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Vanilla milk(馴れ初め4)
向かいの娼館は夜遅くまで営業している。
通りを隔てた宿からカーテンを閉め切られた部屋の様子は窺えないが、目を閉じると悩ましい衣擦れの音や劣情に掠れた息遣いまで聞こえてきそうで悶々とする。
あの子は今頃客をとっているのだろうか。
まがりなりにも娼婦なのだから、指名が入らず干上がる位なら男を咥え込んでいるに越したことはない。
たかだか一回寝ただけの娼婦の床事情に纏わるくだらない思考を打ち切り、仕事道具として持参したスナイパーライフルの整備に精を出す。
うるさい居候はこちらに背を向けとっくに高鼾だ。一発ヤッてスッキリ爆睡、寝付きのよさが羨ましい。
作業に集中していると世界から雑音が消えてゆく。僕はこの時間が好きだ。一対一で銃と向き合える貴重なひととき。
複雑な機構を暴き、銃の部品を丁寧に磨き上げ、こまめに油をさし元通り組み立てていく。構造への理解と手先の器用さが要求される精密作業故に誰にも邪魔されたくない。
硬質に乾いた音が鳴る。
ふと顔を上げて窓辺へ歩み寄る。一気に開け放って周囲を見回せど何もない。
続けて視線を落とせば窓の下の一階の庇に紙飛行機が不時着していた。
犯人はすぐわかった。
「やっぱり起きてたのね夜更かしさん」
「お互い様だね」
「私は仕事だもの」
向かいの娼館の窓辺で、あられもない下着姿にカーディガンを羽織っただけの少女がひらひらと手を振っている。
彼女こそ紙飛行機を飛ばした張本人だ。
彼女はしばしば僕との連絡に紙飛行機を用いる。殆どは志半ばで地面に墜落するが、たまに運良く滑りこむヤツもいる。
辛うじて庇にのっかった紙飛行機を拾い上げる。先端がくたって格好悪い。
「お客は?ほっといていいの」
「今帰ったわ。でも向かいの男の子とこっそりお喋りしてるのがバレたらママに怒られちゃうからシー、ね」
「好きでお喋りしてるんじゃない、物好きの暇潰しに付き合わされてるだけだ」
「結構楽しんでるくせに」
「窓閉めるよ」
「斬弾はまだまだあるわよ」
「わかった話す話すから、満足したら大人しく寝てくれよ」
「そうこなくっちゃ」
なぜ無視して引っ込まないのか。
彼女なら有言実行しそうで怖いのもあるが、その押しの強さとテンションの高さに振り回されながらも徐徐に好感を抱き始めている、自分の気持ちが不可解だ。
ただひたすらにノルマをこなしスコアを稼ぐことを奨励される殺伐とくすんだ日々に、彼女は鼻歌と笑顔と紙飛行機を持ち込んだ。
いずれも僕の日常に欠けていたモノで、ささやかな刺激となって日々を彩っているのは認めざる得ない。
僕は紙飛行機を退屈げにもてあそんで同情する。
「夜遅くまでお勤めご苦労様」
「稼ぎ頭だもの私。そういうアナタは何してたの?」
「火遊び」
「部屋の中じゃだめよ、こっちにも飛び火しちゃうから」
天然か皮肉か、どちらとも取り辛いリアクションに困る。彼女は窓の桟にゆったり頬杖を付き、何がそんなに嬉しいのか朗らかに微笑む。
僕が言葉を返さない限り永遠に止まり木で囀る小鳥のような笑顔の重圧に負け、そっぽを向いて白状する。
「スナイパーライフルの整備だよ。いざって時に暴発したら笑えない、ちゃんと点検しとかないと」
「慎重派ね」
「臆病なだけ」
「凝り性って顔に書いてあるわ。適当に休憩挟まないと駄目よ」
根の詰めすぎを心配され、どんな顔をしていいかわからず憮然とする。ふいに少女が部屋に引っ込み、枕元で何かをさがす気配がする。
僕は間抜けに立ち尽くし、開け放たれた窓の向こうにチラ付く少女の尻を見守っていた。ラトルスネイクなら鼻の下を伸ばして役得に預かるんだろうが、アイツほど破廉恥漢に成り下がれない僕はさりげなく目を逸らして空咳をする。
「あった!」
甲高い歓声を上げ戻ってきた少女が、大きく腕を振り抜いて何かを投擲する。
通りの上空に弧を描いて飛来した物体を咄嗟に身を乗り出してキャッチ、拳を開いて正体を確かめる。
それはカラフルな包装紙に包まれた飴玉だった。
「お客さんからもらったの。一つあげる」
「いらない」
「遠慮しないで、集中してると糖分が恋しくなるでしょ」
図星を突かれて黙り込む。
手中の飴玉をもてあまして俯く僕の前で、少女は見本を見せるように包装を剥いた飴玉を口にほうりこみ、何十人もの男をたちどころに昇天させてきた器用な舌遣いで含み転がす。
食べ物を粗末にしたくない。
右に左に頬をふくらませご機嫌な少女に茶目っけたっぷりに促され、渋々包装紙を剥いで飴玉を含む。
甘ったるいだけのバニラミルクの味が口一杯に広がって、僕は何故か彼女の唇の味を思い出す。
僕に抱かれる前もコイツを食べてたのだろうか。
今の客にもらった飴を?
聞きたいけど聞けない。聞いたら負けな気がする。苛立ちと困惑ともどかしさと口の中に広がるバニラミルクの甘味とがマーブルにかき混ぜられて、ぬるい唾液に濡れた飴をわざと乱暴に噛み砕く。
口の中でガリガリと音をたて砕けていく飴。
ガリガリと音をたて磨り削られていく理性。
向かいの部屋の彼女は頬杖を付いて僕が飴を食べ終えるのを眺め、角がとれて小さくなった飴を艶めかしく飲み干してから、口の中がからっぽだと証明するように舌を出す。
「寝る前に甘いもの食べたなんてバレたら叱られちゃうから2人だけの内緒ね」
いたずら顔でちゃっかり口封じをしてくる抜け目なさに不覚にも頬が弛んでしまい、口元を掠めた笑みを隠すように手で遮れば、彼女が窓から転落せんばかりに乗り出して顔を輝かす。
「今笑った?」
「笑ってない」
「ぜーったい笑ったでしょ」
「見間違い」
「嘘、私目はいいのよ」
「僕の方がいいから君のは間違い」
「んもう頑固ね!」
夜のバニラミルクはヴァージンキスの味がした。
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