【R18】隻眼の戦神と溺愛されしヴァルハラの歌姫

蒼琉璃

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数多の名を持つ者②

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 戦士達が日々、戦いに明け暮れる宮殿ヴァルハラは物々しい砦のような場所で、どこか張り詰めたような空気が漂っていた。それとは対照的に、この喜びの世界と言う意味が込められて名付けられた王宮グラズヘイムは、エマが見たことも無いような美しく豪華な宮殿だった。

 黄金で出来た彫刻、美しく豪華で繊細な装飾が施された外壁、天界の光を浴びて輝くステンドガラス。地上では見た事も無いような美しい花が咲き乱れ、小鳥達が歌っている。そして、まるで意思を持つような淡い魔法の光が、ふわふわと照明の変わりに漂っていた。空気はどごでも澄んでいて気持ちよく、まさに聖域サンクチュアリと言う言葉がこれ以上無いくらい美しい場所だった。
 隻眼の戦神と言う戦に生きる神からは想像できない位に、芸術的な場所だった。ヴィズルの白馬から降ろされたエマは、外界では見た事も無い位に豪華で、美しい王宮を見渡していた。

「――――なんて綺麗なの。まるで天国みたい」

 感嘆の声を上げるエマに、ヴィズルは笑った。紛れもなくここは天国だと言うのに、目を輝かせて世界樹ユグドラシルの自然の恵みと、宮殿の美しい造形美に目を輝かせている。見慣れた、神々の住まう世界アスガルドで、唯一無二の美しさを誇るこの場所も、エマの無邪気な微笑みを見れば、改めて特別な場所だと感じさせた。

「お前の好きな時に、ここを尋ねると良い。ムニンとフギンには伝えておく」
「何時でも私が訪れて良いの? この場所は特別な場所だと聞いたわ」

 こんな美しい場所で歌えたら、どんなに気持ちが良いだろうと思えた。特別な場所に愛人の中で自分だけが招待されているという事実が、エマの心を揺さぶった。
 心の変化を恐れるようにエマは目を伏せた。愛人だと言っても明確に愛を囁かれた訳ではなく、ゲームと称して処女を奪われただけだ。快楽に身を任せてしまったけれど、まだ誇りを失った訳ではない。エマは探るように彼を見た。

「――――ヴィズル様。どうして私をここに招待したの?」
「今は外界も小国同士が争っている。俺を信仰する部族や、王は多い。血の匂いに酔いしれ勝利の余韻を楽しむには、王宮グラズへイムが一番だ。ワインを飲み、お前の美しい歌を聴いて、

 エマは耳まで赤面した。昨晩も交わったのにまだ満足いかないのだろうか。血に酔いしれ、戦場での勝利に酔いしれるさまは、残酷な死の神らしい発言だろう。そしてその答えが、お気に入りの場所に嗜好品の一つとして自分を持ち込むと言う事なのだろうかと思えるような返事に、少しムッとした様子でエマは彼を見上げた。

「ヴィズル様、歌なら何時でも歌ってあげるわ。でも……私の事を嗜好品みたいに言うのは辞めて。それにゲームの勝ち負けで、あ、をするのは嫌なの。そうじゃなくて……」

 エマな途中で紅くなって視線を反らした。異教の神でも人は、神が創りし者だ。人だけで無く動物も同じく装飾品にしか過ぎないだろう。なのに、自分は何を言っているのか。ゲームの勝ち負けのような感覚でしたくない  

 ――――もっと、別の。言葉にするのは恥ずかしい何かだ。

 ヴィズルは、翡翠の瞳を僅かに見開いて彼女を見下ろした。暫くきょとんと、していたが愉快そうに笑うと、エマの顎を掴むと顔を上げさせた。
 きちんと、視線を合わせるエマの顔はヴィズルから見ても赤らんでいる。

「――――そうだな。すまなかった」
「え?」

 意外な答えに、エマは目を見開いた。
 また自分をからかうような憎まれ口を叩かれるかと思っていたのに。
 隻眼の神の親指が唇に触れて柔らかな感触を確かめると、頬を指先が無でた。不意にムスクの香りがして、ヴィズルが近付いたかと思うと、やんわりと唇を塞がれた。啄むような口付けは心地よく、思わず身を任せてしまった。ゆっくりと離れると二人の間に銀糸が橋が掛かった。
 何も言わず、見つめられたままエマの濡れた唇を指で撫でられると、心臓が段々と高鳴って行くのを感じた。

「――――随分とお盛んな事だな、オーディン。妾への当てつけか?」

 女性の気品ある高圧的な声がして、エマは現実に引き戻されると驚いてそちらを見た。美しい純白のドレスに金の装飾品で体を着飾った、類まれな美貌を持った女性が廊下から優雅に歩いてきた。
 長い美しい金の髪が臀部まで伸びている。その容姿や威厳からしても彼女が女神であり、最高神と対等に向き合える立場の女性である事はエマにも理解出来た。高貴な女神と目が合うと冷水を浴びせられたような気持ちになって、エマは青褪めた。
 
「まだ帰ってなかったのか、フリッグ。とっくの昔にフェンサリルに帰ったかと思ったが。取り巻きの女神のいないこの場所は、さぞかしつまらんだろ?」
「王座フリズスキャールヴは、あいにくそなたの宮殿にしかないのでな。夫のしかめっ面を毎度拝まねばならないのが唯一の厄介事だ。それで……その人間の娘が『エマ』か?」

 フリッグと呼ばれた女神は、ヴィズルの正妻である女神のようだ。どのような理由があれ不貞を働いた事な事実だ。冷たい眼差しのヴィズルの横顔を見つめ、そして女神フリッグを真正面に見据えた。ゆっくりと歩み寄ってくると、エマのつま先から頭までをじっくりと見つめる。

「はい。エマと申します。宮殿ヴァルハラで歌姫としてヴィズル様に召されました。死せる戦士達エインヘリャル達の魂を、癒やす為に……」
「なるほどな。王宮ヴァルハラで囲われている女と聞いていたので、どれほど勇ましい女戦士か期待していたが、とんだ田舎育ちの詩人の娘だな。詩人のパトロンとはよく言ったものよの、オーディン。しかし、エルフに劣らない程の美しい顔立ちをしているのは褒めてやる」

 褒められているのか、貶されているのか判断がつかない言動でフリッグは目を細めた。不意にヴィズルに肩を抱かれて引き寄せられると、そのまま無言で彼女の側を通り過ぎようとした。エマは戸惑いながら彼に従う。

「オーディンよ、この娘を私の宮殿フェンサリルに招待しよう。妾にも美しい歌声を聴かせおくれ。戦士でも無い娘の魂があの宮殿にいるのだから、
「先刻、エマに構うなと言った筈だが? 互いの事に干渉しない、それがお前が正妻として俺の側にいられる条件だ」
「妾は何もその娘を、取って食おうと言う訳ではないぞ。豊穣の神として祝福をしてやろうというだけだ。――――そなたは少々熱くなり過ぎておるな」

 ヴィズルの威圧感と、フリッグの女帝のようや威圧感がぶつかり、エマは体が震えるのを感じたが、二人の間に入るように言った。このまま二人の口論が激しくなってしまえば、心も体も押し潰されてしまいそうだ。

「――――私、フリッグ様の為に歌います」
「お前は、俺の歌姫だ。フリッグに従う必要はない」
「でも」

 エマの答えを聞くと、機嫌良くフリッグは笑い出した。相変わらずエマの心臓は痛い程鳴り響いている。フリッグは自分の指先を唇に当てると言った。

「では、後日妾の使いをよこそう。女同士、話したい事は沢山ある。怯える必要はないぞ、エマ。妾は古来より愛と豊穣を司る神だ。この娘がこう言うのだから反論は無いな、オーディン」
「…………フギンとムニンを護衛としてつける条件を飲めるのならばな。だが、エマに何かあればお前は、アスガルドを追われると思え」
「構わぬ。楽しみにしておるぞ」

 とても夫婦の会話には思えない程緊迫していた。ヴィズルとフリッグにこれまで一体何があったのか、第三者のエマにはうかがい知る事は出来ない。けれど、両者とも冷え切った関係である事だけは間違いないと確信した。
 フリッグは、項垂れるエマの横を上機嫌に通り過ぎると、鷹の姿になって王宮グラズヘイムを飛び立っていった。ようやく緊張を説いて、エマは大きく息を吐いた。

「全く……手の掛かる女だ。何故、フリッグの要件を飲んだんだ。あの女は策士だぞ」
「――――フリッグ様は奥様よ。もっと激怒されてもおかしくないわ。フギンとムニンが一緒に居てくれて、歌をお披露目する位ならば出来るもの……」

 その選択肢以外に何があると言うのか、とエマは心の中で呟いた。
 彼女に愛人がいたとしても、正妻で夫の宮殿に女がいるのだから憤慨ふんがいするだろう。
 正直に言えば、彼女の所有する宮殿に向って恐ろしい罰を受けるような事になるかも知れないと言う恐怖感はある。
 だが、この隻眼の神の恐ろしさを妻が知らない筈は無いだろうとも思う。彼女の要求に答えたのは、ヴィズルへの畏怖にも似た信頼が自分にもあるからだろうか。
 彼女に気まずさを感じるのは、あの行為が一方的な寵愛としてではなく、僅かにエマの心を動かしたからだろうか。
 ヴィズルは溜息をつくと、エマの頬を撫でてやった。そして腰を抱いて廊下を歩くと、美しい庭の見える大きなサロンへと向かった。

✤✤✤

「ヴィズル様の本当の名前は、オーディンなの?」
「俺の名前は、お前達人間が次々と増やしてくれるからな。戦の父、勝利を決める者、滅ぼす者、死の神。そのどれもが俺を表している。俺は滅ぼす者ヴィズルという名前が気に入っている」

 漆黒の鎧を脱いだ戦神は、美しい幻想的な庭を見つめるエマに答えた。そっと、後ろから近付くとヴィズルの吐息が耳元に伝う。まるで恋人同士のように背後から体を寄せられると、背中越しに温もりを感じて心臓が高鳴る。
 美しい花々が咲き乱れ噴水の透明な美しい水の上に、様々な色の花弁が浮かんでは消えていた。そんなエマの様子を気にも止める事無くヴィズルは言葉を続けた。

「庭が気になるようだな。もう、その美しい声を魔女だと責められる事もない。あの庭で自由に過ごすが良い。俺はお前の歌を聴きながら知識を深める」

 優しく囁かれると、心の硬い鱗が一枚一枚剥がれ落ちて行くような気がする。

「…………こんな、美しい場所に来てまで読書なんて、贅沢ね」
「ならば、俺の膝の上で歌え。知識への探求さえも忘れされるくらい、俺の気を引けばいいだろ?」

 ヴィズルは、挑発的に笑って言った。気を引きたい訳じゃない、と真っ赤になって言う前に軽々と抱き上げられてソファーに座った、相変わらず、強引で傲慢な隻眼の神々の王の膝の上に乗せられると彼を見上げた。
 人々に癒やしを与えていた歌声も、いつの間にか、人を惑わす魔女の声だと非難された。神を讃える曲も、一度疑心暗鬼になった人々の心には届く事はなくあの恐ろしい眼差しも、忘れる事は一生出来ないだろう。
 例え村を出て新しい場所で生活をしても、魔女裁判が続く限り、よそ者として、新天地にやってきた自分達がいつ、魔女として火炙りにされてしまうかもしれない恐怖からは、逃れられないように思えた。
 そんな心模様も、この隻眼の神にはお見通しなのだろう、尊大にふんぞり変えるヴィズルが優しくローズブラウンの髪を耳にかけた。

「心配するな。お前は、俺の為に歌えば良い。そして彼等の為にな」
「…………何の歌が聞きたいの?」
「恋する女の歌が良い。ふしだらだと非難されて、歌うのを封じただろう。今、お前の口からあの詩を聴きたい」

 囁くように顔を近付けられると、頬を染めながら彼の胸板を押した。その指先をいとも簡単に握られると、エマは唄った。戦場に向かった男を想う歌ではない、もっと直接的な恋の歌だ。
 禁断の愛の切なく官能的で苦しい情熱的な歌だ。多くの女性が、心の中で秘めた恋に悩んでいた。
 もし、自分にも最愛な人が出来て、手が届かない相手ならどう思うだろうと、書いた詩だった。

 
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