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本編
化身と伴侶1
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安らかに眠る子どもの額に新しい冷却シートをそっと貼る。発熱の次は咳や鼻水が止まらなくなるかもしれない。そう考えた氷雨は、少しでも症状を和らげる為に風邪に効く料理や果物を検索する。本当は両親の元へ帰すべきなのだが、氷雨は瞬時に離央の家庭環境が悪いことに気付き、少し強引ではあったものの彼を自分の屋敷に連れて帰って来た。
『それ、犯罪ですよ。隊長』
直ぐに離央を引き取る準備を始めようと、前世から信頼する部下に連絡を入れて開口一番に言われたのがコレである。今の氷雨の年齢は二十四歳。離央は今年小学生になったばかりの六歳。周囲からショタコンやら変態やら言われてもおかしくないことを仕出かしている自覚はあるものの、事情が事情なだけに変態扱いされるのは不名誉極まりない。
普通に考えれば児童誘拐だが、氷雨にはそれが当て嵌まらない。何故なら彼は雨を司る龍の化身で、離央は化身である氷雨が心から愛する伴侶だからだ。化身とは神に最も愛された存在であり、神と同等の力を持つ神子のような存在でもある。神の寵愛を受けた化身は身体能力や才能に優れ、この世界でも政財界や芸能界などに上手く溶け込み、莫大な富を築いている。その影響力は凄まじく、中には海外にまで影響を及ぼす程の権力を有している化身も存在する。
氷雨もその一人なのだが、前世のような血生臭い世界で生きるのはごめんだと言って、何故か和菓子を極めてしまった。類稀な容姿と若くして自分の店を持った氷雨を狙う輩は多く、金と権力にしか目がない連中の相手をするのが面倒で素性は一切公表していない。氷雨自身も滅多に外出しないので、誰も彼の存在を知らないのだ。
愛しい伴侶を見付けたのは偶然だったが、あの時気分転換に公園へ行って散歩をしようと思って本当によかった! と氷雨は自分で自分のことを褒めちぎった。少し歩きたくて、公園から少し離れた駐車場に車を停め、大きな交差点で信号が青になるまで待つ。信号が青になり、横断歩道の中央まで歩くと突然反対側から歩いてきた小さな男の子が氷雨の目の前で倒れてしまった。
「君、大丈夫か!? すごい熱じゃないか。どうしてこんな状態で外に出たんだ!? 君のご両親は?」
青信号が点滅する。抱きとめた男の子を抱き上げ、慌てて交差点を逆戻りする。はあ、はあ、と荒い息を繰り返す男の子を放ってはおけず、氷雨は急いで車まで戻り、男の子を助手席に乗せ病院へと向かった。
「風邪ですね。少し拗らせていますが、肺炎にはなっていないので自宅療養すれば大丈夫でしょう」
「そうか。それで、この子の両親には連絡を入れたのか?」
「それが、悪戯電話だと思い込んでいるようで、何度説明しても『放っておけばいい』と」
「…………」
「この子、氷雨隊長の伴侶ですよね? それなら、氷雨隊長からご両親に連絡して言質を取って保護した方がいいと思います」
「それが最善策だな」
「暴力を振るわれていませんが、虐待を受けていたのは確実です」
「あぁ。それと、俺はもう隊長ではないから、この世界では峯滝か氷雨と呼んでくれ」
「も、申し訳ありません。前世のクセが抜けなくて、つい」
不思議なことに、この世界には氷雨の知り合いが多い。前世の氷雨は悪鬼を殲滅する軍の隊長を務めていた。雨を司る龍の化身である氷雨の戦闘能力は高く、次々と悪鬼を殲滅し確実に悪鬼の数を減らしていった。しかし、最後の悪鬼を討伐した際に深手を負い、氷雨は亡くなってしまった。愛しい伴侶に一度も出会うことなく……
前の世界では、愛しい伴侶が必ず何処かに存在すると言い伝えられていた。誰もが神の加護を受けて生まれ、生きている内に必ず愛しい伴侶と出会い、幸せに暮らせると。実際、愛しい伴侶と出会えた者はみんな幸せな家庭を築いていた。その中でも化身の伴侶は特別で、見付けたら大切に大切に囲い込んで慈しみ、己の全てを捧げるほど愛しくてたまらない存在なのだ。化身が伴侶と結ばれると神の力が解放され、悪鬼を滅ぼすことも可能になる。故に、化身の伴侶は特別視されていた。しかし、氷雨は愛しい伴侶と出会うことはなかった。自分の伴侶は、この世界に存在しない。伴侶に出会えない寂しさと絶望と常に戦いながら、氷雨は最後の悪鬼を討伐するまで刀を振るい続けた。
「だから、この世界では伴侶と幸せに暮らせということなのか?」
前の世界で命を落とし、気付くとこの世界に転生していた。化身の力も失われていない。この世界でも雨を司る龍の加護を感じられたのだ。成長すると次々と前世で共に戦った仲間達と再会し、氷雨の部下だった隊員達は何故かこの世界でも氷雨が経営する和菓子店の従業員として働いている。前世も今世も上司と部下の関係で、氷雨は少しだけ擽ったい気持ちになった。
『何? 詐欺か悪戯電話なら切るわよ?』
「初めまして。私は峯滝と言いますが、三上離央くんのお母様で間違いありませんか?」
『それが何?』
「実は、離央くんが登校中に高熱を出して倒れてしまったので、急遽病院へ搬送しました。診察の結果は風邪です。ただ、少し拗らせているので、完治するまでに時間がかかるそうです。今から病院の名前と住所をお伝えしますので、離央くんを迎えに……」
『風邪? そんなの放っておけば治るでしょ!? 誰が治療費を払うのよ! ただでさえあのガキのせいで金がないっていうのに! 余計なことをしないでよ!』
「治療費は私が全額負担します。ですから、離央くんを迎えに来てくれませんか?」
『だったらアンタが面倒見なさいよ! あのガキに住所聞いて、家に捨てておけばいいから!』
「彼を一人にする訳にはいきません。貴女が迎えに来ないというなら、私の家で離央くんを看病します。それでどうですか?」
『勝手にしてちょうだい。私は仕事で忙しいの! もう掛けてこないで!』
ブツッと通話が切れ、氷雨は深いため息を吐く。会話中も苛立ちのあまり端末を割りそうになったが、壊さないよう必死に耐え、氷雨は念の為父親にも連絡した。冷静に、冷静にと心掛けて父親が出るのを待ち、電話が繋がると氷雨は母親と同じように離央が高熱で倒れ、病院にいることを伝え、迎えにきてほしいと依頼するのだが……
『はあ? 風邪ぐらいで病院なんかに連れて行くなよ! 金がかかるじゃねえか!』
「あのまま放置していたら、離央くんの命が失われていたかもしれないんですよ?」
『そっちの方が好都合なんだよ! さっさと死んじまえば良かったんだ! あんなガキ!』
「貴方は離央くんの父親ですよね? 離央くんが心配じゃないんですか?」
『心配? する訳ねえだろ! そんなにあのガキが心配ならお前が引き取れよ。あのガキが居なくなるなら、親権でもなんでもくれてやる!』
「……分かりました。必要書類を用意した上で一度話し合いましょう。一週間後に離央くんを連れて伺います」
『好きにしろ!』
「…………」
「あ、あの。氷雨隊長?」
「言質は取った。離央は俺が引き取る」
「そ、そうですね。それが最善策です!」
氷雨の纏う空気がピリついており、元部下だった医者は怯えながらそう返した。氷雨の愛しい伴侶を傷付けた代償は大きい。あの二人は氷雨の地雷を見事に踏み抜いていった。医者としても、我が子にあんな酷い言葉を吐き捨てる毒親より、伴侶を心から愛する氷雨に育てられた方が絶対に幸せだと思う。思うのだが、現在の氷雨の年齢は二十四歳。伴侶である離央の年齢は六歳。
「時雨、俺の伴侶が見付かった。しかし家庭環境に問題があり、急遽俺が引き取ることになった。必要書類を持ってきてくれないか?」
『隊長の伴侶が見付かったのですか!? それはおめでたいことですが、引き取るとは一体どういうことですか?』
「俺の伴侶はまだ小学生で、両親から虐待を受けている。実の親から言質は取ったから、暫く俺の屋敷で療養してもらう予定だ」
『それ、犯罪ですよ。隊長』
医者も思っていたことだが、氷雨に直接言えなかったことを副隊長だった時雨はズバッと言い切った。氷雨が六歳の男の子に手を出すとは誰も考えていないが、六歳の小学生を引き取る図はどうしても児童誘拐、ショタコン、変態という犯罪臭漂う言葉と結びついてしまう。
「保護するだけだ。先程録音した会話を送信するから、証拠として残しておいてくれ」
『かしこまりました。伴侶様の風邪が治ってからで構いませんので、きちんと紹介してくださいよ? 伴侶様の話もお聞きしたいので』
「分かっている。また連絡するよ」
こうして、氷雨が離央を引き取ることが決まった。
療養生活は平穏に過ぎていった。突然見知らぬ人の家で暮らすことが決まり最初は戸惑っていたが、氷雨の優しさに包まれて風邪は順調に治っていった。食事の時にさり気なく離央が今まで何を食べていたのかを聞き、氷雨は笑顔のままピキッと青筋を立てた。あの親のことだから、きちんとした食事は用意していないだろうと思っていたら、案の定離央の食生活は酷いものだった。朝と晩に食べ物を与えているのはいいが、離央は何時もコンビニ、スーパーのパンやおにぎりだけを食べて生活していた。夏休みや冬休みはもっと酷い。一番安いカップラーメンを大量に買ってそれを毎日食べろと言うのだ。しかも、幼稚園の頃からずっと……たまに食べるなら問題ないが、毎日カップラーメンは身体によくない。おにぎりとパンだけで、夏休みはカップ麺だけ? はあ? と、氷雨は内心苛立っていた。
「ひさめさん! こんなおいしいもの、はじめてたべました!」
療養生活三日目。熱も平熱に戻り、少し咳や鼻水が出ているものの薬のお陰で症状は軽い。少しずつ食欲も出てきて、氷雨は夕食に煮込みうどんを作った。氷雨の自室にある大きなテーブルにカセットコンロを置き、鍋に火をかける。グツグツと煮込まれたうどんは美味しくて、今日初めて氷雨と一緒にご飯を食べられることも嬉しくて、離央は満面の笑みを浮かべて氷雨に報告した。
「よかった。少し咳と鼻水が出ていたから心配だったんだ。症状は軽いみたいだけど、油断しちゃダメだよ? あとで温かいはちみつレモンを飲もうか」
「はちみつれもん?」
「甘くて美味しい飲み物だよ」
「ぼくがのんでも、いいんですか?」
「離央くんの為に作るからね。でも、無理して飲む必要はないよ」
「ひさめさんは、どうして、ぼくにやさしくしてくれるんですか?」
「君が大切だからだよ。離央くん」
「たいせつ?」
「そうだよ。大切だから、早く元気になってほしいし、沢山笑ってほしい。美味しいものをいっぱい食べて、すくすく育ってほしい」
「…………」
「離央くんのお父さんとお母さんが君を『いらない』って言うなら、俺が離央くんの家族になるよ。だから大丈夫。怖くないよ」
離央はとても聡い子だ。自分が両親から愛されていないことを既に理解している。それでも、幼い子どもは両親の愛情を求めて必死に縋ろうとする。しかし、自分を愛してほしいという純粋な気持ちを抱くことさえも許されない環境で、離央は育った。お父さんとお母さんは心配してくれているかもしれない。今は仕事が忙しくて迎えに来れないだけ。明日になったら、迎えに来てくれる。僕のことを愛してくれる。そう信じて両親が迎えに来てくれるのを待ち、何度も何度もその期待を裏切られ、どれだけ辛くて寂しい日々を過ごしていたのか。寒い部屋でたった一人、両親の帰りを待つ離央の姿を想像するだけで胸が痛くなる。
離央はまだ六歳で、この段階で保護できたのは不幸中の幸いだったのかもしれない。離央は氷雨の伴侶だ。この世界には化身と伴侶を守る為の特別な法律が存在する。その法律の中に「伴侶が非道な仕打ちを受けていたと証明された場合、年齢問わず保護することができる」というものがある。離央は両親からずっと虐待を受けてきた。暴力は振るわれていなくとも、言葉だって立派な暴力だ。しかし、まだまだ証拠が足りない。病院での会話だけでは離央が虐待を受けていたという証明にはならない。
「ぼく、おとうさんとおかあさんに、すてられちゃうの?」
「離央くんは、お父さんとお母さんが好き? 捨てられたくない?」
「……わからない、です」
「そうか。じゃあ、俺は?」
「ひさめさん?」
「もし、俺が離央くんのことを『いらない』って言ったら、悲しい?」
「や、だ。やだやだやだ! すてないで! ひさめさんに、すてられたら、ぼく……ぅう、やだあ、すてられ、たく、ないよぉ」
「ごめん! 捨てないよ! 捨てないから! 泣かないで、離央くん。大丈夫、大丈夫だから」
「ぅう、ひっく……」
ポロポロと涙を零す離央に驚いて、氷雨は慌てて椅子から立ち上がり、離央の小さな身体を抱きしめる。何度も何度も頭を撫でて「これはもしものお話だから」と「そんなこと、絶対に思わないよ」と、彼が落ち着くまで慰め続けた。
『それ、犯罪ですよ。隊長』
直ぐに離央を引き取る準備を始めようと、前世から信頼する部下に連絡を入れて開口一番に言われたのがコレである。今の氷雨の年齢は二十四歳。離央は今年小学生になったばかりの六歳。周囲からショタコンやら変態やら言われてもおかしくないことを仕出かしている自覚はあるものの、事情が事情なだけに変態扱いされるのは不名誉極まりない。
普通に考えれば児童誘拐だが、氷雨にはそれが当て嵌まらない。何故なら彼は雨を司る龍の化身で、離央は化身である氷雨が心から愛する伴侶だからだ。化身とは神に最も愛された存在であり、神と同等の力を持つ神子のような存在でもある。神の寵愛を受けた化身は身体能力や才能に優れ、この世界でも政財界や芸能界などに上手く溶け込み、莫大な富を築いている。その影響力は凄まじく、中には海外にまで影響を及ぼす程の権力を有している化身も存在する。
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愛しい伴侶を見付けたのは偶然だったが、あの時気分転換に公園へ行って散歩をしようと思って本当によかった! と氷雨は自分で自分のことを褒めちぎった。少し歩きたくて、公園から少し離れた駐車場に車を停め、大きな交差点で信号が青になるまで待つ。信号が青になり、横断歩道の中央まで歩くと突然反対側から歩いてきた小さな男の子が氷雨の目の前で倒れてしまった。
「君、大丈夫か!? すごい熱じゃないか。どうしてこんな状態で外に出たんだ!? 君のご両親は?」
青信号が点滅する。抱きとめた男の子を抱き上げ、慌てて交差点を逆戻りする。はあ、はあ、と荒い息を繰り返す男の子を放ってはおけず、氷雨は急いで車まで戻り、男の子を助手席に乗せ病院へと向かった。
「風邪ですね。少し拗らせていますが、肺炎にはなっていないので自宅療養すれば大丈夫でしょう」
「そうか。それで、この子の両親には連絡を入れたのか?」
「それが、悪戯電話だと思い込んでいるようで、何度説明しても『放っておけばいい』と」
「…………」
「この子、氷雨隊長の伴侶ですよね? それなら、氷雨隊長からご両親に連絡して言質を取って保護した方がいいと思います」
「それが最善策だな」
「暴力を振るわれていませんが、虐待を受けていたのは確実です」
「あぁ。それと、俺はもう隊長ではないから、この世界では峯滝か氷雨と呼んでくれ」
「も、申し訳ありません。前世のクセが抜けなくて、つい」
不思議なことに、この世界には氷雨の知り合いが多い。前世の氷雨は悪鬼を殲滅する軍の隊長を務めていた。雨を司る龍の化身である氷雨の戦闘能力は高く、次々と悪鬼を殲滅し確実に悪鬼の数を減らしていった。しかし、最後の悪鬼を討伐した際に深手を負い、氷雨は亡くなってしまった。愛しい伴侶に一度も出会うことなく……
前の世界では、愛しい伴侶が必ず何処かに存在すると言い伝えられていた。誰もが神の加護を受けて生まれ、生きている内に必ず愛しい伴侶と出会い、幸せに暮らせると。実際、愛しい伴侶と出会えた者はみんな幸せな家庭を築いていた。その中でも化身の伴侶は特別で、見付けたら大切に大切に囲い込んで慈しみ、己の全てを捧げるほど愛しくてたまらない存在なのだ。化身が伴侶と結ばれると神の力が解放され、悪鬼を滅ぼすことも可能になる。故に、化身の伴侶は特別視されていた。しかし、氷雨は愛しい伴侶と出会うことはなかった。自分の伴侶は、この世界に存在しない。伴侶に出会えない寂しさと絶望と常に戦いながら、氷雨は最後の悪鬼を討伐するまで刀を振るい続けた。
「だから、この世界では伴侶と幸せに暮らせということなのか?」
前の世界で命を落とし、気付くとこの世界に転生していた。化身の力も失われていない。この世界でも雨を司る龍の加護を感じられたのだ。成長すると次々と前世で共に戦った仲間達と再会し、氷雨の部下だった隊員達は何故かこの世界でも氷雨が経営する和菓子店の従業員として働いている。前世も今世も上司と部下の関係で、氷雨は少しだけ擽ったい気持ちになった。
『何? 詐欺か悪戯電話なら切るわよ?』
「初めまして。私は峯滝と言いますが、三上離央くんのお母様で間違いありませんか?」
『それが何?』
「実は、離央くんが登校中に高熱を出して倒れてしまったので、急遽病院へ搬送しました。診察の結果は風邪です。ただ、少し拗らせているので、完治するまでに時間がかかるそうです。今から病院の名前と住所をお伝えしますので、離央くんを迎えに……」
『風邪? そんなの放っておけば治るでしょ!? 誰が治療費を払うのよ! ただでさえあのガキのせいで金がないっていうのに! 余計なことをしないでよ!』
「治療費は私が全額負担します。ですから、離央くんを迎えに来てくれませんか?」
『だったらアンタが面倒見なさいよ! あのガキに住所聞いて、家に捨てておけばいいから!』
「彼を一人にする訳にはいきません。貴女が迎えに来ないというなら、私の家で離央くんを看病します。それでどうですか?」
『勝手にしてちょうだい。私は仕事で忙しいの! もう掛けてこないで!』
ブツッと通話が切れ、氷雨は深いため息を吐く。会話中も苛立ちのあまり端末を割りそうになったが、壊さないよう必死に耐え、氷雨は念の為父親にも連絡した。冷静に、冷静にと心掛けて父親が出るのを待ち、電話が繋がると氷雨は母親と同じように離央が高熱で倒れ、病院にいることを伝え、迎えにきてほしいと依頼するのだが……
『はあ? 風邪ぐらいで病院なんかに連れて行くなよ! 金がかかるじゃねえか!』
「あのまま放置していたら、離央くんの命が失われていたかもしれないんですよ?」
『そっちの方が好都合なんだよ! さっさと死んじまえば良かったんだ! あんなガキ!』
「貴方は離央くんの父親ですよね? 離央くんが心配じゃないんですか?」
『心配? する訳ねえだろ! そんなにあのガキが心配ならお前が引き取れよ。あのガキが居なくなるなら、親権でもなんでもくれてやる!』
「……分かりました。必要書類を用意した上で一度話し合いましょう。一週間後に離央くんを連れて伺います」
『好きにしろ!』
「…………」
「あ、あの。氷雨隊長?」
「言質は取った。離央は俺が引き取る」
「そ、そうですね。それが最善策です!」
氷雨の纏う空気がピリついており、元部下だった医者は怯えながらそう返した。氷雨の愛しい伴侶を傷付けた代償は大きい。あの二人は氷雨の地雷を見事に踏み抜いていった。医者としても、我が子にあんな酷い言葉を吐き捨てる毒親より、伴侶を心から愛する氷雨に育てられた方が絶対に幸せだと思う。思うのだが、現在の氷雨の年齢は二十四歳。伴侶である離央の年齢は六歳。
「時雨、俺の伴侶が見付かった。しかし家庭環境に問題があり、急遽俺が引き取ることになった。必要書類を持ってきてくれないか?」
『隊長の伴侶が見付かったのですか!? それはおめでたいことですが、引き取るとは一体どういうことですか?』
「俺の伴侶はまだ小学生で、両親から虐待を受けている。実の親から言質は取ったから、暫く俺の屋敷で療養してもらう予定だ」
『それ、犯罪ですよ。隊長』
医者も思っていたことだが、氷雨に直接言えなかったことを副隊長だった時雨はズバッと言い切った。氷雨が六歳の男の子に手を出すとは誰も考えていないが、六歳の小学生を引き取る図はどうしても児童誘拐、ショタコン、変態という犯罪臭漂う言葉と結びついてしまう。
「保護するだけだ。先程録音した会話を送信するから、証拠として残しておいてくれ」
『かしこまりました。伴侶様の風邪が治ってからで構いませんので、きちんと紹介してくださいよ? 伴侶様の話もお聞きしたいので』
「分かっている。また連絡するよ」
こうして、氷雨が離央を引き取ることが決まった。
療養生活は平穏に過ぎていった。突然見知らぬ人の家で暮らすことが決まり最初は戸惑っていたが、氷雨の優しさに包まれて風邪は順調に治っていった。食事の時にさり気なく離央が今まで何を食べていたのかを聞き、氷雨は笑顔のままピキッと青筋を立てた。あの親のことだから、きちんとした食事は用意していないだろうと思っていたら、案の定離央の食生活は酷いものだった。朝と晩に食べ物を与えているのはいいが、離央は何時もコンビニ、スーパーのパンやおにぎりだけを食べて生活していた。夏休みや冬休みはもっと酷い。一番安いカップラーメンを大量に買ってそれを毎日食べろと言うのだ。しかも、幼稚園の頃からずっと……たまに食べるなら問題ないが、毎日カップラーメンは身体によくない。おにぎりとパンだけで、夏休みはカップ麺だけ? はあ? と、氷雨は内心苛立っていた。
「ひさめさん! こんなおいしいもの、はじめてたべました!」
療養生活三日目。熱も平熱に戻り、少し咳や鼻水が出ているものの薬のお陰で症状は軽い。少しずつ食欲も出てきて、氷雨は夕食に煮込みうどんを作った。氷雨の自室にある大きなテーブルにカセットコンロを置き、鍋に火をかける。グツグツと煮込まれたうどんは美味しくて、今日初めて氷雨と一緒にご飯を食べられることも嬉しくて、離央は満面の笑みを浮かべて氷雨に報告した。
「よかった。少し咳と鼻水が出ていたから心配だったんだ。症状は軽いみたいだけど、油断しちゃダメだよ? あとで温かいはちみつレモンを飲もうか」
「はちみつれもん?」
「甘くて美味しい飲み物だよ」
「ぼくがのんでも、いいんですか?」
「離央くんの為に作るからね。でも、無理して飲む必要はないよ」
「ひさめさんは、どうして、ぼくにやさしくしてくれるんですか?」
「君が大切だからだよ。離央くん」
「たいせつ?」
「そうだよ。大切だから、早く元気になってほしいし、沢山笑ってほしい。美味しいものをいっぱい食べて、すくすく育ってほしい」
「…………」
「離央くんのお父さんとお母さんが君を『いらない』って言うなら、俺が離央くんの家族になるよ。だから大丈夫。怖くないよ」
離央はとても聡い子だ。自分が両親から愛されていないことを既に理解している。それでも、幼い子どもは両親の愛情を求めて必死に縋ろうとする。しかし、自分を愛してほしいという純粋な気持ちを抱くことさえも許されない環境で、離央は育った。お父さんとお母さんは心配してくれているかもしれない。今は仕事が忙しくて迎えに来れないだけ。明日になったら、迎えに来てくれる。僕のことを愛してくれる。そう信じて両親が迎えに来てくれるのを待ち、何度も何度もその期待を裏切られ、どれだけ辛くて寂しい日々を過ごしていたのか。寒い部屋でたった一人、両親の帰りを待つ離央の姿を想像するだけで胸が痛くなる。
離央はまだ六歳で、この段階で保護できたのは不幸中の幸いだったのかもしれない。離央は氷雨の伴侶だ。この世界には化身と伴侶を守る為の特別な法律が存在する。その法律の中に「伴侶が非道な仕打ちを受けていたと証明された場合、年齢問わず保護することができる」というものがある。離央は両親からずっと虐待を受けてきた。暴力は振るわれていなくとも、言葉だって立派な暴力だ。しかし、まだまだ証拠が足りない。病院での会話だけでは離央が虐待を受けていたという証明にはならない。
「ぼく、おとうさんとおかあさんに、すてられちゃうの?」
「離央くんは、お父さんとお母さんが好き? 捨てられたくない?」
「……わからない、です」
「そうか。じゃあ、俺は?」
「ひさめさん?」
「もし、俺が離央くんのことを『いらない』って言ったら、悲しい?」
「や、だ。やだやだやだ! すてないで! ひさめさんに、すてられたら、ぼく……ぅう、やだあ、すてられ、たく、ないよぉ」
「ごめん! 捨てないよ! 捨てないから! 泣かないで、離央くん。大丈夫、大丈夫だから」
「ぅう、ひっく……」
ポロポロと涙を零す離央に驚いて、氷雨は慌てて椅子から立ち上がり、離央の小さな身体を抱きしめる。何度も何度も頭を撫でて「これはもしものお話だから」と「そんなこと、絶対に思わないよ」と、彼が落ち着くまで慰め続けた。
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