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golden wedding 6
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「へっぶし!」
プールから上がりしな盛大にくしゃみをする。
「でっけえくしゃみ。お約束だな」
「誰のせいだと思ってる」
スワローが憎たらしくせせら笑ってシャツを絞る。ピジョンは洟を啜り、情けない顔で水が滴る背広を見回す。
「こんな格好で戻れない……タクシーだって乗れないぞ」
「歩いて帰っか」
「馬鹿げた提案だな、ダウンタウンまでどんだけ距離あると思ってる」
「帰ったらあっためてやる。なんなら今ここでもいいぜ」
「恩人の庭でさかるほど理性と品性を安売りしてない」
革靴の中までずぶぬれだ。靴下がふやけて気持ち悪い。
「この格好で出戻る訳にいかないな……絶対事情を聞かれる」
「詮索されんのがヤならとっととフケるか」
「挨拶しないで帰るのは非礼だろ」
「結局どっちだよ?」
兄の煮え切らなさにスワローがイラ付く。
ピジョンにしてみれば理不尽の極みな逆ギレだ、元はと言えばスワローが全部悪い。
「まったく、酷い夜だ」
いや、酷いことばかりでもないかと思い直す。ルクレツィアにお目通りして賛辞をもらい、グウェンと出会って火遊びのまねごとを愉しんだ。
たとえスワローがそのすべてをぶち壊しにしたとしても、最悪の夜の一言で片付けてしまうのはもったいない。終わりよければすべてよし、その逆もしかりだ。初体験のパーティーで浮かれまくった気分は、弟の暴挙によって台無しにされた。せっかくの正装も上から下までびしょ濡れで、歩くとぶかぶか底が浮く。
「水も滴る色男で惚れ直したろ」
スワローは相変わらず口が減らない。
点々と雫が滴る前髪を無造作にかきあげて聞く横顔を忌ま忌ましげに睨む。悔しいが、惚れ惚れするするような男前だ。
「アップタウンまで来て水浴びか」
「俺たち専用の水盤にするのもいいな」
「これっきりだ、次はない。どうしてもやりたきゃ1人でどうぞ、全裸でプールに飛び込んで逮捕されても引き取りにいかないからな」
「食っちまやよかったのに」
「は?」
「あの女。ぶっちゃけタイプだったろ、お互いまんざらでもなさそうだしよ」
グウェンは少し初恋の女の子に似ていた。だからだろうか、突き放せなかったのは。
スワローがからかうが、その口調と表情に子供っぽい拗ね方が垣間見る。自分は平気で他の男や女と寝るくせに兄の浮気にはたとえ未遂といえど腹を立てる、面倒くさいやきもち焼きだ。
独占欲と嫉妬心だけは人一倍の弟に対し、ピジョンは肩を竦めてみせる。
「これでよかったんだ。あの子の本命は俺じゃない、気持ちが伴わなきゃ虚しいだけさ」
「堅く考えすぎ。カラダだけって割り切れよ、減るもんじゃなし」
「減るだろ、自尊心」
スワローのように要領よくは出来ないし器用には生きられない。
愚直なまでに生真面目に、どこまでも要領悪い生き方しかできない。
それが、それでこそピジョンだ。
「もったいねェの」
スワローが口を尖らす。緩んだ横顔は心なしか安心しているようにも見えた。
ピジョンは困ったように苦笑いし、手のかかる弟と向き合ってネクタイを締め直す。
「俺はホントに好きな子としかしたくないから」
ネクタイの先端から大粒の雫が滴る。スワローは大人しくされるがままにされていた。
ふてくされたような、それでいて困惑したような、子供がそのまま大きくなったような幼稚さをどうしようもなく愛しく思うのは何故だろうか。
好きに血の繋がり以上の理由を求めるなら、結局のところスワローがスワローだからに尽きる。
とっくに背を追い越して図体ばかりでかくなった弟が、ふいに自分のネクタイを結ぶ兄の手を掴む。
「それ、告白にとっていいの」
「勝手にしろ」
そろそろ戻らねば。いや、何食わぬ顔で抜け出すべきだろうか。
上手い口実を考えあぐねて目をそらせば、庭園の奥へ続くプール沿いの小道を人影が過ぎっていく。
「あれは……」
闇に溶け込む漆黒の僧服は見覚えある神父のものだ。何故神父がここにと疑問を抱くが、考えてみればおかしな事でもない。
キマイライーターはスラムの教会に大口の寄付をしており、当然神父とも顔見知りだ。というか、そもそもピジョンの修行先はキマイライーターに推薦されたのだ。
「先生も招かれてたのか」
最近は教会に立ち寄る暇もなく、師が招待されていた事を知らなかった。
「は?クソ神父がいんの」
「クソ神父とかいうな。元々知り合いなんだし、別におかしくないだろ。キマイライーターは教会の支援者の1人、寄付のお礼と金婚式の祝いは直に言いたいだろうし……義理堅い人なんだよ」
「あっそ」
誇らしげに付け加えればスワローが露骨に無関心な態度をとる。
偶然見かけた以上知らんぷりはできない、一言挨拶しておきたい。
「行ってくる」
「待てよピジョン」
弟を待たせて師の背中を追うも、途中で見失って立ち往生する。
キマイライーター邸の敷地は広大で、薔薇の生け垣を巡らす遊歩道は迷路の如く入り組んでいる。
「どこ行ったんだ……すいません、いますか先生ー」
小走りに通路を駆け、口の横に手をあてがって呼び回る。
師と対面したらこの格好を突っ込まれるだろうかと懸念するが、その時はその時と覚悟を決める。ピジョン自身久しぶりに師と会いたい気持ちがあった。運が良ければキマイライーターとの出会いも深堀りできるかもしれない。
ピジョンにとってキマイライーターと師は憧れの人物、理想にして目標にして模範となる賞金稼ぎ。
そんな2人がどこでどうやって知り合い今に至るのか、詳しく聞けるかもしれない貴重な機会を逃したくない好奇心が先行する。
新しく目標を立てた事で賞金稼ぎとしての道筋がハッキリ定まったピジョンは、その旨を尊敬する師に伝えたい気持ちでいっぱいだ。
「先生ってば足速いな、一体どこに……っていうか、帰り道どっちだっけ」
案の定ピジョンは迷って途方に暮れる。
もはや師に追い付くどころではない、屋敷への帰り道が右か左かすらわからない。
無駄に広い敷地と自分の迂闊さを呪っても後の祭り。
その時、進行方向から葉擦れの音がする。
「あ」
生け垣の切れ目の先は質素な噴水を囲む小さい広場になっていた。
広場の中央で向き合っているのはキマイライーターとルクレツィアだ。
反射的に生け垣に隠れたピジョンは、注意深く二人の様子を観察する。
どうやら宴もたけなわのパーティーから抜け出してきたらしい夫妻は、噴水の縁石に仲睦まじく腰掛けておっとりと談笑している。
「みんな盛り上がっていたわね」
「些か羽目を外しすぎかもしれんね」
「堅苦しいこと言わないで、若い人は無礼講でいいじゃない。わたくしももう少し若ければ弾けられたのに残念だわ」
「君は今でも若い」
「昔のようにはいかないわよ」
ピジョンが出ていくのをためらったのは、長年円満に連れ添った夫婦特有の、親密で特別な空気が流れていたせいだ。
夫婦水入らずの休息を邪魔したくないが引き返すと下手に物音をたてそうで心苦しい。ピジョンはジレンマに苛まれて生け垣に張り付き、二人の会話を盗み聞く。
まどやかな月の光にキマイライーターの白い毛が冴え冴えと輝く。
「その……じゃね」
「なんでしょうか」
「今夜のパーティーじゃが……」
「はい」
「楽しんでくれたかね」
「とっても」
「ならばよいのだが……いや、本人に聞くのも無粋じゃな。かえって気遣いをさせてしまった」
あのキマイライーターが恐縮しているところなんて初めて見た。
「優しい君なら必ずそう言うじゃろうて」
「あら、わたくしの言葉をお疑いになるの?あなたがわたくしの為に開いてくれたパーティーを気に入らない訳がないでしょうに。沢山の知人友人にお祝いしてもらえて、こんなに嬉しいことはないわ。懐かしい顔にも会えたし……可愛らしい小鳥さんたちにもね」
俺たちのことだ。
ピジョンの心臓が跳ねる。
ルクレツィアの声は生き生きと若やいでいる。声は老婆のそれだが、口ぶりには活力がみなぎっていた。
パーティーを堪能したというのはまんざら嘘でもなさそうだが、対するキマイライーターは含羞の声音で呟く。
「さぷらいずといえば聞こえはいいが、君の意向も聞かずびっくりさせてしまった」
「あなたこそ、皆に電報だすのは大変だったでしょうに。サインだけでも指にタコができてしまうわ」
「旅行でいない間に準備を進めて」
「突然チケットを渡されたときはビックリしたけど、いざ帰ってきたら盛大なパーティーが待ち受けていて、二段構えのサプライズよ」
キマイライーターは奥方に内緒で金婚式のお披露目を準備していたらしい。
たった一晩の為にかけた費用と労力を思うとめまいがする。
「結局ワシの自己満足じゃないか、後から不安になってしまってな」
「そんな風に言われて『そうよ、あなたの自己満足よ』なんていう妻がいるかしら」
ルクレツィアがいたずらっぽく笑い、キマイラ・イーターが「いやはや」と弱り果てる。
「謙譲の美徳を心得ているのよ、私。公けの場じゃ夫を立てるのが妻の礼節」
「すまぬ、一人でも多くの者に君を……否、我々を祝ってほしかったワシのエゴじゃよ」
キマイライーターの唇を人さし指でそっと封じ、歳月が磨き抜いたまどやかな瞳で夫を見詰める。
「あなたの悪い癖よジョヴァンニ。わたくし達はしょせん神ならざる身、お互い心を読めはしないのだから自己満足かどうか気にし始めたら詮ないのではなくて?わたくしは貴方の妻、ルクレツィア・キマイライーター。病める時も健やかなる時も連れ添って、今日で50年の節目をむかえるわ。そんなあなたが一生懸命考えてくれたパーティーを愉しめない程度の女なんて思われているなら心外ね」
そろえた膝に手をおいてそっぽを向き、わざとむくれてみせるルクレツィアは、ピジョンの目から見ても大層チャーミングな淑女だった。
「私の好きな色のドレス、私の好きなお料理、私の好きな曲。そしていちばん好きなあなた」
ルクレツィアがキマイライーターの顔を手挟む。
「いちばんはあなたよ、ジョヴァンニ」
目と目がひたと合い、愛情と尊敬に満ちた眼差しが絡む。
「……プロポーズした日を思い出す」
「二人とも若かったわね」
「君は今の方が美しい」
本心からそう思っている実直な口調で愛を囁き、ルクレツィアをエスコートして立ち上がらせる。
ジョヴァンニは奥方の左手をとり、タキシードのポケットからベルベッドの小箱をとりだす。
臙脂色の蓋を開き、純金の華奢な指輪を摘まむ。
「……これだけは2人きりの時にと決めていた」
「シャイなのね相変わらず」
「最高に美しい瞬間を独り占めしたいだけじゃよ」
面映ゆそうに俯き、ルクレツィアの皺ばんだ手を包む。
「50年間、君にはいろいろと苦労をかけてきた」
「懺悔ならよしてちょうだい。私はあなたの犠牲者じゃない、共に歩む配偶者よ」
「求愛じゃよ。最後まで聞きたまえ」
妻のせっかちさを笑って許すキマイライーター。
「その眼差しは変わっとらんの。初めて会った頃のまま、いや、あの頃よりさらに強く美しくなった」
「あなたの毛並みは少しやせたわね。角ももっと雄々しかった」
「削ったんじゃよ、抱き締める時に刺さってしまうから」
「随分丸くなったこと。こっちの手触りのほうが好きよ」
「君と踊る為なら退化した角など惜しくはない、いくらでも庭師の剪定の練習台にさしだすよ」
キマイライーターの頭部から生えた巻角にルクレツィアが手をさしのべ、固くなめらかな表面を愛でる。
レースの長手袋越しの愛撫では飽き足らず、自ら手袋を脱いで素手で触れ、おかしそうに微笑む。
「昔は黒ヤギさんだったなんて言ってもあの子たちは信じないでしょうね」
「総白髪はお互い様じゃろ」
「そうね……そうよね」
ルクレツィアが感慨深げに首肯し、キマイライーターは手に持った指輪を月の光に翳す。
純金の指輪が月光を弾いて鈍くきらめく。
「石は付いてないものにした」
「シンプルで素敵ね」
「黄金は永遠に錆びず褪せないからの」
「ロマンチックな人」
「なあに、君には負ける」
「障害があるほど恋は燃え上がるものよ?」
「種族違いの恋を選んだ理由はそれかね」
「いいえ。あなたのこと、どうしようもなく好きになっちゃったからよ」
枯れた左手に手を添え、ゆっくりと黄金の指輪を通す。
月夜の庭園に落ちた影が二重に伸びる。
キマイライーターはルクレツィアだけを、ルクレツィアはキマイラーターだけを見詰めていた。
「踊っていただけますかな、マイ・フェア・レディ」
「喜んで、マイ・ディア・ダーリン」
儀式ばった静粛さを帳消しにするように稚気に富んだ笑顔を交わす。
キマイライーターが腰を折ってダンスを乞い、えもいわれぬ優雅さでルクレツィアが応じ、月影さやかな庭園でワルツを踊る。
夜露に濡れた薔薇が甘く薫る中、月光を反射する噴水の帳を背に、老夫婦は静かに寄り添ってステップを踏み、阿吽の呼吸で身体を入れ替える。
ふたりはただただ満ち足りていた。
数十年連れ添った伴侶だからこそ一歩先を読み合える、まるで気張ったところがない踊り方。
彼らは今この瞬間を全身全霊で楽しみ、その余生すら貪欲に愉しみ尽くそうとしている。
地面に刷かれた巻角の影が片割れの影に溶け込み、緩慢なステップにのせて分かち難く混ぜ合わさり、奇跡のように歪で美しいシルエットを生む。
「デバガメしてんじゃねーよ」
「しーっ!」
唇に人さし指を立て振り返ればスワローがいた。
生け垣の切れ目にチラリと一瞥くれたスワローが「へえ」と愉快げに片眉を動かす。ピジョンはスワローを引きずって広場を離れる。
「そっとしとこ、邪魔しちゃ悪い」
「やるじゃんジジィ、言い出しっぺのくせにパーティーばっくれてしっぽりお楽しみか」
「お前が想像してるようなこと断じてないからな」
あと何十年かしたら、俺達もあんな風に踊れるようになるのだろうか。
そんな日が来るなんて想像もできないけど、今夜限りの無礼講が許されるなら、もう少し素直になっていいのかもしれない。
「服を乾かすとっておきの方法思い付いた」
少し拓けた場所に出るやいなや、スワローに有無を言わせず右手を突き出す。
一瞬きょとんとしたスワローが我が意を得たりと笑い、ピジョンの右手をとって抱き寄せる。
「そうこなくっちゃな!」
せめて背広とシャツが乾くまでのあいだ、スワローとダンスを踊る。
傍若無人なステップに翻弄されて目を回し、たまに足を踏まれて悲鳴を上げながらも負けじと食らい付く。
スワローの背広が回転に合わせ弧を描き、ピジョンの背広が鋭く舞って軌跡を描く。
兄の欲目だろうか、ホールで踊っていた時よりスワローは断然生き生きとして楽しそうだった。
おそらく自分も。
完璧とまで行かずとも無難にこなす事だけに意識を集中し、おっかなびっくり拍を数えて足を運んでいた時よりも遥かに伸び伸び身体が動く。
豪奢なシャンデリアもない、観客もいない。
伴奏も拍手喝采もない。
なのにどうしてか、二人でいるだけで最高に心が躍る。
身ごなしと足捌きがめまぐるしく連動し、顔が近付いては離れるたび追いかけて、足を踏み踏まれても気にせずに、蹴られたら蹴り返す軽やかさでもって我流のワルツを踊る。
尾羽のごとく背広を翻しどこまでも飛んでいく、これが小鳥たちの流儀だ。
スワローと恋人繋ぎに手を絡め合い、夜の庭園でデタラメなステップに陶酔し、ピジョンが呟く。
「やっぱりお前と踊るのがいちばん楽しい」
「なんだって!?」
踊るのに夢中で聞き逃す弟に笑いだし、精一杯声を張って言い返す。
「足踏むなって言ったんだよ!」
フェニクス・I・フェイトはキマイライーター邸前に停めた高級車の後部シートで物思いに耽っていた。
「リトル・ピジョン・バード……彼女の息子か。なるほど、よく似ている」
目を閉じれば思い出す苦い青春、砂嵐に閉ざされた辺境の街。
恋した彼女は場末の娼館の娼婦で自分はお飾りの用心棒、思い返せば若気の至りだ。
「それって何十年前の話ー?おじさんの昔話萎えるんだけど」
「失礼な、せいぜい二十年前だよ」
「名家の坊ボンが親に反発して飛び出したんだっけ」
隣に掛けたディピカが眼球キャンディをしゃぶりながら聞く。
「親に逆らって家出した先で、上手いこと用心棒の職にあり付いて。へなちょこなのによく雇ってもらえたよね、てんで弱っちぃじゃん、よわよわじゃん。腕相撲だって五回に一回の確率でボクに負けるし」
「私はただのおまけだよ。実際に用心棒として雇われたのは『彼』だ」
忸怩たる表情で事実を認めるフェニクス。
キャンディを含み転がすディピカの目が好奇心に光る。
「へええーあの人格破綻者に用心棒なんて務まるの、衝撃。店中の女の子犯しまくって追い出されるのがオチじゃんね」
「めっぽう腕が立ったからね。特にナイフの扱いは抜群だった」
「その頃から『彼』のパシリだったの?」
「まあね……」
直截な物言いを愛くるしい容姿が相殺するせいか不思議と腹は立たない。
フェニクスは夜闇を切り取った車窓に視線を投じ、二十年前の忘れられない事件を回想する。
『とっときのネタがあるんだ。のらねえか』
あの日、彼はそう持ちかけてきた。
『ある筋から頼まれた簡単な仕事さ、コイツを街にばら撒いてジャンキーを増やすんだ。最初は気前よく売りさばいてだんだん品薄にしてく、そうすりゃ街の全員が狂ったように欲しがるぜ』
それは何だと聞くと、白い粉末が入った袋を掲げて傲然とのたまった。
悪魔のように赤い眸をサディスティックに細めて。
形良い唇に酷薄な微笑みをのせて。
『今は名無しのドラッグだ。一部のジャンキーの間じゃもう噂になってんぜ、副作用がリスキーだけど最高にトベるって。どっぷり溺れて狂い死んだヤツも少なかねえ、東の方じゃドーピング剤代わりに使ってる賞金稼ぎも多い』
『このヤクのおもしれえところはな、かっくらった連中同士が殺し合いをはじめんだ。暴力衝動と破壊衝動の促進、前頭葉のリミッター解除による筋力増強エトセトラエトセトラ……人間の遺伝子に干渉してバケモノに変えちまうんだよ。俺のクライアントはコイツの効果を知りたがってる。んでもってこの街ァ実験場にちょうどいい、ちぃとばかし人が増えすぎた』
砂嵐で街が孤立した今なら外部の賞金稼ぎや付近の自警団も介入できず、証拠隠滅に理想的な条件がそろっている。
「鳥葬の街……」
それが呪われた街の名だ。
軽く窓ガラスを叩かれ顔を上げる。
道に三十代前半の金髪の色男が立ち、車にもたれて聞いてくる。
「よ。パーティー楽しかった?」
「お戯れはほどほどに、CEO」
それまでフェニクスと呼ばれていた泣きぼくろの男は上品に肩を竦め、色男に席を譲る。
「漸くバトンタッチ?影武者と秘書の二股って大変だよね」
「有能な身の辛い所だ」
眼球キャンディをガリガリと噛んでディピカが茶化すも、元フェニクスは澄まし顔で受け流す。色男は残念そうにかぶりを振る。
「コイツみてーなクリーンな二枚目のが世間様にゃウケがいいんだ」
「えーCEOのがイケてない?」
「礼儀作法でボロがでますよ」
「あァん?」
「いえ、他意はなく。少々若すぎますし、会社役員には見えないのが難点でしょうね」
入れ代わりに後部シートに滑りこむ色男の上にディピカが飛び乗る。
「あっあふん、やッだめ、ここじゃやぁあん」
「よく言うぜ、エロピンクのクリ乳首がサリーに透けてんぞ」
荒々しい手付きでサリーをはだけて尻を剥く。
少年の尻を揉みしだき、尖った乳首を噛んで引っ張り、前を寛げて赤黒い剛直を剥きだすや一気に刺し貫く。
「あッあ―――――――――――――――――!」
色男の肩を掴んで弓なりに仰け反るディピカ。
「はッやぁ、痛あ……」
「欲しかったんだろクソガキ、気分出して咥えこめ」
ろくにならしもせず貫かれ、ディピカの目が苦痛と被虐に潤む。
構わず尻肉を鷲掴んで揺すり立てれば、ディピカの口から唾液の糸引き白いスティックが落ちる。
「あッふあァやっ、あッいたっあッあッあ」
「邪魔だな、アイツ」
「ロバーツ氏ですか」
「スパイを使ってウチの情報盗み出そうとしてる。そっちは始末させたが、大元を絶たねェといたちごっこだ」
「なら殺し屋を手配します、ちょうどいいあてがある」
「へえ。どんなの」
「あッすごっ奥あたっやっ、しーいーおーもォ無理っイくやっあィくっイっちゃうッ!」
対面座位でディピカを犯す男の傍らに、泣きぼくろの男が予め用意していた資料を広げる。
書類に挟まれた二葉の写真にはそれぞれツーブロックの黒髪をした若者が写っていた。
「賞金首兼殺し屋の双子の兄弟、レオン・ゴーストならびにレオン・ダークネス……アンデッドエンドを徘徊する亡霊と暗闇の噂を聞いてはいませんか。ボトムで起きた孤児院襲撃と人身売買にも首謀者として関与している、札付きの二人組です」
「殺しの経験は?後始末が杜撰じゃ困る」
「むしろそちらが本領ですよ」
「あっあっだめっもォ許してっあァ」
色男が退屈そうに生あくびをし、黒髪を振り乱して喘ぐディピカの片足を持ち上げ、斜めの無理な体勢で突き入れる。
少女のような少年の痴態を見下す顔にはうっそりと倦怠感すら漂っていた。
「だりぃ。まかせた」
「久しぶりに狩りができて彼らも喜ぶでしょうね」
瞼の裏にリトル・ピジョン・バードの人がよさそうな顔が過ぎる。
先程はこみ上げる笑いをごまかすのに苦労した。
都合よくもまあ、記憶喪失になっているという噂は本当だったのだ。これが笑わずにいられるか。
処女のような顔をしていてもとっくに手遅れだと、ほかならぬ本人だけが知らずにいるのだ。
そんなところまで聖女のような顔をした娼婦の彼女によく似ている。
「あっやだっだめえっ見えちゃうからァっ」
「上等だ、パーティー帰りのアホたれどもに鼻から脳汁でそうなアヘ顔見せ付けてやれ」
高級車のシートがうるさく軋む。
ボーイソプラノを裏返し懇願するディピカの手を窓ガラスに付かせ前をしごき倒す一方、壊れそうな勢いで尻に腰を叩き付ける上司に、気を取り直して報告する。
「レオン兄弟は現在セーフハウスに匿っています、指示はすぐ出せますよ。ああ、一応確認しておきたいのですが……強盗の犯行に見せかけるならやはり一家皆殺しになりますか」
「目撃者は消せ。褒美は好きにしな」
「わかりました」
獲物がうまそうなほど彼らの狩りは捗る。
惨劇に巻き込まれる細君と娘には同情するが身の程知らずな欲をかいた代償、会社のタブーに踏み込んだ愚かな過ちの代価と切り捨てるしかない。
「あ―――――――――――――――――――――ッ……」
前立腺をいじめ抜かれたディピカが未熟なペニスから白濁を放ち、ぐったり弛緩する。
「コイツで尿道ほじってやろうか?」
色男が拾ったスティックをひねくり回す。
「やっ、やだ……」
怯えて後ずさるのを許さず、人形のようにぐったり頽れた少年を抱え直し、萎え衰える気配すらないペニスを肛門にぶち込めば、ディピカが強制される絶頂にイキ狂って喘ぎまくる。
「ひゃあんっあふァっあッァあ―――――――――!!」
「ならもっと愉しませろよ」
色男の膝の上で、ピンクの乳首をそそり立たせて跳ね回るディピカの顔は快楽に蕩けきり、男に突き上げられる毎淫乱なメスへと変貌していく。
プロヒビティヴ・ペインの真のトップとして君臨する不死鳥・I・フェイトは宣言する。
悪魔のように赤い目が剣呑に底光りする、苛烈に冴えた美貌で。
「地獄は歩いてこねェ、亡者が列成して歩ってくんだ。地獄から甦るのは不死鳥だけさ」
ミドルネームにインフェルノと付けた罰当たりの極みのこの男こそ、ヤングスワロー・バードの血を分けた父親だった。
プールから上がりしな盛大にくしゃみをする。
「でっけえくしゃみ。お約束だな」
「誰のせいだと思ってる」
スワローが憎たらしくせせら笑ってシャツを絞る。ピジョンは洟を啜り、情けない顔で水が滴る背広を見回す。
「こんな格好で戻れない……タクシーだって乗れないぞ」
「歩いて帰っか」
「馬鹿げた提案だな、ダウンタウンまでどんだけ距離あると思ってる」
「帰ったらあっためてやる。なんなら今ここでもいいぜ」
「恩人の庭でさかるほど理性と品性を安売りしてない」
革靴の中までずぶぬれだ。靴下がふやけて気持ち悪い。
「この格好で出戻る訳にいかないな……絶対事情を聞かれる」
「詮索されんのがヤならとっととフケるか」
「挨拶しないで帰るのは非礼だろ」
「結局どっちだよ?」
兄の煮え切らなさにスワローがイラ付く。
ピジョンにしてみれば理不尽の極みな逆ギレだ、元はと言えばスワローが全部悪い。
「まったく、酷い夜だ」
いや、酷いことばかりでもないかと思い直す。ルクレツィアにお目通りして賛辞をもらい、グウェンと出会って火遊びのまねごとを愉しんだ。
たとえスワローがそのすべてをぶち壊しにしたとしても、最悪の夜の一言で片付けてしまうのはもったいない。終わりよければすべてよし、その逆もしかりだ。初体験のパーティーで浮かれまくった気分は、弟の暴挙によって台無しにされた。せっかくの正装も上から下までびしょ濡れで、歩くとぶかぶか底が浮く。
「水も滴る色男で惚れ直したろ」
スワローは相変わらず口が減らない。
点々と雫が滴る前髪を無造作にかきあげて聞く横顔を忌ま忌ましげに睨む。悔しいが、惚れ惚れするするような男前だ。
「アップタウンまで来て水浴びか」
「俺たち専用の水盤にするのもいいな」
「これっきりだ、次はない。どうしてもやりたきゃ1人でどうぞ、全裸でプールに飛び込んで逮捕されても引き取りにいかないからな」
「食っちまやよかったのに」
「は?」
「あの女。ぶっちゃけタイプだったろ、お互いまんざらでもなさそうだしよ」
グウェンは少し初恋の女の子に似ていた。だからだろうか、突き放せなかったのは。
スワローがからかうが、その口調と表情に子供っぽい拗ね方が垣間見る。自分は平気で他の男や女と寝るくせに兄の浮気にはたとえ未遂といえど腹を立てる、面倒くさいやきもち焼きだ。
独占欲と嫉妬心だけは人一倍の弟に対し、ピジョンは肩を竦めてみせる。
「これでよかったんだ。あの子の本命は俺じゃない、気持ちが伴わなきゃ虚しいだけさ」
「堅く考えすぎ。カラダだけって割り切れよ、減るもんじゃなし」
「減るだろ、自尊心」
スワローのように要領よくは出来ないし器用には生きられない。
愚直なまでに生真面目に、どこまでも要領悪い生き方しかできない。
それが、それでこそピジョンだ。
「もったいねェの」
スワローが口を尖らす。緩んだ横顔は心なしか安心しているようにも見えた。
ピジョンは困ったように苦笑いし、手のかかる弟と向き合ってネクタイを締め直す。
「俺はホントに好きな子としかしたくないから」
ネクタイの先端から大粒の雫が滴る。スワローは大人しくされるがままにされていた。
ふてくされたような、それでいて困惑したような、子供がそのまま大きくなったような幼稚さをどうしようもなく愛しく思うのは何故だろうか。
好きに血の繋がり以上の理由を求めるなら、結局のところスワローがスワローだからに尽きる。
とっくに背を追い越して図体ばかりでかくなった弟が、ふいに自分のネクタイを結ぶ兄の手を掴む。
「それ、告白にとっていいの」
「勝手にしろ」
そろそろ戻らねば。いや、何食わぬ顔で抜け出すべきだろうか。
上手い口実を考えあぐねて目をそらせば、庭園の奥へ続くプール沿いの小道を人影が過ぎっていく。
「あれは……」
闇に溶け込む漆黒の僧服は見覚えある神父のものだ。何故神父がここにと疑問を抱くが、考えてみればおかしな事でもない。
キマイライーターはスラムの教会に大口の寄付をしており、当然神父とも顔見知りだ。というか、そもそもピジョンの修行先はキマイライーターに推薦されたのだ。
「先生も招かれてたのか」
最近は教会に立ち寄る暇もなく、師が招待されていた事を知らなかった。
「は?クソ神父がいんの」
「クソ神父とかいうな。元々知り合いなんだし、別におかしくないだろ。キマイライーターは教会の支援者の1人、寄付のお礼と金婚式の祝いは直に言いたいだろうし……義理堅い人なんだよ」
「あっそ」
誇らしげに付け加えればスワローが露骨に無関心な態度をとる。
偶然見かけた以上知らんぷりはできない、一言挨拶しておきたい。
「行ってくる」
「待てよピジョン」
弟を待たせて師の背中を追うも、途中で見失って立ち往生する。
キマイライーター邸の敷地は広大で、薔薇の生け垣を巡らす遊歩道は迷路の如く入り組んでいる。
「どこ行ったんだ……すいません、いますか先生ー」
小走りに通路を駆け、口の横に手をあてがって呼び回る。
師と対面したらこの格好を突っ込まれるだろうかと懸念するが、その時はその時と覚悟を決める。ピジョン自身久しぶりに師と会いたい気持ちがあった。運が良ければキマイライーターとの出会いも深堀りできるかもしれない。
ピジョンにとってキマイライーターと師は憧れの人物、理想にして目標にして模範となる賞金稼ぎ。
そんな2人がどこでどうやって知り合い今に至るのか、詳しく聞けるかもしれない貴重な機会を逃したくない好奇心が先行する。
新しく目標を立てた事で賞金稼ぎとしての道筋がハッキリ定まったピジョンは、その旨を尊敬する師に伝えたい気持ちでいっぱいだ。
「先生ってば足速いな、一体どこに……っていうか、帰り道どっちだっけ」
案の定ピジョンは迷って途方に暮れる。
もはや師に追い付くどころではない、屋敷への帰り道が右か左かすらわからない。
無駄に広い敷地と自分の迂闊さを呪っても後の祭り。
その時、進行方向から葉擦れの音がする。
「あ」
生け垣の切れ目の先は質素な噴水を囲む小さい広場になっていた。
広場の中央で向き合っているのはキマイライーターとルクレツィアだ。
反射的に生け垣に隠れたピジョンは、注意深く二人の様子を観察する。
どうやら宴もたけなわのパーティーから抜け出してきたらしい夫妻は、噴水の縁石に仲睦まじく腰掛けておっとりと談笑している。
「みんな盛り上がっていたわね」
「些か羽目を外しすぎかもしれんね」
「堅苦しいこと言わないで、若い人は無礼講でいいじゃない。わたくしももう少し若ければ弾けられたのに残念だわ」
「君は今でも若い」
「昔のようにはいかないわよ」
ピジョンが出ていくのをためらったのは、長年円満に連れ添った夫婦特有の、親密で特別な空気が流れていたせいだ。
夫婦水入らずの休息を邪魔したくないが引き返すと下手に物音をたてそうで心苦しい。ピジョンはジレンマに苛まれて生け垣に張り付き、二人の会話を盗み聞く。
まどやかな月の光にキマイライーターの白い毛が冴え冴えと輝く。
「その……じゃね」
「なんでしょうか」
「今夜のパーティーじゃが……」
「はい」
「楽しんでくれたかね」
「とっても」
「ならばよいのだが……いや、本人に聞くのも無粋じゃな。かえって気遣いをさせてしまった」
あのキマイライーターが恐縮しているところなんて初めて見た。
「優しい君なら必ずそう言うじゃろうて」
「あら、わたくしの言葉をお疑いになるの?あなたがわたくしの為に開いてくれたパーティーを気に入らない訳がないでしょうに。沢山の知人友人にお祝いしてもらえて、こんなに嬉しいことはないわ。懐かしい顔にも会えたし……可愛らしい小鳥さんたちにもね」
俺たちのことだ。
ピジョンの心臓が跳ねる。
ルクレツィアの声は生き生きと若やいでいる。声は老婆のそれだが、口ぶりには活力がみなぎっていた。
パーティーを堪能したというのはまんざら嘘でもなさそうだが、対するキマイライーターは含羞の声音で呟く。
「さぷらいずといえば聞こえはいいが、君の意向も聞かずびっくりさせてしまった」
「あなたこそ、皆に電報だすのは大変だったでしょうに。サインだけでも指にタコができてしまうわ」
「旅行でいない間に準備を進めて」
「突然チケットを渡されたときはビックリしたけど、いざ帰ってきたら盛大なパーティーが待ち受けていて、二段構えのサプライズよ」
キマイライーターは奥方に内緒で金婚式のお披露目を準備していたらしい。
たった一晩の為にかけた費用と労力を思うとめまいがする。
「結局ワシの自己満足じゃないか、後から不安になってしまってな」
「そんな風に言われて『そうよ、あなたの自己満足よ』なんていう妻がいるかしら」
ルクレツィアがいたずらっぽく笑い、キマイラ・イーターが「いやはや」と弱り果てる。
「謙譲の美徳を心得ているのよ、私。公けの場じゃ夫を立てるのが妻の礼節」
「すまぬ、一人でも多くの者に君を……否、我々を祝ってほしかったワシのエゴじゃよ」
キマイライーターの唇を人さし指でそっと封じ、歳月が磨き抜いたまどやかな瞳で夫を見詰める。
「あなたの悪い癖よジョヴァンニ。わたくし達はしょせん神ならざる身、お互い心を読めはしないのだから自己満足かどうか気にし始めたら詮ないのではなくて?わたくしは貴方の妻、ルクレツィア・キマイライーター。病める時も健やかなる時も連れ添って、今日で50年の節目をむかえるわ。そんなあなたが一生懸命考えてくれたパーティーを愉しめない程度の女なんて思われているなら心外ね」
そろえた膝に手をおいてそっぽを向き、わざとむくれてみせるルクレツィアは、ピジョンの目から見ても大層チャーミングな淑女だった。
「私の好きな色のドレス、私の好きなお料理、私の好きな曲。そしていちばん好きなあなた」
ルクレツィアがキマイライーターの顔を手挟む。
「いちばんはあなたよ、ジョヴァンニ」
目と目がひたと合い、愛情と尊敬に満ちた眼差しが絡む。
「……プロポーズした日を思い出す」
「二人とも若かったわね」
「君は今の方が美しい」
本心からそう思っている実直な口調で愛を囁き、ルクレツィアをエスコートして立ち上がらせる。
ジョヴァンニは奥方の左手をとり、タキシードのポケットからベルベッドの小箱をとりだす。
臙脂色の蓋を開き、純金の華奢な指輪を摘まむ。
「……これだけは2人きりの時にと決めていた」
「シャイなのね相変わらず」
「最高に美しい瞬間を独り占めしたいだけじゃよ」
面映ゆそうに俯き、ルクレツィアの皺ばんだ手を包む。
「50年間、君にはいろいろと苦労をかけてきた」
「懺悔ならよしてちょうだい。私はあなたの犠牲者じゃない、共に歩む配偶者よ」
「求愛じゃよ。最後まで聞きたまえ」
妻のせっかちさを笑って許すキマイライーター。
「その眼差しは変わっとらんの。初めて会った頃のまま、いや、あの頃よりさらに強く美しくなった」
「あなたの毛並みは少しやせたわね。角ももっと雄々しかった」
「削ったんじゃよ、抱き締める時に刺さってしまうから」
「随分丸くなったこと。こっちの手触りのほうが好きよ」
「君と踊る為なら退化した角など惜しくはない、いくらでも庭師の剪定の練習台にさしだすよ」
キマイライーターの頭部から生えた巻角にルクレツィアが手をさしのべ、固くなめらかな表面を愛でる。
レースの長手袋越しの愛撫では飽き足らず、自ら手袋を脱いで素手で触れ、おかしそうに微笑む。
「昔は黒ヤギさんだったなんて言ってもあの子たちは信じないでしょうね」
「総白髪はお互い様じゃろ」
「そうね……そうよね」
ルクレツィアが感慨深げに首肯し、キマイライーターは手に持った指輪を月の光に翳す。
純金の指輪が月光を弾いて鈍くきらめく。
「石は付いてないものにした」
「シンプルで素敵ね」
「黄金は永遠に錆びず褪せないからの」
「ロマンチックな人」
「なあに、君には負ける」
「障害があるほど恋は燃え上がるものよ?」
「種族違いの恋を選んだ理由はそれかね」
「いいえ。あなたのこと、どうしようもなく好きになっちゃったからよ」
枯れた左手に手を添え、ゆっくりと黄金の指輪を通す。
月夜の庭園に落ちた影が二重に伸びる。
キマイライーターはルクレツィアだけを、ルクレツィアはキマイラーターだけを見詰めていた。
「踊っていただけますかな、マイ・フェア・レディ」
「喜んで、マイ・ディア・ダーリン」
儀式ばった静粛さを帳消しにするように稚気に富んだ笑顔を交わす。
キマイライーターが腰を折ってダンスを乞い、えもいわれぬ優雅さでルクレツィアが応じ、月影さやかな庭園でワルツを踊る。
夜露に濡れた薔薇が甘く薫る中、月光を反射する噴水の帳を背に、老夫婦は静かに寄り添ってステップを踏み、阿吽の呼吸で身体を入れ替える。
ふたりはただただ満ち足りていた。
数十年連れ添った伴侶だからこそ一歩先を読み合える、まるで気張ったところがない踊り方。
彼らは今この瞬間を全身全霊で楽しみ、その余生すら貪欲に愉しみ尽くそうとしている。
地面に刷かれた巻角の影が片割れの影に溶け込み、緩慢なステップにのせて分かち難く混ぜ合わさり、奇跡のように歪で美しいシルエットを生む。
「デバガメしてんじゃねーよ」
「しーっ!」
唇に人さし指を立て振り返ればスワローがいた。
生け垣の切れ目にチラリと一瞥くれたスワローが「へえ」と愉快げに片眉を動かす。ピジョンはスワローを引きずって広場を離れる。
「そっとしとこ、邪魔しちゃ悪い」
「やるじゃんジジィ、言い出しっぺのくせにパーティーばっくれてしっぽりお楽しみか」
「お前が想像してるようなこと断じてないからな」
あと何十年かしたら、俺達もあんな風に踊れるようになるのだろうか。
そんな日が来るなんて想像もできないけど、今夜限りの無礼講が許されるなら、もう少し素直になっていいのかもしれない。
「服を乾かすとっておきの方法思い付いた」
少し拓けた場所に出るやいなや、スワローに有無を言わせず右手を突き出す。
一瞬きょとんとしたスワローが我が意を得たりと笑い、ピジョンの右手をとって抱き寄せる。
「そうこなくっちゃな!」
せめて背広とシャツが乾くまでのあいだ、スワローとダンスを踊る。
傍若無人なステップに翻弄されて目を回し、たまに足を踏まれて悲鳴を上げながらも負けじと食らい付く。
スワローの背広が回転に合わせ弧を描き、ピジョンの背広が鋭く舞って軌跡を描く。
兄の欲目だろうか、ホールで踊っていた時よりスワローは断然生き生きとして楽しそうだった。
おそらく自分も。
完璧とまで行かずとも無難にこなす事だけに意識を集中し、おっかなびっくり拍を数えて足を運んでいた時よりも遥かに伸び伸び身体が動く。
豪奢なシャンデリアもない、観客もいない。
伴奏も拍手喝采もない。
なのにどうしてか、二人でいるだけで最高に心が躍る。
身ごなしと足捌きがめまぐるしく連動し、顔が近付いては離れるたび追いかけて、足を踏み踏まれても気にせずに、蹴られたら蹴り返す軽やかさでもって我流のワルツを踊る。
尾羽のごとく背広を翻しどこまでも飛んでいく、これが小鳥たちの流儀だ。
スワローと恋人繋ぎに手を絡め合い、夜の庭園でデタラメなステップに陶酔し、ピジョンが呟く。
「やっぱりお前と踊るのがいちばん楽しい」
「なんだって!?」
踊るのに夢中で聞き逃す弟に笑いだし、精一杯声を張って言い返す。
「足踏むなって言ったんだよ!」
フェニクス・I・フェイトはキマイライーター邸前に停めた高級車の後部シートで物思いに耽っていた。
「リトル・ピジョン・バード……彼女の息子か。なるほど、よく似ている」
目を閉じれば思い出す苦い青春、砂嵐に閉ざされた辺境の街。
恋した彼女は場末の娼館の娼婦で自分はお飾りの用心棒、思い返せば若気の至りだ。
「それって何十年前の話ー?おじさんの昔話萎えるんだけど」
「失礼な、せいぜい二十年前だよ」
「名家の坊ボンが親に反発して飛び出したんだっけ」
隣に掛けたディピカが眼球キャンディをしゃぶりながら聞く。
「親に逆らって家出した先で、上手いこと用心棒の職にあり付いて。へなちょこなのによく雇ってもらえたよね、てんで弱っちぃじゃん、よわよわじゃん。腕相撲だって五回に一回の確率でボクに負けるし」
「私はただのおまけだよ。実際に用心棒として雇われたのは『彼』だ」
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『とっときのネタがあるんだ。のらねえか』
あの日、彼はそう持ちかけてきた。
『ある筋から頼まれた簡単な仕事さ、コイツを街にばら撒いてジャンキーを増やすんだ。最初は気前よく売りさばいてだんだん品薄にしてく、そうすりゃ街の全員が狂ったように欲しがるぜ』
それは何だと聞くと、白い粉末が入った袋を掲げて傲然とのたまった。
悪魔のように赤い眸をサディスティックに細めて。
形良い唇に酷薄な微笑みをのせて。
『今は名無しのドラッグだ。一部のジャンキーの間じゃもう噂になってんぜ、副作用がリスキーだけど最高にトベるって。どっぷり溺れて狂い死んだヤツも少なかねえ、東の方じゃドーピング剤代わりに使ってる賞金稼ぎも多い』
『このヤクのおもしれえところはな、かっくらった連中同士が殺し合いをはじめんだ。暴力衝動と破壊衝動の促進、前頭葉のリミッター解除による筋力増強エトセトラエトセトラ……人間の遺伝子に干渉してバケモノに変えちまうんだよ。俺のクライアントはコイツの効果を知りたがってる。んでもってこの街ァ実験場にちょうどいい、ちぃとばかし人が増えすぎた』
砂嵐で街が孤立した今なら外部の賞金稼ぎや付近の自警団も介入できず、証拠隠滅に理想的な条件がそろっている。
「鳥葬の街……」
それが呪われた街の名だ。
軽く窓ガラスを叩かれ顔を上げる。
道に三十代前半の金髪の色男が立ち、車にもたれて聞いてくる。
「よ。パーティー楽しかった?」
「お戯れはほどほどに、CEO」
それまでフェニクスと呼ばれていた泣きぼくろの男は上品に肩を竦め、色男に席を譲る。
「漸くバトンタッチ?影武者と秘書の二股って大変だよね」
「有能な身の辛い所だ」
眼球キャンディをガリガリと噛んでディピカが茶化すも、元フェニクスは澄まし顔で受け流す。色男は残念そうにかぶりを振る。
「コイツみてーなクリーンな二枚目のが世間様にゃウケがいいんだ」
「えーCEOのがイケてない?」
「礼儀作法でボロがでますよ」
「あァん?」
「いえ、他意はなく。少々若すぎますし、会社役員には見えないのが難点でしょうね」
入れ代わりに後部シートに滑りこむ色男の上にディピカが飛び乗る。
「あっあふん、やッだめ、ここじゃやぁあん」
「よく言うぜ、エロピンクのクリ乳首がサリーに透けてんぞ」
荒々しい手付きでサリーをはだけて尻を剥く。
少年の尻を揉みしだき、尖った乳首を噛んで引っ張り、前を寛げて赤黒い剛直を剥きだすや一気に刺し貫く。
「あッあ―――――――――――――――――!」
色男の肩を掴んで弓なりに仰け反るディピカ。
「はッやぁ、痛あ……」
「欲しかったんだろクソガキ、気分出して咥えこめ」
ろくにならしもせず貫かれ、ディピカの目が苦痛と被虐に潤む。
構わず尻肉を鷲掴んで揺すり立てれば、ディピカの口から唾液の糸引き白いスティックが落ちる。
「あッふあァやっ、あッいたっあッあッあ」
「邪魔だな、アイツ」
「ロバーツ氏ですか」
「スパイを使ってウチの情報盗み出そうとしてる。そっちは始末させたが、大元を絶たねェといたちごっこだ」
「なら殺し屋を手配します、ちょうどいいあてがある」
「へえ。どんなの」
「あッすごっ奥あたっやっ、しーいーおーもォ無理っイくやっあィくっイっちゃうッ!」
対面座位でディピカを犯す男の傍らに、泣きぼくろの男が予め用意していた資料を広げる。
書類に挟まれた二葉の写真にはそれぞれツーブロックの黒髪をした若者が写っていた。
「賞金首兼殺し屋の双子の兄弟、レオン・ゴーストならびにレオン・ダークネス……アンデッドエンドを徘徊する亡霊と暗闇の噂を聞いてはいませんか。ボトムで起きた孤児院襲撃と人身売買にも首謀者として関与している、札付きの二人組です」
「殺しの経験は?後始末が杜撰じゃ困る」
「むしろそちらが本領ですよ」
「あっあっだめっもォ許してっあァ」
色男が退屈そうに生あくびをし、黒髪を振り乱して喘ぐディピカの片足を持ち上げ、斜めの無理な体勢で突き入れる。
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処女のような顔をしていてもとっくに手遅れだと、ほかならぬ本人だけが知らずにいるのだ。
そんなところまで聖女のような顔をした娼婦の彼女によく似ている。
「あっやだっだめえっ見えちゃうからァっ」
「上等だ、パーティー帰りのアホたれどもに鼻から脳汁でそうなアヘ顔見せ付けてやれ」
高級車のシートがうるさく軋む。
ボーイソプラノを裏返し懇願するディピカの手を窓ガラスに付かせ前をしごき倒す一方、壊れそうな勢いで尻に腰を叩き付ける上司に、気を取り直して報告する。
「レオン兄弟は現在セーフハウスに匿っています、指示はすぐ出せますよ。ああ、一応確認しておきたいのですが……強盗の犯行に見せかけるならやはり一家皆殺しになりますか」
「目撃者は消せ。褒美は好きにしな」
「わかりました」
獲物がうまそうなほど彼らの狩りは捗る。
惨劇に巻き込まれる細君と娘には同情するが身の程知らずな欲をかいた代償、会社のタブーに踏み込んだ愚かな過ちの代価と切り捨てるしかない。
「あ―――――――――――――――――――――ッ……」
前立腺をいじめ抜かれたディピカが未熟なペニスから白濁を放ち、ぐったり弛緩する。
「コイツで尿道ほじってやろうか?」
色男が拾ったスティックをひねくり回す。
「やっ、やだ……」
怯えて後ずさるのを許さず、人形のようにぐったり頽れた少年を抱え直し、萎え衰える気配すらないペニスを肛門にぶち込めば、ディピカが強制される絶頂にイキ狂って喘ぎまくる。
「ひゃあんっあふァっあッァあ―――――――――!!」
「ならもっと愉しませろよ」
色男の膝の上で、ピンクの乳首をそそり立たせて跳ね回るディピカの顔は快楽に蕩けきり、男に突き上げられる毎淫乱なメスへと変貌していく。
プロヒビティヴ・ペインの真のトップとして君臨する不死鳥・I・フェイトは宣言する。
悪魔のように赤い目が剣呑に底光りする、苛烈に冴えた美貌で。
「地獄は歩いてこねェ、亡者が列成して歩ってくんだ。地獄から甦るのは不死鳥だけさ」
ミドルネームにインフェルノと付けた罰当たりの極みのこの男こそ、ヤングスワロー・バードの血を分けた父親だった。
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