を聞いていた。
今またよいしょとトロッコの縁に腰かけ、呑気に足を遊ばせる。
「俺のこと知ってンのか」
「弟なのですってね?とってもハンサムさんね!」
ピジョンのヤツ、余計なことしゃべりやがって。敵に情報ネタ与えてどうするよ?
背に庇う兄を睨みつけ、その横顔に当惑する。顔色が真っ青だ。
「ピジョン……?」
正気を繋ぎ止めようと名前を呼ぶ。ピジョンがスワローの裾を片手で掴む。手が小刻みに震えている。
「気を付けてスワロー、ビーは人や動物を操る。俺にコヨーテをけしかけたんだ」
「ご丁寧に説明どーも、そのナリ見りゃわかる」
「蜂の羽音……ブンブン唸るアレが聞こえてくると頭がボンヤリして……自分が何してるかわからなくなる。あの子の言うとおりにしなきゃいけない気分になるんだ」
「そりゃフェロモンのせいだ」
「フェロモン?」
「女王蜂の異能だよ、ありゃミュータントだ。女王物質だっけ?特殊なフェロモンを垂れ流してまわりをたらしこむんだ、テメェも大方それに参っちまったんだろ」
「なんでそんなこと知ってるんだよ」
「聞いたんだよ爺さんに」
「誰さ?」
「テメェも大ファンのキマイライーターだよ。クインビーを追ってきた……」
「キマイラーターいるの!?えっ嘘どこサインもらわなきゃ!!」
ピジョンが大声を張り上げて周囲を見回す。
この馬鹿、自分の立場と今の状況わかってんのか?ミーハー根性は遺伝か?
「その爺さんが言ってたんだ。見た目は生意気なメスガキでも中身はまるきり別物、なめてかかると痛い目見るとさ」
「キマイライーターはメスガキとか言わない」
「意訳だよ。んで女王蜂のフェロモンにヤられちまうと、命令に従うのが快感だって脳が勘違いするんだそーだ」
「勘違い……」
ピジョンが呟き、モッズコートの前をギュッと握り締める。まだ冷めやらぬ股間の疼きを隠すような仕草。どうでもいいが裾から剥き出しの素足が寒そうだ。裸モッズコートみたいでエロい。
コートの裾からちらつく素足を盗み見、すっかりおいてけぼりの兄に説明を付け加える。
「コヨーテどもの様子がおかしいのも全部フェロモンのせいだ。体ン中で飼ってる蜂を使ってフェロモンをばらまく、邪悪なる女王蜂の異名に見劣りしねー悪辣さだぜ」
「蜂の音……?そうか、さっきからずっと聞こえてたのは」
「幻聴じゃねーよ」
「知ってる。……させられてる時が、一番大きかった」
「は?今なんつった?」
ピジョンの声が極端に萎み、一部を聞き逃す。
すかさず追及するスワローをよそに、ピジョンは俯き、自身の下腹に手をあてる。
「あの子の腹の……このへんから聞こえてきた」
「膀胱?」
「違うよ、わかって言ってんだろお前!」
そこはちょうど子宮の位置だ。
キマイライーターが言っていた。
ビーは女王物質を再現する実験の産物。彼女の分泌液には特殊なフェロモンが濃縮されている。
蜂を媒介にして散布されたフェロモンは集団ヒステリーを引き起こす。
数年前の暴動の原因もそれだ。

『女王蜂の分泌液フェロモンは使い方と分量次第で劇薬にも媚薬にもなる。少年よ、努々侮るなかれ』

別れ際の忠告が甦り、自然と目元の険が増す。
「迷子になったあなたをさがしにきて、迷子になったお兄さんを今度はあなたがむかえにきた。ステキな兄弟愛ね、感動しちゃった!道に迷わなかった?心配になっておむかえをだしたのだけれど……」
「足跡と毛を辿ってきたんだ。コイツをさんざっぱら追っかけ回したのが仇になったな、連中抜け毛がひでえがちゃんとブラッシングしてんのか?」
「見かけによらず賢いのね?かくれんぼはビーの敗けかしら、残念」
どこまで本気か、やけにテンションが高い。
両手を広げてぱたぱた足を振るビー、無邪気にはしゃぐ様子がおぞましい。
ビーがスワローの背に隠れるピジョンに小悪魔的な秋波を送る。
「もう大丈夫?立てるようになったのね、タフだごと」
「……っ」
「もうちょっと可愛がってあげればよかったかしら?」
大丈夫なものか。凌辱のショックとダメージが回復しきらず、二本足で立ってるだけでやっとの状態だ。
言語能力は壊れたラジオより少しマシな程度にまで復旧したが、喋り方は突っかえがちでどもりも酷い。
ビーを見返す顔には極大の嫌悪と恐怖、怯惰が綯い交ぜとなっている。
スタジャンの裾に縋る兄の手にごく軽く触れる。
スワローの横顔が、強い決意を宿して鮮烈に浮き彫りになる。
「―仇はとってやる」
羽音の唸りが時間の経過ごと増幅される。
「コケコーッ!」
「スワロー無事か、兄貴も一緒か!!」
ビーと睨み合う二人のもとへ、キャサリンを先頭に立てたスヴェンとキマイライーターがやってくる。
「キャサリン!?どうして」
「おとりだよおとり」
「~お前っ、キャサリンをコヨーテの群れに放り込んだな!?どうしてそんな酷いことできるんだ、血も涙もない鬼畜外道の所業だ、コイツはもう家族なんだぞ!?」
「俺は認めてねェ」
ピジョンとの再会に歓喜したキャサリンがまっしぐらに走ってジャンプ、アタックをくれる。
舞い散る羽毛の中、キャサリンを抱きとめて頬ずりするピジョンにもやっとする。
コイツ、俺が助けにきた時よか嬉しそうじゃねえか。
「よーしよしよしよし、元気だったかキャサリンどこも怪我ない?怖かったろ、よくがんばった、お前はいい子だ。ニワトリの中でも最速と最強を誇るニワトリだ!」
ピジョンがキャサリンをべた褒めし、だらしなく相好を崩す。
なんだそのどこかで聞いた台詞。しまりねえニヤケ面をひっぱたきたい。
「喰われちまえばよかったのに。しぶてェ奴だ」
「キャサリンは牝鶏チキンだけど腰抜けチキンじゃないよ」
「俺が石ころ投げてフォローしたからな。絶妙な連係プレイだ」
スヴェンがここぞとばかりに威張りくさる。
弟となれなれしく会話する初対面の中年男にピジョンがきょとんとする。
「この人だれ?」
「あー……俺の客?っていうか居候先?」
「客って用心棒の?」
「ダチって言えよ」
首の後ろを掻きながら適当にはぐらかすスワローに、スヴェンががっくりとツッコミを入れる。
ピジョンが目をまん丸くする。
「え、セフレ以外に友達いたの?」
「弟をなんだと思ってんだよ」
「歩く貞操観念大バーゲンセール」
否定できない。スヴェンが大受けし、手を叩いて爆笑する。スワローは露骨に気分を害す。
「馬鹿にすんな、飲み友達ならいるぞ」
「健全なことして遊ぶ友達はいないの?」
「飲酒は健全だろ」
「俺の中じゃギリギリアウト」
ピジョンがばっさり切り捨て、スヴェンに向き直り深々と頭をさげる。
「ピジョンです。弟がいつもお世話になってます」
「寝ててもシコられりゃ勝手に股開く処女ビッチのピジョンか、よろしく」
「なに吹き込んでんの!?死ねよ!!」
「非処女ビッチのがよかった?」
「そこじゃない!!」
「似てねーけどホントに兄弟?穴兄弟の間違いじゃね?」
「コイツの穴は売約済みだから」
「もう黙れよお前!!」
口の減らない弟を怒鳴りつけ、「……ホントに兄弟です」とうしろめたそうに肯定する。
「男の子同士でいちゃいちゃしてずるい、仲間外れにしないでちょうだい!」
ビーが子どもっぽく頬を膨らませる。わかりやすいむくれ顔だ。
モッズコートを羽織った下はパンツ以外裸でスワローに掴みかかるピジョンが、ビーの叱責に鞭打たれて固まる。
スヴェンが目を瞬き、トロッコの玉座に腰かける少女を指さす。
「お前がビーか?」
「そうよ、ビーよ」
タン、高らかに音が鳴る。
トロッコから飛び下りたビーがスカートを閃かせ一回転、低い天井に両手をさしのべ、新顔を含めた一行を歓迎する。
「女王蜂の巣にようこそいらっしゃい」
「地下に広がるのは蟻の巣と相場が決まっておるのじゃがね」
スヴェンのさらに後ろ、コヨーテの残党を一掃して歩み出た老紳士にピジョンが息を呑む。
上等な外套を一分の隙なく着込み、象牙の杖を携えたその人物は、瓜に似た細面が特徴的なヤギの顔貌を持ち、立派な白髯を生やしている。
あいだの離れた目には柔和な光。凛と背筋が伸びた歩みは高貴なる威厳を帯び、内から滲み出す実力者の貫禄でもって自然と周囲を圧倒する。
「キマイライーター……すごい、雑誌とおんなじだ。実在したんだ」
掠れた吐息で名を呼ばれ、歩みがてらピジョンに微笑みかける。ピジョンが感極まって手を組む。体調が万全なら即座に駆け寄ってサインをねだっていたにちがいない。
「災難じゃったね。ワシらがきたからもう大丈夫」
「俺がきたから、だろ」
キマイライーターの声かけをスワローが訂正する。
一行の最前列で立ち止まり、山高帽をとる。
「ごきげんようクインビー」
「ごきげんようキマイライーター」
帽子を脱いだ紳士に応じ、長い黒髪の少女はスカートの端を摘まみ、優雅なお辞儀を返す。
その短いやりとりの中に、真空すら生じるほどの殺気が圧縮される。
邪悪なる女王蜂とキメラ殺し、因縁の二人が対峙する。
かたや呼び戻したコヨーテの生き残りを従えて、かたや似てない兄弟と中年男を侍らして、暗い坑道の中央で向き合い口火を切る。
「お久しぶりね」
「前はニアミスじゃったね」
「うふふ、追いかけっこはビーの勝ちね」
「情報の行き違いで着いた時には手遅れじゃった。ヒースタウンはほぼ壊滅……酷いものじゃ」
「またお会いできて嬉しいわ」
「近場に潜んでおると当たりを付けたものの苦労したぞい。スヴェン氏の助力に感謝じゃ」
「きっとまたきてくれるって信じてたわ!おいかけっこはオニがいなきゃ張り合いないものね。このあたりは隠れる場所がたくさんあってラッキーだったわ。使われてない採石場でしょ、坑道でしょ……地図がなくたってだいじょうぶ、この子たちがエスコートしてくれるもの。コヨーテは鼻がいいのよ?ビーたちもうすっかり仲良しなの!」
「力で無理矢理従わせるのは仲良しとはいわんよ」
キマイライーターが静かに否定し、ビーがそばにきたコヨーテの首を抱きしめる。
「あなたもそんないじわるを言うの?この子たちは好きで従ってるのよ。ビーの言うことを聞くととっても気持ちいいから、それがご褒美になるのよ」
甘えるコヨーテとじゃれあう少女の姿は、その正体さえ知らなければひどく無邪気であどけないものだ。
「この子たちはなにをどうすれば気持ちよくなれるか知ってるの。本能的にね」
ビーがおもむろに言葉を切り、集う一同を順繰りに見詰める。
琥珀の目がうっとりと潤み、唇が綻ぶ。
「この街にくる途中、不思議なおばあさんに出会ったの。肌の黒い、ジプシーのおばあさんよ。占い師なのですって。可哀想に、何年か前に寄った街で大事な大事な水晶玉をとられちゃって……それ以来物乞いの方が稼ぎが良いのですって」
突然何を言い出すんだ?
脈絡ない話の飛躍に困惑する一行の前で、軽快にスキップを踏む。
「ビーはね、すこぅし怪我をしていたの。ヒースタウンの人たち、おもしろい人たち。ビーね、最初は隠れていたのよ?街はずれの森の中、壊れかけの納屋の中……そばに大きな蜂の巣があって、ブンブン蜂が飛んでたわ。でも大丈夫、抗体があるからへっちゃらよ。お腹の蜂さんのおかげね。最初はいい子にしていたの、街のひとが手配書を持って押しかけるまでは……」
ビーが口真似をする。
「最近街はずれで見かけるあの子、似てないかい?そんなまさか、嘘だろ?ありゃただの乞食だ、納屋を借りてるだけさ。いいえ間違いない、この琥珀の目、クインビーだわ!それからはさんざんよ。だぁれもビーのいうことなんて聞いてくれない、ほんのちょっとお休みさせてもらうだけだったのに……長旅は疲れるでしょ?バレちゃったらもうおしまい、銃にナイフに鍬にロープ、いろんなものを持って追っかけてくる!どこまでも、どこまでも、どこまでも……」
淡い微笑みはそのままに、虚ろな目をしたビーがブツブツ呟く。
「ブンブン、ブンブン。追いかけて、追いかけて、追いかけまわされて……」
子守唄めいた抑揚でくりかえし、虚空に手のひらを泳がせる。
「だからね、チクリと刺したのよ。ビーのかわいい蜂さんで、首の後ろをチクリとね。途端にみんな殺し合いをはじめたわ。お互いに襲いかかって、それはもう盛大なお祭りだったわ」
真っ先に気付いたのはキマイライーター、次に目を見開いたのはピジョン。
虚空をさまよう少女の手、その甲から指の背へと何かが這っている。
蜂だ。
「一人だけ逃がしてあげたの、ビーにいじわるしなかったおじさんよ。お酒の飲みすぎで寝込んでいて、ビーのことを知らなかったの。表の騒ぎに気付いてあららびっくり、腰を抜かしていたわ」
「阿鼻叫喚の地獄絵図じゃな」
「仕留めるのは簡単だったけれど……」
ヒースタウンの生き残り。
アル中が原因で村八分にされ、恐怖で精神が発狂し、始末するまでもないとビーに判断された男。
「ビーは優しいでしょ?好きになっていいのよ」
それにね、お酒臭い男のひとは苦手なの。
ビーの手の甲を這い、ぐるり回り込み、手のひらへもぐり、翅を震わせ再び這い出る。
女王蜂の忠実な僕。
「ビーは疲れていたわ、お腹もすいてたし……ヒースタウンにさよならしてからずっと歩き通しだったの。おばあさんはそんなビーにとっても親切にしてくれた、残り少ない食べ物まで分けてくれたわ」
長い黒髪が少女の動きに合わせて捲れ、インナーカラーの黄色が見え隠れする。
「なんでもずうっと昔に、とっても親切な女の子に会ったのですって。悪魔のお母さんよ。その人に会ってから、おばあさんはひとにやさしくすることを思い出したのですって。おばあさんはビーにお水と食べ物を恵んで手当てをしてくれた。それにとーっても物知りで、いろんなお話をしてくれたの」
道行きの老婆との思い出を回想する顔には、年相応のあどけなさが浮かんでいる。
「岩山の地下に巣作りした女王蜂は、一体なにを食べてたんでしょうね?」
愉快げな謎かけに一同顔を見合わせる。
足を軸に回り、弧を描いて踊り、すこぶるご機嫌に両手にじゃれる蜂をもてあそぶビー。
「フシギに思わなかった?インディアンの言い伝え、固い岩でできた山の地下。お花がなければ蜜も吸えない、腹ぺこで飢え死によ。それじゃあ彼女の主食はなあに?何を啜って命を繋いだ?ビーはちゃあんと知ってるの、このお話の語られざる続きをね」
「言い伝えに続きがあるってのか?」
スヴェンがだしぬけに口を挟み、スワローが突き放すように回答する。
「人の不幸」
「え?」
「蜜の味ってゆーだろ。きっとそれだ」
やけに自信ありげなドヤ顔でふんぞり返るスワローの前で、蜂と戯れながらビーは踊ってみせる。
「残念、でも惜しい!ビーは知ってるのよ、彼女が岩山に縛り付けられた理由。最初は普通の蜂だった。けれども大きく強くなりすぎてコヨーテたちもすっかりいいなり。おまけにとっても賢くて、機嫌を損ねたらさあ大変。彼女を恐れた人々は、捧げものを見せるとだまして連れていき、岩山の割れ目に閉じ込めた。真っ暗闇の中、女王蜂は呪ったわ。あんなによくしてやったのに恩知らずの人間たちめ、必ず復讐してやるぞって。それからというもの岩山で怪我する人や死ぬ人がいると、その血が山肌に沁み込んで彼女に送られる。どんなお花の蜜よりなお甘い、新鮮な人間の血が……」
ビーの両手が力なくたれ、底なしの虚無が朗らかな笑顔にとってかわる。
「人の血を吸った女王蜂は、ひとりぽっちの地下迷路で、本当の怪物になっちゃったのよ」
不気味な沈黙が張り詰める。
キマイライーターが物憂く感想を述べる。
「哀しい話じゃね」
「言い伝えにはおまけがあってね、蜂の神様を信仰する人たちがこの山に罠を仕掛けたのですって。生贄を捧げれば岩山で事故が起こらないと信じたのでしょうね。あそこの穴、ごらんになって。アレは最初からあったのよ。獣や泥棒避けのトラップだと思っていたのだけれど、昔の人の置き土産だったらロマンチックよね?」
「お前が掘ったんじゃねえのか」
「ビーはかよわいレディなの。力仕事はお断りよ」
全員の視線が巨大な穴に集中する。
底には木製の杭が聳え、新旧とりまぜたコヨーテの死骸が晒されているが、よく見れば空き缶や瓶などのゴミも大量に打ち捨てられている。饐えた悪臭の正体は腐敗物だ。比較的新しい空き缶は、ビーがコヨーテをけしかけ馬車から強奪したものだろうか。
「おそらく坑道が稼働していた時代の負の遺産じゃね。ゴミ捨て場……ないし雪隠か」
「ああ……いちいち上に戻んの面倒だもんな。間に合わねーし」
「人間の死体が捨ててあっても驚かねーぜ」
「やなこというなよ」
スヴェンがびびってキマイライーターの背に隠れる。スワローの背にはピジョンが引っ込んでいるので場所がない。
「ジプシーのおばあさんは、むかし知り合ったこの土地のインディアンに教えてもらったのですって」
ビーが靴音を高らかに響かせて一同の周囲をスキップする。
「ビーね、それを聞いてここへ来たの」
「……ふむ。経緯はわかった」
キマイライーターは大穴の底に視線を放り、痛ましげな顔をする。
コヨーテの亡骸に哀悼の意を捧げ一瞬の瞠目、冷徹な口調で指摘する。
「コヨーテに共食いさせたようじゃが君にしてはやけに手ぬるい。改心したのかね?」
「ぬるい?コレで?」
「君は暴虐の現場を見てないからの。今回は上品な方じゃ」
ピジョンの抗議をキマイライーターはあっさりいなし、杖の頭に両手を重ねおく。
落ち窪んだ眼窩の奥、瞳孔の縦に長い瞳が冷たくビーを映す。
「なにを企んでおる?」
「どういう意味かしら」
後ろ手を組みとぼけるビーに、キマイライーターは白髯の先をねじる。
「今回は手口が異なる。普段の君なら坑道の奥深く潜んでコヨーテを使役するなどまわりくどい手は使わん。ヒースタウンを例に挙げるまでもなく住民同士を異能で殺し合わせれば済む話じゃ」
「おい」
スヴェンが声を荒げる。地元民としては聞き捨てならない。
キマイライーターは真顔を崩さない。
小揺るぎもせずビーを直視、茶番に紛れた真実を見透かそうとする。
ブラフを巧みに織り交ぜたやりとりを固唾を呑んで見守るピジョンの脳裏に、ビーの不審な言動が過ぎる。

『ここは実験場なの』
『飽きたのよ、それ』

「スワロー、あの子ひょっとして……」
「あァん?」
クインビーは飽きたと言った。
蜂に人を襲わせフェロモンの虜にし、殺し合わせるのが彼女の手口なら、次はどうする?
クインビーは自ら手を汚さない。住民同士に殺し合いを演じさせたあとは……
ビーがにっこり笑い、左右に侍るコヨーテを愛しそうに抱き寄せる。
「ビーはね。この子たちを使って街を滅ぼすの」
「コヨーテを……?」
「この子たちは人の味を覚えてるから手懐けるのは簡単だったわ。キマイライーターのお爺さんはご存知でしょ?ビーね、もう飽きちゃった!ビーの蜂さんはとってもお利口、チクリと一刺しでみんな言うこと聞いてくれる。でもね、たまには違う遊びもしたいじゃない。ワンパターンのマンネリ解消よ。それで考えたの……言い伝えになぞらえて、ビーが女王蜂になったら面白そうねって」
「コヨーテを街に放ちやがったのか!?」
スヴェンが悲鳴に近い金切り声を上げる。
スワローが眉をはねあげ、ピジョンが蒼白になる。三者三様の反応にビーが得意げに顎を反らす。
「ビーのチカラはヒトを操るだけじゃない、動物だって操れるの。コヨーテの群れに効くかどうかはやってみるまでわからなかったけれどね……」
「犬や猫と勝手が違ってちょっとだけ手こずったわ」と悪びれず言ってのける。
「本当なら今日の今頃にはもう始めていたのだけれど、お兄さんのおかげで予定が狂っちゃった」
ピジョンの乱入はクインビーの予定外だった。
彼女の言い分が正しいなら、決行は今夜。
幸か不幸かピジョンが蜂の巣に迷い込まなければ、ビーの指揮下でコヨーテの大群が街に放たれ、住民を食い殺していたのだ。
ピジョンという新しいオモチャを手に入れ、そちらにクインビーが夢中になっていたからこそ、惨劇が起きる前に敵の本拠地に辿り着けた。
「採石場に人がいるのは知っていたわ、トレーラーハウスが停まっているのが見えたもの。時々声も聞こえたし、遠くから姿も見かけた。そのうちいなくなるだろうってほうっておいたら、バリケードを破ってずかずか入ってくるのですもの。お兄さんてば、見かけによらず強引ね?」
「バレて困るなら引き返させればよかったろ、お前にはできるんだから!」
「アナフィラキシーショックって知ってる?蜂に刺された人にまれに起きる死の発作よ。ビーのフェロモンは蜂さんが運ぶの。もしお兄さんが死んじゃったら?運び出すのは大変よ、ビーの細腕じゃとても無理。隠すのだって一人じゃ無理よ。死体を隠す面倒くささを思えば、消えたことにしちゃったほうがラクだわ」
ビーの能力には発動条件がある。彼女の体液を摂取するか、眷属の蜂に刺されるかだ。
それ以外でも、たとえば匂いを嗅いだだけでも軽い酩酊状態に陥るが、殺し合いに至るレベルの興奮状態に引き上げるにはさらに濃厚な接触が必要となる。
ビーがスカートの端を掴み、衣擦れの音も悩ましげにゆっくりとたくしあげていく。
細っこい脚と華奢な膝、肉付きに乏しい太腿が露出の面積を増す。
「ビーを襲ってくれたらよかったのに。粘膜接触ならイチコロよ」
琥珀の瞳を淫蕩に濡れ光らせ、性悪な妖婦ヴァンプの笑みであどけない顔をけばけばしく彩る少女。
誰が彼女を怪物に変えたんだ?
「……街にゃ母さんがいる」
スワローが低く呟き、ピジョンがハッとする。
「なんで?!」
「夜になっても戻らねえテメェを捜しにいったんだ」
だいぶ端折ったが、概ね事実だ。ピジョンの顔が厳しく引き締まる。スワローがナイフを握り直し、キマイライーターが正眼に杖を構える。
「……やれやれ。ただ脱出すりゃいいって話じゃなくなってきたな」
スヴェンが腰だめのファイティングポーズをとり、無精ひげの散った横顔にやけっぱちの笑みを浮かべる。その隣でスワローが野次をとばす。
「殺るのかオッサン」
「惚れた女がコヨーテの餌食になるって聞いて、知らんぷりできるほど枯れちゃねーよ」
虚勢か発破か、断固として言いきることで自らを奮い立てる。
「俺、帰ったらキディと結婚するんだ」
その一声を皮切りに、女王蜂の宴が幕を開ける。
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