白紙の人生をゆっくり歩こう ~宝来奏絵のスロー・フォーチュンテリング

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第6話

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 いつも無邪気な妖精のドロシーが珍しく険しい顔をしている。 

 彼女をなだめるために、金平糖を追加でもう1個取り出した。 

 ――少し失敗したかな。 

 奏絵は客として正面に座る彼女を見た。顔は笑顔だ。でも、目はドロドロに淀み始めている。 

『あなた、占いをしているんでしょ』 

 いつものようにカフェ「ノクターンテーブル」でコーヒーを楽しんでいたら、声をかけられた。 

 顔を上げれば、スーツを着て人好きのする笑顔を浮かべた若い女性が立っていた。その顔に見覚えはなかった。 

『誰からその話を聞きました?』 

『そうじゃないけど。……ほら。これ、あなたでしょ?』 

 かざされたスマホに映し出されていたのは、占いをする奏絵の写真。 

 写真を撮る許可をしたことはない。撮られた覚えもない。 

『SNSに投稿されていたのを見て、来たのよ』 

 SNSへの投稿もOKしたことはない。 

 奏絵の眉が少しひそめられる。 

『占ってよ。いいでしょ?』 

 気乗りがしなかった。 

 これまでに奏絵が占った客はほとんどが誰かの紹介によるもの。特に、この街に来てからは、飛び込みで占った客は最初の梨々花を除けば、2人ほど。 

『占い料は現金で5千円だっけ? はい』 

 裸で五千円札が差し出された。 

『いえ。5千円は学生の方だけです。社会人の方は1万円になります』 

『あら、そうなの?』 

『それと……』 

『ワンドリンクオーダーでしょ。知っているわ』 

 冷やかしや質の悪い客ならこの対応で機嫌を損ねるのだが、彼女は愛想よく振舞った。 

 五千円札を財布に戻して、一万円札をテーブルに置くと、カウンターでコーヒーを注文して戻ってきた。 

 取り出された財布は真新しく、着ているスーツもアイロンが効いている。顔のメイクはばっちり、指にはネイルが施され、髪の毛の手入れも行き届いている。 

 どこを見ても、非の打ちどころの無い社会人の姿なのだが、 

 ――どこか気乗りがしないのよね。 

 占いの前の説明も彼女はしっかりと聞いた。カードのシャッフルも問題はなかった。シャッフルの際にスーツの袖口から覗くジュエリーウォッチが華やかだけど暗い輝きを見せていた。 

 妖精のドロシーもどこか不安そうな顔をしている。 

 ――SNSを見てきたというのが気に入らないのよね。 
 ――OKしたら、白紙の人生をゆっくり歩くことから遠のくような気がして。 
 ――……でも、私の占いが彼女の力になるなら。 

 占う方へ傾いた陰に、あるものが潜んでいることには奏絵は気がついていない。 

 それは、鹿乃子を通して日本の政治を歪ませてきた後ろめたさ。 

 ――……こういう日もあるか。 

 それが、奏絵の人を見る眼を曇らせた。 

 占いは転職について。経理の仕事をしているが、今の会社に止まるか、心機一転、新しい会社へ転職した方が良いか。 

『今の会社で何か問題があるのですか?』 

 そのままカードをめくっても良かったのだが、少しだけ話を聞いてみることにした。そうしたら、 

『そうじゃないんだけど……』 

 完璧な社会人の彼女の声にドロリとしたものが混ざった。 

『なーんか、つまんないのよね』 

 占い師としての経験が囁く。 

 ――彼女には深く関わらない方が良い。 

 囁きに従って、会話を切り上げ、早々とカードをめくった。 

 めくったカードは3枚。それぞれ正位置の「悪魔」「塔」「死神」。 

 カードに描かれたおぞましさを目にした社会人の彼女の顔が歪んだ。 

 だから、フォローする。 

『安心してください。描かれている絵は少し不安を感じさせるかと思いますが、悪い意味ばかりではありません』 

 ――そうだといいんだけど。 
 ――この人、話していない内緒にしていることがあるわね。 

『今の職場に心残りがあるみたいですね。そのことが転職を迷う原因になっているようです』 

 1枚目のカードは「悪魔」。執着、依存、誘惑。 

 奏絵の指が「悪魔」の顔をなぞる。 

 ――お金の誘惑? 
 ――この人、お金に関して何か悪いことをしている? 

『転職した場合、ちょっと大変なことになりそうですね。新しい職場に慣れるまで時間が必要になるかもしれません』 

 2枚目のカードは「塔」。突然の破局、崩壊、予期せぬ痛み。 

 ――転職しても、前の職場のことが追いかけて来て、清算を余儀なくされる。 
 ――あるいは、前の職場と同じことをして、失敗する。 

『転職しなかった場合も、思いがけない出来事に直面するかもしれません。「死神」は怖さを感じさせますが、再生のカードでもあります。ですから、その先には新しい始まりが待っています』 

 3枚目のカードは「死神」。終焉、不可避の変化、強制的なリセット。 

 ――悪事は明らかにされる。 

 大きく溜息を吐きたくなる衝動にかられた。 

 それが過去の記憶を奏絵に呼び覚まさせる。 

 ――……昔、同じカードの並びを出したお客さんがいたわね。 

 創業家三代目の会社社長だった。会社の金を自分の金として自由に使っていた。良くないことだと当人は分かっていた。けれど、誘惑に勝てずにいた。どうしたらいいか、占いに来た。 

 その後、彼は横領した金を私財で賠償した後、会社を去った、と他の客から聞いた。 

 ――あの人は自分がしていることは悪いことだと分かっていた。 
 ――……この人が、何をしているか、はっきりしたことはわからない。 
 ――けれど、何か悪いことをしているのはわかる。 
 ――そして、この人は悪いことをしているとは思っていない。 

 別の記憶が呼び起こされる。 

 地元で絶大な力を持つ国会議員の息子だったその客は、黒い物でも自分が「白」だと思ったら周りにも「白」を強要する人だった。 

 当たり障りのないことを言って、帰ってもらった。 

 後日、奏絵のことをインチキ占い師と吹聴している、と他の客から聞いた。 

 ――その人と似ているようで似ていない。 
 ――どちらにしろ、あまり関わり合いにならない方が良いわね。 

「ふーん。でも、気に入らないわね」 

 客の彼女の目はドロドロに淀み始めていた。 

 そして、次の彼女の言葉はいつも無邪気な妖精のドロシーを険しい顔にさせた。口の中に頬張りかけていた金平糖がテーブルの上に落ちた。 

「ねえ、もう1回占って。もっと良い結果の占いにしてよ」 

 奏絵は好意も悪意も表さない顔で対応する。 

「占いは、所詮、未来の可能性にもならない1つのストーリーにすぎません。最初にも話した通り、これからどうするかを決めるのはあなた自身です」 

 遠回しに断る。でも、 

「そんなこと言わないでさ。ね、もう1回。高い金を払っているんだから。ちょっとカードをめくるだけじゃない」 

 「ね、もう1回」「ちょっとカードをめくるだけ」。 

 その言葉は、占い師としての誇りを傷つける。奏絵はニコリと拒絶の笑みを浮かべた。 

 それは未来を垣間見るのを繰り返すこと。

 それは神のきざはしへ足をかけること。

 すなわち、不遜。タロットに宿る精霊の逆鱗。

 ドロシーが右手を振って築いていた結界を崩すと、満面の笑みを浮かべて、左手で客の彼女に投げキスを送った。 

 精霊の怒りは何者にも止められない。 

 それは呪い。世間体という仮面の裏に隠された本音を暴露させる。 

 と言っても、効果は数分しか続かないが。それでも、 

「ガタガタ、ガキが生意気言ってんじゃねーよ!」 

 ダンとテーブルを拳で叩く音とともに、店中に大声が轟いた。 

「こっちはお客様だぞ! 神様だぞ! つべこべ言ってねーで、さっさともう一回占え! お客様がOKと言うまで何度でも占え!」 

 と、客の彼女は右手で自分の口を覆った。顔にはありありと「しまった!」と書いてある。辺りを見回せば、白い視線が突き刺さってくるのが分かったのだろう。 

「チッ!」 

 大きな舌打ちをすると立ち上がった。「非の打ちどころの無い社会人」のメッキは剥がれ落ちている。 

「このインチキ占い師が!」 

 捨て台詞を残して、店を出ていった。 

 ――……身体が重い。心が重い。 

 このような客を相手にした時はひどく疲れる。 

 かつては珍しくなかった。もっと酷い客もいた。 

 その度に、さりげなく祖母が間に入ってきていた。 

 ――守られていたんだな。 

 祖母の小さな背中がまぶたの裏に浮かんで、消えた。 

 昔のように、そのまま軟体動物になってテーブルに身体を委ねたかった。けれど、 

 ――今は一人。それでも大丈夫。 
 ――私はもう子供じゃない。 
 ――あんな激情が隠されていたなんて、少し想定外だったけど。 

「奏絵ちゃん。大丈夫かい?」 

 カフェのオーナーの佐奈子が近づいて声を掛けてきたから、立ち上がって、 

「ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」 

 深々と頭を下げた。 

「ああ! もう! いいんだよ。頭を上げて。奏絵ちゃんが謝る必要は全然ないから」 

 下げた頭を戻すが、 

「いいえ。これはけじめです。店先をお借りしていたのに、こんな騒ぎを起こしてしまいました。本当に申し訳ありません」 

 占い師としての奏絵の誇り。 

 それと、カフェの穏やかな時間を壊してしまったことへの罪悪感。 

「カフェのお客様も、ご不快だったと思います。ご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありませんでした!」 

 他の客にも頭を下げる。 

「……ほら。奏絵ちゃん。頭を上げて。さっきも言ったように奏絵ちゃんが謝る必要は全然ないから」 

「そうよ、奏絵ちゃん」 

 佐奈子に加えて、近くに座っていたカフェの常連客にも声をかけられて、ようやくゆっくりと頭を戻す。 

 向けられる視線のほとんどは好意的なもの。でも、奏絵の心がズキリと痛む。 

 苛立たし気な悪意のこもった視線もゼロではないことに。 

 「インチキ占い師」と罵られたことは全く気にならない。 

 けれど、この騒ぎで佐奈子のカフェ「ノクターンテーブル」を嫌いになった人がいることには心が痛む。 

「ほら、梨々花ちゃんが来たわよ」 

 カフェのガラス窓の向こうには、学校帰りの制服姿の梨々花がいた。 

 いつもと同じ眩しいくらい明るい笑顔。 

 いつもなら、眩しさにあてられて、心を暗く沈みこませる。 

 けれど、今は、罪悪感に覆われた奏絵の心を温かく柔らかく包みこんだ。 
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