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第十七話 邂逅
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休みの日に、買い物に出かけた。
仕事で使う作業用のズボンと、日用品を買い終えてから、車で家に向かう途中の道路で、叶絵を見かけた。
制服姿で、黒いリュックを背負っている。
俺は車を彼女の横につけて、窓を開けた。
「叶絵」
「けっけんと」
彼女は目を丸くして俺の顔を凝視している。
「何驚いてんだよ。ご近所さんなんだから、いつ遭遇してもおかしくはねえだろ」
「急に現れたから」
「学校だったん?」
「うん。特別授業みたいなやつ」
今日は土曜日だ。
月から金までの通常授業に、プラスで特別授業を受けなければならないなんて、高校生も大変である。
「今から飯でも食いに行くか?どうせ昼飯抜かしてんだろ」
「どうせって。まあ、食べてないけど」
そう呟くと、彼女は助手席のドアを開けた。
行く、ということらしい。
乗せてしまってから言うのもおかしな話だが、乗せてしまったことに対して、俺は後悔していた。
ハンドルを握る手の内側が汗で湿ってきている。
何普通に飯誘ってんだ?
助手席に女子高生って、冷静に考えてやばくないか?
いや落ち着け俺。
いくら相手が女子高生だろうと、車に女性を乗せることなんて、今まででも普通にあったことだろ。
変に緊張することはない。
「何を食べるの」
「何を食べる・・・?」
俺は訊かれた言葉の意味が瞬時に分からず、阿呆みたいな王蟲返しをしてしまった。
「え?何かを食べに行くんじゃないの?」
「何を食べる。ああ、何系がいい?別にそんなに腹減ってねえなら甘いもんとかでもいいけど」
「らーめん」
「へ?」
「この間に行ったラーメンがいい」
「え、ああ。あれでいいの?」
「うん。あれがいい。学校帰りにラーメン食べるの夢だったから」
「学校帰りにラーメン食ったことねえの?」
「ないよ。何かを食べに行ったこともない」
「真面目なんだな」
「ストイックなの」
違う。
俺の言った『真面目』と、彼女の捉えた『真面目』が違うことに気が付いた。
意味が分かった俺は、少しだけ切なくなった。
けれども今日は彼女が自分の中のルールを破って、好きなものを食べたいと言っているのだ。
連れて行ってやるより他ない。
中途半端な時間の田舎のラーメン屋は、絶対に空いている。
俺たちはボックス席に向かい合って座った。
すぐ隣にある大きな窓からは、昼下がりの光がたっぷり差し込んだ。
「俺は醤油ラーメンで良いかな。叶絵は?」
「鬼盛りチャーシュー麺」
「食えんの?」
思わず、そう訊いてしまった。
「わかんない。食べれないかも。やめようかな」
彼女はメニューから目を離さないままで言った。
「じゃあ残すんだったら、その分は俺が食うから心配すんな。頼めば?」
すると叶絵は顔を上げて俺を見た。
「じゃあ頼んじゃお。ありがと」
そう言って鼻にギュッと皺を寄せた。
他の奴らがどうかは知らないけれど、俺はこの先に彼女のこの顔を見るたびに、絶対に何でも言うことを聞いてしまうだろう。
それでなくとも、今日は彼女の言うことをなんでも聞くための土曜の昼下がりなのだ。
俺がなるべくゆっくり食べるように努めても、彼女の食べるスピードの遅さにはついていけなかった。
叶絵の目の前にあるチャーシュー麺は、とっくに麺もスープも具も冷めている。
「食えるか?」
俺は頬杖をついて彼女に訊いた。
「たべれる」
叶絵は箸をゆっくりと持ち上げて言った。
「きつかったら言えよ」
「うん」
「鬼盛りってくらいだからなあ」
すると、叶絵の手の動きがぴたりと止まった。
「量じゃない。量とかじゃないよ」
視線をラーメンに集中させたままで、彼女は話した。
「私ね、本当に食べること好きで、よく食べてたの」
「うん」
急に話し始めた彼女に対し、俺は相槌を打った。
「お母さんがね。とにかくいっぱい料理を作るから、それを食べれば食べるほどお母さんも喜んでくれて」
「うん」
「ある日ね、お母さんの日記帳を見つけちゃったの。今考えれば、そんなものは読まなければよかったけれど、好奇心で読んじゃって」
「うん」
「そしたらね、私が小さい頃から、お父さんに浮気相手がいることが分かったの。お母さんを交えた話し合いで、何度も別れるように促したんだけど、お父さんも浮気相手の人も聞き入れてくれないらしくて。結局、慰謝料をもらえることにはなったけど、いまだにお父さん、その人と続いてるの。日記にね、その人の容姿が細かく書いてあって、とにかく細い女だって。背が高くて、顔は握り拳くらいしかなくて、髪が長くて、細いくせに胸は発達していて、腰が蟻みたいで。お父さんは、隣に並べて歩きたいだけであの女を選んでるんだって。スタイルだけが取り柄で、頭の悪い、人の家庭を壊すだけの生きる価値のない女だって、そこまで書いてあった」
店員がやってきて、俺の分の器を下げた。
叶絵の器には、まだ半分以上残っていた。
俺は黙って彼女の話を聞き続けた。
仕事で使う作業用のズボンと、日用品を買い終えてから、車で家に向かう途中の道路で、叶絵を見かけた。
制服姿で、黒いリュックを背負っている。
俺は車を彼女の横につけて、窓を開けた。
「叶絵」
「けっけんと」
彼女は目を丸くして俺の顔を凝視している。
「何驚いてんだよ。ご近所さんなんだから、いつ遭遇してもおかしくはねえだろ」
「急に現れたから」
「学校だったん?」
「うん。特別授業みたいなやつ」
今日は土曜日だ。
月から金までの通常授業に、プラスで特別授業を受けなければならないなんて、高校生も大変である。
「今から飯でも食いに行くか?どうせ昼飯抜かしてんだろ」
「どうせって。まあ、食べてないけど」
そう呟くと、彼女は助手席のドアを開けた。
行く、ということらしい。
乗せてしまってから言うのもおかしな話だが、乗せてしまったことに対して、俺は後悔していた。
ハンドルを握る手の内側が汗で湿ってきている。
何普通に飯誘ってんだ?
助手席に女子高生って、冷静に考えてやばくないか?
いや落ち着け俺。
いくら相手が女子高生だろうと、車に女性を乗せることなんて、今まででも普通にあったことだろ。
変に緊張することはない。
「何を食べるの」
「何を食べる・・・?」
俺は訊かれた言葉の意味が瞬時に分からず、阿呆みたいな王蟲返しをしてしまった。
「え?何かを食べに行くんじゃないの?」
「何を食べる。ああ、何系がいい?別にそんなに腹減ってねえなら甘いもんとかでもいいけど」
「らーめん」
「へ?」
「この間に行ったラーメンがいい」
「え、ああ。あれでいいの?」
「うん。あれがいい。学校帰りにラーメン食べるの夢だったから」
「学校帰りにラーメン食ったことねえの?」
「ないよ。何かを食べに行ったこともない」
「真面目なんだな」
「ストイックなの」
違う。
俺の言った『真面目』と、彼女の捉えた『真面目』が違うことに気が付いた。
意味が分かった俺は、少しだけ切なくなった。
けれども今日は彼女が自分の中のルールを破って、好きなものを食べたいと言っているのだ。
連れて行ってやるより他ない。
中途半端な時間の田舎のラーメン屋は、絶対に空いている。
俺たちはボックス席に向かい合って座った。
すぐ隣にある大きな窓からは、昼下がりの光がたっぷり差し込んだ。
「俺は醤油ラーメンで良いかな。叶絵は?」
「鬼盛りチャーシュー麺」
「食えんの?」
思わず、そう訊いてしまった。
「わかんない。食べれないかも。やめようかな」
彼女はメニューから目を離さないままで言った。
「じゃあ残すんだったら、その分は俺が食うから心配すんな。頼めば?」
すると叶絵は顔を上げて俺を見た。
「じゃあ頼んじゃお。ありがと」
そう言って鼻にギュッと皺を寄せた。
他の奴らがどうかは知らないけれど、俺はこの先に彼女のこの顔を見るたびに、絶対に何でも言うことを聞いてしまうだろう。
それでなくとも、今日は彼女の言うことをなんでも聞くための土曜の昼下がりなのだ。
俺がなるべくゆっくり食べるように努めても、彼女の食べるスピードの遅さにはついていけなかった。
叶絵の目の前にあるチャーシュー麺は、とっくに麺もスープも具も冷めている。
「食えるか?」
俺は頬杖をついて彼女に訊いた。
「たべれる」
叶絵は箸をゆっくりと持ち上げて言った。
「きつかったら言えよ」
「うん」
「鬼盛りってくらいだからなあ」
すると、叶絵の手の動きがぴたりと止まった。
「量じゃない。量とかじゃないよ」
視線をラーメンに集中させたままで、彼女は話した。
「私ね、本当に食べること好きで、よく食べてたの」
「うん」
急に話し始めた彼女に対し、俺は相槌を打った。
「お母さんがね。とにかくいっぱい料理を作るから、それを食べれば食べるほどお母さんも喜んでくれて」
「うん」
「ある日ね、お母さんの日記帳を見つけちゃったの。今考えれば、そんなものは読まなければよかったけれど、好奇心で読んじゃって」
「うん」
「そしたらね、私が小さい頃から、お父さんに浮気相手がいることが分かったの。お母さんを交えた話し合いで、何度も別れるように促したんだけど、お父さんも浮気相手の人も聞き入れてくれないらしくて。結局、慰謝料をもらえることにはなったけど、いまだにお父さん、その人と続いてるの。日記にね、その人の容姿が細かく書いてあって、とにかく細い女だって。背が高くて、顔は握り拳くらいしかなくて、髪が長くて、細いくせに胸は発達していて、腰が蟻みたいで。お父さんは、隣に並べて歩きたいだけであの女を選んでるんだって。スタイルだけが取り柄で、頭の悪い、人の家庭を壊すだけの生きる価値のない女だって、そこまで書いてあった」
店員がやってきて、俺の分の器を下げた。
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