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5.神の手伝い
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クリスは領主の父の代理として、領地の行事の取りまとめ、領民の揉め事の解決、周辺の領地との調整などをこなしていた。
人当たりのよいクリスは、住民から相談しやすかったのだろう。クリスが集落を回ると「坊ちゃん」や「クリス様」と住民が気安く声を掛けた。
領内には薬師がいなかった。リサはミルズ伯爵領で薬師の助手をしていたから、領民のために薬師を始めた。怪我をした領民、病気の領民がリサを頼ってやってきた。リサは薬師をしながら、クリスの仕事を手伝った。忙しいけれど、リサの生活は充実していた。
「山に行くけど、一緒に行かない?」
クリスの声が弾んでいた。久しぶりの休みだから、嬉しかったのだろう。リサは薬草を調達したかったから、同行することにした。
久しぶりの山は暗かった。高くそびえる木々が空を覆う。森全体に薄暗い緑の光が差していた。
「困っていることはない?」
大木を見上げていたらクリスの声がした。リサには何の不満もなかった。ミルズ伯爵領での暮らしとは比べようもない。
雨を降らして、薬師として、リサは領民を助けた。それでも、馬一頭の価値には遠く及ばない。
「わたしは役に立っていますか?」
質問がおかしかったのか、クリスは「もちろん」と頭をかいた。
クリスが鉱脈のある洞穴に入る間、リサは植物を調べることにした。リサが薬草を採取していた場所はここから遠い。コーエン子爵領の周辺でも薬草を採取できる場所を確保したかった。
湿った土と腐葉土が積み重なり、歩くたびに柔らかい感触が足元に伝わった。苔に覆われた倒木にはキノコとシダが生えていた。目当ての薬草は近くにありそうだ。背の高い草の間を奥に進んだ。
顔にまとわりつく蜘蛛の巣を払いながら進むと、開けた場所に出た。鳥の鳴き声がした。辺りを見回すと、岩の上に狼がいた。小さな狼だから、襲われる危険はない。
すぐに逃げていくだろう、との予想に反して狼は動かない。それどころか、リサを目で追っている。
「何か用ですか?」リサは狼に話しかけた。
「私が見えるのか?」
狼が喋った。まさか、そんなはずはない。空耳だ。「狼が喋るなんて、まさかね」と薬草探しを再開した。
「聞こえているだろ?」
空耳ではない、間違いなく喋った。リサは恐る恐る狼に近づいた。
「雨を降らせる女がいると噂に聞いた。お前がそうだな?」
狼はリサの能力を知っていた。リサの能力は領内では極秘事項。クリスや領主が漏らすはずがない。それよりも、人間の言葉を話す狼は何者だ?
「やれやれ、この姿では話しにくいか」
狼は後ろ足で立ち上がった。体が上下に伸びたら、泡のような液体が狼を包んだ。狼は形を変え、白い衣をまとった女の姿になった。額から後ろへと栗色の髪を編み上げ、銀の櫛で留めていた。きらびやかな宝飾品は付けていないが、背筋を真っすぐに保つ姿勢は、貴族婦人のように見えた。
女はリサをなめ回すように見た。森には魔物が住むと聞いたことがある。この女がそうなのか?
「お前は見どころがある。私の手伝いをしないか?」
「いきなり、そんなことを言われても困ります。それに、わたしはある人に恩返しをしないといけません。だから、あなたの手伝いをする余裕はありません」
リサの返答に、女は眉をひそめた。
「言い方を変えよう。その者に危険が迫っている。私を手伝えば、その者を助けることができる。どうだ?」
女はリサの能力を知っているのだから、クリスを知っているだろう。リサは息を呑んだ。
「どういう危険ですか?」
「詳しくは教えられん。でも、命に関わることだ」
もったいぶって話す女にいらだった。だが、リサは女の要求を承諾していないのだから、情報だけ教えてはくれない。
「手伝いとは具体的に何をするのですか? そして、どうやってあの人を助けるのですか?」
女の目が輝く。リサが関心を示したことが嬉しいのだ。
「まず、手伝いについて話そう。私は人間から豊穣の神と呼ばれている。私を信仰する人間は各地に住んでいるから、受け持つ地域が広くてな。お前にこの地域を任せたい」
「具体的に何をするのですか?」
「私を信仰する人間の生活を守る。お前が雨を降らせたようにな」
「信者以外はどうするのです?」
「助けない。信仰しない者を助ける必要がない」
この女は神。神は信者以外の者を助けない。自分勝手な理屈だが、全ての人間を助けることはできない。
「この地域に住むあなたの信者を助ける。それ以外には?」
「ない。お前は信者が困っているときだけ助ければよい。手伝うのならお前に私の力の一部を与える。その力を使って、その者を助ければいい」
その条件なら薬師やクリスの手伝いはできる。クリスを救えるのなら、この提案を受けてもいいのではないか。
「力があれば救えるのに、お前は惚れた男を見殺しにするのか?」
リサは顔を赤くしながら「違います」と叫んだ。とにかく考える時間がほしかった。
「少し考えさせてもらえませんか?」
「今日、明日の話ではないから、ゆっくり考えればいい。決心したら私を呼べ。私の名はフェルディアだ」
女はそう言い残すと姿を消した。
クリスに危険が迫っている。フェルディアの力を使えばクリスを救える。迷う必要はない。そのはずなのに、何かが引っかかった。
見上げると、西の空が茜色に染まっていた。そろそろ日暮れだ。薬草を片っ端から引き抜くと、クリスのいる洞穴へ走った。
「そろそろ日が暮れます。帰りませんか?」
洞穴にリサの声が響く。声が少し遅れて返ってくる。入口は小さいが奥に長い洞穴のようだ。
「すぐに出るよ」
しばらくして、クリスが洞穴から出てきた。
「これ、綺麗だと思わない?」
クリスは袋から緑がかった石を出した。白濁した中に薄い緑が輝いていた。
「綺麗ですね。こんな石、初めて見ました」
「翡翠だよ。リサに似合うと思ったんだ。首飾りに加工して、君に贈るよ」
リサの頬が赤らむ。クリスにどう思われているのだろうか? 気になったけれど、訊けなかった。
人当たりのよいクリスは、住民から相談しやすかったのだろう。クリスが集落を回ると「坊ちゃん」や「クリス様」と住民が気安く声を掛けた。
領内には薬師がいなかった。リサはミルズ伯爵領で薬師の助手をしていたから、領民のために薬師を始めた。怪我をした領民、病気の領民がリサを頼ってやってきた。リサは薬師をしながら、クリスの仕事を手伝った。忙しいけれど、リサの生活は充実していた。
「山に行くけど、一緒に行かない?」
クリスの声が弾んでいた。久しぶりの休みだから、嬉しかったのだろう。リサは薬草を調達したかったから、同行することにした。
久しぶりの山は暗かった。高くそびえる木々が空を覆う。森全体に薄暗い緑の光が差していた。
「困っていることはない?」
大木を見上げていたらクリスの声がした。リサには何の不満もなかった。ミルズ伯爵領での暮らしとは比べようもない。
雨を降らして、薬師として、リサは領民を助けた。それでも、馬一頭の価値には遠く及ばない。
「わたしは役に立っていますか?」
質問がおかしかったのか、クリスは「もちろん」と頭をかいた。
クリスが鉱脈のある洞穴に入る間、リサは植物を調べることにした。リサが薬草を採取していた場所はここから遠い。コーエン子爵領の周辺でも薬草を採取できる場所を確保したかった。
湿った土と腐葉土が積み重なり、歩くたびに柔らかい感触が足元に伝わった。苔に覆われた倒木にはキノコとシダが生えていた。目当ての薬草は近くにありそうだ。背の高い草の間を奥に進んだ。
顔にまとわりつく蜘蛛の巣を払いながら進むと、開けた場所に出た。鳥の鳴き声がした。辺りを見回すと、岩の上に狼がいた。小さな狼だから、襲われる危険はない。
すぐに逃げていくだろう、との予想に反して狼は動かない。それどころか、リサを目で追っている。
「何か用ですか?」リサは狼に話しかけた。
「私が見えるのか?」
狼が喋った。まさか、そんなはずはない。空耳だ。「狼が喋るなんて、まさかね」と薬草探しを再開した。
「聞こえているだろ?」
空耳ではない、間違いなく喋った。リサは恐る恐る狼に近づいた。
「雨を降らせる女がいると噂に聞いた。お前がそうだな?」
狼はリサの能力を知っていた。リサの能力は領内では極秘事項。クリスや領主が漏らすはずがない。それよりも、人間の言葉を話す狼は何者だ?
「やれやれ、この姿では話しにくいか」
狼は後ろ足で立ち上がった。体が上下に伸びたら、泡のような液体が狼を包んだ。狼は形を変え、白い衣をまとった女の姿になった。額から後ろへと栗色の髪を編み上げ、銀の櫛で留めていた。きらびやかな宝飾品は付けていないが、背筋を真っすぐに保つ姿勢は、貴族婦人のように見えた。
女はリサをなめ回すように見た。森には魔物が住むと聞いたことがある。この女がそうなのか?
「お前は見どころがある。私の手伝いをしないか?」
「いきなり、そんなことを言われても困ります。それに、わたしはある人に恩返しをしないといけません。だから、あなたの手伝いをする余裕はありません」
リサの返答に、女は眉をひそめた。
「言い方を変えよう。その者に危険が迫っている。私を手伝えば、その者を助けることができる。どうだ?」
女はリサの能力を知っているのだから、クリスを知っているだろう。リサは息を呑んだ。
「どういう危険ですか?」
「詳しくは教えられん。でも、命に関わることだ」
もったいぶって話す女にいらだった。だが、リサは女の要求を承諾していないのだから、情報だけ教えてはくれない。
「手伝いとは具体的に何をするのですか? そして、どうやってあの人を助けるのですか?」
女の目が輝く。リサが関心を示したことが嬉しいのだ。
「まず、手伝いについて話そう。私は人間から豊穣の神と呼ばれている。私を信仰する人間は各地に住んでいるから、受け持つ地域が広くてな。お前にこの地域を任せたい」
「具体的に何をするのですか?」
「私を信仰する人間の生活を守る。お前が雨を降らせたようにな」
「信者以外はどうするのです?」
「助けない。信仰しない者を助ける必要がない」
この女は神。神は信者以外の者を助けない。自分勝手な理屈だが、全ての人間を助けることはできない。
「この地域に住むあなたの信者を助ける。それ以外には?」
「ない。お前は信者が困っているときだけ助ければよい。手伝うのならお前に私の力の一部を与える。その力を使って、その者を助ければいい」
その条件なら薬師やクリスの手伝いはできる。クリスを救えるのなら、この提案を受けてもいいのではないか。
「力があれば救えるのに、お前は惚れた男を見殺しにするのか?」
リサは顔を赤くしながら「違います」と叫んだ。とにかく考える時間がほしかった。
「少し考えさせてもらえませんか?」
「今日、明日の話ではないから、ゆっくり考えればいい。決心したら私を呼べ。私の名はフェルディアだ」
女はそう言い残すと姿を消した。
クリスに危険が迫っている。フェルディアの力を使えばクリスを救える。迷う必要はない。そのはずなのに、何かが引っかかった。
見上げると、西の空が茜色に染まっていた。そろそろ日暮れだ。薬草を片っ端から引き抜くと、クリスのいる洞穴へ走った。
「そろそろ日が暮れます。帰りませんか?」
洞穴にリサの声が響く。声が少し遅れて返ってくる。入口は小さいが奥に長い洞穴のようだ。
「すぐに出るよ」
しばらくして、クリスが洞穴から出てきた。
「これ、綺麗だと思わない?」
クリスは袋から緑がかった石を出した。白濁した中に薄い緑が輝いていた。
「綺麗ですね。こんな石、初めて見ました」
「翡翠だよ。リサに似合うと思ったんだ。首飾りに加工して、君に贈るよ」
リサの頬が赤らむ。クリスにどう思われているのだろうか? 気になったけれど、訊けなかった。
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