雨音に包まれて〜愛されなかった子は龍の化身に寵愛される〜《完結》

トキ

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本編

新しい名前

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 離央は突然異世界に迷い込み、森の中で悪鬼に襲われた。悪鬼とは、負の感情に飲み込まれ闇に堕ちた怨霊の総称。離央を助けた人達はその悪鬼を討伐する軍人だった。

「まだ熱が下がっていないな。安静にしていなさい。アスマ」
「ごめんなさい。ヒサメ様。僕、迷惑ばかり」
「迷惑だなんて思っていない。もっと早く俺達が駆け付けていれば、こんな怪我を負わせることもなかったのに。本当に済まなかった」
「ヒサメ様は、僕の命を助けてくれました。だから、そんな風に自分を、責めないで、ください」
「アスマ……」
「ヒサメ様は、僕に居場所を与えてくれました。それだけで、僕は……」

 バケモノの触手には毒があった。ヒサメ達が応急処置をしてくれたお陰で離央に後遺症は残らなかった。傷口も綺麗に治ると医者から診断され、離央は安堵した。ヒサメに助けられて数日間、離央は高熱を出して寝込んだ。解毒するとどうしても高熱が出てしまうらしい。意識も朦朧としていて、全身だるくて、息をするのも苦しくて助けを求めて手を彷徨わせていると、誰かが離央の手をしっかり握ってくれた。泣きながら「怖い」と弱音を吐けば「怖くないよ」と返され、「傍にいて」とお願いすれば「ずっと傍にいるから安心して」と返された。心が弱っている時に優しくされて、頭を撫でられて、甘やかされて、離央は安心して深い眠りに就いた。寝て、起きて、寝て、起きて。何日か経ったある日、離央は漸く自分の意識を取り戻して目覚めた。

「あぁ。良かった。目が覚めたんだな」

 起き上がった離央の背に手を添えて優しい笑みを浮かべたのは、黒い髪に紫色の瞳をした美麗な大人の男だった。彼の名はヒサメ。この国の軍人であり、地位も高く、武術にも長けているとても強い人だった。ヒサメは雨を司る龍の化身で、化身とはこの世界で最も神に愛され、神の加護を受けた特別な存在。ヒサメは、神と同等の力を持つ神子のような存在なのだ。そんな凄い人に助けられたと知った離央は慌てて彼に頭を下げて謝った。しかし、ヒサメは離央をベッドに寝かせて「怪我が治るまでは安静に」と告げた。

 この世界について教えてもらった後、離央もヒサメに自分のことを少しずつ話した。ヒサメから名前を聞かれた時、離央は名乗るのを躊躇った。自分の名前が好きじゃなかったからだ。此処は離央の知らない世界で、元の世界に戻ることは不可能。もし戻れる方法があったとしても、離央は帰りたいと思わなかった。ヒサメに「名前がないのか?」と聞かれ、離央は首を横に振った。名前はある。しかし、異世界で離央と呼ばれるのに抵抗があった。心配するヒサメに、離央は「僕、自分の名前があまり好きじゃなくて」と素直に答えた。「自分から早く離れてほしいからこの名前にしたって、母親から聞いて」と呟くと、ヒサメは悲しい表情をする離央を強く抱きしめた。

「そうか。じゃあ、俺が君に相応しい名前を与えよう。明日までには考えておく」

 そう言って、ヒサメは離央の頭を優しく撫でた。「今まで、よく頑張ったね」と。「ずっと寂しかっただろう」と。「沢山甘えていいんだよ」と。離央がずっと欲しかった言葉を、ヒサメは何度も何度も口にした。幼い子どもに言い聞かせるように優しく、心地いい低く落ち着いた声で。

「君の名前をじっくり考えたんだが『アスマ』はどうだろう?」

 次の日、ヒサメは新しい名前を彼に与えた。アスマ。龍の愛しい存在が自分から逢いに来てくれた。そんな意味が込められているらしい。ヒサメにとって、アスマは一番大切な宝物なんだと。名前の意味を教えてもらった離央は、嬉しくて嬉しくて涙を流した。離央とは正反対の名前。ヒサメが真剣に考えてくれた、自分だけの新しい名前。ヒサメが考えてくれた名前を離央はすぐに気に入り「僕、この名前がいいです」と嬉しそうに告げた。その日から、離央の名前はアスマになった。

 この世界に迷い込んでから、アスマはずっとヒサメが所有する屋敷で過ごしていた。ヒサメの屋敷は広く立派で、庭園も隅々まで手入れが施されていた。まるで大きな温泉旅館のようだと、アスマは内心思っていた。この屋敷で働く人達はみんな着物を着ている。ヒサメも休みの日は着物姿で、何時もは後ろで一纏めにしている長い黒髪も、横に流して緩く髪紐で結んでいる。軍服姿のヒサメも、休日の姿のヒサメも、どちらも格好よくてアスマはドキッと胸を高鳴らせていた。

「傷口も塞がったし、熱も下がったな。少しだけ外に出ても問題はないだろう」
「外、ですか?」
「と言っても、庭園を散歩するだけだ。屋敷の外は危険だからね」

 気分転換も必要だ、とクスクス笑いながら、ヒサメはアスマをそっと抱き上げて庭園へと足を進めた。春先とはいえ、まだ肌寒さの残る外の空気は冷たく、屋敷の中で過ごしていたアスマはその冷たさが心地よかった。アスマが歩くのはまだ心配だからと、ヒサメが抱き上げたまま庭園内を散歩する。

「あ、雀。この世界にも存在するんですね。ふふ、ちょっと丸くて、かわいです」
「そうか? 俺にはただの雀にしか見えないが」
「よく見るとかわいいですよ? あの子達が止まっている木は、梅の木ですか?」
「あぁ。毎年綺麗な花を咲かせると聞いていたが、今まで興味がなくてちゃんと見たことがなかったな」

 白、赤、ピンクと、色鮮やかな花を咲かせている梅の木はどれも立派で、枝と枝の間を雀達が飛び交ってチュンチュンと囀っている。こんな風にゆったりと花や鳥を眺めて和んだことがなかったアスマは、嬉しくなって小さく微笑んだ。

「とても、とても綺麗です。あの雀達は、家族でしょうか?」
「さあ、そこまでは分からないなあ。でも、とても仲良さそうに枝の間を移動しているから、家族かもしれない」
「……いいなぁ」
「アスマ?」
「いえ! な、なんでもありません」

 両親に捨てられても、アスマは家族への憧れを捨てることができなかった。親には捨てられたけど、何時か自分のことを心から愛してくれる人が現れるかもしれない。その人となら、本当の家族になれるかもしれない。ヒサメ様となら、と考えて、アスマは首を横に振った。ヒサメはアスマを大切にしてくれている。死にかけていた自分を助けてくれて、新しい名前も与えてくれて、衣食住も用意してくれて、何時も優しい言葉をかけて、こうして毎日気遣ってくれる。それで十分だ。これ以上望むのは贅沢というもの。こんなにも大切にしてくれるヒサメに恩返しをしなくては。そう思うのに、アスマはヒサメに返せるものが何もなかった。あるのはこの身一つだけ。

「悩み事があるなら直ぐに言いなさい。アスマが悲しむ顔は見たくない」
「ありがとうございます。ヒサメ様。ヒサメ様に助けられて、僕はとても幸せです」
「……そう、か」
「はい」

 こんなに幸せでいいのだろうか。本当は全部夢なんじゃないか。アスマはそう思うことが時々あった。前の世界では辛いことばかりだった。嫌な思い出しかなかった。両親から浴びせられる心無い言葉を思い出すだけで、今でも震えが止まらない。アスマは愛されたことが一度もない。だから愛というものがどんなものなのか分からない。両親から「いらない子」と言われた自分を、愛してくれる人なんて何処にも居ない。アスマはそう思っていた。

 けれど、この世界に迷い込んで、バケモノに襲われて死にかけて、ヒサメに助けられた。初めて出会った時から、ヒサメはアスマのことを大切にしてくれている。これが「愛」なんだろうと漠然と思うが、正解かどうかは分からない。それでもいい。ヒサメの為なら自分の命を犠牲にしても構わないと断言できるくらい、アスマの中で彼の存在が大きくなっていた。

「そろそろ部屋の中に戻ろうか。体を冷やすのはよくないからね」
「あの、ヒサメ様」
「ん?」
「また、一緒にお散歩してくれますか?」
「勿論。次は桜が咲く頃にしよう」

 ヒサメはアスマの小さな体をぎゅうと抱きしめ、彼のおでこにちゅ、とキスを落とした。一瞬何が起こったのか分からなかったが、ヒサメがおでこにキスをしたと知ったアスマは顔を真っ赤にして命の恩人を見上げる。ヒサメは「かわいいなあ、アスマ」と言って優しい笑みを浮かべた。甘く蕩けるような表情を見たアスマは何も言い返せず、ドクドクと脈打つ心臓を落ち着かせたくて両手を自分の胸に押し当てた。
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