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本編
無慈悲な現実
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何時までも幸せな時間が続く訳ではない。始まりがあれば、必ず終わりが訪れる。もう少しだけ、もう少しだけと願っていても、淡い期待を抱いていても、現実は何時だって無慈悲で、残酷で、優しくなかった。そのことを、アスマはよく理解していた。理解していたからこそ、ヒサメの屋敷から出て行くことを決意した。
肩と脇腹の怪我も完治し、一人で歩けるようになった頃、アスマはヒサメに連れられて軍の本部を訪れた。学校のような大きな建物に、運動場のような広いグラウンド。其処では多くの男達が剣の打ち合いをしていた。みんなアスマよりも体格が良くて背も高く、鍛え上げられた筋肉がシャツに張り付いている。ヒサメは彼ら一人一人に声をかけ、アドバイスをしていた。仲間思いで実力もあるヒサメは軍の間でも人気者で、必要とされていない自分が隣に立っているのが不釣り合いに思えて、アスマは急に恥ずかしくなった。
ヒサメを慕う人達から向けられる視線には「なんでこんな奴が?」という疑問と嫉妬が含まれていた。嫌でも注目の的になってしまい、アスマは居心地が悪いと思いながらも「ヒサメ様に迷惑をかける訳にはいかない」と自分に言い聞かせて必死に耐える。そうして漸くヒサメの屋敷に戻れるとアスマが安堵した時、複数の男達がアスマに声をかけてきた。
「別に、お前が悪いって言ってる訳じゃないんだ。でも、俺達、ヒサメ隊長には幸せになってほしくて」
「最近、悪鬼達の動きが活発になっているんだ。ヒサメ隊長は何時も討伐に駆り出されている。今迄頻繁に出没することなんてなかったのに……」
「こんな言い方はよくないって分かってるけど、お前が来てからなんだよね。悪鬼の討伐任務が増えたの」
アスマに気を遣って言葉は選んでいるが、彼らの言いたいことを要約すると「元気になったんだからさっさと出て行け」ということだ。「お前がヒサメ隊長の傍に居ると不幸になる」と、そう言われているような気がした。アスマもこのままヒサメの屋敷でお世話になるのは申し訳ないと思っていたし、動けるようになったのなら何処かで働ける場所を探さないといけないと考えていた。怪我の治療費や部屋を貸してくれたお礼など、そのお金を稼ぐ方法をアスマはずっと考えていた。
けれど、ヒサメは何時も優しいからつい「もう少し先でもいいか」と「まだ、彼に甘えていたい」と、出て行くのを先延ばしにしていた。ヒサメの傍に居たい。ずっと一緒がいい。あの和やかで優しい時間を失いたくない。ヒサメから、離れたくない。分かっている。それがどれだけ傲慢で、我儘な願いなのかを。ヒサメをずっと独り占めすることなんてできない。
彼は龍の化身だ。化身には心から愛する伴侶がこの世界の何処かに存在する。二人は生きている内に必ず出会う運命にあるそうだ。勿論、全員が出会える訳ではないけれど、化身にとって伴侶は一番大切な宝物なのだ。魂の半身とも言える愛しい存在を、化身は大切に大切に慈しみ、愛し、己の生涯を捧げるのだと。ヒサメはまだ伴侶と出会っていないが、それも時間の問題だろう。ヒサメが愛する伴侶と出会った時、アスマの居場所は無くなってしまう。
嫌だ、失いたくない、追い出されたくない、捨てられたくない。何度も何度も願った。何度も何度も思い続けていた。けれど、アスマの願いが叶ったことは一度もない。父親と母親はアスマを置いて出て行った。心の中では「行かないで」と叫んでいるのに、言っても無駄だからと、こうなることは仕方ないのだと諦めてしまった。傷付いたのは一瞬。アスマは泣きそうになるのを必死に耐えて「分かって、います」と笑顔を作った。大丈夫。捨てられることには慣れている。ほんのちょっと、自分にとって都合のいい夢を見ていただけ。あまりにも居心地がよすぎて、抜け出せなくなっていただけ。
「……遠くへ、行きたいなあ」
誰も知らない遠い場所で、静かな場所で、安らかに終わりを迎えたい。生きているだけで邪魔だと言うのなら、存在するだけで迷惑だと思われるのなら、誰も知らないところで一人で死のう。不思議と恐怖心はなかった。この世界での目標を見付けられて、アスマの心は和やかだった。彼が小さく呟いた言葉を耳にした男達が、どんな顔をしていたのかも知らずに……
「本当に大丈夫か?」
「はい。何時までもヒサメ様に甘えてばかりではいけませんから」
「君はもっと甘えるべきだ」
「その言葉だけで十分です。あの、ヒサメ様」
「なんだ?」
「やっぱり寂しいので、少しの間だけ、抱きしめてほしい、です」
本部から帰ってから、ヒサメはずっとアスマのことを心配していた。悟られないようにしていたが、ヒサメには直ぐに見破られてしまった。アスマは「過去を思い出して、落ち込んでしまいました」と告げた。嘘は言っていない。ヒサメを騙している罪悪感はあるものの、これも彼が幸せになる為だと思えば気持ちも軽くなる。昨日の夕方からずっと、ヒサメはアスマの傍を離れなかった。何時も以上に甘やかして、優しい言葉をかけてくれて、眠る時も抱きしめてくれた。朝起きて、ヒサメが任務に出かける直前まで、彼はアスマを心配していた。そんな彼の優しさが心地よくて、もう少しだけ甘えていたいという気持ちに負けてしまい、アスマは少しだけ我儘を言ってしまった。これが最後だから、と。
「君が望むなら、何時でも抱きしめてあげるよ」
「ありがとうございます。ヒサメ様」
ヒサメの腕の中は温かくて、もうこの体温を感じることはないんだと思うと悲しくなった。名残惜しそうに離れる彼の腕を未練がましく目で追ってしまう。ヒサメが「それじゃあ、行ってくる」と告げて、アスマのおでこにキスをした。今ではもう慣れてしまった挨拶。これももう、今日で最後なんだなと考えて、胸が苦しくなる。
「午後には戻るから、また庭園を散歩しよう。アスマ」
「…………」
ヒサメの言葉に何も返さず、アスマはただ笑って彼を見送った。泣きたくなるのを必死に耐えて、出て行きたくないという気持ちを必死に押し殺す。ヒサメが出て行き、玄関の扉が閉まった直後、アスマは「さようなら。ヒサメ様」と小さな声で呟いた。
肩と脇腹の怪我も完治し、一人で歩けるようになった頃、アスマはヒサメに連れられて軍の本部を訪れた。学校のような大きな建物に、運動場のような広いグラウンド。其処では多くの男達が剣の打ち合いをしていた。みんなアスマよりも体格が良くて背も高く、鍛え上げられた筋肉がシャツに張り付いている。ヒサメは彼ら一人一人に声をかけ、アドバイスをしていた。仲間思いで実力もあるヒサメは軍の間でも人気者で、必要とされていない自分が隣に立っているのが不釣り合いに思えて、アスマは急に恥ずかしくなった。
ヒサメを慕う人達から向けられる視線には「なんでこんな奴が?」という疑問と嫉妬が含まれていた。嫌でも注目の的になってしまい、アスマは居心地が悪いと思いながらも「ヒサメ様に迷惑をかける訳にはいかない」と自分に言い聞かせて必死に耐える。そうして漸くヒサメの屋敷に戻れるとアスマが安堵した時、複数の男達がアスマに声をかけてきた。
「別に、お前が悪いって言ってる訳じゃないんだ。でも、俺達、ヒサメ隊長には幸せになってほしくて」
「最近、悪鬼達の動きが活発になっているんだ。ヒサメ隊長は何時も討伐に駆り出されている。今迄頻繁に出没することなんてなかったのに……」
「こんな言い方はよくないって分かってるけど、お前が来てからなんだよね。悪鬼の討伐任務が増えたの」
アスマに気を遣って言葉は選んでいるが、彼らの言いたいことを要約すると「元気になったんだからさっさと出て行け」ということだ。「お前がヒサメ隊長の傍に居ると不幸になる」と、そう言われているような気がした。アスマもこのままヒサメの屋敷でお世話になるのは申し訳ないと思っていたし、動けるようになったのなら何処かで働ける場所を探さないといけないと考えていた。怪我の治療費や部屋を貸してくれたお礼など、そのお金を稼ぐ方法をアスマはずっと考えていた。
けれど、ヒサメは何時も優しいからつい「もう少し先でもいいか」と「まだ、彼に甘えていたい」と、出て行くのを先延ばしにしていた。ヒサメの傍に居たい。ずっと一緒がいい。あの和やかで優しい時間を失いたくない。ヒサメから、離れたくない。分かっている。それがどれだけ傲慢で、我儘な願いなのかを。ヒサメをずっと独り占めすることなんてできない。
彼は龍の化身だ。化身には心から愛する伴侶がこの世界の何処かに存在する。二人は生きている内に必ず出会う運命にあるそうだ。勿論、全員が出会える訳ではないけれど、化身にとって伴侶は一番大切な宝物なのだ。魂の半身とも言える愛しい存在を、化身は大切に大切に慈しみ、愛し、己の生涯を捧げるのだと。ヒサメはまだ伴侶と出会っていないが、それも時間の問題だろう。ヒサメが愛する伴侶と出会った時、アスマの居場所は無くなってしまう。
嫌だ、失いたくない、追い出されたくない、捨てられたくない。何度も何度も願った。何度も何度も思い続けていた。けれど、アスマの願いが叶ったことは一度もない。父親と母親はアスマを置いて出て行った。心の中では「行かないで」と叫んでいるのに、言っても無駄だからと、こうなることは仕方ないのだと諦めてしまった。傷付いたのは一瞬。アスマは泣きそうになるのを必死に耐えて「分かって、います」と笑顔を作った。大丈夫。捨てられることには慣れている。ほんのちょっと、自分にとって都合のいい夢を見ていただけ。あまりにも居心地がよすぎて、抜け出せなくなっていただけ。
「……遠くへ、行きたいなあ」
誰も知らない遠い場所で、静かな場所で、安らかに終わりを迎えたい。生きているだけで邪魔だと言うのなら、存在するだけで迷惑だと思われるのなら、誰も知らないところで一人で死のう。不思議と恐怖心はなかった。この世界での目標を見付けられて、アスマの心は和やかだった。彼が小さく呟いた言葉を耳にした男達が、どんな顔をしていたのかも知らずに……
「本当に大丈夫か?」
「はい。何時までもヒサメ様に甘えてばかりではいけませんから」
「君はもっと甘えるべきだ」
「その言葉だけで十分です。あの、ヒサメ様」
「なんだ?」
「やっぱり寂しいので、少しの間だけ、抱きしめてほしい、です」
本部から帰ってから、ヒサメはずっとアスマのことを心配していた。悟られないようにしていたが、ヒサメには直ぐに見破られてしまった。アスマは「過去を思い出して、落ち込んでしまいました」と告げた。嘘は言っていない。ヒサメを騙している罪悪感はあるものの、これも彼が幸せになる為だと思えば気持ちも軽くなる。昨日の夕方からずっと、ヒサメはアスマの傍を離れなかった。何時も以上に甘やかして、優しい言葉をかけてくれて、眠る時も抱きしめてくれた。朝起きて、ヒサメが任務に出かける直前まで、彼はアスマを心配していた。そんな彼の優しさが心地よくて、もう少しだけ甘えていたいという気持ちに負けてしまい、アスマは少しだけ我儘を言ってしまった。これが最後だから、と。
「君が望むなら、何時でも抱きしめてあげるよ」
「ありがとうございます。ヒサメ様」
ヒサメの腕の中は温かくて、もうこの体温を感じることはないんだと思うと悲しくなった。名残惜しそうに離れる彼の腕を未練がましく目で追ってしまう。ヒサメが「それじゃあ、行ってくる」と告げて、アスマのおでこにキスをした。今ではもう慣れてしまった挨拶。これももう、今日で最後なんだなと考えて、胸が苦しくなる。
「午後には戻るから、また庭園を散歩しよう。アスマ」
「…………」
ヒサメの言葉に何も返さず、アスマはただ笑って彼を見送った。泣きたくなるのを必死に耐えて、出て行きたくないという気持ちを必死に押し殺す。ヒサメが出て行き、玄関の扉が閉まった直後、アスマは「さようなら。ヒサメ様」と小さな声で呟いた。
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