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拾壱、囚われの蝶―其の弐―
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若菜は荒い呼吸を整えると、まだ頬を上気させたまま先に歩く土御門光明の背後を歩いていた。濡れたままの花弁から、蜜が太腿を伝って滴り落ちそうで居心地が悪い。
何よりそれを陰陽師や、式神達に知られてしまうのでは無いかと言う緊張感を感じていた。通称、祈祷の間と呼ばれている場所に着くと、入り口には朔と夕霧がいた。
陰陽寮の奥にある地下に作られたその場所は何時の時代作られたのか定かではないが、陰陽頭専用の祈祷の場所であり、また特別な行事が行われる場所でもある。非常に深く掘られ整備されていて、若菜もこの場所で候補の陰陽師と対峙して直弟子としての権利を獲得した。
「お待たせ致しましたね。夕霧、お前の腕前を楽しみにしておりますよ。朔、晴れてこれで若菜もお前の双翼として私の左側に立つ事が叶います」
「はい。双翼となった今……これまで以上に姉さんと連携を取ります」
「はいっ! 僕、この日の為に頑張って修行してきました。絶対光明様のお役に立つんだって。自分の力を出し切ります!」
光明は妖艶に微笑むと実に満足そうに声を掛けている。朔は相変わらず表情を出さずに返答をすると、チラリと頬を染めて項垂れている愛しい義姉を見つめた。
若菜は昨夜の事もあり、今すぐにでも苦しい胸のうちを話してお互い抱きしめ合いたかったが気まずさと、胸の痛みに視線を合わせる事が出来なかった。夕霧と言えば興奮に頬を染め、自分の力を師匠にお披露目して、愛弟子となる喜びを体中で表現しているようだった。
夕霧は頭を深々と下げ挨拶を終えると会場に向かうべく、若菜の傍を通りヒクッと鼻を動かす。思わず目を細め、口の端を釣り上げて笑ったが、それには気付かず朔と共に祈祷の間の扉を開けた。
「また可愛い事を言いますねぇ。お前達も夕霧を見習って少しは素直になって欲しいものです……そこがまた、楽しい所でもありますが。さぁ、行きましょう」
既に祈祷の間には、大勢の陰陽師が舞台を囲み胡座をかいて会話を楽しみ、試練が始まるの待っている様子だった。四隅には大きな燭台が設置されており、揺らめく炎が会場を照らしていた。上座には陰陽頭が試練の様子を良く観察出来るような、本来ここで祈祷をする場所なのだがそこに特等席が作られている。既に重鎮の陰陽師達が、主を迎えるべく立っていた。
光明は扇子を優雅に取り出すと、しずしずと特等席へと向かって行く。若菜がその後に続こうとした時、不意に指先を大きな手で握られ、驚いたように義弟を見上げた。
その表情は憂いを秘めており、そして若菜を案じているようにも見えて、頬をほんのりと染めた。
「姉さん、大丈夫か……頬が赤いが」
「朔ちゃん……大丈夫だよ」
心底心配しているような義弟に、若菜はどぎまぎしつつも、指をぎゅっと握り返した。朔もいくら慣れていると自ら言っていても、夜伽の相手をさせられて、心が穏やかではないのは自分と同じだ。互いに繋ぎ合った指先を名残惜しそうに離すと朔が先に光明の右側に立った。
緊張した様子で若菜が、光明の左側に立つとやはりざわざわと騒がしくなった。やはり異人の血を引くそれも女性が側近となれば、快く思わない者もおり、また勘繰って面白がる者もいる。
心の準備も出来ないまま、側近になる事を告げられた若菜だったが、顔をあげて真っ直ぐこの試練の行く末を見守る事にする。暫くして、立ち会いの陰陽師が現れその場は水を打ったように静かになった。
今回の候補は、夕霧と幾度か挑戦している陰陽師、そして見習いから抜擢された者の三人だ。
夕霧は所定された場所に立つと、先ずは式神なしの陰陽術だけで戦う。手慣れた様子で着物から呪符を取り出した。
先ずは見習いから抜擢された者が攻撃的に呪符を繰り出すが、余裕の笑みを浮かべながらそれを避け、あっという間に背後に回って術を唱え、体が硬直して動けなくなった見習いはそのまま退場になる。
「見てみなさい、まるで優雅に舞踊でもしているようだ。今まで陰間で居た事が惜しまれますね」
確かに、夕霧の動きは優雅でまるで赤子を相手にしているようだった。それが見習いの相手だからかと思ったが、天性の素質だろうかまるで遊びながら舞うように試合を楽しんでいる。
光明の欲望はどうあれ、素質を見抜く才能はとても優れているように思える。そして長年修行を積んだ陰陽師が対戦相手となると、互いに式神を呼び寄せた。
夕霧の後ろには、烏天狗のお鬼灯が現れ観客席は感嘆の声が溢れた。出会う事さえ稀で霊力が高く、厄介な存在の天狗を式神として従わせるのは並大抵の事ではない。
「お前、わかってると思うけど僕の足を引っ張ったらただじゃおかないんで、覚悟しときなよ。こんな時くらいは式神としてでも役に立たないとねー」
背の高い鬼灯をチラリと後目で見上げると、夕霧は小声でそう言った。無表情のまま鬼灯は頷く。相手を殺す事も出来ず腕の立たない陰陽師と戯れるだけの行事など、到底満足出来る物ではないが、密偵としての演技の見せ所でもある。
前方の陰陽師は直弟子になるべく鼻息を荒くさせており、背後には此方を威嚇する鬼女の式神がついている。合図と共に、両者の式神が互いの術を駆使して舞台の上で戦い始めた。
夕霧は、熟練の陰陽師に苦戦するかのように少しよろめき、真剣な眼差しで呪符を投げ付ける。
「――――やはり熟練の陰陽師相手では、まだ粗が目立ちますねぇ。しかしやはり、夕霧は筋が良い」
「…………」
光明は扇で仰ぎながら、楽しげに頬杖を付いて試練の様子を見守っていた。朔は夕霧と相手の陰陽師の動きを目で追い、無言のまま僅かに怪訝そうに眉をひそめた。
若菜はあの陰間茶屋での一件以来、なるべく夕霧と鉢合わせしないようにしていたが、この試練だけは私情をはさまず真剣に見ていた。熟練の陰陽師に押され気味になっていた夕霧だったが、術を唱えながらくるりと対戦相手の頭の上で一回転すると、背後を取って呪符を背中に貼り付ける。
その瞬間、術にかかった体が硬直して、崩れ落ちると同じように、鬼女の式神も糸の切れた操り人形のように座り込んだ。
「勝負あり! 今回の試練の合格者は夕霧とする」
審判の陰陽師の声と共に、陰陽師達から声が上がる。今まで陰陽師のフリをして地道に妖魔を狩って依頼をこなしていた事は、お遊びのようなこの試練を受ける後押しとなり、また周りの信頼を得るには十分だった。
夕霧は頬を染めて初々しく周囲の陰陽師に頭を下げ、そして光明に忠誠を誓うかのように深々と深く頭を垂れた。その様子に満足そうにして頷くと扇子を閉じて立ち上がった。
「今回の直弟子、側近補佐は夕霧とします。そして、この西園寺若菜を新たな側近として任命致します。――――私は実力主義でね」
光明は妖艶に穏やかに微笑むと、何人たりとも自分に反論しないように宣言して牽制する。光明の非情さは、陰陽師達も良く存じているので彼の意思には逆らわず、異論は無いという様子で頭を深々と頭を下げた。
✤✤✤
無事に試練の儀が終わると、若菜が使っている部屋を夕霧が使うと言う事で慌てて式神達に手伝って貰い、引っ越しを始めた。琥太郎が自室に使っていた場所は、母屋の光明の部屋の左側に位置していて、朔と間取りは全く同じだった。
何とか全ての荷物を運び込むと、若菜は額の汗を拭ってにっこりと微笑んだ。側近になって良かった事と言えば、朔の手伝いと言う立場ではなく双翼として仕事を支え合える事だ。
そして何より義弟の部屋に近く、遠慮なく訪れる事が出来る。
「広い……! これだけ広かったら由衛や吉良の私物も増やせるね……良かった」
『姫は本当にお優しい御方ですね。陰陽頭とあの青二才の部屋が近いのは気に食わないですが……あんな狭い部屋は姫には似つかわしくないですからね、良しとします。私は姫とさえ共に居られれば何処でも構いません』
「う、うん……」
由衛は喜ぶ若菜の両手を取ると、うっとりと頬を染め耳を垂らして尻尾を降ると指先に口付けた。相変わらず熱烈な愛情表現に頬を染めていると、部屋の障子が開けられた。
「――――姉さん、大丈夫か? 所用で手伝えず、すまない。何か必要な物があったら言ってくれ」
朔が入ってくると思わず若菜は手を引っ込めた。スルリと抜けていく指先を名残惜しそうにしながら、金の狐目をキュッと細めてチラリと朔を見る。同じく黒曜石のような野生的な瞳で由衛を見た。
吉良と朔は紅雀の事もあってか、比較的仲が良いが、由衛とはどうにも馬が合わないようだ。と言うより由衛が、朔を敵視しているようにも思える。昨夜の事は朔に責任はないが自分を傷付けたと、由衛はそう思っているようだ。
『そら残念やなぁ。こちらは大方片付きましたさかい、朔殿の手を煩わせる事はあらへんのやけど……どないしはったん?』
半笑いで由衛は、そう言うと朔はスッと目を細めた。若菜がハラハラとしていると緊迫した空気を切り裂くように、吉良が全く興味が無さそうに大きな欠伸をして背を伸ばす。
『ハァ、久しぶり真面目に動いたら腹が減りやがる。よぅ、朔。紅雀呼んで引っ越し祝にドンチャンしようや。あの優男に聞こえるかもしれねェが、招待はしねェけどよ』
吉良の冗談に、朔は微かに笑い、若菜はほっと胸を撫で下ろした。由衛はアホらしと小さく呟いて白銀の髪を掻く。
その場の空気が僅かに緩まると、朔は言葉を続けた。
「そうしたいが、姉さん。光明が俺達二人に話があるそうだ。もしかすると呪煌々の事かも知れない。宴会はその後だな」
「呪煌々の事で……? 新たな場所でも見つけたのかな。朔ちゃん、呼びに来てくれてありがとう。荷物も運び終えたから行けるよ」
若菜はなるべく、昨晩の事に触れないように笑顔で答えた。きっと朔ならば無理をするなと言うかも知れないが何より冷静に考えれば望まぬ事をさせられている朔を思うと、嫉妬や不安に狩られた自分が愚かしく思えた。
式神達にここで待つように促すと、二人は再び光明の部屋へと戻った。正装からラフな格好に戻った光明は妖艶に微笑み二人を招き入れた。
若菜と朔は正座をして彼を見つめた。今日の師匠は随分と上機嫌だ。試練の義を無事に終え用済みの琥太郎を、エドに派遣し、若菜を側近として愛人として正式に迎え、可愛く優秀な夕霧が愛弟子となる。それに加えて呪煌々が見つかったと聞けば、更に自分の理想の世界に近付くと言うもの。
「無事に試練の義を終えられ、一安心ですねぇ。実はお前達に明日から向って頂きたい場所があるのですよ。ここに呪煌々の気配が感じられましてね……。人里離れた村ですが、他の村との交流も殆ど無く口も硬いようですが貧しい村のようですから、小判を用意させました」
「……村の人達が、私達に宝珠を渡さない時の為のものですか?」
山中で小判を持ち歩くのは、少し恐ろしい気もするが若菜の問い掛けに頷いた。呪煌々を絶対に陰陽寮で管理する、という光明の強い意思を感じる。ただ、村人達が引き渡さねば力づくで奪えと言う命令で無いだけ、若菜は内心ホッとした。いや、おそらく表向きはそうでも必ず手に入れろ、と言う事だろうと若菜は目を伏せた。
「畏まりました。その小判を使わず村人達を説得させます」
「クックック、お前は良く私の考えを理解していますね、朔。若菜、お前は良く義弟の事を見ておきなさい。賢いお前ならば直ぐに学ぶ筈ですからね」
そう言うと、双子の式神の妹である白霞から巻物を受け取り、朔へと手渡した。公家関係の先読み、占術を頼むものだった。光明は扇で仰ぎながら笑った。
「朔、お前は占術が不得手なのに公家の女人から依頼が耐えませんねぇ。若菜、お前はこれを夕霧に届けてやりなさい。今日から側近補佐としてお前の部下になるのですから、挨拶がてらにね……お前に嫌われていると、不安がっていましたからねぇ」
同じく白霞から巻物を受け取ると戸惑うように師匠を見つめた。夕霧の事はあの夜伽で、垣間見えた表情や気まずさから苦手意識を持っていたが、そんなに思い悩んでいたとは思わなかった。気は重いが、公私は分けて仕事をしなくてはならない。
若菜と朔は頭を下げると、陰陽頭の部屋から出る。
「宴会、出来なくなってしまったな。……全く、俺は占術が苦手だといっているのに」
「ふふ、沢山あるなら私も手伝うよ。夕霧にこれを渡したら行くね」
若菜がそう言って、踵を返そうとすると不意に無言で強く後ろから抱きしめられ、心臓が高鳴り、物言わぬ朔の腕に両手を添えて目を閉じると優しく腕を撫でる。耳元で朔が苦しげに囁いた。
「姉さん、もう少しの辛抱だ……もう少しで……」
「うん……」
若菜は頷くと束の間の温もりを感じていた。
何よりそれを陰陽師や、式神達に知られてしまうのでは無いかと言う緊張感を感じていた。通称、祈祷の間と呼ばれている場所に着くと、入り口には朔と夕霧がいた。
陰陽寮の奥にある地下に作られたその場所は何時の時代作られたのか定かではないが、陰陽頭専用の祈祷の場所であり、また特別な行事が行われる場所でもある。非常に深く掘られ整備されていて、若菜もこの場所で候補の陰陽師と対峙して直弟子としての権利を獲得した。
「お待たせ致しましたね。夕霧、お前の腕前を楽しみにしておりますよ。朔、晴れてこれで若菜もお前の双翼として私の左側に立つ事が叶います」
「はい。双翼となった今……これまで以上に姉さんと連携を取ります」
「はいっ! 僕、この日の為に頑張って修行してきました。絶対光明様のお役に立つんだって。自分の力を出し切ります!」
光明は妖艶に微笑むと実に満足そうに声を掛けている。朔は相変わらず表情を出さずに返答をすると、チラリと頬を染めて項垂れている愛しい義姉を見つめた。
若菜は昨夜の事もあり、今すぐにでも苦しい胸のうちを話してお互い抱きしめ合いたかったが気まずさと、胸の痛みに視線を合わせる事が出来なかった。夕霧と言えば興奮に頬を染め、自分の力を師匠にお披露目して、愛弟子となる喜びを体中で表現しているようだった。
夕霧は頭を深々と下げ挨拶を終えると会場に向かうべく、若菜の傍を通りヒクッと鼻を動かす。思わず目を細め、口の端を釣り上げて笑ったが、それには気付かず朔と共に祈祷の間の扉を開けた。
「また可愛い事を言いますねぇ。お前達も夕霧を見習って少しは素直になって欲しいものです……そこがまた、楽しい所でもありますが。さぁ、行きましょう」
既に祈祷の間には、大勢の陰陽師が舞台を囲み胡座をかいて会話を楽しみ、試練が始まるの待っている様子だった。四隅には大きな燭台が設置されており、揺らめく炎が会場を照らしていた。上座には陰陽頭が試練の様子を良く観察出来るような、本来ここで祈祷をする場所なのだがそこに特等席が作られている。既に重鎮の陰陽師達が、主を迎えるべく立っていた。
光明は扇子を優雅に取り出すと、しずしずと特等席へと向かって行く。若菜がその後に続こうとした時、不意に指先を大きな手で握られ、驚いたように義弟を見上げた。
その表情は憂いを秘めており、そして若菜を案じているようにも見えて、頬をほんのりと染めた。
「姉さん、大丈夫か……頬が赤いが」
「朔ちゃん……大丈夫だよ」
心底心配しているような義弟に、若菜はどぎまぎしつつも、指をぎゅっと握り返した。朔もいくら慣れていると自ら言っていても、夜伽の相手をさせられて、心が穏やかではないのは自分と同じだ。互いに繋ぎ合った指先を名残惜しそうに離すと朔が先に光明の右側に立った。
緊張した様子で若菜が、光明の左側に立つとやはりざわざわと騒がしくなった。やはり異人の血を引くそれも女性が側近となれば、快く思わない者もおり、また勘繰って面白がる者もいる。
心の準備も出来ないまま、側近になる事を告げられた若菜だったが、顔をあげて真っ直ぐこの試練の行く末を見守る事にする。暫くして、立ち会いの陰陽師が現れその場は水を打ったように静かになった。
今回の候補は、夕霧と幾度か挑戦している陰陽師、そして見習いから抜擢された者の三人だ。
夕霧は所定された場所に立つと、先ずは式神なしの陰陽術だけで戦う。手慣れた様子で着物から呪符を取り出した。
先ずは見習いから抜擢された者が攻撃的に呪符を繰り出すが、余裕の笑みを浮かべながらそれを避け、あっという間に背後に回って術を唱え、体が硬直して動けなくなった見習いはそのまま退場になる。
「見てみなさい、まるで優雅に舞踊でもしているようだ。今まで陰間で居た事が惜しまれますね」
確かに、夕霧の動きは優雅でまるで赤子を相手にしているようだった。それが見習いの相手だからかと思ったが、天性の素質だろうかまるで遊びながら舞うように試合を楽しんでいる。
光明の欲望はどうあれ、素質を見抜く才能はとても優れているように思える。そして長年修行を積んだ陰陽師が対戦相手となると、互いに式神を呼び寄せた。
夕霧の後ろには、烏天狗のお鬼灯が現れ観客席は感嘆の声が溢れた。出会う事さえ稀で霊力が高く、厄介な存在の天狗を式神として従わせるのは並大抵の事ではない。
「お前、わかってると思うけど僕の足を引っ張ったらただじゃおかないんで、覚悟しときなよ。こんな時くらいは式神としてでも役に立たないとねー」
背の高い鬼灯をチラリと後目で見上げると、夕霧は小声でそう言った。無表情のまま鬼灯は頷く。相手を殺す事も出来ず腕の立たない陰陽師と戯れるだけの行事など、到底満足出来る物ではないが、密偵としての演技の見せ所でもある。
前方の陰陽師は直弟子になるべく鼻息を荒くさせており、背後には此方を威嚇する鬼女の式神がついている。合図と共に、両者の式神が互いの術を駆使して舞台の上で戦い始めた。
夕霧は、熟練の陰陽師に苦戦するかのように少しよろめき、真剣な眼差しで呪符を投げ付ける。
「――――やはり熟練の陰陽師相手では、まだ粗が目立ちますねぇ。しかしやはり、夕霧は筋が良い」
「…………」
光明は扇で仰ぎながら、楽しげに頬杖を付いて試練の様子を見守っていた。朔は夕霧と相手の陰陽師の動きを目で追い、無言のまま僅かに怪訝そうに眉をひそめた。
若菜はあの陰間茶屋での一件以来、なるべく夕霧と鉢合わせしないようにしていたが、この試練だけは私情をはさまず真剣に見ていた。熟練の陰陽師に押され気味になっていた夕霧だったが、術を唱えながらくるりと対戦相手の頭の上で一回転すると、背後を取って呪符を背中に貼り付ける。
その瞬間、術にかかった体が硬直して、崩れ落ちると同じように、鬼女の式神も糸の切れた操り人形のように座り込んだ。
「勝負あり! 今回の試練の合格者は夕霧とする」
審判の陰陽師の声と共に、陰陽師達から声が上がる。今まで陰陽師のフリをして地道に妖魔を狩って依頼をこなしていた事は、お遊びのようなこの試練を受ける後押しとなり、また周りの信頼を得るには十分だった。
夕霧は頬を染めて初々しく周囲の陰陽師に頭を下げ、そして光明に忠誠を誓うかのように深々と深く頭を垂れた。その様子に満足そうにして頷くと扇子を閉じて立ち上がった。
「今回の直弟子、側近補佐は夕霧とします。そして、この西園寺若菜を新たな側近として任命致します。――――私は実力主義でね」
光明は妖艶に穏やかに微笑むと、何人たりとも自分に反論しないように宣言して牽制する。光明の非情さは、陰陽師達も良く存じているので彼の意思には逆らわず、異論は無いという様子で頭を深々と頭を下げた。
✤✤✤
無事に試練の儀が終わると、若菜が使っている部屋を夕霧が使うと言う事で慌てて式神達に手伝って貰い、引っ越しを始めた。琥太郎が自室に使っていた場所は、母屋の光明の部屋の左側に位置していて、朔と間取りは全く同じだった。
何とか全ての荷物を運び込むと、若菜は額の汗を拭ってにっこりと微笑んだ。側近になって良かった事と言えば、朔の手伝いと言う立場ではなく双翼として仕事を支え合える事だ。
そして何より義弟の部屋に近く、遠慮なく訪れる事が出来る。
「広い……! これだけ広かったら由衛や吉良の私物も増やせるね……良かった」
『姫は本当にお優しい御方ですね。陰陽頭とあの青二才の部屋が近いのは気に食わないですが……あんな狭い部屋は姫には似つかわしくないですからね、良しとします。私は姫とさえ共に居られれば何処でも構いません』
「う、うん……」
由衛は喜ぶ若菜の両手を取ると、うっとりと頬を染め耳を垂らして尻尾を降ると指先に口付けた。相変わらず熱烈な愛情表現に頬を染めていると、部屋の障子が開けられた。
「――――姉さん、大丈夫か? 所用で手伝えず、すまない。何か必要な物があったら言ってくれ」
朔が入ってくると思わず若菜は手を引っ込めた。スルリと抜けていく指先を名残惜しそうにしながら、金の狐目をキュッと細めてチラリと朔を見る。同じく黒曜石のような野生的な瞳で由衛を見た。
吉良と朔は紅雀の事もあってか、比較的仲が良いが、由衛とはどうにも馬が合わないようだ。と言うより由衛が、朔を敵視しているようにも思える。昨夜の事は朔に責任はないが自分を傷付けたと、由衛はそう思っているようだ。
『そら残念やなぁ。こちらは大方片付きましたさかい、朔殿の手を煩わせる事はあらへんのやけど……どないしはったん?』
半笑いで由衛は、そう言うと朔はスッと目を細めた。若菜がハラハラとしていると緊迫した空気を切り裂くように、吉良が全く興味が無さそうに大きな欠伸をして背を伸ばす。
『ハァ、久しぶり真面目に動いたら腹が減りやがる。よぅ、朔。紅雀呼んで引っ越し祝にドンチャンしようや。あの優男に聞こえるかもしれねェが、招待はしねェけどよ』
吉良の冗談に、朔は微かに笑い、若菜はほっと胸を撫で下ろした。由衛はアホらしと小さく呟いて白銀の髪を掻く。
その場の空気が僅かに緩まると、朔は言葉を続けた。
「そうしたいが、姉さん。光明が俺達二人に話があるそうだ。もしかすると呪煌々の事かも知れない。宴会はその後だな」
「呪煌々の事で……? 新たな場所でも見つけたのかな。朔ちゃん、呼びに来てくれてありがとう。荷物も運び終えたから行けるよ」
若菜はなるべく、昨晩の事に触れないように笑顔で答えた。きっと朔ならば無理をするなと言うかも知れないが何より冷静に考えれば望まぬ事をさせられている朔を思うと、嫉妬や不安に狩られた自分が愚かしく思えた。
式神達にここで待つように促すと、二人は再び光明の部屋へと戻った。正装からラフな格好に戻った光明は妖艶に微笑み二人を招き入れた。
若菜と朔は正座をして彼を見つめた。今日の師匠は随分と上機嫌だ。試練の義を無事に終え用済みの琥太郎を、エドに派遣し、若菜を側近として愛人として正式に迎え、可愛く優秀な夕霧が愛弟子となる。それに加えて呪煌々が見つかったと聞けば、更に自分の理想の世界に近付くと言うもの。
「無事に試練の義を終えられ、一安心ですねぇ。実はお前達に明日から向って頂きたい場所があるのですよ。ここに呪煌々の気配が感じられましてね……。人里離れた村ですが、他の村との交流も殆ど無く口も硬いようですが貧しい村のようですから、小判を用意させました」
「……村の人達が、私達に宝珠を渡さない時の為のものですか?」
山中で小判を持ち歩くのは、少し恐ろしい気もするが若菜の問い掛けに頷いた。呪煌々を絶対に陰陽寮で管理する、という光明の強い意思を感じる。ただ、村人達が引き渡さねば力づくで奪えと言う命令で無いだけ、若菜は内心ホッとした。いや、おそらく表向きはそうでも必ず手に入れろ、と言う事だろうと若菜は目を伏せた。
「畏まりました。その小判を使わず村人達を説得させます」
「クックック、お前は良く私の考えを理解していますね、朔。若菜、お前は良く義弟の事を見ておきなさい。賢いお前ならば直ぐに学ぶ筈ですからね」
そう言うと、双子の式神の妹である白霞から巻物を受け取り、朔へと手渡した。公家関係の先読み、占術を頼むものだった。光明は扇で仰ぎながら笑った。
「朔、お前は占術が不得手なのに公家の女人から依頼が耐えませんねぇ。若菜、お前はこれを夕霧に届けてやりなさい。今日から側近補佐としてお前の部下になるのですから、挨拶がてらにね……お前に嫌われていると、不安がっていましたからねぇ」
同じく白霞から巻物を受け取ると戸惑うように師匠を見つめた。夕霧の事はあの夜伽で、垣間見えた表情や気まずさから苦手意識を持っていたが、そんなに思い悩んでいたとは思わなかった。気は重いが、公私は分けて仕事をしなくてはならない。
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「宴会、出来なくなってしまったな。……全く、俺は占術が苦手だといっているのに」
「ふふ、沢山あるなら私も手伝うよ。夕霧にこれを渡したら行くね」
若菜がそう言って、踵を返そうとすると不意に無言で強く後ろから抱きしめられ、心臓が高鳴り、物言わぬ朔の腕に両手を添えて目を閉じると優しく腕を撫でる。耳元で朔が苦しげに囁いた。
「姉さん、もう少しの辛抱だ……もう少しで……」
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