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第二部 天魔界編
陸、果たされた約束―其の壱―
何事も無く、妖魔を退魔しこの街道を使う人々も無事に往来できるようになっただろう。また、時間が経てば別の妖魔が現れるかも知れないが、ここに滞在している間ならばいつでも自分たちが浄化する事ができる。
久方ぶりに、人の役に立つことができて若菜は晴れやかな気持ちになっていた。若菜を先頭にして歩いていると、何か不穏な違和感を感じ取ったように立ち止まる。
『姫……? どうされましたか。もしかしてお怪我でもなさいましたか?』
『どうしたってんだい、嬢ちゃん。鼻緒でも切れちまったか?』
急に立ち止まった主人に、式神達は不思議そうに首を傾げたが、ほどなくしてその違和感に気が付いた。三人が同時に顔を上げると、目の前が昼間のように光り輝いて眩しそうに顔を背けた。
本能的に危険を感じた由衛が若菜の腰を抱くと、吉良と共に後方へ飛び退く。
「きゃっ……!?」
『姫、大丈夫ですか!』
光の火球が若菜が歩いていた場所を燃やして顔面蒼白になる主人を、由衛が背後から抱きしめる。吉良が腰に携えていた刀を抜くと、煙の中から光り輝く翼を持った、甲冑姿の天界人が現れた。
『避けねば苦しまずに一瞬で召されたものを。仕方あるまいな』
「天界人……っ、ど、どうして」
青ざめる若菜、そして驚愕する式神達。いまだかつて天界人と刀を交えた事はない。
天上の世界を詳しく知る人間はそうそう地上にいない。
人々を守護するだろうと思われている八百万の神々や、天からの使者が人に害をなすと言う話しは聞いたことが無いし、神様や天界に対してそんな罰当たりな事をした覚えも若菜には無かった。
若菜から離れた由衛も吉良も、刀を構えているが額に脂汗を滲ませている。
『姫、お下がりください! この場は我々が時間を稼ぎますので一刻も早くお逃げください』
『なんだてめぇら、天界の奴らが人間を殺めようなんざ、一体どうなってやがる!』
若菜を背後に押し込めて、臨戦態勢に入る二人を、甲冑姿の天界人がまるで羽虫を見るような目つきで見ると嘲笑った。
『妖魔か……人間が使う術式の式神だな。お前らなど一瞬にして灰にできるような雑魚だ』
『天魔から落ちこぼれた魔物よ……お前達から先に消してやろう』
その言葉に若菜は青ざめ慌てて、二人の間から顔を無理矢理出すと力の限り叫んだ。
「待って!! 私がそちらに行きます。わ、私が殺される理由も知りたいです。何か誤解があるかも知れないのでちゃんと説明します。吉良、由衛、私から離れて」
主人が死ねば式神達も消滅してしまう。
それは十分にわかっていても、この場を切り抜けようとしている若菜は、今ここで彼らを殺させる訳にはいかないと強い責任感を感じた。
二人が何か叫ぼうとしたが、半ば強制的にこの場から離れる事を命令し、瞬間的に別の場所に飛ばした。
『ふん、お前が死ねばあの式神の命も消える。寿命が少し伸びたに過ぎんな』
『……おい、本当に殺める気なのか? 半神に近付かぬように脅せば、この娘の神性も抑えられるのではないか? 俺達が殺害した事が天帝様に知れたら……』
『神の繭としての覚醒条件など、様々よ。これ以上わがままな神々の子守はしたくないだろ』
若菜は体を震わせながら、背の高い屈強な二人の前に立った。どうやら会話から推測すると、『神の繭』と言う存在は天界人の一部から疎まれている。もしかするとこの人物だけかも知れないが、若菜は思い切って声をかけた。
仮にも天界にいる存在なのだから妖魔よりも話を聞いてもらえると信じていた。
「私は、神様になるつもりは無いです。ただ皆と静かに暮らしたいだけですから、安心してください」
一人の衛兵はこの蛮行にまだ迷いがあり、若菜の言葉に戸惑っていたが、高圧的な態度の天界人は、鼻で笑うと若菜の手首を取って乱暴に捻りあげ、地面に跪かせた。
「っっ!」
『覚醒条件は様々だと言っただろう。俺達の手を煩わせるな。安心しろ、一瞬で首を切り落として楽にしてやる』
もう一人の衛兵が背後から若菜の両手首を押さえつけ、正座をさせるとこれから打首になるのだと言う恐怖で震え頭が真っ白になって、仁王立ちする天界人を見上げた。
怯える若菜を見下ろして、口元にいやらしい凶悪な笑みを浮かべた男が何かを思いついたように剣を下ろすと、ゆっくりと目線を合わせるように跪いて若菜の髪を乱暴に掴んだ。
『神の繭というのは、ずいぶんとあっちの方が良いらしいな。殺す前に試してみようか……お前もいい思いしてから死にたいだろう?』
『おい、……犯るなら早く犯って殺せよ。他の天界人に見つかったらまずい』
衛兵がゆっくりと着物の胸元を剣ですっと切ると、若菜は恐怖でガクガクと震えて涙を流した。巫女服を切られて、薄っすらと肌に血が滲む。
聖なる天界の御使いが、自分を犯して殺すという事に絶望し、恐怖を感じて頭がパニックになって頭を降った。
「い、いや……助けて、朔ちゃん、助けて!!」
若菜は無意識に大声で助けを呼んだ。
✤✤✤
幼馴染で許嫁でもある藍雅の誕生日だと言う事で、今日はさんざん振り回されてしまった。
やれ、天魔界の散策スポットをめぐるなど、湯水のように金を使って、豪華な服や装飾品、人間の欲望が詰まった高級な菓子などを買わされた。
元より自分が使う金にはあまり関心のない朔は城に帰ってから疲労感を感じながらどっしりと玉座に腰を下ろす。
壁際には天魔の衛兵が並び、王座の近くには側近で幼馴染の霧雨が相変わらずの仏頂面で微動だにせず立ち尽くしている。
「サク様、今日はとーっても楽しかったですわ! 何千年ぶりかの逢瀬でしたの。まだ時間はたっぷりありますわ」
藍雅は満面の笑みで言うと、人目も憚らずに第六天魔王の膝に乗ってきた。眉をしかめて押し返そうとしたが、それも面倒になって好きなようにさせた。
霧雨を初め、他の部下も何の反応も示さず無言のままに立ち尽くしている。封印される前は、寝室へ行かず日常的にこの場で欲望の限り女を抱いていた事もあったので動揺する事もない。
「おい……、ガキかよ。辞めろって……ったく」
「もう、サク様ったら! 本当にどうされたんですの? 前はもっとこう……お夜伽に積極的で一日中、私を抱いたり、時には愛妾を侍らせて何度も夜伽したり、嫉妬するくらいでしたのに。サク様、抱いてくださいませ。
……藍雅は寂しゅうございます」
可愛らしい黒蜜のような瞳を潤ませ、小さく鮮やかで瑞々しい緋色のぽってりとした唇で囁くと、うっとりと自分を見上げてくる。
我儘な女だが、他の女よりも性格は分かりやすく、野心や下心などの考えはないようで純粋に自分を慕ってくる。今なら、不能になってしまった自分への自信を取り戻してこの女を抱けるのでは無いかと思えた。
藍雅の顎をつかもうとしたその刹那、悲痛な若菜の声が響いて大きく体が震えた。
『い、いや……助けて、朔ちゃん、助けて!!』
――――ドクン。
心臓が一度大きく高鳴り、朔は口を閉ざす。藍雅の問いかけも耳に届かず、嫌な予感が全身を駆け巡り、溶岩のような瞳が鈍く光る。
――――助けろ。
――――若菜を助けろ!!
頭の中で朔の大声が響いた。
まるで、遠方を透視する千里眼のように、その光景が目の前に広がった。翼の生えた天界人があの女を捕えていた。
剣を手にした衛兵の男が、あの女の髪を掴み服を乱暴に脱がそうとしていた。胸元には刃物で傷つられたような傷がついて出血している。
その瞬間、朔は膝にいる藍雅にお構いなしに立ち上がると転がり落ちた彼女は抗議の声をあげた。
「きゃっ! いたぁい! サク様どうされたんですの?」
「どうなさったのだ、魔王」
突然立ち上がった朔に驚き、霧雨と藍雅が彼を見た。その真紅の瞳は溶岩のように鈍く輝き、殺意にも似た熱気が体から立ち上っていた。
全身が打ち震えるような激怒、それを周囲が感じた瞬間、六枚の漆黒の羽が背中から生え、目の前の時空が歪む。
娑婆すなわち人界と天魔界の空間が開かれたかと思うと外から風が吹き荒れた。突然の事に動揺する天魔兵や、側近を無視して朔は人界に消える。
巫女服に切れ間を入れ、乱暴に服を脱がされ泣け叫ぶ若菜の口を塞いで刃物を持つ男達の頭上に赤黒い雲が立ち込めた。
周辺の妖魔や天魔、そして動物たちがいっせいに騒ぎ始めてキョウの都の人々も何事かと恐れ慄いた。
あまりの異様さに、若菜と三人は固まり息を飲む。
『な、なんだ……? ぐっ、ギャァァァ!』
その瞬間、前にいた天界人が呻いたかと思うとつんざくような絶叫が響いた。男の頭が何者かによって地面に踏みつけられ、羽を素手で引き千切られるバリバリとした音が響くと、鮮血が飛び散る。
「てめぇ……誰に断って俺の娑婆世界で好き勝手やってやがるんだ天帝の駄犬が、ああ? この女に手ぇ出してんじゃねぇぞ、死ね」
そう言うと容赦なく朔は赤黒く光り輝く刀を天界兵へ突き刺す。硬い鎧を貫いて心臓まで達すると、吐血し絶命した。
若菜は六枚羽根を背中に生やし、少し髪が伸びた魔王の格好をした義弟を見ると、目を見開いて涙を流した。ずっと逢いたかった最愛の義弟に会えた、夢ではないだろうかと彼を凝視する。
「さ……く……ちゃん……」
『え、ま、まさ、まさか、第六天魔王、な、なぜ、なぜだ、ひぃぃ』
憤怒の形相と、絶対零度の瞳で天界人を見ると残忍な微笑みを浮かべる。神々が恐れる存在であり、あの天帝さえも手を焼く暴君。天魔と妖魔を率いて天界と戦をしたあの魔王が目の前にいる。
その姿を見たのは、彼が天界人として生を受けて初めての頃だ。
恐れ慄きながら、遠目でその禍々しくも冷血で残虐な戦を目の当たりにしてきた。恐怖で腰が抜け、後退り、その場から逃亡しようとした衛兵を追い掛けるように、六枚の羽を羽ばたかせると目の前に着地する。
「は? 俺の庭を散歩するのに理由も糞もねぇんだわ。サヨナラ駄犬ちゃん」
口端に冷酷な笑みを浮かべると、天界人が命乞いする前に勢いよく首を飛ばした。若菜はむごたらしい遺体を目にし、朔に会えた安心感からそのまま倒れ込んでしまった。
ドサリ、と背後で音がして肩越しに振りかけると朔はため息をついた。
そのまま放置していても、式神達が駆けつけるだろうが、若菜の服は乱暴されかけて破かれ、傷は浅いが出血している。そんな彼女を見て自分でも戸惑うほどの自身への怒りと罪悪感を感じ、朔は若菜を抱き上げた。
「朔ちゃん……会いたかった……よ」
「………」
うわ言のように呟く若菜を見下ろしたかと思うと天魔界の扉が開いた。先ほどまでの不穏な空気は消えその場に静寂が戻る。
突如、娑婆世界と天魔界の空間をつなげたかと思うと第六天魔王が人間の娘を抱きながら帰還した事に、天魔兵は元よりその場にいる全ての者が騒然とした。
「さ、サク様……その人間の娘は一体なんですの? なんで、人間なんかこのお城に……。私のための特別なお食事かしら。でも酷いですの、私を押し退けるなんて!」
「――――下がれ」
静かに冷たく言葉を放つ魔王に誰もが口を閉ざした。縋りつく藍雅を見る第六天魔王の瞳は冷酷な眼差しで、恐怖のあまり硬直する。
幼馴染ではなく、魔王としての命令に頭を低くして一歩下がると彼女を無視して歩き、霧雨に言葉を投げかけた。
「医者を呼べ、霧雨」
「――――畏まりました」
久方ぶりに、人の役に立つことができて若菜は晴れやかな気持ちになっていた。若菜を先頭にして歩いていると、何か不穏な違和感を感じ取ったように立ち止まる。
『姫……? どうされましたか。もしかしてお怪我でもなさいましたか?』
『どうしたってんだい、嬢ちゃん。鼻緒でも切れちまったか?』
急に立ち止まった主人に、式神達は不思議そうに首を傾げたが、ほどなくしてその違和感に気が付いた。三人が同時に顔を上げると、目の前が昼間のように光り輝いて眩しそうに顔を背けた。
本能的に危険を感じた由衛が若菜の腰を抱くと、吉良と共に後方へ飛び退く。
「きゃっ……!?」
『姫、大丈夫ですか!』
光の火球が若菜が歩いていた場所を燃やして顔面蒼白になる主人を、由衛が背後から抱きしめる。吉良が腰に携えていた刀を抜くと、煙の中から光り輝く翼を持った、甲冑姿の天界人が現れた。
『避けねば苦しまずに一瞬で召されたものを。仕方あるまいな』
「天界人……っ、ど、どうして」
青ざめる若菜、そして驚愕する式神達。いまだかつて天界人と刀を交えた事はない。
天上の世界を詳しく知る人間はそうそう地上にいない。
人々を守護するだろうと思われている八百万の神々や、天からの使者が人に害をなすと言う話しは聞いたことが無いし、神様や天界に対してそんな罰当たりな事をした覚えも若菜には無かった。
若菜から離れた由衛も吉良も、刀を構えているが額に脂汗を滲ませている。
『姫、お下がりください! この場は我々が時間を稼ぎますので一刻も早くお逃げください』
『なんだてめぇら、天界の奴らが人間を殺めようなんざ、一体どうなってやがる!』
若菜を背後に押し込めて、臨戦態勢に入る二人を、甲冑姿の天界人がまるで羽虫を見るような目つきで見ると嘲笑った。
『妖魔か……人間が使う術式の式神だな。お前らなど一瞬にして灰にできるような雑魚だ』
『天魔から落ちこぼれた魔物よ……お前達から先に消してやろう』
その言葉に若菜は青ざめ慌てて、二人の間から顔を無理矢理出すと力の限り叫んだ。
「待って!! 私がそちらに行きます。わ、私が殺される理由も知りたいです。何か誤解があるかも知れないのでちゃんと説明します。吉良、由衛、私から離れて」
主人が死ねば式神達も消滅してしまう。
それは十分にわかっていても、この場を切り抜けようとしている若菜は、今ここで彼らを殺させる訳にはいかないと強い責任感を感じた。
二人が何か叫ぼうとしたが、半ば強制的にこの場から離れる事を命令し、瞬間的に別の場所に飛ばした。
『ふん、お前が死ねばあの式神の命も消える。寿命が少し伸びたに過ぎんな』
『……おい、本当に殺める気なのか? 半神に近付かぬように脅せば、この娘の神性も抑えられるのではないか? 俺達が殺害した事が天帝様に知れたら……』
『神の繭としての覚醒条件など、様々よ。これ以上わがままな神々の子守はしたくないだろ』
若菜は体を震わせながら、背の高い屈強な二人の前に立った。どうやら会話から推測すると、『神の繭』と言う存在は天界人の一部から疎まれている。もしかするとこの人物だけかも知れないが、若菜は思い切って声をかけた。
仮にも天界にいる存在なのだから妖魔よりも話を聞いてもらえると信じていた。
「私は、神様になるつもりは無いです。ただ皆と静かに暮らしたいだけですから、安心してください」
一人の衛兵はこの蛮行にまだ迷いがあり、若菜の言葉に戸惑っていたが、高圧的な態度の天界人は、鼻で笑うと若菜の手首を取って乱暴に捻りあげ、地面に跪かせた。
「っっ!」
『覚醒条件は様々だと言っただろう。俺達の手を煩わせるな。安心しろ、一瞬で首を切り落として楽にしてやる』
もう一人の衛兵が背後から若菜の両手首を押さえつけ、正座をさせるとこれから打首になるのだと言う恐怖で震え頭が真っ白になって、仁王立ちする天界人を見上げた。
怯える若菜を見下ろして、口元にいやらしい凶悪な笑みを浮かべた男が何かを思いついたように剣を下ろすと、ゆっくりと目線を合わせるように跪いて若菜の髪を乱暴に掴んだ。
『神の繭というのは、ずいぶんとあっちの方が良いらしいな。殺す前に試してみようか……お前もいい思いしてから死にたいだろう?』
『おい、……犯るなら早く犯って殺せよ。他の天界人に見つかったらまずい』
衛兵がゆっくりと着物の胸元を剣ですっと切ると、若菜は恐怖でガクガクと震えて涙を流した。巫女服を切られて、薄っすらと肌に血が滲む。
聖なる天界の御使いが、自分を犯して殺すという事に絶望し、恐怖を感じて頭がパニックになって頭を降った。
「い、いや……助けて、朔ちゃん、助けて!!」
若菜は無意識に大声で助けを呼んだ。
✤✤✤
幼馴染で許嫁でもある藍雅の誕生日だと言う事で、今日はさんざん振り回されてしまった。
やれ、天魔界の散策スポットをめぐるなど、湯水のように金を使って、豪華な服や装飾品、人間の欲望が詰まった高級な菓子などを買わされた。
元より自分が使う金にはあまり関心のない朔は城に帰ってから疲労感を感じながらどっしりと玉座に腰を下ろす。
壁際には天魔の衛兵が並び、王座の近くには側近で幼馴染の霧雨が相変わらずの仏頂面で微動だにせず立ち尽くしている。
「サク様、今日はとーっても楽しかったですわ! 何千年ぶりかの逢瀬でしたの。まだ時間はたっぷりありますわ」
藍雅は満面の笑みで言うと、人目も憚らずに第六天魔王の膝に乗ってきた。眉をしかめて押し返そうとしたが、それも面倒になって好きなようにさせた。
霧雨を初め、他の部下も何の反応も示さず無言のままに立ち尽くしている。封印される前は、寝室へ行かず日常的にこの場で欲望の限り女を抱いていた事もあったので動揺する事もない。
「おい……、ガキかよ。辞めろって……ったく」
「もう、サク様ったら! 本当にどうされたんですの? 前はもっとこう……お夜伽に積極的で一日中、私を抱いたり、時には愛妾を侍らせて何度も夜伽したり、嫉妬するくらいでしたのに。サク様、抱いてくださいませ。
……藍雅は寂しゅうございます」
可愛らしい黒蜜のような瞳を潤ませ、小さく鮮やかで瑞々しい緋色のぽってりとした唇で囁くと、うっとりと自分を見上げてくる。
我儘な女だが、他の女よりも性格は分かりやすく、野心や下心などの考えはないようで純粋に自分を慕ってくる。今なら、不能になってしまった自分への自信を取り戻してこの女を抱けるのでは無いかと思えた。
藍雅の顎をつかもうとしたその刹那、悲痛な若菜の声が響いて大きく体が震えた。
『い、いや……助けて、朔ちゃん、助けて!!』
――――ドクン。
心臓が一度大きく高鳴り、朔は口を閉ざす。藍雅の問いかけも耳に届かず、嫌な予感が全身を駆け巡り、溶岩のような瞳が鈍く光る。
――――助けろ。
――――若菜を助けろ!!
頭の中で朔の大声が響いた。
まるで、遠方を透視する千里眼のように、その光景が目の前に広がった。翼の生えた天界人があの女を捕えていた。
剣を手にした衛兵の男が、あの女の髪を掴み服を乱暴に脱がそうとしていた。胸元には刃物で傷つられたような傷がついて出血している。
その瞬間、朔は膝にいる藍雅にお構いなしに立ち上がると転がり落ちた彼女は抗議の声をあげた。
「きゃっ! いたぁい! サク様どうされたんですの?」
「どうなさったのだ、魔王」
突然立ち上がった朔に驚き、霧雨と藍雅が彼を見た。その真紅の瞳は溶岩のように鈍く輝き、殺意にも似た熱気が体から立ち上っていた。
全身が打ち震えるような激怒、それを周囲が感じた瞬間、六枚の漆黒の羽が背中から生え、目の前の時空が歪む。
娑婆すなわち人界と天魔界の空間が開かれたかと思うと外から風が吹き荒れた。突然の事に動揺する天魔兵や、側近を無視して朔は人界に消える。
巫女服に切れ間を入れ、乱暴に服を脱がされ泣け叫ぶ若菜の口を塞いで刃物を持つ男達の頭上に赤黒い雲が立ち込めた。
周辺の妖魔や天魔、そして動物たちがいっせいに騒ぎ始めてキョウの都の人々も何事かと恐れ慄いた。
あまりの異様さに、若菜と三人は固まり息を飲む。
『な、なんだ……? ぐっ、ギャァァァ!』
その瞬間、前にいた天界人が呻いたかと思うとつんざくような絶叫が響いた。男の頭が何者かによって地面に踏みつけられ、羽を素手で引き千切られるバリバリとした音が響くと、鮮血が飛び散る。
「てめぇ……誰に断って俺の娑婆世界で好き勝手やってやがるんだ天帝の駄犬が、ああ? この女に手ぇ出してんじゃねぇぞ、死ね」
そう言うと容赦なく朔は赤黒く光り輝く刀を天界兵へ突き刺す。硬い鎧を貫いて心臓まで達すると、吐血し絶命した。
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『え、ま、まさ、まさか、第六天魔王、な、なぜ、なぜだ、ひぃぃ』
憤怒の形相と、絶対零度の瞳で天界人を見ると残忍な微笑みを浮かべる。神々が恐れる存在であり、あの天帝さえも手を焼く暴君。天魔と妖魔を率いて天界と戦をしたあの魔王が目の前にいる。
その姿を見たのは、彼が天界人として生を受けて初めての頃だ。
恐れ慄きながら、遠目でその禍々しくも冷血で残虐な戦を目の当たりにしてきた。恐怖で腰が抜け、後退り、その場から逃亡しようとした衛兵を追い掛けるように、六枚の羽を羽ばたかせると目の前に着地する。
「は? 俺の庭を散歩するのに理由も糞もねぇんだわ。サヨナラ駄犬ちゃん」
口端に冷酷な笑みを浮かべると、天界人が命乞いする前に勢いよく首を飛ばした。若菜はむごたらしい遺体を目にし、朔に会えた安心感からそのまま倒れ込んでしまった。
ドサリ、と背後で音がして肩越しに振りかけると朔はため息をついた。
そのまま放置していても、式神達が駆けつけるだろうが、若菜の服は乱暴されかけて破かれ、傷は浅いが出血している。そんな彼女を見て自分でも戸惑うほどの自身への怒りと罪悪感を感じ、朔は若菜を抱き上げた。
「朔ちゃん……会いたかった……よ」
「………」
うわ言のように呟く若菜を見下ろしたかと思うと天魔界の扉が開いた。先ほどまでの不穏な空気は消えその場に静寂が戻る。
突如、娑婆世界と天魔界の空間をつなげたかと思うと第六天魔王が人間の娘を抱きながら帰還した事に、天魔兵は元よりその場にいる全ての者が騒然とした。
「さ、サク様……その人間の娘は一体なんですの? なんで、人間なんかこのお城に……。私のための特別なお食事かしら。でも酷いですの、私を押し退けるなんて!」
「――――下がれ」
静かに冷たく言葉を放つ魔王に誰もが口を閉ざした。縋りつく藍雅を見る第六天魔王の瞳は冷酷な眼差しで、恐怖のあまり硬直する。
幼馴染ではなく、魔王としての命令に頭を低くして一歩下がると彼女を無視して歩き、霧雨に言葉を投げかけた。
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