【R18】月に叢雲、花に風。

蒼琉璃

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第三部 天界編

漆、狂華が散る―其の壱―

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 あれから、天照大御神アマテルが晴明の元に訪ねてくることもなければ、均衡を乱す諸悪の根源である、第六天魔王を封じるような天界の動きもない。
 朔は空白の中で、永久とも思える時間、虚無の世界に閉じ込められていたことを思い出していた。
 前回の封印と異なるところと言えば、見えない壁の先に、安倍晴明がいて暇つぶしの相手ができたことだろう。
 晴明の牢獄は、書院造になっている。
 朔の独房よりマシな造りのようだが、瞑想や修行する以外は晴明も暇を持て余すようで、第六天魔王の相手をしていた。

「虚無は漆黒の闇だったけどよ、今度は真っ白か。なんか馬鹿の一つ覚えみてぇに芸がねぇんだよな。俺の精神がこれで壊れるとでも思ってんのが気に食わねぇよ」
「お主の父上は阿修羅王の封印より、この何人たりとも脱出不可能な独房で監視する方が、安全だと思ったのだろう。崩壊と言うべきか、息子を更生させると言うべきか。お主を危険と思うならば、なぜ処刑をせぬのだろうな」
「あ? 親父が俺を処刑しねぇのは天魔界の均衡がうんたらかんたらだろうよ。それに霧雨きりさめが、仮初めの魔王でいたほうが、天界にとっちゃ都合がいいんじゃねぇの」

 なぜか話の流れで、兄弟のように育った霧雨きりさめにさえ告げていない出生の秘密を、晴明に漏らしてしまった。
 これには、あまり感情を出さない晴明もずいぶんと驚いた様子で、朔に問いただした。
 しかし、それは紛れもない事実である。
 朔の器を乗っ取った『邪悪で凶悪な人の敵である第六天魔王』という印象は、この告白により、身近に感じられ薄れてしまった。
 それが、晴明を油断させるための魔王の狙いかもしれないが、いずれにせよこの牢獄にいては、どちらも手出しはできない。

「霧雨……。光明の側にいたあの天魔の男か」
「あぁ、神々の攻撃で平和ボケした六魔老も全員無事じゃねぇだろうし。あんな老いぼれより、霧雨の方が魔王にふさわしいだろ。んで、さっさと藍雅あいがを娶ればいいのによ」

 魔王になった霧雨とその后となった藍雅を想像すると、それなりに絵になる。
 また、霧雨の優秀さは朔が一番良く分かっていた。
 あれほど暴虐の限りを尽し、恐れられ、民を率いて、天魔界を統べることを楽しんでいたはずなのに、なぜか今はそれほど第六天魔王の座に執着していない。
 
「お主も第六天魔王の座より、若菜の方が大事なのであろう?」
「…………そうだ、悪ぃかよ。早くあいつを護ってやらねぇと。若菜は泣き虫だろ、俺が側にいていつでも抱きしめて、愛してやる。もう他の誰にも若菜を傷つけさせねぇ。俺じゃなきゃ、俺たちじゃなきゃ、駄目なんだ。第六天魔王の座なんて、好きなだけくれてやるよ」

 いつもなら、憎まれ口の一つでも叩いてやるところだが、晴明の言葉は図星で、彼が指摘した通り若菜のことばかり頭に浮かぶ。
 優しく、がんばり屋でお人好しの泣き虫。
 朔は、若菜のあの特異な体質で惹きつけられた男や女に好き勝手凌辱されると思うと、いても立ってもいられなくなった。

「っ……」

 ふと、朔はなにかの気配を感じて白い空間の地面に手を置く。
 姿は見えないが、振動を感じる。
 前方から、何者かが向かって来るのが分かった。
 もし、天界兵ならば、巨大な力を封じられているとはいえ、繋がれた鎖を使って脱出できる機会を得られるかもしれない。
 だが、朔はすぐにそれが間違いだということに気付いた。

「おい、朔……どうしたのだ? この……力は」
「なんだ………。噂をすればなんとやらじゃねぇか」

 天界の最下層に訪れるはずのない巨大な光。
 晴明もその気配に気付き、彼の名を口にしようとした瞬間に、全てのときが止まった。
 やがて、光りは白い空間に溶けるようにして人型になる。
 白銀の髪を地面まで垂らし、どの世界にも存在しない素材で作られた銀の刺繍に白の服、そして陰陽の面布めんぬので、顔を隠した天帝の姿がそこにあった。

「天界の玉座から降りたあんたを見たのは、ガキの時以来だな。で、ようやく俺を殺す気になったのか?」
「――――ふ、相変わらず憎まれ口を叩く。生憎だが、私はそなたを殺すつもりはないのだ。今しがた、天界のときを止めた。息子との時間を天界兵や神々に邪魔されたくない」

 天帝がそう言うと、両手を水平にしてゆっくりと手のひらを広げた。
 すると、何もない真っ白な景色がまるで高速で色をつけたようにうごめく。
 朔が瞬きをした瞬間に、美しい銀河が天空に広がる、故宮の庭に連れてこられた。
 ここは、天界人さえも足を踏み入ることはできないだろう。
 彼の妻である舎脂シャシと、物心がつき始めたサクだけが、入ることを許された神聖な個人空間せいいきだ。
 氷の結晶で出来た草木、そして星雲のように複雑で、美しい色をした華が咲き乱れている。
 無機質な東屋には、赤い絨毯に白亜の椅子と机が用意されており、天帝はそこに座るように朔を促した。

「はっ! 俺のことを二回も殺しかけて親父面とはな。あんたのことは、親とは思っていない。謝罪なんていらねぇから、さっさと俺の力を戻せ。俺は……若菜を」
「――――舎脂シャシに出逢った時、私はそなたのように、初めて心が動かされたのだ。私の大いなる力が溢れ出ないよう、均等を保つために天女たちと交わることはあっても、それは制御でしかない。私は、そなたの母に……人や神々が言葉にする『愛』という感情を抱いたのだ。彼女もまた、私の気持ちに答えて愛してくれた。私は、逢瀬だけでは我慢ができず、舎脂を妻にするために、彼女をここへ連れ去ってしまったのだ」

 天帝と母親の馴れ初めを聞くのは初めてだった。彼はゆっくりと、陰陽の面布めんぬのを取ると、全てを見通す真紅の瞳で息子を見つめる。
 初めて自分に素顔を見せた父親に驚き、朔は彼の言葉に耳を傾けることにした。

「恐らく、あの時が一番私の力が安定した頃だろうと思う」

 天帝はまるで、満たされた日々の記憶を紐解くように目を細めた。

「だが、阿修羅王は私と舎脂シャシが通じ合ったことに激怒した。彼もまた、私とともに、この銀河せかいの均衡を保つ者。そして古くからの友であった。阿修羅王は決して私たちを許さず、均等が崩れるほど何度も戦をして、怒りのあまり、私を庇った舎脂シャシを殺してしまったのだ。それにとどまらず怒りのあまり、そなたを幽閉して処刑しようとしていた。私は、阿修羅王からそなたを取り戻すと、天魔界へと向かい、先代の第六天魔王へと託した。阿修羅王にとって、その頃の天魔界は盲点だったからな」

 母親が祖父に殺された衝撃は、朔の心に深い傷を残した。無力感を感じた彼は恐怖の中で、阿修羅王に捕らわれていた記憶を、無意識に消し去っていたようだ。
 冷たい牢獄で、泣き叫んでいた朔の記憶が蘇る。
 天帝が助けに来るまで、高貴な女が憐れむようにして、手を差し伸べていた。
 朔は、恐らくあれが阿修羅王の第一夫人であり、祖母にあたる人物だろうと確信する。
 
「度重なる戦で、この銀河せかいの均等を乱した阿修羅王は、管理者として不適切だと『彼ら』に判断され、能力をもぎ取られ修羅界まで墜ちた。それでも彼は神々の英雄という肩書を持つ権力と、神通力がある」
「お袋が死んだのは、あんたのせいだ。だが……俺は阿修羅王を絶対許せねぇ。あいつが元どんなやつなんて関係ねぇし、血が繋がってても許せるわけねぇんだよ。あいつはお袋のみならず、若菜までも殺そうとした。それに天魔の民も惨殺されたんだ」

 全宇宙せかいの成り立ちやその先にいる者など、天帝かんりしゃ以外の者にとって、関わり合いはないことだ。
 事実としてあるのは、阿修羅王は怒りで道を踏み外して娘を殺し、その力を奪われて、今の地位まで天帝たちに落とされたことだ。
 そして、表面上は天帝と和解し、関係が悪化した天魔界の支配者である、悪しき第六天魔王を狩った英雄となっている。
 天帝のせいで母親が死んだこと、実父に捨てられたという、朔の気持ちを全て受け止めるように彼は頷く。
 そして、初めて天帝の顔に感情のある笑みが浮かんだ。

「そなたは、先刻安倍晴明にこう漏らしたな。若菜のためならば第六天魔王の地位などくれてやると。サクよ、そう思うのは、そなたの器であるさくの魂と混じっているからという理由だけではなかろう。彼女と出逢った私と同じように若菜と接して『愛』を知った。自分でも理解しているはずだ……、暴虐の限りを尽くしたあの冷酷無比な第六天魔王にはもう、戻れないと」
「――――ああ、くれてやるさ。悔しいが、あいつを護るためなら、どんな罰でも受けてやるよ。あんたのことも許してやってもいい、だから、俺の力を戻せ。世界を崩壊させるつもりなんて、今更もうねぇよ。俺の敵は若菜を傷付ける奴らだ。あいつは俺のものだからな」
「罰、か。最愛の恋人のためにそなたは何でもするか。そして私と同じような過ちを繰り返さないか」
「ああ。でなきゃ、殺したかったはずの親父にこんなこと言ってねぇだろ!」

 天帝は、重い腰をあげると朔を見つめて言う。

「朔よ、見せたいものがある。今のそなたならば大丈夫だろう」
「見せたいものだと……? 何を――――」

 天帝が朔を招き寄せ、不意に彼の目をじっと見つめた。
 そして両肩に触れると、ぐにゃりと時空が歪む。
 いつの間にか地面は無くなり、彼の背後に広がる何光年先の星雲。
 その美しい星々が、暗闇の穴に飲み込まれ、消滅している。
 光りも星も星雲たちも、何もかも飲み込む虚無の穴は、確実にゆっくりと銀河に広がっているように思えた。

「――――朔、私はもうすぐ死ぬ。私が死ねばあれが、この銀河せかいの全てを飲み込むだろう。神々も妖魔も天魔も人も、全て消滅する」

 朔は勝手に死ぬな、という言葉を飲み込んだ。
 長年、愛憎の気持ちを向けていた実の父親が死ぬという紛れもない事実。
 銀河せかいの終焉の始まりを見た朔は無力感と、感じたことのない悲しみ、そして恐怖に息を飲む。

「天帝も死ぬのかよ……。冗談きついぞ、親父。この流れで、全世界滅亡なんてクソすぎんだろ」
管理者わたしにも死は平等に訪れる。それを阻止するには、朔。そなたが新たな天帝になるのだ」
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